何のための告知なのか

 今、非常に困っていることがあります。

 アスペルガー症候群が疑われる大人の患者さんは、基本的に主治医が検査を勧め、了解が得られたら予約制で検査を受けてもらい、主治医と相談した上で検査結果は主に私が伝えるという手順になっています。

 私は医者ではないので、最終的な診断は主治医に任せ、本人の性格的な特徴や認知・感情・社会性からみた問題点などを話し、手短にアドバイスをするか場合によっては短期のカウンセリングを勧めることもあります。

 高校生以上であれば、本人と家族には別々に説明することがほとんどです。アスペルガー症候群であることが明らかな場合、家族が発達障害について知ることは非常に有益であるため、資料や本などを紹介しながら時間をかけて話をします。家族の受容も大変とは時々聞くのですが、私がお会いするご家族は理解の早い方が多く、そうでない方でも実際に本人について困っておられることがあって、それがなぜ起きているのかを話すと大抵は受け容れて下さるので、家族への説明で問題が起きることがほとんどありませんでした。

 ところが、本人への説明は、時々予想外の事が起きたりするので、何をどう話せばいいか毎回非常に頭を悩ませています。

 発達障害についてはっきり告げるかどうかはケースバイケースで、本人の精神状態や性格傾向次第では行わないこともあります。中には自分でネットなどで調べてきて、発達障害なのかどうかはっきりしてほしいと言われる方もあるのですが、そういう場合でもすぐには相手の要望に応えないこともあるのです。

 今まで非常に多くの大人の方の検査をやってきて、改めて振り返ってみると検査結果をすんなりと受け入れられた人とそうでない人が50/50くらいだったように思います。受け入れられた人の中には、何度かに分けてじっくりと説明してやっと分かってもらえた人もいますが、およそ受容に至る人は自分をある程度冷静に見つめることができ、多少考え方が変わっているなと思うところがあっても、心根は素直で周りの状況もある程度理解できているのだろうと思います。

 検査の時の本人の態度や検査結果の分析を見た時点で、多少はその人が受容ができそうな人かそうでないか予測はできるのですが、私も完璧ではないためごくたまに大きな問題が起こることがあります。とりわけ本人が自分自身について思いこんでいることと私が説明した内容が合わない場合に、感情的な問題が発生しやすくなります。

 例えば、心理検査(ロールシャッハ・テスト)について結果を説明した時に、このような結論はどこから出るのか根拠をはっきり教えてくれと言われたこともありましたし、テストの点にこだわりの強い患者さんで、知能検査(WAIS-III)が納得いく結果が出なかったからもう一度やらせてくれとしつこく言われたこともありました。またクレームが私を通り越して主治医に向かう人もいて、予測のできない相手の反応に、こちらが神経をすり減らしたことも何度もありました。
 
 中には、コミュニケーションの難しさや人付き合いの不器用さなどの特徴を話すと、確かにそういうところはあります、と言うものの、「私は絶対にアスペルガーではない」と真っ向から否定されたこともありました。それでも自分自身の問題に多少は気づいていて、実際困ってもいるので話す意義は十分にあったと思います。

 一番困るのは、検査前は自分の特徴を知りたい、と言いながらも結果を伝えるとそれは私が(自分自身について)考えていたことと違う、と詰め寄られるときです。過去5年間で2,3人、そういう方にお会いしています。割合としては少ないかもしれませんが、1人そういう方を受け持つと、精神的にはぼろぼろになります。

 私はできるだけ相手が分かる範囲内のことを伝えようと、それなりに言葉は選んで説明をするのですが…こちらが伝えたいことが相手にほとんど伝わっていないのが、話している最中でもよく分かります。そして多少時間が過ぎてから、「きちんとした説明がなかった」「先生の言葉で傷つけられた」と私だけでなく主治医にもクレームが行き、自分の思うような答えが出るまで何度でも同じ事を言い続けるのです。

 最もひどかったケースでは、電話やメール責めにあったこともありました。別のケースで面接中に直接乗り込んで来られたこともありました。

 彼らは自分自身についての問題意識の低い、それでいて他人のちょっとした矛盾も見逃せず約束事や筋を通すことに強迫的な、「待てない」タイプの方々で、主治医も家族も私も皆が巻き込まれ、小さな誤解や思い違いがなぜかまるで一大事のようになってしまうのでした。

 さらに困ったことに、彼らは家族への説明を非常に嫌がるので、家族とも十分な話し合いができないやりづらさもありました。家族のことにちょっと触れただけで、突然表情が険しくなり怒りをあらわにした人、家族と同席でないと嫌だと駄々をこねた人、無言でにらみつける人…と反応はまちまちですが、非常に張りつめた瞬間であったことに変わりはありません。

 最近のケースでは、運悪く離婚や母親の入院などプライベートでも相当なストレスを抱えていた時期と重なったのですが…むろんそういう事情が考慮されるはずもなく、今もまだ度々相手からの苦情を受け付けている状態で、それが非常に今重荷になっているような気がします。結局は本人が思う通りのことを私が言うまで、この状態は続くのだろうと思います。

 こういうケースを何度か体験すると、何のための(発達障害の)告知なのだろうかと考えてしまいます。知ることが役に立つのであれば、本人のためになることを知らせてあげたいと思う気持ちは今もあるのですが、相手によっては検査でわざわざ波風を立てるくらいなら、そのままでいた方がいいのかとも思います。自分の特徴や問題を知ることが、何らかの面でプラスに働くのでなければ、本当はあまり検査を勧めたくないというのが私の本心です。

 そういうできごとが何度かあって、主治医も気を遣ってくれるようになり、最近では発達障害の可能性があるからとはっきり伝えてから検査を勧めてくださっています。

 周囲に多少の理解者もおり、環境としてはそれなりに恵まれてはいるのですが、正直なところ、この領域の仕事(発達障害の精査のための検査)からしばらく降りようかと真剣に考えてしまうほど、疲れ切っているのも事実です。

 
 
 

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発達障害の成人用問診票

 2ヶ月ほど前から発達障害の鑑別のための心理検査を頼まれることが増え、今では小学生から50代まで幅広い年齢の方が検査を受けに来られるようになりました。

 高校生以下の子どもたちについては、検査以外に保護者から育ちの経過や普段の様子について別に時間を設けてお尋ねするようにしています。それは単に生育歴について尋ねるだけでなく、いろいろ悩んでいる事を話してもらい精神的なサポートをしたいと思っているからです。

 大人の方については、分かる範囲で子供時代の事をご本人からお聞きするか、あるいは家族(親きょうだいかパートナーのどちらか)に電話などで、子供の頃の事や第三者から見た普段の様子などを尋ねることにしています。しかし子供時代の事になると、随分昔の記憶をたどることになり、本人も家族も細かいことを尋ねられても忘れていることも多く、聞かれてすぐ答えられるとも限りません。また家族に連絡を取ろうにも、相手の都合がなかなか合わず聞きたいと思っていることが十分に聞けないことも時にあります。

 先日ぴょろが京大病院で初めて診察を受けたとき、事前に5枚セットの問診票が送られてきてそれを記入し当日に持参するという流れになっていました。以前勤めていた大学病院でも同じような問診票を事前に郵送していたので、どこも大体同じだなと思っていたのですが、いざ書き込みを始めると質問項目が予想以上に多く、すでに中学生となったぴょろには必ずしも当てはまらず、どう書いてよいか問診票を前にしばらく悩んだところもありました。

 だけど問診票自体はあれば確かに便利だなと思ったし、書き込みながらふと、「大人用の問診票を自分で作ったらどうか」とひらめいたのでした。

 発達障害かどうかを調べる場合、検査を受けて結果を伝えるまでに最低でも3,4回はクリニックに足を運んでいただいているのが現状です。最近は広島や岡山など遠方から来られる方もいて、問診票を使えば面接時間を短縮でき、その分を検査のための時間に当てることで、1回分でも来る回数が少なくなればそれだけ時間や経済的負担も軽くなると考えたのです。

 そこで、まずは試しにと大人用の問診票を作ってみました。まだ試作段階で、使いながら多少変更を加えることがあるかもしれません。およそ今まで繰り返し尋ねてきたことの中で重要度の高いものを選んだので、いわゆる診断基準にそった標準的な質問でないものも含まれています。また、問診票はそれを手がかりに面接をスムーズに進めるためのもので、発達障害の可能性があるかないかをかなり大まかに知ることはできますが、それだけでASなのかADHDなのか、LDなのかという詳細な予測を立てることはできません。

 つまり、あくまでも検査診断に関わる人用に作ったもので、他のサイトにあるようないわゆる自己診断ができるような類のものではありませんが、こういうことを聞かれることもあるんだな、という意味で参考にしていただけるなら幸いに思います。

 発達障害を専門に診る病院ならもっとよい問診票を作っておられるかもしれません。何せ小さなクリニックで細々とやっていて、「こんなものがあったらいいなあ」と思うものを作ったに過ぎません。大学生以降、大人の方が多いのでまず大人用を作りましたが、次に中学生・高校生用の問診票も作る予定です。そして少しずつ改良を加えながら、もっと日常業務に役立つものにしようと思っています。

 問診票はwindows用とMac用の2種類作りました。違うのは文字種とレイアウトだけです。

問診票_win.doc

問診票_mac.doc

 

 もし、問診票について、こういう質問もあった方がいいとか、こういう言い方の方が分かりやすいとか、何かご意見やご感想がありましたら、コメントかメールでお知らせ下さい。

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アスペルガーとADHD

 最近、仕事をしながらよく考えます。
 もしかして、純粋にADHDだけの人って、ほとんどいないのではないか…と。

 検査をすればするほど、ADHDとアスペルガー症候群とは切っても切れない関係のような気がするのです。

 よく考えてみると、ADHDとは不注意にせよ多動・衝動性にせよ、「問題行動」が診断基準のメインです。
 それに対し、アスペルガー症候群は、「コミュニケーション、社会性、想像力の問題」の3領域からの診断になっています。

 それって、一人の人を別の角度から見ているだけでは…?と感じることが、臨床現場で時々あります。確かに不注意や衝動性は高いけど、ADHDだけでは説明のつかない、でもアスペルガー症候群というには基準は全部は満たしていない、そういうグレーゾーン内にいる大人の人たちが、とても多いように感じています。

 だけど、「脳機能の不調」という観点から見ると、たしかにこの2つが存在することは十分ありえることです。

 大脳皮質、とりわけ前頭葉と皮質下、大脳辺縁系(視床、海馬など)とがうまく連携していないと、記憶や情報処理などの高次機能や、情動コントロール、しいては整理調節機能が十分に働かず、認知、社会性、情動のあらゆる方面に影響が及ぶからです。

 また、ADHDの問題行動を、「知覚統合」の視点から見ると、理解がさらに広がることもあります。例えば不注意も、聴覚や視覚の統合が不十分なことから来ている可能性もあり、またアスペルガー症候群の思考の複雑性が、集中力を妨げたり、注意を目の前の課題から思考へと移したりすることも、少なくないように思います。

 つまり、「感覚刺激の交通整理が十分でない状態」は、どっちでもあり得る、ということです。

 専門家の中にも、ADHDとアスペルガー症候群をきちっと区別すべきという人と、どちらも併せ持つ人が確かにいると主張する人とさまざまです。私は診断をする立場ではないのですが、検査をする身からすると白黒はっきりすけることはそれほど重要でない気がしています。むしろ、「注意・集中力」「衝動性」「情報処理」「空間認知」「知覚統合」の5つの領域で、その人がどのような状態であるのかをできる限り把握することを重要と考えています。

 しかし、本人や家族に発達障害について説明する時に、今でもADHDの方がアスペルガー症候群より受け入れやすく理解が早い傾向があるように感じています。集中力のムラや不注意があって、この部分はADHDに当てはまるところです…と話すと、大抵「ああ、その通りですね」という反応が返ってきます。しかしアスペルガー症候群について話しても、いまいち反応が…ということが少なくありません。

 やはりカナーの述べた自閉症の印象と、社会的なスティグマは相変わらず根強いと感じます。多少説明のコツを掴んだ今でも、アスペルガー症候群について話すときには、非常に慎重さが要求されます。診断名を言わずに特徴だけを説明するのも限界があり、ADHDと信じている人にそうといえるところとそうでないところがありますとも言えず、この2つの領域をどう自分の中で整理していけばよいのか、まだまだ悩みは尽きないところです。


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医療職と発達障害

  約1ヶ月ぶりに記事を書いています。
  この間、私の身の回りはいろいろとありましたが、何とか乗り越えられたように思います。

  さて、かねてから書こうか書くまいかと迷っていたことをこれから書きたいと思います。ずっと気になっていながら、なかなか触れられなかったことも、です。

  発達障害の事が段々と分かるようになってくると、身近な問題として、どうも同業者やその他の医療職の中にも、このカテゴリーに少なからず当てはまる人は多いのではないかという気がしてきました。

  これまで一緒に働いてきた仲間の中にも、全く落ち着かない人、人一倍こだわりの強い人、秩序がないと動けない人…といろいろな人がいました。一人一人持っている特徴は少しずつ違いますが、今まではちょっと変わっているなあ、とかなぜそうするのか分からないなあ、と思っていたことが、発達という視点が入ると相手のことがよく理解でき次の行動がある程度予測できるようになりました。そのことで、不要な議論や衝突を避けられたことも、何度かありました。

  スクールカウンセラーの仕事をしていても、保護者ととして出会った看護師やお医者さんの中に、アスペルガー症候群だろうと感じる人が時々います。もちろんはっきりと診断ができるわけではありませんが、彼らの特徴を理解する事が、親面接や子どもとの関わりに大きく役立つこともあるのです。

 医療職であっても、発達障害を扱う領域は限られているし、発達障害の問題に関心を示している人はまだ多くありません。仮に知っていても、自分の事ととして捉えられるかどうかは別問題なのです。だから、同じ領域にいるということで、普段以上に配慮を求められることも少なくありません。医療職だからこそ、逆に受け入れにくいということもあるのです。

  アスペルガー症候群に限って言えば、当事者は次の4タイプに分かれます。
   1)自分の特徴についてすでにある程度気づいている人
   2)自分の特徴にはあまり気づいてはいないが、説明すれば分かる人
   3)自分の特徴に多少気づいていても認めない人
   4)自分の特徴にほとんど気づいていないし説明しても分からない人

  医療職の場合、1)にあてはまる人はわりと積極的に診断を受け入れ、中には自らカミングアウトすることもあるようです。説明によってなぜそうなのかが分かると安心するのが1)の人たちです。不思議なことに、1)に当てはまる人は、小児科や精神科など発達障害に関わる領域ですでに働いている人が多いように感じます。自分自身に対する問題意識が、職業選択に関与するのかな、ともふと思います。2)も、きちんと説明をすればある程度受け入れのできる人たちです。自らの特徴に気づくことで、この領域に関心を示し自分で勉強しはじめ後に援助的な仕事に関わる人もいます。

   1)2)に当てはまる人が身近にいれば、決めつけにならないように注意しながら、その人の困り感が少なくなるように、そっと手を貸すくらいの気持ちでいるのが最もよいスタンスだと思います。少なくとも専門職の立場ではそれなりにキャリアを積み、能力を生かして働いている人たちなので、そのがんばりを認めつつ、ここをこう改善してみては、とちょっとだけ具体的な例を挙げて取り組んでみる、そういう日常の小さな積み重ねを続けていくことが大切です。彼らの多くは、少しの具体的な援助があれば、経験から多くを学習し成長できる人たちなのです。

  さて、私が一緒に仕事をしてきた人たちの中には、3)に当てはまる人も多少いました。患者さんの問題として理解はできても、自分のことに置き換えることが難しいのです。個人的には、3)に当てはまる医療職は案外多いかなと思います。非常に努力家で能力もあり、専門家としての自負を持つ人には、逆に受容が難しくなるのかもしれません。そういう場合、もちろんこちらから発達障害のことを話題にすることはほとんどありません。それでも時々、何かの折りに「自分にも○○なところがあるかもしれない」という発言が飛び出すことがあり、その時は
 「 ○○なところがあるとお感じになられるのですね」とそのままを返し、否定も肯定もしないようにしています。何かがきっかけで受容に転じれば、その時は私の意見としてはこう思います、と短く述べるのみです。

  ごくたまに、ですが、どうやっても理解してもらえないだろうな、という4)タイプの人に出会うことがあります。医療職であるかどうかに関わらず、そういう場合には本人ではなく周囲で本人の言動に振り回されて困っている人に、説明をすることが最も利益のあることだと思っていますし、そうしています。4)に当てはまるということは、人格上の問題も抱えている可能性を考えなければならず、同じ業界にいれば余計に対処が難しいところです。しかしどういうタイプであれ、発達からの視点を持つことは、人間理解だけでなくどう対処するかを考える上では必要なことだと思います。

  心理職の立場で同業者や医療従事者に発達障害のことを話すのは、時に自分自身の問題とも重なりしんどく感じることもありますが、自らの特徴…それはいい面もそうでない面も含めてですが…を知ることが、結果的にサービスの向上や援助者としての成長につながることを考えると、やはり避けては通れない問題だと思っています。

   そういったこともあって、実は先月、群馬大で看護職の方向けに、トラウマに関するワークショップを開いたおり、最後に少しだけ発達障害の話を入れました。このように、これからも機会あるごとに医療職向けに情報発信をして、少しでも理解や関心を広げる活動を続けていくつもりです。
 
 

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自閉症スペクトラムと人格障害

  親子や夫婦間の問題について取り組んでいると、時々問題の中心にいる人物が、果たして自閉症スペクトラムなのか人格障害なのか迷うことがあります。

 とりわけアスペルガー症候群については、伝統的な自閉症とは多少異なる特徴を持っていることや、コミュニケーション・社会性の障害の程度に幅があることから、正確な診断が難しく、人格障害と誤診されるケースも多いようです。

 アスペルガー症候群や高機能自閉圏の当事者との関わりが増えてくると、それぞれ抱える問題は違いながらも、ある程度の共通点は見えてきて、以前にも触れたように、人との関わりを避ける孤立型、一方的でしばしば不適切ながら人と関わろうとする積極奇異型、周囲の状況を先読みし自分を必要以上に抑えてしまう過剰適応型といくつかのタイプがあることが分かってきました。

 生育歴や現状況についての情報と心理検査や行動観察の結果に基づき、適切な判断がなされれば、人格障害と診断される可能性が少なくなるとは思います。私が相談を受けた患者さんの中には、アスペルガー症候群の可能性が高い人なのに他の病院で「あなたは人格障害だから、治療できない」と言われてひどく傷ついた体験を持つ人がいます。そのような不適切な診断や不適切な対応はあってはならないし、なくしていかなければならないと思います。

 しかしその一方で、高機能自閉圏でありながらも、本人の抱える問題が発達障害だけで説明しきれないときがまれにあります。

 DVやモラルハラスメントの被害者から語られる、加害者のプロフィールや代表的なエピソードを聞いていると、コミュニケーションの稚拙さや社会性の乏しさ、こだわりの強さという点では確かに自閉圏の問題は抱えているけれど、それ以上に反社会的な行動や道徳観念の乏しさ、自分は特別な人間(だから何をしても許される)という独特な特権意識など、どう考えても人格の著しい偏りがあるとしか考えられない人物像が浮かんできます。

 また、私が病院で面接や検査をした患者さんの中にも、虚言癖(平気でうそをつくが、決して認めない)があり、家族や周囲の人間を巻き込み思うように操作している人や、社会的な逸脱行為がありながら全く認めようとしない人など、対応の極めて難しい強者がいました。

 自閉症スペクトラムと人格障害の合併する可能性については、今の段階ではあくまでも私見にすぎませんが、症例数が増えれば増えるほど、見過ごすことのできない問題として浮かび上がってくるのです。

 このHPを見てくださっている方の中にも、私が書いていることに多少心当たりを覚える方がおられるかもしれません。それは決して偶然ではないと思います。学術的に十分な裏付けはありませんが、確かに合併例は存在するはずです。

 人格障害には、幾つかのタイプがあります。中でもサイコパスと呼ばれるものは、精神病とは違いますがその人格の偏りは著しく、良心や道徳心が育つための自己洞察力や内省力がほとんどない、専門家を非常に悩ませるタイプのもので、日本ではおよそ100人に1人程度存在していると考えられます。

 彼らのような人物が周囲に一人でもいると、非常に多くの人が巻き込まれ、好ましくない影響を受けます。また彼らから直接受ける心の傷(トラウマ)は非常に深く、治療に相当の時間を要することも少なくありません。

 自閉症スペクトラムがサイコパスに合併していると、従来の視野の狭さや思考の硬直性のような自閉症の特徴が人格の偏りにさらに拍車をかけることになります。とりわけアスペルガー症候群で社会性などの障害が軽度な場合、人格の偏りはしばしば見過ごされ、彼らの持つ冷酷でぞっとするような一面を知る人物は、かなり限られてくることになるでしょう。

 しかし、いじめの中心人物の中に、ハラスメントやDV加害者の中に、犯罪に手を染める人たちの中に、確かにこのカテゴリーにあてはまる人たちが少なからずいるはずです。

 彼らはほぼ、自分が何をやっているのか全く分かっていません。また第三者から指摘されても他人事と受け止めて流すか、逆ギレするかのどちらかです。社会的な逸脱行為に対しても、現状では矯正は不可能と言われています。境界性人格障害にある程度効果があると言われている、弁証的行動療法も、合併例ではほとんど歯がたちません。

 さらに問題なのは、自閉症圏と人格障害が合併すると、自発的に相談機関や病院を訪れることはまずありません。何よりも、彼らによってトラウマを負った人たちの援助が急務であり、バラバラになった人間関係を再構築することにエネルギーを注ぐだけで精一杯なのです。

 もし、身近にそういう人がいることに気づいたら、打つ手は一つしかありません。
 彼らに対してできることはして、あとは関係を絶つか極力関係を持たないようにすることです。

 このようなサイコパスな人たちが、周囲をどのように巻き込み操作するかについては、この後、いくつかの記事に分けて、ご紹介しようと思います。

 繰り返しますが、多くの自閉症圏の当事者は人間関係に巻き込まれることはあっても、巻き込むことは決してありませんし、とても真っ直ぐでたくさんのよい性質を持っています。サイコパスを合併しているのは、ごく一部なのです。しかしこの一部の人たちが、社会に与えるマイナスの影響は予想以上に甚大で深刻なのです。


 
 

 

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パラダイム・シフト

 発達障害、とくにアスペルガー系の問題を持つ人たちとの関わりから、私はときどきとても貴重なことを学んでいます。

 彼らは多数派のようには見ていないときがあるし、時に非常にややこしい考え方をします。

 だけど彼らの悩みや疑問は、決して的をはずれているわけではありません。それらはしばしば、私たちが普段当たり前のように見過ごしていることにスポットライトをあて、それが本当にいいのかどうか改めて考えるよい機会を与えてくれています。

 例えば、ある人は、「お葬式で泣いていた人が、葬式が終わって式場を出た途端に隣の人と笑いながら話しているのを見て、悲しい場所なのに笑っていたのがどうしても納得がいきません」と私に話してくれました。確かにそう言われてみれば、葬式が終わったからといってすぐに気持ちの切り替えができる人ばかりではないし、場の雰囲気を考えるとその行為が適切だったのかどうか、疑問も残ります。

 また、ある学生さんからは、「研究室を出るときには挨拶をしなければと思うけど、皆がそれぞれに忙しそうにしているとかえってじゃまになるので挨拶をしないで帰った方がいいのでしょうか」と尋ねられたことがありました。そう言われると確かにこういう場面だと誰でも迷うかもしれないな、と思ったし挨拶をすることと他人のじゃまをしないことと、どちらが優先されるだろうか、とこちらも真剣に考えてしまいました。

 こういったやりとりを繰り返していると、今まで高機能の自閉症スペクトラムについて言われていることも、少しずつ違って見えてきます。

 例えば、よく「場の状況を読みとりにくい」と言われますが、もしかしたら読みとれていないのではなく、彼らが焦点を当てている部分と多数派のそれとが少しずれているだけなのかもしれない、と思うことがよくあります。むしろ彼らの方が状況を敏感に感じ取っているなとさえ思うこともあるのです。

 また、第三者の視点で考えることが難しいとも言われていますが、中には相手がこちらに対しどんな反応をしてくるのか先の先まで考えてしまう人たちもいるのです。確かに独特のとらえ方や感じ方があるにせよ、彼らは彼らなりに、他人や周りの世界を理解しようとしている事がこちらに伝わってくることも多いです。

 考えてみれば、もともと地球とはひとりひとりが異なる人間と生き物の共同体なのです。違っているのが当たり前、という視点に立つと、障害というより個性といったほうが妥当な気もしてきます。

 彼らの困っていることや不自由に感じている事を少なくするために、そして自分らしく生きていけるように、皆で助け合っていく、という考え方に変わりはありません。

 しかし、彼らを援助してるようで、実はこちらが助けられているのではないかと思うこともあります。彼らもまた、日々経験を積みながら成長し、決して同じ状態にとどまっている訳ではないのです。彼らがときどきぶつけてくる問いは、意味深く真理をついていることも多く、多数派の考えが必ずしも正しいわけではない…とはっとさせられます。

 このように毎日がパラダイム・シフトの連続といったところです。
 おかげで私の思考も随分柔らかくなった気がします。


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軽度発達障害、大人の検査診断

 関西に移ってから、今の私の仕事は、PTSDの心理療法と発達障害の心理検査が半分ずつ、という状態です。

 病院はごく普通の精神科・心療内科なので、検査の対象はほとんど大学生以上の大人です。
 ピーク時には1週間に2,3人の患者さんの検査をしていましたが、今は週に1人程度に減りました。

 軽度発達障害が疑われる時に私が使っている心理検査は全部で4種類あります。

 1)東大式エゴグラムII
  自己申告による、おおよその性格傾向を調べるための検査です。
  なぜかアスペの人には、A(大人の自我)とAC(適応する子どもの自我)が高い、NIII型というパターンがきわめて多いです。

 2)PFスタディー
  人間がイライラするような場面で、その人がどのような受け答えをするのかを自由記入で回答してもらう、ちょっとユニークな検査です。これは、コミュニケーションの特徴を見るにはとても示唆に富むものです。

 3)ロールシャッハテスト
  専門家の間でも意見の分かれる「投影式」の検査ですが、ものの見方の特徴や感情・情緒面の今の状態や社会性などいろんな角度からパーソナリティーを調べられる、使いようによってはとても重宝する検査です。私個人としては、自己申告式の検査のようなフェイク(虚偽の回答)が得にくいので、信頼度は高いです。

 4)WAIS-III(ウエクスラー式知能検査・大人用)
  1~3の検査でおよそ発達障害の疑いが出てきたときに、最後に行うのがこの検査です。
  今年の6月に全面改定され、内容が大幅に変わっています。
  WISC-III(16歳までの子供用)と同じように、言語・知覚・作動記憶・処理速度の4つのカテゴリーでの差異を見られるようになり、より詳細な分析ができるようになっています。
  同じアスペルガーでもタイプの違う人たちの特徴が出るので、就職活動中の大学生などは進路に関してのアドバイスなどもこの検査の結果を元に行っています。
  非常にいい検査なのですが、普通にやっても2時間前後かかるところが欠点です。


 これらの検査結果を元に所見をまとめ、本人あるいは家族へ検査結果を伝えるまでが私の仕事です。

 残念ながら、病院には発達障害の診断が確実にできる専門医はいないので、発達障害のこの領域の問題がある可能性が高いです、とまでしか言えず、確定診断ができません。

 そのため、どうしても白黒はっきりさせたい方には、京都大学付属病院の精神科を紹介しています。
 関西方面で、大人の発達障害を見てくれる専門医は、ほとんどいないのです。
 本当は思春期まで、なんですが大人の方をお願いして受け入れていただいています。

 新患の受付は、今は3~4ヶ月待ちの状態だそうです。

 診断が確定しなくても、自分がどんな問題があるのか分かるだけでもよい、という方はおよそ検査結果を説明したところで納得していただいてます。

 その後引き続きカウンセリングを受ける患者さんは、全体の約50%というところです。


 ごくたまに、不登校で病院を訪れる高校生の検査も引き受けています。
 小中学生については、近隣の専門医がいる病院を紹介しています。

 私はあくまでも、大人の方のサポートを中心にしようと考えています。


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親子アスペ(1)

 今週1週間は大学の前期試験が始まるため、非常に忙しくなります。
記事の更新がちょっと難しいかもしれないので、今のうちに書いておきたいと思います。

「親子アスペ」とは、あいち小児保健医療総合センターのS先生がよく使われる言葉で、業界用語に近いです。S先生の定義では親子とも広汎性発達障害(PDD)の事例を言いますが、私は親がPDDで子どもがPDDでなくても、場合によっては親子アスペとして取り扱うことがあります。

 自閉症スペクトラムの親子関係について述べる前に、もう一度成人の診断について再確認しておきたいと思います。

 少なくとも、自閉症スペクトラムの診断の歴史を見る限り、高機能(知的な発達の遅れがない)で軽度な障害を持つ人が、成人前に発見・診断されるということは、10数年前まではほとんど考えられないことでした。つまり、今の20代後半以上の年齢で思春期までに障害が発見され、そのことを本人が認知しているケースはきわめて少ないわけです。

 最近になってようやく、軽度な発達障害の存在がクローズアップされ、子どもだけでなく大人にも同じような障害を抱える人たちがいることが専門家の間でも認識されるようになり、子ども時代に未診断のまま成人となった人たちが予想以上に多いことが分かってきました。

 したがって大人になってから障害が発見されるとすれば、今のところは二次障害がきっかけか、あるいは子どもの障害の診断の過程で親の障害が分かる親子診断のどちらかになってしまうわけです。

 子どもの発達障害の診断がきちんとできる専門医の数が全く足りていないことは、これまで何度も述べた通りです。さらに大人の診断になると、信頼し任せられる医師やその他の専門家を捜しあてるのも難しいのが現状です。

 その理由はいくつかあります。1つは成人の診断については、今の診断基準に照らし合わせて診断しようとすると子ども以上に時間と労力が必要で、しかも診断が確定した後に個人にあった援助を行うだけのパワーも人材の確保もきわめて難しいからです。

 大人になって診断を希望する人たちはほぼ高機能のグループに入ります。高機能広汎性発達障害(高機能自閉症とアスペルガー症候群のどちらか)と診断するためには、厳密には少なくとも幼児期(3歳くらい)に3つ組の障害がすでにあったことを証明しなければなりません。生育歴をかなり詳しく尋ねるのはそのためです。本人が覚えている事の方が少ないので、結局母子手帳を持参してもらったり可能な限り家族からの聞き取りが必要になります。

 ところが、母子手帳がどこにあるのか分からない、親に面接に来てもらえないということは珍しくなく、そうするとそれ以外の情報から間違いなくPDDだろうと確信できても、診断をはっきりと確定することは難しくなります。その場合、いわゆるPDD Suspected(広汎性発達障害疑い)で終わってしまいます。

 十分な聞き取りができ診断が確定しても、本人の状態によってはすぐに障害の説明ができないケースも多く存在しています。また家族の理解が得られないことが子どもの頃に発見されるケース以上に多く、中には「もう大人なんだから、本人で考えてやるべきだろう」と突き放されることも珍しくありません。

 では、本人かあるいは家族に障害の説明ができ、かつ理解を示した場合、次にどうするかというと、本人の日常生活の困りごとの1つ1つに、具体的に対応していくことになります。本人が説明を受け入れられる状態になく、先に家族が理解を示した場合は、本人と家族を別々に支援していきます。

 成人の診断で最も大切なことは、いかに正確に診断をするかではなく、その人がどのような特徴を持ちどのような問題を抱えやすいかを把握することです。これがしっかりできていないと、予測し得る限りで将来起こりえる問題に備え、さらなる二次障害を予防することができません。本人の努力できる範囲でカバーできない問題に対して、家族だけでなく他の社会資源をどう活用するかということも考えなければなりません。成人は子ども以上に社会性の成熟が求められるため、支援もそれだけ範囲が広がらざるを得ないのです。

 本人や親への対応は別枠でなされるので、それだけ時間を確保する必要があります。私が姫路で今2組の成人親子のケースを担当していますが、1日6人という枠で、しかもPTSDの治療を希望し面接している患者さんの数とのバランスを考えると、今の勤務スケジュールでは2組が限界です。月に3日の勤務で、全部で延べ18人のケースを見ることができますが、そのうちの3分の1はこの2組の親子の面接に当てられているのです。そして残りの12枠の面接の中には、発達障害の診断のための面接が含まれています。

 成人のケースは、子どものケースよりさらに慎重な対応が求められるため、非常に神経を使います。そのため例数は少ないように見えますが面接が終わるとへとへとになることもしばしばです。しかも子どもの場合と同じく長期的な関わりが必要で、それだけエネルギーも必要です。

 このような診断・支援の煩雑さや複雑さから、成人の診断・支援に熱心に取り組もうとする専門医や専門家が育ちにくい状況が生じています。子どもを診ることができるからといって、大人も同じように診られるかというと、必ずしもそうではありません。また子どもだけで手一杯で、親の方まで手が回らないほど忙しいのも事実です。あえて大人の診断を避ける専門医も少なからずいるようです。

 さらに、一般の精神科医の、大人の発達障害への関心が低いことも、人材不足のもう一つの理由としてあげられます。潜在的な多さを考えると、ひとりの専門医に集中することは決して効果的ではありません。うつなどで病院を訪れた患者さんが、発達障害も抱えていそうだと気づくことのできる精神科医が増えてほしいと切に願っています。

 このように、時間とエネルギーを使ってでも成人のPDDにこだわり続けるのは、「親子アスペ」の問題があるからです。二次障害を持つ大人のPDDの多くは、子ども時代にいじめを経験しているか、親子関係に深刻な問題を抱えています。しかも親のどちらかが同じような問題を抱えているのではないかと考えられるケースが非常に多いのです。

 また、子どもが先に障害の発見・説明を受けたケースで、親に同じ障害がありそうだと判断される例についても、子どもは幸い専門医や専門的な支援が受けられても、親の支援が後回しになることも少なくありません。どちらの場合も、親子関係を安定化させるには、お互いの特徴や問題点が明らかでないと適切な対応はできませんし、親子ともに発達障害があると、親子関係を不安定にしてしまう要素が、そうでない場合に比べて非常に多く、それだけ将来二次障害を起こすリスクが高くなります。

 子どもの健全な発達と二次障害の予防を考えるなら、成人の診断と親子アスペの問題を避けて通ることができないのです。


 さて、前期試験の準備があるので、続きは後日にします。


 

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Silent Voicesのスタンス

 ココログに、"Silent Voices"という名前でブログを立ち上げてからもう少しで2年になります。

 よく続いたなあ、というのが正直な気持ちです。

 今まで何をやってきてこれからこのブログをどういう方向で進めていきたいのか、改めて考えてみるにはよい機会だと思います。

 まずは、現状報告から。

 2003年12月、1日約60件、週300〜400件のアクセスをいただいていました。
 現在は、多い日で1日800件超、週4000件弱のアクセス数を維持しています。
 総アクセス数は、あと少しで13万件というところです。

 リンクやブックマークなどで新着記事をこまめに見てくださる方も多いのですが、このブログの特徴として、ココログ検索やgoogle, yahooなどのサーチエンジン経由で、ブログの存在を知ってくださる方が非常に多いです。中でも「アスペルガー症候群」のキーワードでの検索が群を抜いています。
 
 これまでに書いた記事は307、コメント数は576に上ります。2年でこれだけですから、決して多くはありません。記事の更新は、平均で1週間に2,3回のペースといったところです。コメントだけでなく、メールも結構な数いただいています。(全部にはお返事できないけれど…すみません)

 
 ここまで続けてこられたのは、ひとえにこのブログを見てくださっている皆様のおかげです。

 心からの感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。


 さて、これからこのブログをどのような方向で進めていきたいのか、ということですが…

 現在の私の興味が発達障害、とりわけアスペルガー症候群にあるので、やはり今後もこのテーマの記事が多くなることは間違いないでしょう。それと同時に、時々ふと考えたことや、患者さんたちとのやりとりから気がついたこと、印象に残った言葉など、皆さんに知っていただけるといいなと思うことを、今までのように時々つづっていきたいと思います。

 このブログに訪問してくださったいろいろな方から、私のブログを読むと落ち着く、ほっとする、という感想をいただいています。今後もここがそういう場であり続けられるように、自分なりの努力を続けていきたいと思います。

 個人的にHPやブログを立ち上げている臨床心理士は意外に多く、私も何件か定期的に訪問しているサイトがあります。内容的には資格問題や病院臨床などがテーマになっているようです。中にはとても勉強になるものもあって、助かっています。しかし私自身は、自分がこういったブログを運営していることは、親しい友人であっても同業者には全く話していません。秘密にしたい訳ではないのですが、あまり臨床心理士としての立場を全面に出さず、専門職としての視点だけでなく、1個人としての視点も大切にしながら、よりわかりやすいブログを目指していきたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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発想の転換~発達障害の診断に関わる全ての専門家へ

 木曜日から急に忙しくなり、更新が大分ずれ込んでしまいました。
その間に、面白いこともありましたが…それはまた後日ということで。

 昨日は朝から夕方まで、いつも所属しているところとは別のゼミの夏期研修に参加してきました。

 この夏期研修は修士・博士の学生の研究発表の場で、今回は時間をもらい私も「親子アスペ」の問題について発表しました。(発表の内容はこれから記事にしていきます)

 発表のために、アスペルガー症候群の診断の歴史的な流れや、診断・治療の問題点や社会支援の課題について調べていてあらためてこの障害の複雑さを認識しました。

 ゼミで出た質問は、「なぜアスペルガー症候群の親子関係への援助が必要なのか」というものでした。

 特にアスペルガー症候群の親自身が困っていなくても援助が必要なのかどうか、というところを重点的に聞かれました。

 その時に、同じゼミの同期生の女性が、ぼつりと、

 「本人が困っていなくても、周りが結構困っていることが多いんだよね」

 私は、目に見えて問題がないから援助が必要でないということにはならない、と答えました。むしろ私たちにすぐに見えないところに大きな問題が潜んでいる可能性があり、目で見ることだけを信じないほうがいい、とも言いました。今問題がないから、これからも問題が起こらないとは絶対に言えないのが、この障害の難しいところです。アスペルガー症候群の援助とは、人間の発達段階を考慮しすこし先の見通しを立てながらやる必要があるのです。

 アスペルガー症候群について学び始めた頃、私はよく精神科医と意見が合わずに悩んでいました。アスペルガー症候群について知れば知るほど、精神科や心療内科を受診する患者さんの中に当てはまりそうな人がいるように思えたので、最初は素直に意見を言ってみて、そのたびに嫌な顔をされました。

 自分の出した診断にケチをつけるのか…とあからさまに言われることはそんなに多くありませんでしたが、「自分はそうは思えない」とあっさりはねつけられることがよくありました。

 その後、幸運にも様々な精神疾患や精神的な問題を抱える患者さんの心理検査や面接をこなすなかで、どうして精神科医と意見が合わないのか、その理由がはっきり分かってきました。

 同じ患者さんに対し、診察する医師が異なると医学的診断が異なることはよくあることです。

 精神疾患の診断は、患者さんの今の症状を中心に見立て(査定)を行い、患者さんの示す一連の症状が診断基準に合うかどうかで診断を確定する、いわゆる標準化という方法がとられています。診断基準は、大多数の患者さんが共通に抱える問題や症状によって決められているのです。

 しかし実際には、診断基準にぴったり当てはまらない、非定型と呼ばれる症例も少なくありません。また、同じ症状を共有する複数の精神疾患があるため、いったいどっちの診断が適切なのか、迷うケースも多々あります。大学病院でカンファレンスに参加していると、うつなのか、統合失調症なのか、はたまた人格障害なのか、と診断が確定せず延々と議論が続くことも珍しくありません。あるドクターの診断に別のドクターが物言いをつけることは、特に大学病院のような経験年数がばらばらで大所帯な環境では、よく見かける光景です。

 大学病院での体験から、診断が人によって異なるのは、同じ患者さんを別々の角度から見ているからだ、と分かりました。

 精神科医と私で意見が合わなかったのは、同じ患者さんの症状に対する見立て(視点)が違っていただけだったのです。

 アスペルガー症候群や高機能自閉症(広汎性発達障害)の診断、特に大人になってから診断を受けるケースで精神科医と意見が食い違いやすいのは、診断基準自体の問題も大きいです。広汎性発達障害全般が、DSM-IVでは「子どもの精神疾患」のカテゴリーに入れられていて、もともと発達障害の治療経験が少ない医師の中には、大人になって障害が見つかることもある、ということが分かっていない人もいます。

 また、今のアスペルガー症候群の診断基準を厳格にあてはめようとするなら、基準にぴったり当てはまらない、診断上は、非定形広汎性発達障害(PDD-NOS)に入れられてしまうケースの方がはるかに多いはずです。成人になって診断される人たちというのは、生きにくさを抱えながらも何とか思春期までを乗り越えてきた人たちであり、障害が軽度であるか、あるいは生活環境が彼らに非常に合っていると、社会人として経済的に自立できる人たちが多数含まれています。DSM-IVの基準を完全に満たすなら、社会的自立は極めて困難です。だから診断基準にこだわりすぎると「仕事ができているのなら、アスペルガー症候群(または高機能自閉症)のはずがないだろう」という発想が生まれやすくなります。

 全般的に、発達障害の診断に他の疾患ほどの正確さが要求されているとは思えません(適切な診断は必要ですが)。LD、ADHDと広汎性発達障害が診断上重複することも、診断基準の成り立ちを考えれば十分にあり得ることです。高機能自閉症なのかアスペルガー症候群なのか、きっちりと区別することに実生活上何か意味があるのでしょうか。実際にはどちらの診断がついても、日常生活の困り事も抱えている問題も変わりません。

 自閉症スペクトラムを適切に発見し診断するには、2つの点で発想の転換が必要です。

 まず、診断基準以外の症状を見落とさないことです。自閉症は社会障害・コミュニケーション障害・想像力の障害の3つ組の障害だけでなく、もっと生理的な問題を持っています。少なくとも現在のDSM-IVの基準では、知覚過敏や運動機能の障害については全く記されていません。また、非常に多くの当事者は、低体温・発汗などの温度調節機能の障害、低血圧症や睡眠障害などの自律神経症状を持っています。診断基準に記載されていなくても、自閉症の診断に重要だと思う症状の有無を必ず明らかにしておく必要があります。

 さらに、統合失調症、気分障害、各種人格障害などとの判別のためには、視点を広げ、症状以外の問題にも注意を払う必要があります。生育歴、養育環境、学力などの知能の程度、家族との関係、学校・職場などの集団生活における問題の有無など、多面的な角度からの情報収集と、可能な限り家族からの聞き取りが必要です。

 つまり患者さんの主訴や主症状に焦点を当ててそれ以外のものを除外しながら診断するという従来の考え方ではなく、核となる症状に最初から焦点を当てずにそれ以外の症状や問題を含めた上で、再度主症状を見直してみて診断するという考え方が必要なのです。
 
 次に、診断することの意義を考える必要があります。患者さんが診断を受けることで得られるものと失うものが何なのか、また診断することが患者さんの日常生活にどういう影響を与える可能性があるのかを考えなければなりません。そして、PDD-NOS(不特定の広汎性発達障害)だろうがアスペルガー症候群だろうが、自閉症スペクトラムに当てはまる限りは、やることは変わらないという姿勢を持つ必要があります。

 また、本人が全く困っていなくても周囲の人間が明らかに困っているなら立派に障害である、という発想も必要だと思います。特にアスペルガー症候群のケースは、本人を診察室で見ただけでは分からないことがたくさんあることを念頭に置いた上で面接を進めていくことが大切です。診断で大切なのは、正確な診断名がつけられるかどうかということよりも、本人の特徴、つまり何が得意で何が苦手で、どのような問題を抱えやすい傾向があるのか、そして診断が確定した後に、とりもどせるものと取り戻せないものが何なのかを明らかにすることでないでしょうか。

 さて、少なくともアスペルガー症候群について取り組み始めた最初の頃は、そんな風であちこちで壁にぶちあたっていましたが、私自身もきちんと研究論文などを調べ、次第に医学的な裏付けに基づいた説明や反論ができるようになってきて、理解を示してくれる精神科医も少しずつ増えてきています。

 その結果、アスペルガー症候群と他の精神疾患の鑑別のための検査や、診断のための面接を任されるようになり、日が経つにつれますます忙しくなっていくのでした。


 

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