木曜日から急に忙しくなり、更新が大分ずれ込んでしまいました。
その間に、面白いこともありましたが…それはまた後日ということで。
昨日は朝から夕方まで、いつも所属しているところとは別のゼミの夏期研修に参加してきました。
この夏期研修は修士・博士の学生の研究発表の場で、今回は時間をもらい私も「親子アスペ」の問題について発表しました。(発表の内容はこれから記事にしていきます)
発表のために、アスペルガー症候群の診断の歴史的な流れや、診断・治療の問題点や社会支援の課題について調べていてあらためてこの障害の複雑さを認識しました。
ゼミで出た質問は、「なぜアスペルガー症候群の親子関係への援助が必要なのか」というものでした。
特にアスペルガー症候群の親自身が困っていなくても援助が必要なのかどうか、というところを重点的に聞かれました。
その時に、同じゼミの同期生の女性が、ぼつりと、
「本人が困っていなくても、周りが結構困っていることが多いんだよね」
私は、目に見えて問題がないから援助が必要でないということにはならない、と答えました。むしろ私たちにすぐに見えないところに大きな問題が潜んでいる可能性があり、目で見ることだけを信じないほうがいい、とも言いました。今問題がないから、これからも問題が起こらないとは絶対に言えないのが、この障害の難しいところです。アスペルガー症候群の援助とは、人間の発達段階を考慮しすこし先の見通しを立てながらやる必要があるのです。
アスペルガー症候群について学び始めた頃、私はよく精神科医と意見が合わずに悩んでいました。アスペルガー症候群について知れば知るほど、精神科や心療内科を受診する患者さんの中に当てはまりそうな人がいるように思えたので、最初は素直に意見を言ってみて、そのたびに嫌な顔をされました。
自分の出した診断にケチをつけるのか…とあからさまに言われることはそんなに多くありませんでしたが、「自分はそうは思えない」とあっさりはねつけられることがよくありました。
その後、幸運にも様々な精神疾患や精神的な問題を抱える患者さんの心理検査や面接をこなすなかで、どうして精神科医と意見が合わないのか、その理由がはっきり分かってきました。
同じ患者さんに対し、診察する医師が異なると医学的診断が異なることはよくあることです。
精神疾患の診断は、患者さんの今の症状を中心に見立て(査定)を行い、患者さんの示す一連の症状が診断基準に合うかどうかで診断を確定する、いわゆる標準化という方法がとられています。診断基準は、大多数の患者さんが共通に抱える問題や症状によって決められているのです。
しかし実際には、診断基準にぴったり当てはまらない、非定型と呼ばれる症例も少なくありません。また、同じ症状を共有する複数の精神疾患があるため、いったいどっちの診断が適切なのか、迷うケースも多々あります。大学病院でカンファレンスに参加していると、うつなのか、統合失調症なのか、はたまた人格障害なのか、と診断が確定せず延々と議論が続くことも珍しくありません。あるドクターの診断に別のドクターが物言いをつけることは、特に大学病院のような経験年数がばらばらで大所帯な環境では、よく見かける光景です。
大学病院での体験から、診断が人によって異なるのは、同じ患者さんを別々の角度から見ているからだ、と分かりました。
精神科医と私で意見が合わなかったのは、同じ患者さんの症状に対する見立て(視点)が違っていただけだったのです。
アスペルガー症候群や高機能自閉症(広汎性発達障害)の診断、特に大人になってから診断を受けるケースで精神科医と意見が食い違いやすいのは、診断基準自体の問題も大きいです。広汎性発達障害全般が、DSM-IVでは「子どもの精神疾患」のカテゴリーに入れられていて、もともと発達障害の治療経験が少ない医師の中には、大人になって障害が見つかることもある、ということが分かっていない人もいます。
また、今のアスペルガー症候群の診断基準を厳格にあてはめようとするなら、基準にぴったり当てはまらない、診断上は、非定形広汎性発達障害(PDD-NOS)に入れられてしまうケースの方がはるかに多いはずです。成人になって診断される人たちというのは、生きにくさを抱えながらも何とか思春期までを乗り越えてきた人たちであり、障害が軽度であるか、あるいは生活環境が彼らに非常に合っていると、社会人として経済的に自立できる人たちが多数含まれています。DSM-IVの基準を完全に満たすなら、社会的自立は極めて困難です。だから診断基準にこだわりすぎると「仕事ができているのなら、アスペルガー症候群(または高機能自閉症)のはずがないだろう」という発想が生まれやすくなります。
全般的に、発達障害の診断に他の疾患ほどの正確さが要求されているとは思えません(適切な診断は必要ですが)。LD、ADHDと広汎性発達障害が診断上重複することも、診断基準の成り立ちを考えれば十分にあり得ることです。高機能自閉症なのかアスペルガー症候群なのか、きっちりと区別することに実生活上何か意味があるのでしょうか。実際にはどちらの診断がついても、日常生活の困り事も抱えている問題も変わりません。
自閉症スペクトラムを適切に発見し診断するには、2つの点で発想の転換が必要です。
まず、診断基準以外の症状を見落とさないことです。自閉症は社会障害・コミュニケーション障害・想像力の障害の3つ組の障害だけでなく、もっと生理的な問題を持っています。少なくとも現在のDSM-IVの基準では、知覚過敏や運動機能の障害については全く記されていません。また、非常に多くの当事者は、低体温・発汗などの温度調節機能の障害、低血圧症や睡眠障害などの自律神経症状を持っています。診断基準に記載されていなくても、自閉症の診断に重要だと思う症状の有無を必ず明らかにしておく必要があります。
さらに、統合失調症、気分障害、各種人格障害などとの判別のためには、視点を広げ、症状以外の問題にも注意を払う必要があります。生育歴、養育環境、学力などの知能の程度、家族との関係、学校・職場などの集団生活における問題の有無など、多面的な角度からの情報収集と、可能な限り家族からの聞き取りが必要です。
つまり患者さんの主訴や主症状に焦点を当ててそれ以外のものを除外しながら診断するという従来の考え方ではなく、核となる症状に最初から焦点を当てずにそれ以外の症状や問題を含めた上で、再度主症状を見直してみて診断するという考え方が必要なのです。
次に、診断することの意義を考える必要があります。患者さんが診断を受けることで得られるものと失うものが何なのか、また診断することが患者さんの日常生活にどういう影響を与える可能性があるのかを考えなければなりません。そして、PDD-NOS(不特定の広汎性発達障害)だろうがアスペルガー症候群だろうが、自閉症スペクトラムに当てはまる限りは、やることは変わらないという姿勢を持つ必要があります。
また、本人が全く困っていなくても周囲の人間が明らかに困っているなら立派に障害である、という発想も必要だと思います。特にアスペルガー症候群のケースは、本人を診察室で見ただけでは分からないことがたくさんあることを念頭に置いた上で面接を進めていくことが大切です。診断で大切なのは、正確な診断名がつけられるかどうかということよりも、本人の特徴、つまり何が得意で何が苦手で、どのような問題を抱えやすい傾向があるのか、そして診断が確定した後に、とりもどせるものと取り戻せないものが何なのかを明らかにすることでないでしょうか。
さて、少なくともアスペルガー症候群について取り組み始めた最初の頃は、そんな風であちこちで壁にぶちあたっていましたが、私自身もきちんと研究論文などを調べ、次第に医学的な裏付けに基づいた説明や反論ができるようになってきて、理解を示してくれる精神科医も少しずつ増えてきています。
その結果、アスペルガー症候群と他の精神疾患の鑑別のための検査や、診断のための面接を任されるようになり、日が経つにつれますます忙しくなっていくのでした。
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