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アスペルガー症候群:最も分かりにくい障害(1)

 忙しいのは相変わらずですが、それなりに落ち着くところに落ち着いてきた感じがします。

 前から書きたいと思っていたことなのですが、先週姫路のH先生から改めてアスペルガーの診断のポイントを聞かれて、週末もう一度本を読み直したり今までやってきたことを振り返ってまとめる機会があったので、しばらくはこの話題を取り上げようと思います。

 本題に入る前に、私が診断基準として採用しているのは基本的にはDSM-IVで、参考図書として

 「ガイドブック アスペルガー症候群 親と専門家のために」 トニー・アトウッド著 富山真紀、内山登紀夫、鈴木正子訳 東京書籍 (価格2800円)

 を使っていることを、おことわりしておきたいと思います。

 
 そもそも「アスペルガー症候群」について学んだ最初の理由は、「配偶者の特性を理解するため」でした。

 私がある程度この障害について理解できるようになると、不思議なことに私のまわりには「アスペルガーかもしれない」人たちがぞろぞろと集まってきたのでした。

 DVについて調べていると、DV被害を受けた人たちが集中的に相談に来たり、病院で加害者の心理検査を任されたり、まるでねらい打ちされているような現象が起こります。アスペルガーの場合も全く同じで、病院、学校と場所を問わずに、何故か磁石に引き寄せられるようにやって来るのです。

 そして現在、ある中学校で3人のアスペルガー疑いの子どもたちとその保護者の支援をし(いずれもこれから病院で診断を受けてもらう予定)、別の中学校の校区内の小学生1人と診断のための面接をする予定になっており、クリニックで3人のアスペルガー疑いの患者さんのカウンセリングと、アスペルガーの診断のための面接を全面的に任されている状態になっています。

 さらに、今年から1歳半、3歳児健診の育児相談にも行っていて…ここでも一人経過観察中の自閉症スペクトラム(多分アスペルガーだろうと思われる)の子供がいます。

 アスペルガー症候群は、カナータイプの自閉症ほどの目に見える際だった特徴が少なく、知的レベルが比較的高くて見かけ上言語発達の遅れがはっきりしないので、発達障害の中では最も見つかりにくい障害だと思います。

 それでも今までの経験から、診断基準を一部満たさない「傾向」のあるケースも含めるとおよそ30~40人に1人くらいの割合になるのではないかと思います。乳幼児健診の結果からは、自閉症だけでなくADHDも含めておよそ1回の健診(約20名)で1人見つかるか見つからないかで、スクールカウンセラーとして勤務する中学校では、1学年およそ220名の中で、はっきりアスペルガーだと分かる子どもたちが3~4人はいて、LDなのかADHDなのかアスペルガーなのかはっきりしないグレーゾーンに属していると思われる子どもたちが最低でも4,5人はいます。

 学校や学年による差はありますが、典型的なアスペルガーでなくてもその傾向があると思われる子どもたちが一人もいないということはありません。この計算でいくと、K市の人口を25万人とすると、そのうちの約6000人あまりが該当することになるわけです。

 当初予想していたよりも、以外に多いのではないか、というのが私の率直な印象です。

 アスペルガー症候群の第一発見者であるハンス・アスペルガーの功績が長いこと日の目を見なかった一つの要因は、同時期に出たカナーの論文ほど当時の専門家の注目を集めることができなかったことにあります。しかしそれは、カナータイプの自閉症とアスペルガータイプの障害がいくつかの共通点を持ちながらも、アスペルガーの方が言語や知能の発達の遅れが目立たず、しかもコミュニケーションや社会性の障害が多様で、「典型例」を探すのが難しいという特性が、専門家の共通理解を得るのを難しくしていることにも起因しているだろうと、私は考えています。

 実際に、これまでいくつか勤務した病院で、この障害の診断について精神科医の同意を得るのが非常に難しかったことや、診断について未だにいろんな議論が交わされていることからもアスペルガー症候群がいかに分かりにくい障害であるかが明らかなように思います。

 ハンス・アスペルガーの功績を世に広めるきっかけを作ったのは、あのローナ・ウイング博士です。1990年代にようやく国際的に認知されるようになり、現在に至っています。

 これまでの歴史的な背景からも言えることですが、この障害への理解は、専門家の間でもまだ十分であるとは言えず、カナータイプの自閉症より専門的な情報が少なく、社会支援体制も確立していません。しかし、アスペルガー症候群は、自閉症よりはもっと身近な発達障害であり、非常に多くの当事者が今も様々な問題を抱え、具体的な支援を求めています。この記事を書こうと思ったのは、できるだけ多くの人に、この障害に対する理解を深めていただきたいと願うからです。


(続きます)


 
 

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たとえ小さな事でも

 毎週水曜日は、近くの中学校でスクールカウンセラーの仕事をしています。
前年度からの勤務で、2年目に入ったとたん、目が回るような忙しさです。

 週1日9:00~18:00までの8時間勤務が原則なのですが、最近30分の時差出勤で終わるのが7時過ぎることが多いです。

 今日は、以前に教育相談を担当していた先生と話し合いが長引いてしまい、学校を出たのが夜8時でした。

 昨年度は一日平均で5人の面接をしていて、まだ気持ちに余裕があったのですが、今年度は一日6人~8人と増え、昼休みもわずか20分くらいしかとれず、朝から夕方まで予約でぎっしりの状態で、家に帰ると何もしたくないくらいへとへとになっています。

 面接相手は半分が中学生で、残り半分が保護者と学級担任です。相談室に来てもらうだけでなく、あいた時間に職員室で先生方と話すことも多いので、それまで含めると1日に10名以上の人と面接をしている計算になります。

 このペースだと、週8時間、年間280時間の勤務は「絶対に」少なすぎます!理想は非常勤でも専任でフルタイムで置いてくれることなんですが…予算があるから文句は言えません。

 元教育相談をやっていたA先生と話していて、私は今とても気になっている生徒さんがいるんだけど、と思い切って今日のお昼にあったできごとを話しました。私がその生徒さんの名前を言うと「実は私も会って最初の日に名前を覚えた子で、非常に気になっているんですよ」とA先生も同意してくれました。あ、やっぱり気付く人は気付いているんだなあ、と安心して何が気になっているのかを話すと、A先生は神妙な顔で、「確かに普通でない、という感覚が自分の中にもあった気がしますね」とうなずいておられました。

 その子は1年生で、ちょっとしたことがきっかけで知り合いました。とても明るくて人なつっこい子で、目立つ感じは全くありません。しかし、私が「おやっ」と思ったのは…その子の身長が中学1年生にしてはかなり低かったのです。もちろん低い子は他にもいますが、標準の範囲内から考えても明らかに身体的な発達の遅れがあるように見えたのです。しかも精神的な発達も明らかに遅れているようでした。私はこの程度の遅れなら、早急に医学的な治療が必要だと直感しました。

 でも、今日私が話すまで、他の先生方の口からも、小学校の元担任からも、発達の遅れについて話題が出ることが全くなかったのです。学習面での遅れというとらえ方はなされていたようですが…身体面は見逃されていたようです。私はA先生に率直に尋ねました。「本当に今まで誰も気がつかなかったんでしょうか。そのことが私にはちょっと信じられないんですが」

 A先生はちょっと困った顔をして、「それは何とも言えませんが…私が見た限りでは他の子と何か違う、放っておけない気がしたので…」

 気付いたのは学級担任ではないので、これからまず学級担任に理解を求めるため働きかけなければなりません。そして保護者へ連絡していただくことになるのですが、そこまで行き着くかどうかも分かりません。でも、このまま放っておく訳にはいかないので、できる限りはやるしかないのです。なぜなら、学習の遅れはこの子の問題の一部でしかなく、単に低身長というだけでなく、全体的に発達が著しく遅れているのです。

 このような問題の場合、誰かが気付かない限り、いつも子どもと生活を共にする保護者にとって、子どもの成長の早さが少し違っていることになかなか気付けないものです。専門的な知識は必ずしも必要という訳ではなく、どんな小さなことでも「いつもと何かが違う」と感じることのできる感性と、専門機関へ相談できるようなつながりをつくれるかどうかが、早期発見には必要不可欠であり、そういう感性のある現場の先生方やスクールカウンセラーがもっと増えることを強く願っています。

 A先生が、「私は結構うるさがられる存在で、細かいとよく言われるんですが、こんなでもいいんですかね」と話すので、先生のような人がいないと、もっといろんな問題が見過ごされていたはずで、今のままで十分じゃないですか、と答えると、少しほっとした表情に変わり、なごやかなうちに話し合いは無事終わったのでした。 


 

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大分時間がかかりましたが。

 今日の記事を書く前に、かなり遅まきながら少々宣伝をさせていただきます。

 4月18日に、「超カンタン!最強メディア ブログ成功バイブル」(百世瑛衣乎著、翔泳社 \1,380)という本が出まして、その中に私のインタビュー記事が載っております。

 この本の中には、ブログの実際の活用法だけでなく、ブログを使って成功を収めた様々な方々のインタビューがまとめてありますので、ブログをもっと効果的に活用したい、あるいはブログを使って何かをやってみたいと思われる方には、非常に参考になることと思います。

 私が自分のことを言うのは相当に勇気がいることで、しかも私の周りの同業者や友人、配偶者にもブログのことは全く話していないので、インタビューを受けるかどうかも結構迷いましたし、この記事を書く決心をするには時間がかかりました。

 でも、私の記事はどうであれ、本自体は非常に分かりやすくていい本だと思うので、もし書店で見かけたら手にとってみることをお勧めします。

 私がこのブログを始めたのは、ネット検索でPTSDの情報があまりにも少なかったから、でした。

 最初は、何を書けばいいのか分からなかったので、日記代わりの感覚で使っていました。でも段々と頭の中でアイデアが浮かぶようになり、それをマイペースで書き続けているうちに、発達障害とPTSDの2つのテーマに段々と絞られてきたように思います。

 私のブログは、いわゆる一般の人が気軽に訪ねてくるような内容ではないし、半分は自分のアタマの中を整理し、私自身のこころの変化を記録するためにも役に立ってくれたように思うので、最初から人気とか成功とか、そういう意識を全くしていませんでした。

 今もこれからも多分、このスタンスは変わらないと思います。相変わらずこのブログはネット検索での訪問者が多いですし、精神医学や発達心理の本に載っていないような、いろんな人との出会いから私が理解してきたことを書いていくつもりです。

 ここを訪れて下さるかたは、何かを求めておられるだろうと思っているので、求めている何かがすこしでも得られ、平安や励ましの気持ちを感じていただければというのが、私の願いですし、私のブログを参考にして、情報の少ないこの分野に関して、より多くの専門的なブログが出てきて欲しいなあと思っています。

 私の置かれた立場上、ブログの事を言いにくいというのも事実ですが、それだけでなく、私は「右手がすることを左手に知られないように」という聖書の教えにもあるように、ボランティアの奉仕活動などを含めて、人の援助を行うときはできる限り人に知られないようにしたいという思いを持っていました。だけど、マザーテレサの生き方を学ぶ中で、よいことであれば人に知ってもらうことは決して悪いことではなく、正しい動機と真摯な態度で行うことであれば、人は決してそれを自慢とは受け止めないということを知りました。

 それでやっと、ふっきれて、この記事を書くことができました。

 「ココログ オフィシャルガイド」でもブログを紹介していただき、この本ではブログの紹介だけでなく私自身の事も紹介して下さって、本当にありがたく思っています。

 最後に、取材をして下さった百世さんと、出版社の方に心からのお礼を申し上げたいと思います。多くの人に読まれる本となることを心からお祈りしています。


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できることを使って生きていく

 連休中、義父が倒れました。心臓がちょっと悪くて、これから手術をするそうです。
軽度の心筋梗塞で、発見が早かったので大事には至らずにすみそうです。

 連休をはさんで2週間、実家だけでなく仕事上でもあり得ないような事件が起こったり、波乱づくしでごたごたとしておりました。少し落ち着いたと思ったら、仕事が急に忙しくなりブログまでとても手が回らないほどになってしまいました。

 今日やっと、ゆっくりできる時間ができて、久しぶりの更新です。

 おとといぴょろと2人で近くの本屋さんで時間をつぶしていたら、「光とともに…」7巻を見つけました。興味はあるのですが、何故か手がつけられなかったマンガで、中学校の保護者に紹介しながらも自分自身は全部は読めていませんでした。

 7巻も時間がなくてまだ全部は読んでいないのですが、読みながらふと気付いたことがありました。

 何度やってもどうしてもできないときは、できることで工夫する、その切り替えが大切だということに。

 今まで私は、自分自身に対してもぴょろに対しても、苦手なこと、できないことを少しでも克服するために努力しなくてはならないと思っていました。何度やってもうまくいかない事に対して、当事者として親として自分を責めることがよくありました。

 だけど、この本を読んでいたら、「できないことを無理してできるようになる必要がない」と分かって、こころがすうっと軽くなりました。

 できることなら…いっぱいある。それらをうまく使って生きていけばいい、と思ったら、できないことばかりにこだわっていた自分が愚かに思えました。ぴょろにもつい、みんなと同じ方法でできるようにならなければ、と思ってしまうのですが、方法がどうであれ結果が満足できるものならそれでいい、と考えるようになり、ぴょろへの不満が大分少なくなってきたように思います。

 ごく最近になって、私は純粋なADHDではなく、多少アスペルガーの傾向を持っていると気付きました。私は自分のことを大雑把な人間だと思っていたのですが、同じ傾向がある患者さんと話しているうちに、それほどひどくはありませんが、私にも数字や順番など、普通の人が全く気にしないことへの強いこだわりがあることに気がつきました。多少OCD(強迫性障害)っぽいところがあって、自分が決めた順番を乱されると不安になるのです。家事の手順など、日常生活のささいなことがほとんどで、病気というまでには至りませんが、すごくぼんやりして抜けた部分に、妙な几帳面さを兼ね備えているのが、真実に近い私の姿なのだと理解できました。

 アスペルガー傾向、と考えるにはそれなりの心当たりがあって、それは私の母親の行動を注意深く観察することで、さらに確信に近いものとなりました。今までBPD(境界型人格障害)だろうと思っていた母親は、実は私よりもっとはっきりとアスペルガーの特徴を持っていることに気付いたのです。彼女ほどではなくても、多少その傾向を引き継いでいると考えると腑に落ちます。

 今思えば、私の人付き合いの不器用さは、単に不注意や早とちりから来ているわけではない、と分かります。少数のグループや専門職の人たちとの仕事関係のつきあいならついていけるのに、「保護者の集団」になるととたんに何を話して良いやら分からず固まってしまう、そんな特徴一つを取り上げてみても、ADHDだけとは言い難い…と今は冷静に思えるのですが、自分の事はなかなか分からないものです。

 そんな私の「再発見」の時期に手に取った「光とともに…」を読んでいたら、今のままでもいいんだよ、と言われているような気がして、ちょっと涙目になってしまったのでした。

 できることを使って生きていく、この言葉をしっかり心に刻んでこれからやっていこうと思います。

 光くんのお母さんほどにはなれなくても、現状を受け入れつつぴょろの事を心底愛することのできる親でいたいと思います。


 

 

 

 

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思春期を振り返ってみる(3)

 昨日の夜中から今朝方にかけて、何度か余震があってあまり寝ていません。

 お疲れ気味の私をねぎらってなのか、予定の仕事が全部キャンセルになってしまいました。ほっ。

 
 私の思春期…の続きです。

 今振り返ってみると、当時の私は間違いなくADHDっ子でした。注意散漫、早とちり、緊張すると落ち着かない(このあたりは今のぴょろとほぼ共通する)、場が読めない、順番待てない…まあ、怒られ上手、世渡りヘタな性質はこのときにはもうすでにできあがっていたかなと思います。

 こもれびさんがおっしゃった「実行機能障害」とはまさに私にもぴったり当てはまる言葉で、親しい友達にとってさえ、私とはちょっと変わっていて、分かりにくい人間だっただろうと思います。それでも中学時代を楽しく過ごせたのは多分、そんな私のことをそのまま受け入れてくれた仲間と先生がいてくれたからなのだろうと、今はそう思います。しかも、今考えると、中学時代の友人には私と似たり寄ったりの人もいて、周囲も「ぼけーっとしてるけどやるときはやるのよねー」と、できることは認めてくれていた(ただし学校での話しで、家はそうではなかった)ことも大きな支えになっていたのでしょう。

 ところが、高校で学業・生活態度ともに優秀な人たちに囲まれ、また学校全体が全ての面において少しでも他の人たちを追い越さなければ、といった雰囲気も強かったことで、「ほかの人はできているのに、なぜ私だけできないのか」と考えるようになってしまいました。私と周囲が何か違っていると気付いたまでは良かったのですが、それでもいいと思えなかった事が、一番悔やまれるところです。

 「普通になりたい病」が出てきたのも、高校生の頃からです。どうすれば他の人のように普通に振る舞い、人間関係をうまく作っていけるのか、いろいろ試してもうまくいかず、それで自己嫌悪に陥り、さらにうまくいかなくなる…という悪循環でした。今カウンセラーとして同じような悩みに耳を傾けながら、当時の私が同じような支援を受けていたら、もっと自分のことを早く受け入れられていたし、発達障害のことも前向きにとられられたのではないかと思います。

 自己概念が育ちにくかったのは、私の場合、自分の中に判断基準を持てなかったことが非常に大きな要因だと思います。それは家庭内の人間関係に基づく問題と(ひとことで言うと過干渉だった)、行動の基準を周囲の「普通の人々」に求めてしまったこととに起因しているのだろうと思います。自閉症スペクトラムにも共通することですが、認知の独自性が与える影響も無視できませんが、決してそれだけではないと思います。なぜなら、今は当時に比べると、他人に左右されずに判断することが難しくなくなっていて、それは今から7,8年前大学院在学中に「自由意思、自己責任尊重」のアメリカ文化の中で否応にも鍛えられて身に付いたものだからです。

 こうやって考えてみると、発達障害を抱える人たちそれぞれにとって、過ごしやすい環境と、そうでない環境があるということがよく分かります。誕生の時にすでに持っていたものは変えられなくても、環境が変われば与えられる経験が変わり、そして行き着くところも変わります。環境を整えることは、本当に大切だと感じます。

 私は普段このことを説明するときに「経験値」という言葉で、ポケモンをたとえに話すことが多いです。同じ種類の野生のポケモンでも、HPや攻撃力、防御力などは少しずつ違います。そして、レベルが低いときに捕まえて、たくさんバトルをして経験値を増やしたポケモンの方が、育て屋さんに預けたり、レベルが高い状態で捕まえたものよりも強くなるのです。持っている能力の程度が同じでも、そこから何をどれだけ経験するかで、成長後に大きな差が出ます。それは私たちにも全く同じ事が言えます。だからこそ、発達障害の程度や問題の現れ方の個人差が年齢とともに大きくなるのです。

 自閉症の水銀説と同様、ADHDもいろんな神経毒(胎児が暴露することにより神経の発達に障害をきたす物質)が関与すると主張する科学者たちがいます。最近は地元の新聞にPCB(ポリ塩化ビニル)と発達障害の関連性について書かれた記事が載っていました(くわしくはこちらを)私は決して否定をするわけではありませんが、仮説の領域を出ていないのにそれが原因の全てであるような言い方は不適切ではないかと思います。もしPCBだけが原因なら、ADHDであった私の祖父はどう説明できるのでしょうか?明治時代の生活スタイルからして、非常に不自然です。むろん、PCBなどの環境ホルモンに近い構造を持つ、毒性の高い天然の物質は存在するかもしれませんが、歴史上の人物の個人史を見る限りは、発達障害はかなり以前から存在していたことは明らかで、原因を一本に絞ろうとすること自体が不可能ではないでしょうか。もちろん、軽度の障害で、典型的でなくどの診断名にも当てはまりにくい症例は増えているかもしれませんが…もし化学物質など単一の原因で起こるのなら、もっとお互いに類似していてもいいはずですが、現実には「スペクトラム」と言わざるを得ないほどその現れ方が多様だからです。賛否両論はありますが、前頭葉の機能障害が実行機能障害となって現れるメカニズムは、決して単純ではないと考えるのが妥当でしょう。

 思春期を障害物競技にたとえるなら、自律というゴールまでの間に、いくつか乗り越えなければならないハードルが置かれた状態と言えるでしょう。ハードルの数は多少違っても、大人になるためには避けられない課題であり、飛び越えようがくぐろうが倒そうが、とにかく前に進むしかないというイメージがあります。発達障害があるということは、コース中に置かれるハードルの数自体が増えるか、あるいは高さが高くなるということではないかと思います。だから、思春期の発達障害に対する支援とは、ハードルを越えやすくするということだと考えると、単に本人の力次第であるといえないことが分かっていただけるのではないかと思います。

 最後に、今日付西日本新聞からみつけた精神科医のコラムの一部をご紹介します。

 「今回のこの法律(発達障害者支援法)がどのように運用されていくのか僕は詳しくはない。大切なことは僕らが彼らを治療し、教育し、社会に適応させていくことでは決してない。僕らが彼らの特殊な「脳のありよう」をいかに理解できるか。彼が暮らしやすいように、社会を「治療し」「教育し」変えていけるかが大切なのだ。「脳のありようの特殊性」を持つ人々にとっての「障害」は、社会のありようの方にあるのだから。」

もう少し、生きやすい社会になっていくことを希望します。


 

 

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