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こころの安らぎを選択する

 カウンセラーの仕事を始めて5年が経ち、そろそろ新人とは呼べない立場になりつつあります。

 それまでの仕事とは全く違う世界に飛び込んで、あれこれ失敗もし、立ち止まり、時には後戻りしつつも前に進んできたような次第です。

 思えば多くの人と出会い、いろんな話を聞いたなあ、と思います。


 さて人の人生にはときどき、自分の力ではどうすることもできない、悲しく辛いできごとが起こるものだと思います。

 それを試練と呼ぶ人もいるし、大きく成長するチャンスと考える人もいます。

 時には身近な人の問題で苦しまなければならないことがあるかもしれません。多くの人を巻き込み、ひとりでは対処できないような問題に直面するかもしれないし、辛いできごとが次々と起こり、心身共に疲れ果ててしまうことがあるかもしれません。

 人のこころを乱すできごとは、おそらく世の中に限りなくあるでしょう。

 それらを嘆いたり不満を抱いたり、怒りに任せるのも一つの生き方ですが、感情に流されず、穏やかで前向きな気持ちでいることも、決して不可能ではないと、最近特に思います。


 人には感情も思考も自分自身で選択し、それに基づいて行動する能力が備わっています。

 何があってもこころ安らかでいることはできるのです。ただしそうするには、やすらぎに最も精神的な価値を置き、日々努力することが求められます。

 私もかつて、感情をコントロールできず長い間苦しんでいました。
 しかしあるときに、「アッシジの聖フランチェスコの平和の祈り」を知り、非常に感銘しこころの安らぎを維持する方法を身につけることを決心しました。

 今は瞑想と、そこから得ることのできる真理の断片が、私のこころを常にやすらかな方へと導いてくれています。

 
 参考までに「平和の祈り」をご紹介しておきます。 

 わたしをあなたの平和の使者としてください
 憎しみのあるところに
 愛をもたらすことができますように
 いさかいのあるところに赦しを
 分裂のあるところに一致を
 迷いのあるところに信仰を
 誤りのあるところに真理を
 絶望のあるところに希望を
 悲しみのあるところに喜びを
 闇のあるところに
 光をもたらすことができますように
 助け、導いて下さい
 慰められることより慰めることを
 理解されることよりも理解することを
 愛されることよりも愛することを
 私が求めますように
 わたしたちは与えることにより与えられ
 赦すことによりゆるされ
 人のために死ぬことによって
 永遠の命をいただくのですから


 「結局のところ、神とのあいだの問題であって、他人との間の問題ではない」
 マザーテレサの有名な言葉です。

 やすらぎもまた、愛と同様与えられるものではなく自ら選び作り出すものなのですね。

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母をゆるす

 私が約1年間お休みしている間に、実はもう一つ大変なことが起きました。それは母の入院です。

 近所づきあいのちょっとした行き違いがきっかけで、眠れず食べられずの状態となりうつ病と診断されたのが今年の2月、そして今も入退院を繰り返しています。

 母の住む団地では、清掃や行事のお世話などいくつかの仕事が当番制になっています。

 去年末、母がそれまで受け持っていた仕事を次の人に引き継ぎをする時に、事件がおこりました。母が事前にお願いしていた人が都合で当番を引き受けられなくなり、知らないうちに別の人に変わっていました。母にとっては「全く予想外のできごと」であり、とりあえず次の担当者に引き継ぎをしたものの、その時を境に段々と様子がおかしくなっていきました。

 どうやら母の頭の中では「次はこの人が当番をする」と順番が決まっていたようで、その秩序が崩れたことで、彼女はパニックになり、自分のミスでこうなったのだと、繰り返しそのことばかり考えるようになりました。そして次第に不安で落ち着かなくなり、体調を崩し、入院することになったのです。

 当番は年末ですでに終わっていて、引き継ぎには何の問題もありませんでしたが、今も母の頭の中からはその「順番」の事が離れずにいて、自分のミスのことを誰かに責められて自分は団地にいられなくなる…というところまで考えがふくらんで、今の家を引っ越したいとまで言っています。


 今回の事で、母は高機能広汎性発達障害(HF-PDD)であることがやっとはっきりしました。
 そのことを妹に告げると、「ああ、なるほどね」と即納得してくれました。

 感情の起伏の激しさ、誰に言うでもないひとりごと、「順番」への強いこだわり…PDDという視点で見ると全て納得のいくものでした。子どもの頃からずっと抱いていた疑問がようやく解けた気がしました。

 それと同時に、母の生きづらさが始めて分かった気がしました。何事も秩序正しく動いていないと、自分の周りの世界が崩れるように感じるのだろうな、と。

 いろんな不便さや辛さを抱えながら、それでも私たちを育ててくれたんだと感謝の気持ちも沸いてきました。

 その時に、これまでの母に対する恨みがましい気持ちやイライラした感情が、すーっと消えていきました。過去にあった辛かった事も、それまでに整理されていたこともあったのですが、もう全部がどうでもよくなってしまった気がしました。

 長い時間を経て、母を心からゆるせた瞬間でした。

 結局PDDだと分かっても、母との距離が近づいたわけではなく、身近にいる妹からたまに電話で近況を聞く程度の関わりしか今はありません。

 でも私は、今のままの母でいてくれればいいと思っています。分からないものは分からない、合わないものは合わない、そのありのままの姿を受け入れるのが一番よいことではないかと思うのです。


 
 

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パラダイム・シフト

 発達障害、とくにアスペルガー系の問題を持つ人たちとの関わりから、私はときどきとても貴重なことを学んでいます。

 彼らは多数派のようには見ていないときがあるし、時に非常にややこしい考え方をします。

 だけど彼らの悩みや疑問は、決して的をはずれているわけではありません。それらはしばしば、私たちが普段当たり前のように見過ごしていることにスポットライトをあて、それが本当にいいのかどうか改めて考えるよい機会を与えてくれています。

 例えば、ある人は、「お葬式で泣いていた人が、葬式が終わって式場を出た途端に隣の人と笑いながら話しているのを見て、悲しい場所なのに笑っていたのがどうしても納得がいきません」と私に話してくれました。確かにそう言われてみれば、葬式が終わったからといってすぐに気持ちの切り替えができる人ばかりではないし、場の雰囲気を考えるとその行為が適切だったのかどうか、疑問も残ります。

 また、ある学生さんからは、「研究室を出るときには挨拶をしなければと思うけど、皆がそれぞれに忙しそうにしているとかえってじゃまになるので挨拶をしないで帰った方がいいのでしょうか」と尋ねられたことがありました。そう言われると確かにこういう場面だと誰でも迷うかもしれないな、と思ったし挨拶をすることと他人のじゃまをしないことと、どちらが優先されるだろうか、とこちらも真剣に考えてしまいました。

 こういったやりとりを繰り返していると、今まで高機能の自閉症スペクトラムについて言われていることも、少しずつ違って見えてきます。

 例えば、よく「場の状況を読みとりにくい」と言われますが、もしかしたら読みとれていないのではなく、彼らが焦点を当てている部分と多数派のそれとが少しずれているだけなのかもしれない、と思うことがよくあります。むしろ彼らの方が状況を敏感に感じ取っているなとさえ思うこともあるのです。

 また、第三者の視点で考えることが難しいとも言われていますが、中には相手がこちらに対しどんな反応をしてくるのか先の先まで考えてしまう人たちもいるのです。確かに独特のとらえ方や感じ方があるにせよ、彼らは彼らなりに、他人や周りの世界を理解しようとしている事がこちらに伝わってくることも多いです。

 考えてみれば、もともと地球とはひとりひとりが異なる人間と生き物の共同体なのです。違っているのが当たり前、という視点に立つと、障害というより個性といったほうが妥当な気もしてきます。

 彼らの困っていることや不自由に感じている事を少なくするために、そして自分らしく生きていけるように、皆で助け合っていく、という考え方に変わりはありません。

 しかし、彼らを援助してるようで、実はこちらが助けられているのではないかと思うこともあります。彼らもまた、日々経験を積みながら成長し、決して同じ状態にとどまっている訳ではないのです。彼らがときどきぶつけてくる問いは、意味深く真理をついていることも多く、多数派の考えが必ずしも正しいわけではない…とはっとさせられます。

 このように毎日がパラダイム・シフトの連続といったところです。
 おかげで私の思考も随分柔らかくなった気がします。


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ありがとう

 今朝久しぶりに過去のアクセス状況を確認しました。

 あれだけ長く休んでいたのに、予想以上に多くの方が見て下さっていたんだと、改めて驚きました。

 コメントを残して下さった方、トラックバックで記事を紹介してくださった方、そしてこのブログを見て下さった全ての方に、こころをこめて、

 「ありがとう」

 とお伝えしたいです。

 直接会って話すことはできなくても、確かに皆さんとどこかでつながっているのだな、と感じています。

 ひとりのアスペ当事者としても、とても心強く思います。

 私の気持ちが皆さんひとりひとりに届くようにと願って…。


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軽度発達障害、大人の検査診断

 関西に移ってから、今の私の仕事は、PTSDの心理療法と発達障害の心理検査が半分ずつ、という状態です。

 病院はごく普通の精神科・心療内科なので、検査の対象はほとんど大学生以上の大人です。
 ピーク時には1週間に2,3人の患者さんの検査をしていましたが、今は週に1人程度に減りました。

 軽度発達障害が疑われる時に私が使っている心理検査は全部で4種類あります。

 1)東大式エゴグラムII
  自己申告による、おおよその性格傾向を調べるための検査です。
  なぜかアスペの人には、A(大人の自我)とAC(適応する子どもの自我)が高い、NIII型というパターンがきわめて多いです。

 2)PFスタディー
  人間がイライラするような場面で、その人がどのような受け答えをするのかを自由記入で回答してもらう、ちょっとユニークな検査です。これは、コミュニケーションの特徴を見るにはとても示唆に富むものです。

 3)ロールシャッハテスト
  専門家の間でも意見の分かれる「投影式」の検査ですが、ものの見方の特徴や感情・情緒面の今の状態や社会性などいろんな角度からパーソナリティーを調べられる、使いようによってはとても重宝する検査です。私個人としては、自己申告式の検査のようなフェイク(虚偽の回答)が得にくいので、信頼度は高いです。

 4)WAIS-III(ウエクスラー式知能検査・大人用)
  1~3の検査でおよそ発達障害の疑いが出てきたときに、最後に行うのがこの検査です。
  今年の6月に全面改定され、内容が大幅に変わっています。
  WISC-III(16歳までの子供用)と同じように、言語・知覚・作動記憶・処理速度の4つのカテゴリーでの差異を見られるようになり、より詳細な分析ができるようになっています。
  同じアスペルガーでもタイプの違う人たちの特徴が出るので、就職活動中の大学生などは進路に関してのアドバイスなどもこの検査の結果を元に行っています。
  非常にいい検査なのですが、普通にやっても2時間前後かかるところが欠点です。


 これらの検査結果を元に所見をまとめ、本人あるいは家族へ検査結果を伝えるまでが私の仕事です。

 残念ながら、病院には発達障害の診断が確実にできる専門医はいないので、発達障害のこの領域の問題がある可能性が高いです、とまでしか言えず、確定診断ができません。

 そのため、どうしても白黒はっきりさせたい方には、京都大学付属病院の精神科を紹介しています。
 関西方面で、大人の発達障害を見てくれる専門医は、ほとんどいないのです。
 本当は思春期まで、なんですが大人の方をお願いして受け入れていただいています。

 新患の受付は、今は3~4ヶ月待ちの状態だそうです。

 診断が確定しなくても、自分がどんな問題があるのか分かるだけでもよい、という方はおよそ検査結果を説明したところで納得していただいてます。

 その後引き続きカウンセリングを受ける患者さんは、全体の約50%というところです。


 ごくたまに、不登校で病院を訪れる高校生の検査も引き受けています。
 小中学生については、近隣の専門医がいる病院を紹介しています。

 私はあくまでも、大人の方のサポートを中心にしようと考えています。


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ブログ再開

 ここに記事を書くのは1年1ヶ月ぶりです。

 去年すごくショックなことがあって、私自身がPTSDになってしまいました。
 私がSilent Voiceに書いてきたことも多少のリマインダー(トラウマを思い出させる刺激)になってしまったため、ブログをどうしても見ることができず、こんなに長くほったらかしにしてしまいました。

 この1年間の間に、私の周りの環境は大きく変わりました。

 まず、4月に関西へ引っ越しました。
 EMDR仲間が経営する病院で、常勤で働かせてもらっています。
 臨床に専念するため、大学院は一端休学することになりました。

 またこれまでずっと続けてきたスクールカウンセラーの仕事から撤退しました。
 今は大学の学生相談の仕事を週末だけやっています。

 大学の非常勤講師の仕事も今年度はお断りしました。
 その代わり、せっかく関西に来たんだから、と師匠が声をかけて下さり、師匠の研究室の臨床助手の仕事をさせてもらっています。
 主に大学院生の臨床実習のヘルプと論文指導で統計などを教えています。


 関西に移って師匠と再会したおかげで、私自身は治療を受けることができて今はすっかり良くなりました。

 体調が良くなると、ブログのことが気になり始め、再開するかどうか2ヶ月ほど迷っていました。
 いまさら再開しても、ここを見てくれる人いるのかな…とか、
 1年間のブランクを取り戻せるかな…とか、
 いろいろ心配を始めるときりがありません。

 でも、この1年間の間に、発達障害のケースもかなり増えて、ドクターからも検査を専任で任されるようになって、随分と貴重な体験もしてきたので、そういったことをまたここで還元し、ここを訪れて下さる方の何かの役に立てたいなと思っています。

 更新は、勤務の合間などできるだけ途切れないようにしたいと思います。
 また、臨床的なことばかりでなく、多少学術的な視野からのコメントも載せていこうと思います。


 あらためて、どうかよろしく…。


 

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