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ジレンマ

 ぴょろが寝てしまい、静かな夜。
 私はこれからどう人生を生きていけばいいのだろうか、私はどこへ行こうとしているのか…今は全く分からないのです。先の見えない不安と、誰ともつながっていないような深い孤独感に、時々圧倒されそうになります。

 誰かの役に立ちたい気持ちは以前と変わりませんが、何がしたいのか、どうなりたいのかも、今はno idea(全く浮かばない)です。

 仕事でも私生活でも、道標を見失ってしまったような気もします。
 ふわふわとただ毎日を惰性で生きているようで、それではいけない、何とかしなくてはと思っても、ではどうすればいいのかが分からず、イライラとジレンマに陥っています。

  
 

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愛情を態度で示す

 中学校のスクールカウンセラーの仕事を始めて3年になります。
 その間、公立・私立を合わせ、4つの学校にお世話になりました。

 学校により若干の違いはありますが、私の場合、不登校傾向で適応指導教室に通う子どもたちや、保健室など別室登校の子どもたちの相談やサポートをすることが、業務の半分以上を占めています。

 中には中学校卒業後もメールのやりとりをしている子が何人かいます。
 友達の事や学校のことなど、いろいろな相談にも応じています。

 別室登校の子どもたちは、誰にも気づかれないようにたいてい朝少し遅れて登校し、5,6時間目の終わり頃か、あるいは放課後校内に人がいなくなる時間にそっと帰っていきます。会議室など空き部屋で自習をしている時も、人の足音が聞こえただけでそわそわする子もいるし、外から部屋の中が見えないようにカーテンを閉めたがる子もいます。

 別室とはいえ、彼らは常に周囲を伺いながらひっそりと過ごしています。普段はおしゃべりでにぎやかな子でも、学校という場所では常にどこか張りつめていて、苦手な子や知らない人が部屋に入ると表情がさっと硬くなり黙ってしまうのです。

 別室登校の子どもたちの多くは、学校に行かないと親に怒られるので何とか学校へは来るけれど、どうしても教室にいられないので、最善策として別室で過ごしていると言います。中には無理矢理に連れてこられる子もいるし、体調が悪くても休ませてもらえない子、休むと父親に殴られる子もいました。家庭に居場所がなく、教室にもいられない、そんな彼らにとっては、保健室や空き教室の狭い空間は緊急避難場所のような役割を果たしているのです。

 私はこれまで彼らと個人的に、あるいはグループで接してきました。悩みや相談事があれば個別に話を聞くこともありましたが、半分以上は日常のできごとや趣味など普通なら友達や親に話すような内容のことを、毎週毎週聞いていました。音楽、本、アニメ、そして最近のドラマなど、好きな事を話している時の子どもたちは楽しそうで、話したりなさそうにしていることもありました。別室登校の子どもたち同士が、学年を越えて仲良くなることもありました。

 そのような子どもたちの状態を理解している教師もいるし、そうでない人もいます。教室に行けないことを単なるわがままと考えている大人も決して少なくありません。実際無理に行こうとすると、息苦しくなったり気分が悪くなることもありますが、彼らはなぜそうなるのか理由は分からないのです。

 最近ある中学校の総合学習の時間に、海外で人道支援をしている活動家を招いての講演会が行われました。全校生徒が体育館に集まり、2時間近く貧しい国の人々の現状や社会情勢についての話を聞きました。

 その中学校には別室登校の子どもたちが5人ほどいて、彼らもしぶしぶ一番後ろの列に座ってじっとしていました。そのうちの4人は、1時間ほど経った頃に気分が悪くなったりしんどくなって、自習室に戻ってきました。その時私は自習室に待機していたのですが、戻ってきた彼らは疲れ切った顔をしていて、私が「よくがんばったね」というと、「ああ、しんどかった〜」としばらく机にうつぶせたまま動こうとしませんでした。

 そのすぐ後、一人の先生が「いい話だから最後まで聞いてほしいのだけど」と子どもたちを呼びもどしに、自習室にやってきました。私は「気分が悪いと言っていましたし、朝から体調が悪い子もいるので」と、遠回しに言うと残念そうにその場を去っていきました。静かになった部屋で、ぐったりしている子どもたちに大丈夫?と声をかけていたら、隣に座っていた子が突然私の手をぎゅっと握りしめ、目にうっすらと涙を浮かべていました。本当は人が大勢いるところにいたくないのを、ぎりぎりまでがまんしたんだな…と感じました。

 その時ふと思いました。
 確かに、世の中には本当に貧しい国で、厳しい環境の中で生きている人たちがいるという事実を知ることも大切だし、そのような人たちに支援をすることも尊いことなのですが、その話を黙って聞いていた子どもたちの中には、物質面では恵まれていても、孤独や絶望に悩み、愛情面では決して満たされていない子が確かにいるのです。
そのことに、どれくらいの大人が気づいているのだろうか…と。

 自分は生きる価値がない、いなくてもいい存在だと考えている子どもたちも少なくありません。自分を傷つける子、殻に閉じこもる子もたくさんいます。

 彼らにもまた、援助の手が必要です。
 彼らを理解しそのままを受け入れることのできる大人の存在が必要です。

 ほんの少しの時間でも、彼らに寄り添い話を聞き、「そうなんだ」「よかったね」「よくがんばったね」などと声をかけてあげられるなら、そしてそんな日常の何気ないやりとりを、愛情を込めて続けるなら、子どもたちはもっと自分を好きになれるかもしれません。

 子どもたちが不安なとき、少しの間そばにいてあげるだけでいいのです。手を差し出されたら握ってあげればいいし、「大丈夫よ」とひとこと言ってもいい。そんなちょっとした関わりからでも愛情は十分に伝わり、その積み重ねがいつか大きな違いを生むのです。

 そのような小さくても大切な経験をあまりしたことのない子どもたちが多いのは、とても悲しいことのように感じます。

 大人の立場からすると、確かに生活を維持するのに精一杯で、他にも考えることがたくさんあって子どもたちの事にまで気持ちが向かない時もあるとは思います。しかしどんな小さなことでもいいから、子どもたちを心から愛し、その気持ちを素直に態度で示すことのできる大人たちがもっと増えてくれないだろうかと願う次第です。 

  

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