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アスペルガーとADHD

 最近、仕事をしながらよく考えます。
 もしかして、純粋にADHDだけの人って、ほとんどいないのではないか…と。

 検査をすればするほど、ADHDとアスペルガー症候群とは切っても切れない関係のような気がするのです。

 よく考えてみると、ADHDとは不注意にせよ多動・衝動性にせよ、「問題行動」が診断基準のメインです。
 それに対し、アスペルガー症候群は、「コミュニケーション、社会性、想像力の問題」の3領域からの診断になっています。

 それって、一人の人を別の角度から見ているだけでは…?と感じることが、臨床現場で時々あります。確かに不注意や衝動性は高いけど、ADHDだけでは説明のつかない、でもアスペルガー症候群というには基準は全部は満たしていない、そういうグレーゾーン内にいる大人の人たちが、とても多いように感じています。

 だけど、「脳機能の不調」という観点から見ると、たしかにこの2つが存在することは十分ありえることです。

 大脳皮質、とりわけ前頭葉と皮質下、大脳辺縁系(視床、海馬など)とがうまく連携していないと、記憶や情報処理などの高次機能や、情動コントロール、しいては整理調節機能が十分に働かず、認知、社会性、情動のあらゆる方面に影響が及ぶからです。

 また、ADHDの問題行動を、「知覚統合」の視点から見ると、理解がさらに広がることもあります。例えば不注意も、聴覚や視覚の統合が不十分なことから来ている可能性もあり、またアスペルガー症候群の思考の複雑性が、集中力を妨げたり、注意を目の前の課題から思考へと移したりすることも、少なくないように思います。

 つまり、「感覚刺激の交通整理が十分でない状態」は、どっちでもあり得る、ということです。

 専門家の中にも、ADHDとアスペルガー症候群をきちっと区別すべきという人と、どちらも併せ持つ人が確かにいると主張する人とさまざまです。私は診断をする立場ではないのですが、検査をする身からすると白黒はっきりすけることはそれほど重要でない気がしています。むしろ、「注意・集中力」「衝動性」「情報処理」「空間認知」「知覚統合」の5つの領域で、その人がどのような状態であるのかをできる限り把握することを重要と考えています。

 しかし、本人や家族に発達障害について説明する時に、今でもADHDの方がアスペルガー症候群より受け入れやすく理解が早い傾向があるように感じています。集中力のムラや不注意があって、この部分はADHDに当てはまるところです…と話すと、大抵「ああ、その通りですね」という反応が返ってきます。しかしアスペルガー症候群について話しても、いまいち反応が…ということが少なくありません。

 やはりカナーの述べた自閉症の印象と、社会的なスティグマは相変わらず根強いと感じます。多少説明のコツを掴んだ今でも、アスペルガー症候群について話すときには、非常に慎重さが要求されます。診断名を言わずに特徴だけを説明するのも限界があり、ADHDと信じている人にそうといえるところとそうでないところがありますとも言えず、この2つの領域をどう自分の中で整理していけばよいのか、まだまだ悩みは尽きないところです。


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今思うこと

 職場の忘年会で、「今年一年を振り返って」というお題で、一人ずつ話すことになりました。
 その場で何とか考えてみたものの、いろいろありすぎて何とまとめて良いか分からず、忘年会の席ではうまく話ができませんでした。

 いま改めて振り返るに、多分去年と今では、私の内面も私をとりまく環境も、予想以上に変わってしまった気がします。

 この1年の間に、
 全く住んだことのない関西に引っ越し、
 母は軽度の認知障害で入院し、
 配偶者からの申し立てで調停離婚となり、
 ぴょろが思春期の難しい時期に入り不登校気味となり、
 いろんなことが次々と起きました。

 だけど思ったよりも混乱せず、今はしごくおだやかに過ごしています。

 なぜかというと…
 母親に認知障害が起きたことで、周囲がやっと彼女の発達や人格の問題に気づき、長年の侵入的な関係に終止符が打たれたから。
 配偶者の申し立ては、内容はひどいものでしたがそのことが離婚を逆にスムースにしてくれたから。
 ぴょろのことは、登校渋りがきっかけで本人に発達障害の告知ができ、京大病院で診断をうけるめどが立ったから。
 そして関西に移ったことで、師匠と再会し新しい仲間ができたから。

 一番辛かった時期に、ふと思ったのです。
 母親の病気は私を逆に自由にしてくれたのではないだろうか。
 配偶者やそれに関わる関係は、失ったのではなく手放すべきものだったのではないか。
 ぴょろは自分を知る時期が来ているのであって、彼の成長を喜んでいいのではないか。

 そのときつらさはなくなり、すーっと楽になりました。
 大変なこともあったけど、長い目で見てよいこともある、そう考えはじめて心おだやかに過ごせる時間が増えたのです。

 そこまでには、毎日瞑想したり、師匠から治療を受けたり、現状を受け入れるためにそれなりに努力したこともあります。

 その過程で、人は一人では生きていけないのではなく、一人では生きていないということに気づきました。
 周りに誰もいないのではなく、見えていないときがあること、
 そしてつながっていないようで、人は常に人とつながっているということ。
 それが、この一年を通して得た、最大の収穫です。

 
 

 

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医療職と発達障害

  約1ヶ月ぶりに記事を書いています。
  この間、私の身の回りはいろいろとありましたが、何とか乗り越えられたように思います。

  さて、かねてから書こうか書くまいかと迷っていたことをこれから書きたいと思います。ずっと気になっていながら、なかなか触れられなかったことも、です。

  発達障害の事が段々と分かるようになってくると、身近な問題として、どうも同業者やその他の医療職の中にも、このカテゴリーに少なからず当てはまる人は多いのではないかという気がしてきました。

  これまで一緒に働いてきた仲間の中にも、全く落ち着かない人、人一倍こだわりの強い人、秩序がないと動けない人…といろいろな人がいました。一人一人持っている特徴は少しずつ違いますが、今まではちょっと変わっているなあ、とかなぜそうするのか分からないなあ、と思っていたことが、発達という視点が入ると相手のことがよく理解でき次の行動がある程度予測できるようになりました。そのことで、不要な議論や衝突を避けられたことも、何度かありました。

  スクールカウンセラーの仕事をしていても、保護者ととして出会った看護師やお医者さんの中に、アスペルガー症候群だろうと感じる人が時々います。もちろんはっきりと診断ができるわけではありませんが、彼らの特徴を理解する事が、親面接や子どもとの関わりに大きく役立つこともあるのです。

 医療職であっても、発達障害を扱う領域は限られているし、発達障害の問題に関心を示している人はまだ多くありません。仮に知っていても、自分の事ととして捉えられるかどうかは別問題なのです。だから、同じ領域にいるということで、普段以上に配慮を求められることも少なくありません。医療職だからこそ、逆に受け入れにくいということもあるのです。

  アスペルガー症候群に限って言えば、当事者は次の4タイプに分かれます。
   1)自分の特徴についてすでにある程度気づいている人
   2)自分の特徴にはあまり気づいてはいないが、説明すれば分かる人
   3)自分の特徴に多少気づいていても認めない人
   4)自分の特徴にほとんど気づいていないし説明しても分からない人

  医療職の場合、1)にあてはまる人はわりと積極的に診断を受け入れ、中には自らカミングアウトすることもあるようです。説明によってなぜそうなのかが分かると安心するのが1)の人たちです。不思議なことに、1)に当てはまる人は、小児科や精神科など発達障害に関わる領域ですでに働いている人が多いように感じます。自分自身に対する問題意識が、職業選択に関与するのかな、ともふと思います。2)も、きちんと説明をすればある程度受け入れのできる人たちです。自らの特徴に気づくことで、この領域に関心を示し自分で勉強しはじめ後に援助的な仕事に関わる人もいます。

   1)2)に当てはまる人が身近にいれば、決めつけにならないように注意しながら、その人の困り感が少なくなるように、そっと手を貸すくらいの気持ちでいるのが最もよいスタンスだと思います。少なくとも専門職の立場ではそれなりにキャリアを積み、能力を生かして働いている人たちなので、そのがんばりを認めつつ、ここをこう改善してみては、とちょっとだけ具体的な例を挙げて取り組んでみる、そういう日常の小さな積み重ねを続けていくことが大切です。彼らの多くは、少しの具体的な援助があれば、経験から多くを学習し成長できる人たちなのです。

  さて、私が一緒に仕事をしてきた人たちの中には、3)に当てはまる人も多少いました。患者さんの問題として理解はできても、自分のことに置き換えることが難しいのです。個人的には、3)に当てはまる医療職は案外多いかなと思います。非常に努力家で能力もあり、専門家としての自負を持つ人には、逆に受容が難しくなるのかもしれません。そういう場合、もちろんこちらから発達障害のことを話題にすることはほとんどありません。それでも時々、何かの折りに「自分にも○○なところがあるかもしれない」という発言が飛び出すことがあり、その時は
 「 ○○なところがあるとお感じになられるのですね」とそのままを返し、否定も肯定もしないようにしています。何かがきっかけで受容に転じれば、その時は私の意見としてはこう思います、と短く述べるのみです。

  ごくたまに、ですが、どうやっても理解してもらえないだろうな、という4)タイプの人に出会うことがあります。医療職であるかどうかに関わらず、そういう場合には本人ではなく周囲で本人の言動に振り回されて困っている人に、説明をすることが最も利益のあることだと思っていますし、そうしています。4)に当てはまるということは、人格上の問題も抱えている可能性を考えなければならず、同じ業界にいれば余計に対処が難しいところです。しかしどういうタイプであれ、発達からの視点を持つことは、人間理解だけでなくどう対処するかを考える上では必要なことだと思います。

  心理職の立場で同業者や医療従事者に発達障害のことを話すのは、時に自分自身の問題とも重なりしんどく感じることもありますが、自らの特徴…それはいい面もそうでない面も含めてですが…を知ることが、結果的にサービスの向上や援助者としての成長につながることを考えると、やはり避けては通れない問題だと思っています。

   そういったこともあって、実は先月、群馬大で看護職の方向けに、トラウマに関するワークショップを開いたおり、最後に少しだけ発達障害の話を入れました。このように、これからも機会あるごとに医療職向けに情報発信をして、少しでも理解や関心を広げる活動を続けていくつもりです。
 
 

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