ジレンマ

 ぴょろが寝てしまい、静かな夜。
 私はこれからどう人生を生きていけばいいのだろうか、私はどこへ行こうとしているのか…今は全く分からないのです。先の見えない不安と、誰ともつながっていないような深い孤独感に、時々圧倒されそうになります。

 誰かの役に立ちたい気持ちは以前と変わりませんが、何がしたいのか、どうなりたいのかも、今はno idea(全く浮かばない)です。

 仕事でも私生活でも、道標を見失ってしまったような気もします。
 ふわふわとただ毎日を惰性で生きているようで、それではいけない、何とかしなくてはと思っても、ではどうすればいいのかが分からず、イライラとジレンマに陥っています。

  
 

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人生は気づいたときからやり直せる

 配偶者との離婚は、私にとってはかなりのストレスでしたが、中でも調停は最もエネルギーを消費したように思います。

 離婚後、それなりに穏やかな生活はできているものの、今でも相手の事を思い出して怒りがこみあげてくることがたまにあり、鏡に映る自分の疲れた顔を見ていると、まだ十分に立ち直れてはいないのだなと思い知らされます。

 元配偶者のことではいろいろな人が巻き込まれ、皆の中に多少なりとも嫌な思いが残っただろうと思います。失ったものの中には、多分取り戻せないであろう、元配偶者以外との人間関係も含まれています。

 私ははじめから、弁護士を通して話し合いでの離婚を望んでいました。しかし元配偶者はそれをせずにいきなり調停に申し立てて、私が離婚に応じないなら審判も辞さないという強硬姿勢を崩しませんでした。「私(Sana)が勝手に子どもを連れて出て行って、妻としての義務を果たさなかった」というのが離婚の主な理由に挙げられていました。

 事実とは違うことなので、反論しようと思えばできたのですが、私はそれはしませんでした。また自分の正しさを主張するのも賢明でないと思ったし、感情的になれば相手の思うつぼだと思ったので、必要以外のことは何も言いませんでした。ただ毅然と言うべき事をいい、引くべき時に身を引く、それだけでした。

 私は調停で自分がいかに善良な夫、よい父親であるかを必死でアピールする元配偶者の姿を見て…確かに彼にも良い面はあるし、父親としてよくやってくれた事は認めるけれど…自分をよく見せようとすることがばかばかしくなりました。他人に理解され受け入れられるために、そこまでやらなければならないのだろうか、とも感じました。

 果たされなかった多くの約束より、相手を傷つける言動より何より、もう嘘は嫌だ、と本気で思いました。自分にも他人にも正直でいることが一番大切なことだと、このときにはっきりと悟りました。誰かを悪者にして自分の善良さを証明することなんて、何の利益にもならないと思いました。

 それまでの私は、相手に気に入られようと自分を偽り、無理にいい人を演じていたところが大いにありました。そうすれば、他人は私を受け入れてくれるだろうと思っていたからです。元配偶者を見て、それは逆に自分を苦しめ、相手を傷つける行為だと始めて理解しました。過去、私には人間関係において、多くの過ちも失敗もおかし、決してよい人間ではありませんでした。しかしそのことに随分長く気づかず、現実のそのありのままを見てはいませんでした。

 そのとき元配偶者もまた、自分自身が何をやっているのか本当には分かっていないのだろうと感じました。それならば相手をただそのままにしておくことが、私にできる最善のことだと思いました。

 私はこの経験のあと、しばらくの間、深く自らを反省しました。
 私はできる限り、誰に対しても正直で誠実でいようと思いました。
 人に優しくすれば自分も優しくされる、という考えは捨てました。自分にも人にも優しい人間でいようと思いました。

 この一連のできごとから、「人生は今日、気づいたときからやり直せる」ことも学びました。もう絶対に後戻りはしたくないので、小さなことに喜び、感謝する心を持ち、ありのままを生きていく…そう自分に繰り返し問いかける毎日です。

 

 

 

 

 

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「友だち」の定義

 長く愛用しているVAIOの調子が最近悪く、使っている途中でよくフリーズするようになりました。これから修理に出すところで、しばらくはiBookだけが頼りです。
 
  Windowsしか対応していない統計ソフトとか、ゲームとかいくつか不便な点はありますが、iBookの方が使い勝手がよくバッテリーも長持ちするので、コードレスであちこち持ち運ぶことができ、ちょっとメールを見たいときとか、短時間の作業をするには便利だなあと思います。

 以前から私は、DSM-IVの「アスペルガー症候群」の診断基準には偏りがあるように感じていました。例えば、
 「人と社会的・感情的なやりとりを交わす能力に欠ける」
 というのは、アスペルガーを持つ人たちの状況を必ずしも適切に言い表していないと思うのです。

 ギルバーグの診断基準にも「友達と相互に関わる能力・意欲に欠ける」という一文があるのですが、それもちょっと違うだろう、と個人的には思います。多くは他者と友達になりたい気持ちも、親しく関わりたい気持ちもそれなりに持っているけれど、実際どう関わっていいか分からず、人と関わることにとまどいや不安・緊張を抱いているのですから。

 人に好かれたい、認められたい気持ちはみな同じだけど、おそらく定型発達の人たちから見て、アスピィ(アスペルガー当事者の事をそう呼ぶことがあるらしい)は多分不器用で、ちょっとややこしく見えるのではないかと、時々そんな風に感じます。他者に対する共感についても、乏しい人ばかりではありませんし、相手の立場をある程度考えて行動することができる(けど対応の仕方は合ってない)人もたくさんいるのです。

 こうやって考えると、アスペルガー症候群についてはまだ多くの誤解があるような気がします。

 「友達がいない」という悩みは、実際によく耳にします。しかし丁寧に訳を聞いていくと、全くいないわけではないことが多いです。年賀状をやりとりしたり、たまにメールや電話で連絡を取り合う人が少なからずいるのに、普段一緒に行動を共にすることが滅多にないから、友達とは呼べないと思いこんでいる人も、時々いるようです。

 また、過去にいじめられた経験があって、人付き合いにことさら慎重になっていると、相手は好意をもって仲良くなろうとしているのに、こちら側がそれを受け入れられないということもあります。そういう場合、「友達がいない」との言葉の裏に、「信頼できる人がいない」という意味が含まれているのかなと感じます。

 さて、私も10年以上、「友達」の定義でずっと悩み続けた経験があります。

 ぴょろが生まれる前に知り合った人と、お互いの子どもの誕生日が近いこともあり、ずっと長く家族ぐるみでおつきあいをしていました。その人といっしょにあるサークルのクリスマス会に招かれた席でのことです。

 何家族か集まっていて、お互いをよく知らない人もいたので自己紹介をすることになりました。「家族は何人か」「好きな食べ物は何か」とかお決まりの話の他に、「(その日集まっていた人たちの)誰と友達か」という、今考えるとヘンな質問がありました。

 皆ひととおり自己紹介を終わり、彼女の番になったときに「この中の誰と友達ですか」と聞かれて彼女は何人かの名前を挙げたのですが、最後まで私の名は出てこなかったのです。

 私にはちょっとしたショックなできごとでした。家も近く、子どものこともあって割とよく話もしたし、それなりに付き合いもあって、私はその人を友達だと思っていたのに、彼女にとってはそうではなかったのだな…と。そのときに私は、「こちらが友達だと思っていても、相手は必ずしもそう思っていないことがある」と学習しただけでなく、「それなら私が一方的に友達だと思うのは失礼なことではないか」と、それ以後しばらく人付き合いに慎重にならざるを得なくなりました。

 それから十数年、ぴょろの学校や部活の保護者会、大学院や仕事など、いろいろな場所で出会いはあって、それなりに気が合いそうな人も何人もいたのですが、このときのことが頭から離れず、多分この人たちにももっと親しい友達はいるのだろうな、と思うと自分からは踏み込めず、人とつきあうこと自体がおっくうになってしまっていました。

 関西に移った当初、まだ新しい環境になじめなかった頃、私を気遣って何度かメールや連絡をくれた人はいたのですが、私は自分が悩んでいることは誰にも話せませんでした。友達がいない、とその頃は思っていたので、不安と寂しさでやりきれなくなることが何度もありました。

 その後、仕事を通してある同業者の女性と知り合いになりました。彼女はクリニックの非常勤のカウンセラーで、大学の学生相談に長く関わっていて発達障害のことをよく知っていました。お互いの専門性が似ているということで話が合い、お昼休みに一緒に弁当を食べたり空き時間にちょくちょく話すようになりました。

 そのうちぽつぽつ、仕事の事だけでなく互いの家庭のことなども話すようになり、何となく親しくなりました。関西に来て始めて知り合った、貴重な仲間だったのですが、私はこの人の事も以前のことがまだひっかかっていて友達と呼ぶには抵抗がありました。もともと明るい性格の人で、交際範囲も広いので多分私は友達の範疇には入っていないだろうな、と勝手に思いこんでいたのです。

 昨日、仕事に来ていた彼女と話していて、「実は私は”友達”の定義が分からない」と、10数年前の事を始めてうちあけました。全く人付き合いをしないわけではないが、友達と呼べる人は多分いないと思っているのだと話すと、

 「ええ〜?!じゃあ私の存在は何なのよ?私は友達と思ってんのに」…と何を言っているのこの人は?…という表情で切り替えされました。

 「あのね、普段から仲いい人も、普段はお互い忙しいからやりとりできへんけど何かあれば連絡取り合う人も、みんなひっくるめて友達と思ってんのよ。Sanaさんは、そこをはっきり分けて考えたいんやな」と、それを聞いてちょっぴりほっとしました。この人、分かってくれてんのやなあ、と。

 その時ちょっと考えてみて、もしかしたら私の事を友達と思ってくれていた人は他にもいたかもしれないな、と気がつきました。こちらがあまり慎重になりすぎて、近寄りきれなかったのが残念な気がしました。

 どちらかが無理をしなければ付き合えない関係は、確かに友達とは呼びにくいかもしれません。でも、何となく気があって無理をせずに付き合えて、多少心を開ける関係があれば、それは十分友達と言えるのだと、やっと理解できた気がしました。友達とは、時間も空間も越えられる関係なのだと、そんな風にも思いました。

 このようにものごとを何かと難しく考えてしまうのが、私のアスペたる部分なのですが、どこまでを友達と呼べるのか、友達って何なのか、私と同じように悩んでいる人はもしかしたら案外多いのではないかと思う次第です。


 

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自分を大事に

 一昨日久しぶりに力を入れて記事を書いたのですが、運悪くメンテナンス時間にひっかかり書いた記事が全部消えてしまいました。

 障害について本人にどう説明するかという内容だったのですが、また書き直しです。

 来週末までは忙しいので、少し先のことになりそうです。

 昨年11月以降、仕事がいろいろと入り休日は日祝日だけ、という状態になりました。土曜日は2カ所の病院で仕事をし、帰りが八時半をすぎることもしばしばです。また普段も、検査などで残業になることも時々あります。

 仕事以外の時間はほとんど家事に費やされ、ゆっくりできる時間はあまりありません。母親は入院していますし近くに親戚もいないし頼み事ができるほど親しい人もいませんので、全部を一人でこなしています。ぴょろは部活がなく気分の良いときは手伝ってくれますが、それも限りがあります。

 最善を尽くすように心がけても、なお毎日が時間に追われている感じがします。

 そういう生活からくるストレスなのか、最近体調が不安定でさすがに体がしんどく、以前より気力がなくなっている気がします。多分忙しさだけでなく、精神的に辛くなった時に気軽に話せる人が、身近にいない寂しさもあるからなのかもしれません。

 九州にいたときより、なじみにくさを感じることもしばしばです。

 友達はすぐにはできなくても、せめて今は心安らかに過ごせればと思います。もともとあまり体力がある方ではないので、こうなってみてようやく、自分を大事にしなければと気づいた次第です。


 

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今思うこと

 職場の忘年会で、「今年一年を振り返って」というお題で、一人ずつ話すことになりました。
 その場で何とか考えてみたものの、いろいろありすぎて何とまとめて良いか分からず、忘年会の席ではうまく話ができませんでした。

 いま改めて振り返るに、多分去年と今では、私の内面も私をとりまく環境も、予想以上に変わってしまった気がします。

 この1年の間に、
 全く住んだことのない関西に引っ越し、
 母は軽度の認知障害で入院し、
 配偶者からの申し立てで調停離婚となり、
 ぴょろが思春期の難しい時期に入り不登校気味となり、
 いろんなことが次々と起きました。

 だけど思ったよりも混乱せず、今はしごくおだやかに過ごしています。

 なぜかというと…
 母親に認知障害が起きたことで、周囲がやっと彼女の発達や人格の問題に気づき、長年の侵入的な関係に終止符が打たれたから。
 配偶者の申し立ては、内容はひどいものでしたがそのことが離婚を逆にスムースにしてくれたから。
 ぴょろのことは、登校渋りがきっかけで本人に発達障害の告知ができ、京大病院で診断をうけるめどが立ったから。
 そして関西に移ったことで、師匠と再会し新しい仲間ができたから。

 一番辛かった時期に、ふと思ったのです。
 母親の病気は私を逆に自由にしてくれたのではないだろうか。
 配偶者やそれに関わる関係は、失ったのではなく手放すべきものだったのではないか。
 ぴょろは自分を知る時期が来ているのであって、彼の成長を喜んでいいのではないか。

 そのときつらさはなくなり、すーっと楽になりました。
 大変なこともあったけど、長い目で見てよいこともある、そう考えはじめて心おだやかに過ごせる時間が増えたのです。

 そこまでには、毎日瞑想したり、師匠から治療を受けたり、現状を受け入れるためにそれなりに努力したこともあります。

 その過程で、人は一人では生きていけないのではなく、一人では生きていないということに気づきました。
 周りに誰もいないのではなく、見えていないときがあること、
 そしてつながっていないようで、人は常に人とつながっているということ。
 それが、この一年を通して得た、最大の収穫です。

 
 

 

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こころの光

 少し前のこと、ある有名なマジシャン(イリュージョニスト)が、スプーン曲げのやり方を説明しているのをみて、本当にできるかどうか、試したことがありました。

 こんな簡単な方法でできるならおもしろい、と思ったのです。

 結果は見事に曲がりました。注)普段使っているスプーンなので、あわてて元にもどしましたが…。

 その方は、”この方法だと約3分の1の人がスプーンを曲げられる”、と話していました。この程度の力は、多くの人が潜在的に持っているのだそうです。

 それから約2ヶ月ほど経ったある日、今度は警察と協力して失踪者の捜索などにあたっている、ある能力者(透視者)について紹介したTV番組を見ました。

 海外ではかなり有名な人のようで、子どもの頃に自分に透視の能力があることに気づき、少しずつ経験を積みながらその力を隣人のために役立ててきたそうです。

 その人は、インタビューの最後に、「本当は誰もが同じような能力(先見や直感などの第六感)を潜在的に持っているけれど、それに気付いていない人が多いのではないでしょうか」と話していました。

 この話を引用したのは、特殊能力の話をするためではありません。

 日々病院や学校や大学でいろんな人と出会いを重ねていく中で、「誰もがかけがえのない存在である」という言葉の、深い意味に気付いたのです。

 確かに顔つきも性格も他に誰ひとりとして同じものを持っている人はいません。ひとりひとりが皆、違った存在なのです。それは状態だけでなく、個人の持つ能力にも言えます。

 誰もがみな、きらりと光るものを持っていて、人の可能性は無限である…出会いを通して次第にそう感じるようになりました。発達障害のあるなしに関わらず、誰にでも天与の、潜在的な力が備わっているのだと。

 しかし、与えられた能力を十分に伸ばせる人はそう多くありません。気付いていないのではなく、もっと別の理由で人の成長はしばしば阻まれているように思います。

 人間が抱きやすい「恐れ」には次のようなものがあります。

 死に対する恐れ、孤独への恐れ、失敗への恐れ。これらは普遍的で分かりやすいものです。

 それだけでなく人はしばしば、自分の定めた限界を超えてしまうことへの恐れ、つまり成功への恐れを抱きやすい性質があるのです。

 成功への恐れは、他人との比較や競争からも生まれます。私たちがもっと善くなることを恐れるのは、自分の人生を生きていないからなのです。仕事につながらないとか直接の収入にならないからとか、様々な理由を挙げて、人はしばしば自らの能力を伸ばす機会を失っているような気がします。

 私たちは、例えるならパズルのピースのように、一つの宇宙全体を構成する、欠かすことのできない大切な存在です。個々に違う私たちは、実は深いところで一つにつながっているのだと感じます。

 そのような視点から今の状況を眺めていると、時にそれぞれが皆自分の持つ力を最大限に発揮すること、そして他者がその力を発揮する手助けをすることが、宇宙の意思ではないかとさえ思うことがあるのです。

 さて、ネルソン・マンデラの詩がこのことを最もよく言い表しているので、ぜひご紹介したいと思います。


 わたしたちのもっとも深い恐れは非力だということではない。
 計り知れない力をもっているということを、
 わたしたちは一番恐れているのだ。
 わたしたちをもっとも脅かしているのは、
 暗闇ではなく光なのである。

 わたしたちはこう自問する。
 「私はこんなに利口で才能があり、はなやかでいいのだろうか?」と。
 それなのに、なぜあなたはそうではないのだろう。
 あなたは神の子供である。
 あなたの控えめな態度は世界のためにならない。
 周りの人々が不安にならないようにと縮こまっていては、
 なにも明らかにならない。

 わたしたちは自分の中にある神の栄光を
 この世に顕すために生まれてきたのだ。
 神の栄光は一握りの人たちの中にだけあるのではない。
 すべての人の中にある。
 自分の心の中の光を輝かせるとき、
 わたしたちは無意識のうちに、
 他人も同じ事をするのを許している。
 自分自身の恐怖から解き放たれれば、
 わたしたちの存在そのものが、ひとりでに他者を解き放つのだ。


 注)この方法は、一方の手でスプーンを支え、もう片方の手で曲げる方法ですが、曲げる方の手はほとんど力を入れてません。それなのに、何度やっても曲がります。大切なのは「曲がらないのではないか」と疑わないことと、気を集中させることです。訓練の仕方によっては、私たちはもっといろんなことができるようになると感じた一件でした。


 

 

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ワーカホリック再び

 以前から気づいていた事なのですが、
私はどうも、頼まれるとNoと言えず引き受けてしまうところがあるようです。

 去年8つの非常勤を掛け持ちしていて、「これ以上増やしたら倒れるよ」と友人に言われて、この生活から早く抜け出さなくてはと思い、常勤の職についたはずだったのですが…。

 月〜土曜日の、いつもの仕事の他、病院の休診日に学生相談(4時間×3回/月)と大学の臨床助手のアルバイトが入り、さらに土曜日の午後は別の病院でカウンセリングの仕事が入り、気がつくと、休みが木曜日半日と日曜日だけになっていました。

 もうこれ以上は仕事は増やさないぞ、と思っていたのです。
 しかし、私の師匠と同じ大学の先生の紹介で、来月からまた新たに中学校のスクールカウンセラーの仕事を引き受けることになってしまいました。

 今年度残り期間の臨時採用で、4ヶ月間だけのことです。しかしスクールカウンセラーの仕事が加わると、私の休みはしばらく日祭日だけになってしまいます。

 先日、知り合いの先生(精神科医)にそのことを話したら、「Sanaさんは頼まれると何でも引き受けてしまうからなあ、もういいかげんにやめときよ。」とやんわりと諭されました。

 もちろん、気の進まない仕事は断るときもあります。でも、ことカウンセリングに関しては好きで興味があるので、ついつい「いいですよ」と言ってしまうのです。

 私はアルコールも飲めないし、他に依存するようなものもないのですが、完全にワーカホリックになっているなあと、改めて思う次第です。働いている間は楽しくて、辛いことに考えが行かないので、多少現実逃避気味なのかもしれないとも思います。

 「自分を大事に」とは人には言えるものの、自分に対してはなかなか難しいようです。


 
 
 

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鎧(よろい)を捨てる

 先週末、「自分の小さな”箱”から脱出する方法」(アービンジャー・インスティテュート著)を読みました。

 翻訳のジレンマもあるのでしょうが、書かれてある内容を本当に理解するには少々骨が折れました。とりわけ象徴として用いられている「箱」の意味を理解するためには何度も同じ箇所を読み直す必要がありました。

 この本は、一言でいうなら自己正当化イメージがどのように人間の認知をゆがめ人間関係に好ましくない影響を与えるのかを例を用いて説明しています。専門用語を全く使わずに平易な言葉で書かれていますが、ほぼベックなどが提唱する認知療法の考え方に沿っています。

 2,3日の間”箱って何?”と考え抜いたあげく、「箱」を鎧に変えると日本人には分かりやすいのでは、と気が付きました。今日はその内容の、最も重要な部分だけをご紹介したいと思います。

 人間が「自分は悪くない、間違っていない」と自分自身を正当化しようとする理由は2つしかありません。

 一つは自己欺瞞、つまり自分の本意に反した言動に対し、自分をだますことで抵抗感や罪悪感を解消するため。

 そしてもう一つは、自分の最も見たくない(嫌いな)部分に直面するのを避けるため、です。

 自分を正当化しようとすると、ありのままの自分自身では都合が悪くなります。そのため「私は正しく、思慮深く、価値のある、優れた人間」であるというイメージを作り、「私はそうする(そのように行動する)特権がある」と思いこむ必要が出てくるのです。

 その時人は「箱」の中に入る、と本は説明していますが、それはすなわち見栄やプライド、他人の評価のような「鎧(よろい)」をまとうことに例えることもできるのではないでしょうか。

 自分自身に対する歪んだ自己イメージを持つと、人間は現実の世界を自分の都合のよいようにゆがめて見るようになります。また常に正しい存在であるためには、自分だけでなく周りの人も思うように動いてくれないと困るので、他人を何かにつけコントロールするようになります。

 「箱」に入る、あるいは「鎧(よろい)」を身につけると、人は他人をもはや自分と同じ人間として見ることはできなくなります。全てが自分を中心に動きはじめ、人間関係は自己正当化のための単なる道具になってしまいます。

 さらに鎧(よろい)をまとった人にとっては、自己正当化の妨げとなる人物の存在は脅威であり、相手の欠点を過大に取り上げ、自分は被害者(犠牲者)として相手を非難して当然と考えるようになるのです。この場合、最もやっかいなのは、鎧(よろい)があると狭い自分の世界しか見えなくなるので、自分が相手に何をしているのか、それが相手との関係にどんな影響を与えるのかが全く分からなくなることです。

 この状態では、他人から矛盾を指摘されると大抵が逆ギレして攻撃するか、あるいは終始言い訳を並べて煙をまかれるかのどちらかになってしまいます。

 さて、鎧(よろい)を身につけ続けると、それは次第に体になじんで、最後には人格の一部となっていきます。本当は重くて動くに負担の大きいはずの鎧は、なじむと居心地のよさすら感じるというのです。そして鎧を身につけた人が集団にひとり現れると、それは次第に他へと伝染?していきます。つまり鎧(よろい)をつけた相手から非難や攻撃をされると、気付かない限りはこちらも同じように鎧で武装してしまうようです。そして目に見えない戦いがどちらかが降りない限りは延々と続くことになるのです。

 鎧(よろい)をつけた状態でも、人は他人に援助するなど社会的に好ましい善い行動をとることはできます。しかし、鎧(よろい)がある限りはそれらの行動は結局「自分の正しさを証明するため」であって、本当の意味で人のために何かをすることはできません。また「よい人間でありたい」と思っても、本当にはよい人間にはなれません。同じ行動でも、鎧があるだけでその動機も自己評価も全く違ったものになってしまうのです。

 鎧(よろい)は本来なくても生活できます。鎧(よろい)をたくさん着込めば着込むほど、人は自由を失ってしまいます。鎧(よろい)は人を苦しめているのに、だからといって手放すことのできない人がたくさんいるように思います。

 鎧(よろい)を捨てる、あるいは「箱の外に出る」には、2つのことが必要です。

 まず、自分の中の嘘に気づき、それと向き合うことです。人間関係の問題において、相手ではなく自分自身に原因があるのではないかと疑いはじめること、それは自分のまとった鎧の存在に気付くチャンスなのです。

 そして自分に素直に、正直に生きるように繰り返し努力することです。ありのまま、まっすぐにものごとを見ることが自分のイメージの歪みをなくすために必要不可欠なのです。

 
 この「鎧(よろい)」あるいは「箱」は、家庭や学校、社会と広範囲に見られ、人と人とのつながりを隔てている大きな問題です。自分自身に嘘を付き続けることは、自分だけでなく人をも裏切ることになるのですが、残念ながらそのことに気付いている人は少ないように感じます。

 「鎧(よろい)」「箱」という概念と、それが示す人の認知の問題は、更に人間の性質に関して非常に大きな示唆を与えてくれ、それは私の仕事や私生活における人間関係のとらえ方に重要な変化をもたらしてくれました。


 今日はもう遅い時間なので、次の機会にそのことをご紹介したいと思います。


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こころの安らぎを選択する

 カウンセラーの仕事を始めて5年が経ち、そろそろ新人とは呼べない立場になりつつあります。

 それまでの仕事とは全く違う世界に飛び込んで、あれこれ失敗もし、立ち止まり、時には後戻りしつつも前に進んできたような次第です。

 思えば多くの人と出会い、いろんな話を聞いたなあ、と思います。


 さて人の人生にはときどき、自分の力ではどうすることもできない、悲しく辛いできごとが起こるものだと思います。

 それを試練と呼ぶ人もいるし、大きく成長するチャンスと考える人もいます。

 時には身近な人の問題で苦しまなければならないことがあるかもしれません。多くの人を巻き込み、ひとりでは対処できないような問題に直面するかもしれないし、辛いできごとが次々と起こり、心身共に疲れ果ててしまうことがあるかもしれません。

 人のこころを乱すできごとは、おそらく世の中に限りなくあるでしょう。

 それらを嘆いたり不満を抱いたり、怒りに任せるのも一つの生き方ですが、感情に流されず、穏やかで前向きな気持ちでいることも、決して不可能ではないと、最近特に思います。


 人には感情も思考も自分自身で選択し、それに基づいて行動する能力が備わっています。

 何があってもこころ安らかでいることはできるのです。ただしそうするには、やすらぎに最も精神的な価値を置き、日々努力することが求められます。

 私もかつて、感情をコントロールできず長い間苦しんでいました。
 しかしあるときに、「アッシジの聖フランチェスコの平和の祈り」を知り、非常に感銘しこころの安らぎを維持する方法を身につけることを決心しました。

 今は瞑想と、そこから得ることのできる真理の断片が、私のこころを常にやすらかな方へと導いてくれています。

 
 参考までに「平和の祈り」をご紹介しておきます。 

 わたしをあなたの平和の使者としてください
 憎しみのあるところに
 愛をもたらすことができますように
 いさかいのあるところに赦しを
 分裂のあるところに一致を
 迷いのあるところに信仰を
 誤りのあるところに真理を
 絶望のあるところに希望を
 悲しみのあるところに喜びを
 闇のあるところに
 光をもたらすことができますように
 助け、導いて下さい
 慰められることより慰めることを
 理解されることよりも理解することを
 愛されることよりも愛することを
 私が求めますように
 わたしたちは与えることにより与えられ
 赦すことによりゆるされ
 人のために死ぬことによって
 永遠の命をいただくのですから


 「結局のところ、神とのあいだの問題であって、他人との間の問題ではない」
 マザーテレサの有名な言葉です。

 やすらぎもまた、愛と同様与えられるものではなく自ら選び作り出すものなのですね。

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母をゆるす

 私が約1年間お休みしている間に、実はもう一つ大変なことが起きました。それは母の入院です。

 近所づきあいのちょっとした行き違いがきっかけで、眠れず食べられずの状態となりうつ病と診断されたのが今年の2月、そして今も入退院を繰り返しています。

 母の住む団地では、清掃や行事のお世話などいくつかの仕事が当番制になっています。

 去年末、母がそれまで受け持っていた仕事を次の人に引き継ぎをする時に、事件がおこりました。母が事前にお願いしていた人が都合で当番を引き受けられなくなり、知らないうちに別の人に変わっていました。母にとっては「全く予想外のできごと」であり、とりあえず次の担当者に引き継ぎをしたものの、その時を境に段々と様子がおかしくなっていきました。

 どうやら母の頭の中では「次はこの人が当番をする」と順番が決まっていたようで、その秩序が崩れたことで、彼女はパニックになり、自分のミスでこうなったのだと、繰り返しそのことばかり考えるようになりました。そして次第に不安で落ち着かなくなり、体調を崩し、入院することになったのです。

 当番は年末ですでに終わっていて、引き継ぎには何の問題もありませんでしたが、今も母の頭の中からはその「順番」の事が離れずにいて、自分のミスのことを誰かに責められて自分は団地にいられなくなる…というところまで考えがふくらんで、今の家を引っ越したいとまで言っています。


 今回の事で、母は高機能広汎性発達障害(HF-PDD)であることがやっとはっきりしました。
 そのことを妹に告げると、「ああ、なるほどね」と即納得してくれました。

 感情の起伏の激しさ、誰に言うでもないひとりごと、「順番」への強いこだわり…PDDという視点で見ると全て納得のいくものでした。子どもの頃からずっと抱いていた疑問がようやく解けた気がしました。

 それと同時に、母の生きづらさが始めて分かった気がしました。何事も秩序正しく動いていないと、自分の周りの世界が崩れるように感じるのだろうな、と。

 いろんな不便さや辛さを抱えながら、それでも私たちを育ててくれたんだと感謝の気持ちも沸いてきました。

 その時に、これまでの母に対する恨みがましい気持ちやイライラした感情が、すーっと消えていきました。過去にあった辛かった事も、それまでに整理されていたこともあったのですが、もう全部がどうでもよくなってしまった気がしました。

 長い時間を経て、母を心からゆるせた瞬間でした。

 結局PDDだと分かっても、母との距離が近づいたわけではなく、身近にいる妹からたまに電話で近況を聞く程度の関わりしか今はありません。

 でも私は、今のままの母でいてくれればいいと思っています。分からないものは分からない、合わないものは合わない、そのありのままの姿を受け入れるのが一番よいことではないかと思うのです。


 
 

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