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自己診断

 アスペルガー症候群の記事を書くようになって、いろんなコメントやメールをいただくようになりました。

 実は記事を書きながら、私もいろいろな専門書から得た情報を整理する作業を進めています。

 改めてこういった資料に目を通していくと、自分自身についても気付かされることがたくさんあります。私がADHDだろうね、と臨床児童心理士(Clinical Child Psychologist)に言われたのは今から7年ほど前のことです。当時は、あ、そうなんだ、と割とすんなり受け止めた気がします。なぜなら、多動の典型とも言うべき、祖父の様子を小さいときからずっと見てきて、自分に似ているところが多いなあ、と思っていたからです。

 しかし最近、私自身の行動を改めて振り返ってみて、どうもADHDだけではなさそう、と気付いてしまいました。

 父方のことは、あまり情報がなくよく分からないのですが、母親の家系を見る限り、どうもアスペルガーの性質も受け継いだかな、と思うのです。

 祖母、母親、そして妹の3人は、性格や行動が非常によく似ています。そしてまだ健在の祖母の、若い頃の話しを聞く限りでは、典型的なアスペルガー症候群ではないかと思います。妹と祖母は抱えている問題がほぼ同じですが、母親は少し多動も入っていて、3人の中では一番感情の起伏が激しいです。どうやら、祖母と祖父の性質をどの程度受け継いでいるかによって、また祖母がどういう風に子どもたちと接したかによって、母とその他の家族に違いが出ているのではないか、と思います。

 私の父親は、いわゆる定型発達の普通の人でした。父親から受け継いだものもたくさんあると思います。だけど、自分の行動を振り返ってみると、上記の3人とは少し違うものの、やっぱり同じ仲間に入るかなと実感します。

 私が自分自身でやっぱりヘンだよなあ、と思うのは次のような行動です。

 緊張すると落ち着かなくなり、人の話がまったく聞けなくなる
 ある状況になると、9割の確率でパニックを起こす
 不注意による事故やケガが大変多い
    中学生の時、バスケの練習中に顔面にボールが直撃
    高校生の時、ぼんやり歩いていて階段から転落
    (アキレス腱を断裂寸前の大けが)
    大学生の時、実験の手順を間違え実験装置が大爆発、
    薬品を浴び病院に連れて行かれた
    25歳の頃、バイクで通勤中に転倒し2週間のけが
    26歳の頃、自転車運転中車に気付かずはねられ全身打撲
    6年前、駐車しようとして電柱に激突し後ろのガラスを大破
 興味がないと全く集中できないが、興味があるものには、寝食を
 忘れて没頭してしまう
 寝具の並べ方とかたたみ方とか、どうでもいいことの順番が
 異常に気になる
 定期的にうつになる
 保護者の集団に入ると固まって何もできなくなる
好きな食べ物への頑固なこだわり
 置いた場所を思い出せないだけでなく置いたことすら忘れている
 
 列記するときりがないです。

 多分、自閉症スペクトラムのどこか、アスペルガーとADHDのどっちにもあてはまりそうで完全には当てはまらない、グレーゾーンにいるのだろう、と思います。

 そんな私が、臨床心理士というお仕事をやっているのも何だか不思議ですが、実は同業者にはそれっぽい人が結構いるもんだと気付いたのも最近の事です。

 だから、同じような人を引き寄せてしまうのも、十分に納得いくこのごろです。

 ちなみに私も、ぬいぐるみやネコの感触が大好きです。(笑)

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アスペルガー症候群:最も分かりにくい障害(3)

 昨日(金曜日)は朝早くから大学の研究授業をやって、それから姫路へ仕事に行ってきました。自分でもよく体力持ってるなと思います。

 今月中に、学会のレジュメ(パワポ)2本と翻訳と、それから心理検査の所見が2人分…うーん、どうやってかたづけようか…。

 私は一つのことにとりかかるまでに時間がかかります。いつもぎりぎりにならないとやらないので皆さんには迷惑をかけてます。分かっているのですが、なかなか直りません。先日「実行機能障害」の講演会を聞いたときに、まさに自分のこと言われてる…と苦笑いしたのはいうまでもありません。

 ぴょろは来週水・木と期末テストなのですが、なかなか勉強が進まないようで、今日これから塾で補習授業があります。彼もぎりぎりにならないと机に向かいません。私自身も全く同じところでつまづいているので、あまりぴょろに強く言えないのが辛いところです。

 来週は週末まで更新ができないかもしれません。時間のある今、続きを書いておきましょう。


 私は今年度、K市内の2つの中学校でスクールカウンセラーをしています。福岡県(注:政令指定都市はシステムが別)ではスクールカウンセラーは中学校の校区内にある小学校についても必要に応じて支援をすることになっています。 

 ここ1ヶ月と少しの間に、「生徒が病院でアスペルガー症候群だろうと言われたのですが…」とある小学校から何人か相談に訪れていて、保護者や学校の先生との面談が続いています。また中学校では、この2ヶ月間でアスペルガーやLDなどの発達障害の可能性がある子どもたちや保護者との面接を集中的にやっていて、そのうちの数人を大学病院へ紹介する手続きをとりました。

 大学病院の小児科には数名の専門医がいますが、それでも初診だと最低2ヶ月、ドクターによっては半年以上待たなければなりません。今紹介しても、診察→診断までにはかなり時間がかかるのです。それでもどうしても必要だと思うから紹介します。彼らが目の前に迫った進路の問題や、二次障害を抱えているからです。二次障害の程度が重ければ、小児科ではなく精神科へ紹介することもあります。

 さて、アスペルガー症候群と診断される時期は、人によって様々です。

 言葉の著しい遅れがあり自閉症(カナータイプ)と診断された子供が、後に言語の急激な発達を見せ5,6歳くらいでアスペルガー症候群に診断が変更されることもあるようですが、例としては決して多くありません。

 アスペルガー症候群は、大半が小学校就学後から成人後のどこかの時期で見つかります。海外では比較的早く、診断が確定する平均の年齢が8歳だということなのですが、日本はもう少し遅いかなと思います。中には小学校入学後問題行動が非常に目立つ形で、早い時期に周囲が気付くこともあるのですが、大抵は小学校高学年以降、友達との関係のこじれや不登校などのできごとがきっかけとなって見つかります。この傾向は中学3年生くらいまで続きます。

 早い時期に見つけ、早期に対応するにはまず周囲が気付かなければなりません。アスペルガー症候群についてよく理解している教師や専門家が近くにいることが理想ですが、少なくとも子どもたちの行動の特性をよく観察し理解することのできる大人がいて、ちょっとこの子は違っているな、と気付き、その子どもたちを専門機関へ紹介する仲立ちをする人がいることが必要です。

 高校・大学(あるいは専門学校)の時期は、二次障害がない限りは発見されることは少ないです。それまでに本人の行動や周囲との関係でいろいろと問題が起こっているのに、周囲が十分に気付かず対応がなされかった場合、この時期にうつや不安障害など精神的な問題が出てくることが多いです。しかし、ここでもう一つの問題が出てきます。二次障害が現れると、そちらの診断が主になり、逆にアスペルガー症候群が見つかりにくくなることがあるのです。

 この時期に適切にアスペルガー症候群かどうかを診断するためには、前面に出てきた精神的な問題の背後にアスペルガー症候群の存在を見つけることのできる専門医や心理士の存在が不可欠です。

 小学校・中学校で特に目立った問題もなくどうにか集団生活を切り抜けられた子どもたちの中には、大学まで引き続きそのままの状態を維持していることがあります。特に小規模校で環境の変化が少ないと、わりとうまくやっていけるのです。大学は周囲の干渉が少なく、またこつこつとまじめに講義に出席し課題もきちんとこなせば先生の評価は高くなり、いい意味で注目してもらえます。また自分の好きなことに関われる時間も増えるので、アスペルガーの人たちにとってはやりやすい環境なのではないかと思います。

 これは余談なのですが、私が教えている心理学の授業の受講生に、間違いなくアスペルガーだと思う学生さんがひとりいます。この授業は社会福祉士をめざす人も受講しているので、時々実践的なケースワークをやるのですが、ある時に課題で出したケースがいい悪いがはっきりしていない、選択の難しいストーリーで、登場人物の心情を想像する力が必要なものだったので、彼はどうしても答えることができませんでした。このときは提出するかしないかだけの評価なので、特に問題はありませんでしたが、前期試験の問題の一つが毎年必ず論述式なので、出題や評価をどうしたらいいのか、今悩んでいるのです。

 アスペルガーの人が一番大変なのは、社会人になるときです。大人になって発見される場合は2つあり、一つは二次障害の治療中に、もうひとつは、結婚し子供が生まれてその子供に発達障害が見つかった時の「ついで診断」です。

 大学卒業まで、特に周囲も気付かず目立った問題もなくやってこれた人たちが、社会人となり人間関係が今以上に複雑になり、いろいろな役割を求められるようになってうまく対処できなくなり、その結果精神的な問題が出てくるということが少なくありません。がんばりやさんであればあるほど、その傾向が強いです。

 精神的な問題としては、パニック障害、強迫性障害などの不安障害や、うつなどの気分障害がとても多いです。しかし中には、統合失調症と誤診されていたり、不安を取り除くためにアルコールを多用し、アルコール依存症と診断されることもしばしばあります。

 今までの病院臨床の経験からは、大人になってからアスペルガー症候群を見つけるのは子供以上に難しいと実感しています。特に二次障害からの診断は極めて難しいです。「ついで診断」で小児科の専門医に相談する方が、むしろよく理解してもらえると思います。

 大人の二次障害からの発見は、医師へ専門知識や経験を求めることももちろんですが、心理職やPSWなどの専門援助職がアスペルガー症候群の知識と臨床経験を持っておくことがどうしても必要です。中には自分ではアスペルガーではないかと気付いて病院に行ったら、そこのドクターに否定され、別の病院で相談して始めて正式に診断されたという例もあります。

 アスペルガー症候群は早期に発見されるとは限りません。そして早期に発見されたからといって、それでその後うまくいくとは限りません。「見つかるべきときに見つかった」と思うしかないこともよくあります。しかし個人的には、願わくば小学校卒業までには発見される方が、その後の成長を考えればなおさらのこと望ましいのではないかと思っています。

 そのためには、中学校に配置されているスクールカウンセラーと小学校の先生との連携を強めることと、学校によってはスクールカウンセラーを配置できるようにすることが早急に望まれます。


 

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条件付きでないしあわせ

 K市に引っ越してきて知り合った友人Hさんが、今日の午後ひょっこり家を訪ねてきました。

 私より5歳くらい年上の女性で、高校生の子供がいるベテランお母さんです。

 子供の部活や進学のことを話していたら段々と盛り上がって、最後には夫婦の話になりました。仲がいいねとみんなは言うけど、それでも相手に不満をもってしまうこともあるのよ、とHさんが話したあと、「そっちはどうなの?」と尋ねてきました。

 私はアスペルガーの名前は出しませんでしたが、配偶者のエピソードをいくつか話して、こちらが少し見方を変えてできるだけ感情的にならないように気を付けている、と話しました。

 するとHさんは、少し驚いた表情で「何でそこまで相手の事を理解して受け入れられるの?」とひとこと。

 もちろん、最初からそうだったわけではありません。

 結婚して間もない頃は、配偶者が何で場面に合わない言動にでるのかどうしても理解できなかったし、あれもやってくれなかった、こうして欲しいのに…と相手に望んでしまうこともいろいろありました。

 だから、常にどこかに不満を抱えていたし、相手がちっとも変わらないことにイライラもしていました。

 でも、ほんの2ヶ月ほどまえ、「もうやめた」と思ったんです。

 バンクロフトの本(「DVにさらされる子どもたち」 幾島幸子訳 金剛出版)を読み終わって、私は彼の言動に対して責任を持つ必要がないとはっきりと理解しました。その時に、相手を変えようとすることに何の意味もないことを悟ったのです。

 配偶者がもう少し相手の気持ちを理解してくれたら、もう少し優しくしてくれたら、と期待することは、逆に失望感を強めるだけであり、多少優しくなったくらいでは暴力を止めることはできない、これはもう、わたしひとりでどうにかなる問題ではないのだと気付いた時、この終わりのないゲームから降りようと思いました。

 そしてその時、自分のしあわせを他人任せにするのはやめよう、と決心しました。

 相手が自分の望むような人物になってくれれば…という条件付きのしあわせは、もろくてはかないものです。

 配偶者が今のままでも、極端に言えばいようといまいと、自分のしあわせは自分で見つけるしかない、そう思いました。

 それから今まで、配偶者を理解する努力はしても、相手に理解を求めないように、感情を逆撫でするような言動があれば、おだやかに話しを打ち切るという方法で冷静に対処するようにしてきました。そうすることで、段々と配偶者の言動は気にならなくなり、以前のように感情が爆発することもほとんどなくなりました。

 もし配偶者の暴力の問題がなければ、一緒に暮らすことは難しくなかったでしょう。別々に住む選択は、彼が嫌になったからでも、私の仕事(大学の講師とか研究)を優先させたかったわけでもなく、暴力行為の結果であり、自分と子供を守るためのものでした。

 暴力については、本人を責めるつもりはもうないし、何時までも過去のことを持ち出して自分の傷を広げるつもりもありません。いくら周りが働きかけても、止めるかどうかは配偶者自身が決めることです。私はただ、自分自身の思いと行動に責任を持つだけです。

 そうして、安易に結婚を解消する方を選ばずに、自分自身の心の変化を静かに見つめ、それがどう配偶者に影響していくのかを見守っているところです。そういう私の状態が、おそらく第三者には相手を理解し受け止めているように見えるのかもしれませんね。


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アスペルガー症候群:最も分かりにくい障害(2)

 さて、アスペルガー症候群の話題を続けます。

 ほぼ時期を同じくして論文を発表したカナーとアスペルガーが着目したのは、

 社会的相互作用の乏しさ
 コミュニケーション障害
 特定の興味対象への強いこだわり

 の3点でした。しかし、カナーが対象とした自閉症は、知的発達の遅れや他人への著しい反応の欠如(単に全く興味を示さないというのではなく言語・非言語的な反応が乏しいという意味)、言語発達の重度の遅れを伴うものでした。

 これに対し、アスペルガーが対象としたのは、知能も正常域かそれ以上で、言葉の発達に著しい遅れがなく、他人との交流もある程度は持てる人たちでした。カナーが論文発表後早期に業績を認められたのに対し、アスペルガーの発見が認められるのにしばらく時間がかかったのは、このような対象者の特性の違いも一つの要因だったのではないかと思います。確かに、アスペルガー症候群は、経験を積んだ専門家でも時々診断に迷うほど、分かりにくいところがあります。

 ローナ・ウイングが自閉症を「スペクトラム」と呼んでいるのは確かに妥当なことではないか、と実際に様々な当事者にお会いしてみると余計にそう感じます。上記の3つの特徴も、人によってその障害の程度が様々で、カナータイプとひとことで言っても、育ち方や環境、個人の能力によって、発見後の発達が少しずつ違う経路をたどるからです。アスペルガー症候群も、自閉症スペクトラムの中に含まれますが、カナータイプよりさらに多様性が大きいと考えられます。しかも、アスペルガーの人たちは、時に非常に能力的に恵まれていて、この高い能力が社会性やコミュニケーションの障害を目立ちにくくしていることもあり、今でもこの障害に対する専門家の共通理解は決して得られているとは言えないのです。

 カナータイプであれアスペルガーであれ、私も上記の3つを基本的な診断基準として使っています。ただ、この3つだけでは十分とは言えません。

 ある30代の男性は、数年間他人との接触がほとんどない毎日を過ごしており、自発的に話すこともなく、会話も続かない状態でした。また、ある仕事へのこだわりがあり、アルバイトなどの短期の仕事にも就くのをためらっていました。ここまでの情報だと、発達障害か?と思われるかもしれませんが、面接と検査の結果、いわゆる「社会不安障害」にあてはまるだろうということになりました。なぜでしょう?社会性も乏しく、コミュニケーションも十分にとれていない、しかもこだわりもあって仕事に就けない…それでも発達面全体からはアスペルガーを裏付けるものは得られませんでした。

 自閉症スペクトラム、特にアスペルガー症候群の特徴をひとことで言うと、「感じかた、考え方が多くの人のそれと違っている」ということです。そして、器用さと不器用さ、敏感さと鈍感さが一人の人間の中に同時に存在していて、その差が際だった状態にあると言えます。

 感じ方の違いは、知覚の異常などさまざまな形で現れます。味覚、触覚、嗅覚、視覚、聴覚のいずれかに、過敏性あるいは鈍感さが必ずといっていいほど見られます。さらに、人によっては、発汗など体温調節機能に問題がある人、頭痛、消化器症状、低血圧などの自律神経系のバランスの悪さからくる、様々な身体症状を持っている人もいます。気圧の変化に敏感な人もたまに見られます。多くの人にとってそれほど気にならない程度の刺激が、非常に不快で耐えられないように感じるのが知覚過敏ですが、逆に刺激を感じにくいこともあります。痛みに対しては、過剰に敏感な人と、逆に感じにくい人がいます。自閉症はいわゆる前頭葉や側頭葉などの高次脳機能だけでなく、小脳や脳幹の神経にも異常があるのではないかと言われていますが、これらの症状はそれを裏付けるものの一つと捉えることもできそうです。

 考え方に関しては、とらえ方だけでなく情報処理の仕方も独特であると言えます。ブロックにたとえるなら、ピース同志の組み立て方の違いといえるでしょう。アスペルガーの人は、「気にしなければならないところが気にならず、気にしなくてよいところを非常に気にする」傾向があります。会話がかみ合わないように感じるのは、相手がこちらの話す内容を聞いていないからではなく、その内容のどこを中心に聞いているのかが、こちらの意図していることと合わないからということも少なくありません。さらに、まったく別の話題で話していても、いつの間にか自分の興味ある話題にすり替わることも多く、情報の関連づけの仕方が一定のパターンに限られ、物事をいろいろな方向から見ることが難しいため、自己中心的で融通が利かないように相手には見えてしまうことがよくあります。

 しかしこれらは意識的でなく大半は自動的に行われ、少なくとも意図的に話しを自分に有利な方向へ引っ張ろうとしているのではなく、そういう風にしか反応することができないのです。

 知能の高いアスペルガーの人の中には、相手の言葉や非言語的なサインに過剰に反応するために適切に理解できない人もいます。言いかえると「見えなくてもいいところが見えてしまう」といったところです。逆に、相手のサインに鈍感な場合もあり、この差が大きいことがアスペルガー症候群の難しさでもあります。アスペルガーの人は、周囲が想像するよりも、自分のことも他人の事も自分の能力の範囲内でよく理解しています。しかしその理解の仕方が他人と違っていて、多くの当事者は、その違いに気付いているようです。どのように違うのか、どのようにその違いに対処すればいいのかが分からないためにとまどい、そのとまどいを適切に表現する手段が十分に発達していないために相手に分かってもらえないジレンマを抱えていて、相手にとっては通じ合えないように感じてしまうのです。

 アスペルガー症候群だけではなく、自閉症全体に言えることですが、援助に携わる人たちはこの「感じかた、考え方の違い」がどのようなものであるのか、ある程度の想像力を働かせながら彼らを理解する能力が必要だと思います。


(続きます…次は多分週末かな?)


 
 

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やっと復活

 今月に入って始めての更新です。
わー、何でこんなに休んでしまったんだろう…

 6月5日に東京へ行き、翌日朝福岡へ帰ったその翌日から、急性腸炎(多分風邪によるもの)で3日間寝込み、やっとよくなったと思ったら今度は頸椎ヘルニアが悪化して頭痛とめまいで動けなくなり…、つまりずっと具合が悪かったのです。

 しかも今年はすでに夏ばてモードに入っていて、異常に血圧が低いです。

 この前測定したら、最高が86、最低が57でした。

 「こんなに低くて動けるなんて信じられん」と言われました。

 どうりで、ちょっと動いただけで疲れるわけです。朝起きてしばらくはからだがふわふわと浮いた感じで全然力がでません。やっとエンジンがかかってきたかな、と感じるのは午後からで、午前中はぼーっとしています。

 それなのに、仕事の忙しさは加速していて、来月からしばらく続く学会発表の準備も架橋に入り、さらに7月末までに論文を1本依頼され…重い体をずるずると引きずりながらの出勤が続いています。

 数年に一度、私はがたがたと体調を崩します。今年は当たり年のようです(泣)。


 体は結構故障がでましたが、気持ちの方は落ち着いています。
いろいろとアイデアもあるし、何となく良い感じです。
ちょっと無理してたから、ここらへんで休憩しときなさいよ、ということだと思って、もう少し鈍行列車並のペースでいこうかなと思っています。

 このところ、スクールカウンセラーの仕事がかなり忙しくなり、病院でもアスペルガー症候群の診断面接をする機会が格段に増えました。トラウマケアのお仕事も研究も、それなりに順調ですが、それに加えて発達障害の鑑別という役割が増え、何となく自分の立場というものが見えてきたように感じます。

 これからしばらく、アスペルガーの記事をまとめて書いていきますが、必ずしも医学文献や既存の専門書には載っていない、新しい知見も若干混ざると思いますので、私が言っているのと本で言われているのが多少違っていても、それはどっちもあり得ると言う風に受け止めていただければ幸いです。

 なぜなら、これから書いていくことは、ほとんどが実際に当事者とのやりとりの中から学んだことが大半だからです。ご意見、ご指摘があれば大歓迎です。私が知らないこともまだまだたくさんありますからどうか教えていただきたいと思います。


 記事を続ける前にひとことだけ。

 発達障害の子どもたちや大人の人たちと接するとき、私は改めて「普通」って何だろうと考えます。

 「こんな状況でこういう行動をするのは普通じゃないよね」

 …仕事中よく、耳にする言葉です。でもその「普通」って、その人にとって普通かどうかということであって、他の人にとってはそうではないかもしれません。私たちはどんなに客観性を求めても、主観の域を完全に出ることはできないのです。だから、何を基準にして普通かそうでないかを判断しているのかは、今のところ明らかな答えというのはありません。

 そういうことを心に留めながら、言葉を選びつつ書いていくつもりです。


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