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思春期を振り返ってみる(2)

 中学校で結構成績が良かったため、高校は地元でも有数の進学校へ行くことができました。

 大学進学という点で有利だからという理由で周囲の誰もがその学校を薦め、そして学力的にも何とか基準をクリアして入学は果たしたのですが…。

 ひとことで言うなら「その地域の優秀な子どもたちが集まった学校」なので、何事もできて当たり前という雰囲気がありました。成績も学年では中の下くらい。中学校のときのように、半端でなくグレてる子も教室で暴れる子も全くいません。そして学校では順位争いも熾烈で「みんながライバル」と言い切る人も少なくありませんでした。

 学力だけでなく「行動」の面でも模範的な生徒が多く、そんな中で自然と私の多動・不注意は目立ち始め、それほど日がたたないうちに「私は他の人たちとは何か違う」ことに気付くようになりました。その高校は非常に古い学校で女子生徒が男子生徒の1/5にも満たないほど数が少なく、しかも他の人の振る舞いが気になるこの時期、「全然勉強してないよ」と言いながらテストで満点に近い成績を取る人や、かわいくて頭も良くて性格もいい、と3拍子そろった女子が同じクラスにいて、どうしてもその人たちと自分とを比べてしまうのでした。

 その結果…私は自分が大嫌いになりました。このときに身に付いてしまった強い劣等感は今でも尾を引いていて、大事な局面で自信がなくなるのも、ルーツをたどればこの時期の経験に行き着くようです。

 両親にとっては願ってもいない環境で、むしろ自慢に思っていたところもあったようですが、私にとってはとてもきついものでした。同じようにがんばってみても、他の人にできて私にできないことがある、それが必ずしも能力の差だけではないと分かったとき、私は非常に焦りを感じ、また自分を責めました。

 高校2年に上がる頃には、私は無気力となりあまり勉強にも集中できなくなっていました。いま思えばうつ状態だったのでしょう。それでも学校は家庭より居心地は悪くないので、不登校になることはありませんでした。この頃から私のココロのバランスは崩れ始め、自分を痛めつけるような行動を起こすようになりました。頭の中では常に消えてしまいたいと考えていて、それを実行に移そうとしたこともありました。

 パニック発作を起こすようになったのも、このころからです。熱が出ているのに無理して登校し肺炎で入院し、退院してしばらく経ってから今度は無理な食事制限をして体重が激減し髪の毛が抜けて、それでダイエットを辞めたこともありました。

 少し落ち着いてきたら、周りの事も段々と冷静に見ることができるようになり、私以外にもいろんな心の問題を抱えている人が案外多いということも分かり、周囲の期待に応えようとして無理にいい人を演じ、心身共に疲れ果てて学校を休みがちになった人もいることを、理解できるようになりました。

 そしてそういう人たちと多少の交流を持つようになり、学校で居場所がないと感じることはなくなりました。しかし、私はあまり自分のことを話せなくなっていて、本音でつきあえる友人を持つことはできませんでした。家族の中でも、父親が病気で倒れ長期入院という出来事があり、私は学校のことをほとんど家で話さなくなりました。私は孤立感を強め、それがさらにうつを悪化させる結果になっていたのではないかと思います。

 高3になると、受験勉強が優先されるのであまりいろんなことを考える余裕がなくなりました。また普段より怪我が多かった私は、この年の夏に不注意がもとで階段から転落し、アキレス断裂の大けがをしました。自分がどういう性質の人間かということは、大分分かるようになっていたし、それなりに受け止めることもできるようになって、消えたい気持ちは和らいでいました。怪我が治るとすぐ受験を迎え、希望の大学に合格し高校も無事に卒業しました。

 中学の3年間は、どちらかというと周りに対する見方の変化や、身体的な変化からくるこころの変化を体験することが多かったのですが、高校の3年間は、むしろ自分と向き合い、内面で起こる様々な変化を見つめた時期だったように思います。


(続く)

 

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思春期を振り返ってみる(1)

 ぴょろの記事について、早速いくつかのコメントやご指摘をいただきました。本当にありがとうございます。

 思春期の間には、確かに避けられないトラブルというのがあって、それは発達障害のあるなしに関わらず起こることがあります。それまでは順調に来ていたのに、大人側から見ると、「どうして?」と思うような行動となって表面化することもあります。

 私が修士課程の学生だった頃、ある先生に教えてもらったのが、「Every behavior has its reasons. (一つ一つの行動にはそれに見合う理由がある)」という言葉です。行動の背後にあるのは原因ではなく理由だ、という考え方は、私には少し斬新で意外なものでした。しかし、何が原因でこうなったのか、と考えるより何が理由でこういう行動に出たのかを考えるようになって、人の行動に対する理解がずいぶんと深まったように思います。

 発達障害と思春期のことについては、確かに専門家として理論武装をしてしまうと、いろんなところが抜け落ちてしまうような気がします。そんな思いもあって、未発見のADHDを抱えた私が中学・高校とどう過ごしてきたのか、当時の私が周囲をどのように見ていたのかを振り返ってみようと考えました。

 これは一当事者の体験なので、みなさんには必ずしも参考にならないかもしれません。できれば、こういう人もいるんだという気持ちで見ていただけると幸いです。

 長文なので、分割します。

 私が通った中学校は、その地域ではおそらく1,2番を争う大変に荒れた学校でした(注:今は少しは良くなったらしい)。まあひとことで言うなら、先生がバットを持って言うことを聞かない生徒を追いかけ回すような、そんな状況でした。カツアゲもいじめも、授業妨害も日常的に起こっていて、そんな環境なので、私のような不注意優勢型のADHDなんて目立つわけもなく、あまり先生の目にとまることもありませんでした。(ただし、授業をあまり聞いていなかったことは、教科書やノートの半端でない落書きが物語っています)

 中学生の私は、心理学の教科書に書かれているような「思春期前期」を順調に歩みました。身体的な成長とともに、男子と自分は違うのだと分かって距離をおくようになったのは中1の初めくらいからで、その後段々と先生や親に対する見方が変わってきて、まあ普通に反抗期を迎えていました。母親についてはこれまでもいろいろと書いてきたので触れませんが、この頃はもはや「絶対に言うことを聞かなければならない存在」ではなくなっており、わざと部活の居残り練習をして遅く家に帰り、友達同士で親の愚痴を言い合ったりしていました。

 中2になると、外側へ向いていた批判の目が自分自身に向き始め、度々自己嫌悪に陥るようになりました。しかしまだそれほど強いものではなく、また幸いなことに同じような悩みを抱えている友達が数人でき、その子たちと交換日記でお互いの心情を分かち合っていたことや、(発達障害の事は全く知らないが)親身になって接してくれた先生がいたので、小さなトラブルはちょくちょく起こっても、それを何とか乗り越えることができました。また2年になって成績も上がり、勧められて生徒会の役員も引き受け、学校は私にとってはとても楽しい場所になりました。

 この頃にできた友人は、アルコール依存症の父親を抱えていたり、離婚家庭であったりと、それぞれに難しい問題を背負っていて、グレて問題を起こしたことのある人も含まれていました。また逆に両親が厳しく、制限が多いことがストレスとなって、心身の調子を崩した人や、経済的な問題(地域柄非常に多かった)のため、頻回に転校を繰り返していた人もいました。母親と緊張した関係が続いていた私には、彼らといることはとても居心地がよく、とても大きな支えになっていました。

 3年になると、友人の何人かは家庭の事情で転校し、そして一人は家出した後行方が分からなくなりました。大事な人たちがいなくなったショックだけでなく、母親との関係もますます難しくなりました。そういう変化も影響したのか、一時期落ち着きがなくなり、先生からも度々注意されたことがありましたが、受験への影響はほとんどなく、無事に高校へ進学しました。学年全体が、他校生徒とのケンカや喫煙、学級で暴れる生徒が出たりと非常に落ち着かなかったので、そういう中では私はむしろ冷静で優秀な生徒と見られていたようでした。

 家では、しょっちゅう怒られることは小学生から変わらず、そして私が反抗的になると母親がキレて最後には物を投げたりわめいたりするので、行動に出て反抗するということはしませんでした(そのツケは大人になってから回ってきたわけですが…)。周囲は結構荒れていたのですが、結局私はグレませんでした。言葉や態度で示しても無駄という気持ちもあったのか、黙ってにらみ返すのがせいぜいといったところでした。

 中学はこんな風に何となく乗り越えて行けたのですが、高校ではそうはいきませんでした。


 

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ぴょろは知っていた(3)

 自分の状況を自分なりに理解しているぴょろですが、学校や家庭で相変わらず注意されることは多いです。怒られ慣れているのか、「あ、またか」という表情で素直に謝るところはまだかわいいかも…。

 最近は以前のように「~しなさい」という言葉が段々と通用しなくなってきていますので、戦略変更を余儀なくされ、「私はこうして欲しいと思っているが、やるかやらないか、いつやるのかは自分で考えるように」と時に意識して言い方を変えています。特に私自身もあまり出来ていないことをぴょろに注意する時は、「お母さんも人のこと言えないけど、これをちゃんとやった方が、あとから良かったと思えるだろうから言うんだよ」とひとこと添えるようにしています。

 ぴょろの成長と共に、親子の関係も少しずつ変わらざるを得ませんが、ぴょろにはなんだかんだ言ってもどこかでは自分を好きでいてもらいたいと願っています。

 
 私は発達障害を抱える本人へ知らせるにあたっては、慎重に行うべきという考えを持っています。自分の状態を他人から知らされることは、程度の差はあっても気持ちが動揺しますし、衝撃も受けます。ぴょろのような子供でも、タイミングが合わなければもっと受け入れるのに時間がかかっていただろうと思います。また、自分の抱える問題を受け止められるだけのこころの準備ができていないと、診断名をつげられても直面することができないか、あるいは本人を追いつめてしまう結果になってしまいます。

 はっきりと状態を告げることが、本人にとってプラスに働くかどうかの見極めが必要です。

 さらに家族関係への影響も考慮しなければなりません。本人と家族との関係が安定していなければ、すぐには知らせないこともあります。また本人が自分の状態を知ることで家族関係のバランスが崩れると予想されるときには、家族が落ち着くまで本人とは別に家族への援助を行うことも考慮します。

 本人が知りたいと望み、本人の準備や家族関係などの条件がある程度満たされていれば、私はこれからも発達障害について説明をするだろうと思います。ただし診断名を告げるかどうかは、その時々の判断に任せたいと思います。

 発達障害を抱えての思春期は、いわゆる定型発達の子どもたちとは少し違った配慮が必要だとよく言われています。例えば社会性の発達などへの影響や、自己概念(自分がどのような人間であるかという自己定義)が育ちにくいなど、それぞれの立場でいろんなことが言われています。しかしそれでも発達障害自体のスペクトラムは大変広く、子どもたちが思春期をどのように過ごしていくのかは、本人のもつ資質だけでなく、環境の影響も大きいため、こうすればうまくいく、という共通の答えはないのです。親として不安は残りますが、自律へ向けた「学びの時期」ととらえるならば、必ずしも苦しいことばかりではないと言い聞かせる毎日です。

 中学校でカウンセリングをやっていると、同じような発達上の問題を抱えながらも、非常に目立ったかたちで現れる子供と、あまり目立たない子供がいます。たとえきちんと診断を受けていなくても、子供が持つ特徴を十分に理解し対応されている場合と、そうでない場合とでは、中学生くらいの年齢になると発達という点では明らかな差が出てくるように思います。発達障害への理解や対応が十分でないケースで、思春期のこころの揺れに覆い被さるようにして目に見える行動や問題が次々に出てきたときに、「思春期だから」という言葉で片づけられていることも案外多いのではないかと思います。だからこそ、早いうちに発見し支援する必要がある、と小児科医が繰り返し強調する理由が理解できるような気がします。


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ぴょろは知っていた(2)

 今回の家庭訪問では、ぴょろが「お母さんはオレのことをそんな風に見ていたのか」と傷つくのではないかと、それだけが心配でした。

 そして、私の気持ちのどこかには、「ぴょろはY先生の前だから明るく振る舞っていただけで、どこかでショックを受けたのではないか」という不安がありました。

 でも、そんな不安を払拭してくれたのは、ぴょろの何気ない一言でした。

 それから数日後、私はぴょろの中学校のスクールカウンセラーから、ぴょろのクラスに何人か難しい子がいて、クラスが落ち着くには時間がかかるだろうね、と言われました。そんな中では、ぴょろの不注意や多動が全く目立たないことは、容易に想像ができます。

 その日学校から帰ってきたぴょろに、「クラスはどう?」とさりげなく聞いてみました。その時に返ってきた言葉は、

 「すぐキレてムカつくやつもいるけど、おもしろい人も優しい人もいるよ。オレ(沖縄より)今の学校で良かったと思う」

 ぴょろは私が考えていたよりずっとずっと、冷静に物事を見ていました。私はその言葉を聞いて、あぁ、やっとここまで成長してくれたんだなあ、と思わず泣きそうになりました。彼はものごとの両面をきちんと見ることができる力を少しずつつけてきているなということが、このときによく分かりました。ぴょろは自分なりに、自分の状態を分かっていてそれらを受け止めようとしているのです。

 ようやく私は安心しました。ぴょろの前で話した事は、かえってぴょろにとっては自分のことを分かっていてもらえている、という安心感につながったようで、その日以来、少しずつ今の心境を話してくれるようになりました。

 うまくいっているように見えますが、ここまでの道のりは結構大変でした。5歳でADHDと分かった当時は、とにかく落ち着きがなく、感情コントロールがうまくいかないと壁や床に頭をバンバン打ち付け、そしてよく同じ園の子供とケンカになり、何度頭を下げにいったか分かりません。それは小学校にも持ち越され、十分に理解が得られない中で手探りの状態でやってきて、自分のふがいなさに親子で泣くこともしばしばでした。

 私が発達障害に関わるようになったのはここ数年のことで、それまでは知識も経験十分ではありませんでした。それなりに失敗も多く、後悔がないわけではありませんが、「きちんと愛情をかければうまく育つよ」といってくれた、ぴょろのADHDを診断した教授の言葉を信じて、どんなときもぴょろの味方でいよう、という気持ちでやってきました。ぴょろが年齢と共に落ち着いてきたのは、私が彼に直接何かをしたというよりは、ぴょろの自然な成長を妨げる要因を最小限に抑えられるようにしてきた結果なのかもしれません。

 ぴょろが小学生の時は、とにかく親として子供を守らなくては、という意識が強かったのですが、今は次第に「同じ問題を持っている仲間」という意識が芽生えつつあります。そして最近は教えるというよりは、「どうやったらこれを乗り越えられるのかを一緒に考える」立場へと変わりつつあるように思います。

 ぴょろに理解力がついてきたといっても、これから取り組んでいかなければならない問題はたくさんあります。中学生の間の精神面での変化は大きいですから、その変化にどう適応していくかという課題があり、そしてADHDで顕著に出やすい気分の波への対応や感情免疫力(不快な感情に対する抵抗力)をどうつけていくかも今から考えていかなければなりません。大人になるまでには、あといくつか乗り越えるべきハードルがあるのです。

 幼稚園から取り組み始めたことが本当にこれでよかったのかどうか、その結果は思春期になってはじめて分かることも多いです。そして思春期から取り組み始めたことは、少なくとも5、6年先にならないと分からないでしょう。親には度々「待つ」ことが求められます。少しずつ変わっていくぴょろを見守りながら、私は「育ち」の重要性を再認識するとともに、子供が自ら伸びようとする力を親がどれだけ信じられるかが、何をしてあげたかということよりも大事であることを改めて感じています。

 

 

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ぴょろは知っていた(1)

 今日は病院が創立記念日でお休みです。

 危機介入であたふたした2日間のあとに、やっと迎えた静かな朝。一日多い連休は、神さまからのプレゼントかもしれません。

 今週月曜日、ぴょろの担任のY先生が我が家を訪問しました。実は、スクールカウンセラーの仕事がきっかけでこの先生とは以前から面識がありました。偶然にも転勤でぴょろの中学校へ赴任し、そしてぴょろの担任となったのです。(世の中狭いなあ…)

 小学校までは、毎年家庭訪問の時に本人のいないところでぴょろの状況を説明してきました。文章にまとめたり、本を紹介しながら、ADHDの基本情報や本人の特徴などをできるだけ分かりやすく話してきました。ぴょろがADHDであるという私の話を、まともに受け止めて下さったのは6年間のうちわずかに2人だけでしたが、それでも私にとっては大きな収穫でした。

 中学校の方針で、家庭訪問期間中は対象生徒は自宅待機、と言われていたので、家庭訪問の時にはぴょろも家にいる状態で話さなければなりませんでした。しかもうちは1Kの狭いアパートで別室というものがなく…担任の先生と向かい合って話す私の横でぴょろがちゃんと座って聞いているわけです。

 一週間近く前から、どう話してよいものかとずっと考えていましたが、ぴょろが傷つかないように配慮しながら、彼がこれから1年間学級で他の子どもたちとやっていく上で、これだけは話しておかなければと思うことを、率直に話すことに決めました。

 「今後の学校生活に関して、何か伝えたいことや要望があれば」とY先生が切り出したので、ぴょろをちらっと見ながら、

 「はい、あの…この子はちょっと注意・集中がとぎれるときがありまして…」

 一瞬、胃がぎゅ~っと縮む思いがしましたが、今まであったことをありのまま話そう、と気を取り直し、

 *不注意によるケガが多い(自転車事故で大けが、運動中の顔面打撲、階段転落で脳しんとう…などなど)
 *注意力が落ちると、他人の話が聞けなくなる(シカトしているわけではない)
 *集中力にムラがあり、時々ぼーっとしてやる気がないように見える(集中のスパンが短いためでわざとではない)
 *忘れ物・提出物忘れが多い(でも気付けばすぐ行動する)
 *朝が非常に苦手(目覚ましも効果なし、地震でも目が覚めないほど)
 *緊張が高まると落ち着きがなくなる(多動は自分を落ち着かせるための手段だが、端からはふらふらしていると見られてしまう)
 
 …といったことを、ていねいに話し、教師への要望として、

 注意力が落ちているなと感じたら、頻回に声かけをしてほしい(名前を呼ぶだけでも効き目がある)
 大事な事は紙に書くか、何度か繰り返し伝える
 提出物については、期限ぎりぎり前に「必ずこの日に出すように」と念を押すと忘れが少ない
 起床時間など細かな日常生活スキルは習慣化するまで少し長い目で見てほしい
 結果的に集団の和を乱すことがあるかもしれないが、わざとではないことを念頭において対処してほしい

 と、伝えました。

 ぴょろは私の横で、ときどき「そうそう」と首を縦に振りながら、穏やかな表情でY先生とのやりとりを聞いていました。

 私はもっとぴょろが「そうじゃないよ、オレはこんなじゃないよ」と物言いをつけると予想していましたが、以外にも「そういうとこあるよね」と私に同意するので驚きました。Y先生も私の話を真剣に聞いて下さり、「ああ、そうしたらお母さんが早出のときは(遅刻の)要注意ですね」などと、理解を示しておられました。

 私はまだぴょろに、ADHDのことはきちんと説明をしていません。このときも、ADHDという言葉は一度も出していません。ぴょろが悩んだり落ち込んだりしていたときに、少しだけ触れたことがある程度です。

 でも、私が思う以上にぴょろは自分のことを知っていたんだ、とこのとき気がつきました。

 もう少し年齢が上になるときに告知をと考えていたので、私は少しとまどいました。 

 
 
 
 
 
 

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クライシス(危機)への介入(1)

 地震が起こる少し前から今までの約1ヶ月半の間に、立て続けにあるできごとが起きました。

 初めは3月の中旬の朝のことでした。2年ほど前までちょくちょくカウンセリングを受けに来ていた患者さんが突然携帯に電話をかけてきて、「ついさっき○○という薬をあるだけ全部飲んだんだけど、これからどうなるんですか?」と聞いてきました。

 その人がのんだのは、2倍量でも命を危険にさらすほど効き目が強い薬で、本人は強く抵抗したのですが、まず人命を助けることが優先されるから、ときちんと説明をして家族にすぐに連絡をとり、病院に連れて行き処置をするようにと伝えました。

 このときは対応が早かったので、大事に至ることなく何とか解決しました。(ただしこの話しには続きがあるのですが、それ以上は書くことができません)

 それから今日までの間、自らの命を絶つ手段をまさに実行しようとしている人が、メールや電話をよこしてきたことが、何度もありました。

 しかも、それぞれ違う人から、です。

 みな私との面識はありますが、ほとんどつきあいがない人も含まれています。だからこそ「なぜ私のところに連絡をしてくるのか」疑問に思ったこともありました。

 人の命がかかっていて、しかも連絡が電話やメールという手段に限られており、対応を誤れば責任は重大です。怪我や病気での人命救助と違う難しさがここにはあります。

 幸い今のところは、相手が何とか思いとどまって事なきを得ましたが、完全にリスクがなくなったわけではありません。実は地震のダメージに追い打ちをかけるように、彼らへの対応で神経をすり減らすような経験をしていたのです。

 本当に、重なるときは重なるものです。

 こういうことが次々に降りかかってくるのは、おそらく私の人間性や援助者としての力がこれから与えられるであろう様々な機会に耐え得るものなのかどうか、試されているということなのでしょう。もちろん、テストされる理由ははっきりとは分かりませんが。

 ある人のクライシス(危機的状況)に第三者が介入する、言葉で言うと単純なようですが、なかなか手強いです。なぜこのような宿題が与えられているのか…やっぱり謎です。

 それでも、これらの体験から学んだことはあって、これからそのことを少しずつ書いていきたいと思っています。

 その前に、一番最近のできごとが昨日のことなので、少し休んでからにしたいところです。
 


 

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人生観が変わる瞬間(とき)

 お久しぶりの更新となりました。

 一部の方はすでにお察しのようですが、先週水曜日の早朝、福岡地方で今までの中では一番規模の大きい余震がありました。

 すでに目は覚めていて起きあがろうとしていたときで、揺れと一緒にタンスの上に置いてあったぴょろのノートや教科書がどさっと落ちてきて、思わずぴょろをかばっていました。

 幸いケガはなく、その日は仕事に行ったのですが…

 気がつくと、窓ガラスが風で揺れる音やトラックが通り過ぎるときのエンジン音など、ちょっとした物音にも大変に敏感になってしまっていて、その日は電気を消して眠ることができませんでした。

 次の日から、頻回に起こるパニック発作と、消化器症状(主に下痢)、そして頭痛に見舞われました。

 金曜日の夜まで何とか仕事をこなしたものの、翌日から背筋痛、腰痛、そして全身の倦怠感が襲ってきて、とうとう2日間寝込んでしまいました。

 今日になってやっと痛みはとれましたが、全身のだるさは残り、その上どうしても気力が沸かず、うつとまではいかないまでも元気がでないまま、一日が終わろうとしています。

 ひとことで言うなら、「急性ストレス障害(ASD)」になってしまったようです。本震からちょうど一ヶ月後に最大規模の余震を体験し、言ってみればようやく落ち着こうとしていたときにだめ押しがきたようなもので、さすがに今回はストレス反応が身体にもろに出ました。

 1週間もすれば落ち着くだろうとは思います。それにこういう時にどうしたらいいか、ある程度の対処法は心得ていますし、幸いにもクリニックで薬はもらってあったので、どうしてもしんどいときにはそれも助けになってくれるでしょう。

 余震がおさまったあと、私が最初に思ったのは、「金曜日でなくてよかった」ということでした。

 金曜日は毎週、姫路まで仕事に行っています。もし余震が金曜日の朝同じ時間に起こっていたら、私は新幹線の中で立ち往生するはめになっていたでしょう。

 もしこれが火曜日だったら、高速がしばらく通行止めになっていたので、大学の講義が休みになるところでした。(学生さんにはそのほうがうれしかったかもしれないけど…)

 地震は何時起こるか分からないし、こちらの都合に合わせて地面が揺れてくれるわけではないし…そう考えていたらふと、世の中には自分の思い通りにならないことのほうが、思い通りになることよりはるかに多いのではないか、と気付いたのです。

 私たちは自分の意思で動いているようで、本当はもっと大きなものの意思で動かされているような気がしました。

 どんなに気を付けていても、防ぎようのない、どうしようもないものもあるのなら、なおさら毎日のちょっとしたことがとても大切でいとおしく思えるようになったのです。そして、少なくともやりたくないと思っていることを、いやいやながらやるよりは、心から打ち込めること、楽しいと思えることを増やしていって、一瞬一瞬を大事に生きていくことが大切なんだと考えるようになりました。

 こういうのを、パラダイム・シフトと言うのでしょうか。

 少し前に阪神淡路大震災を体験した方が、「あのときに死んでいたかもしれないと考えたら、何でもやってみようと言う気持ちになった」と話して下さったのと、心情的には似ているかもしれません。こういう体験は、単にトラウマティックというだけでなく、人生観を大きく変えることがあるのではないかと思います。

 本震から一ヶ月が過ぎた頃から、私の身近でもこころのケアが必要な人たちが増えつつあります。子どもたちだけでなく、大人もいろんなストレス症状が出始めているようです。自分も何となく症状を抱えながらも、人のケアをやっているときにはそのことだけに集中して全く自分の事を忘れていますし、大学の講義も本当に楽しんでやっているので、その間も体の事は気になりません。「やるべきこと」が与えられているというのは、本当に幸せなことだと感謝の気持ちでいっぱいです。

 
 今朝は兵庫で列車の事故があり、そのニュースを見ながら一刻でも早く救出作業が無事に終わるように、そして亡くなられた方のご冥福と、ケガをされた方の一日も早い回復とを祈りながら…多分しばらくしたら何らかの形で事故の被害者の方々のケアに引っ張られるだろうという強い予感がしています。でも今回の体験があってから、どこへ行っても誰に対しても、私にできることを精一杯やればいいと思えるようになり、これまでずっと胸のどこかにひっかかっていたものがとれ、今は晴れ晴れとした気持ちでいます。


  

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ここにも出会いが

 週末無理を慎んだこともあり、体調が少し落ち着いてきました。

 ただでさえ一年で一番眠い春なのに、放っておくと夕方まで寝そうな勢いでした。薬のせいなのか、疲れなのか自分でもよく分かりません。今も眠いと思いつつ、火曜日の講義の準備にとりかかろうとしているところです。

 先週から、毎週金曜日に姫路の病院で仕事を始めました。

 去年から内々に仕事のお誘いを受けていたのですが、一端はスケジュールが合わず泣く泣くお断りをしました。でも、なぜかずっと頭のどこかに、「この病院で仕事したいよ~」という思いがあって、それが思わぬ形で実現し先週初出勤となりました。仕掛け人は…今回も師匠でした。

 関西で仕事をするのは全くはじめてで、不安がなかったとは言えません。初日は大分緊張してガチガチになっていました。そんな私を、病院のH先生が何かと気遣って下さり、どうにか1日を無事に終えることができました。

 予定の面接を全部終了し、事務処理を終えて帰ろうとした時に、ふとH先生が声をかけて下さいました。

 「Sanaさんは…トラウマを見極める能力があるんやなあ」

 はあ…と、私がよく分かりませんという顔をしていたら、

 「こういう力はね、たくさん患者さんを診たからとか、たくさんの本を読んで勉強したからといって身に付くわけではなくて、持って生まれたものなんだよね」

 本当に持って生まれたものかどうか、やっぱり今の私にはよく分かりません。でも、なぜかこの時に言われた言葉が今も頭の中にずっと焼き付いています。いろいろ紆余曲折はあったけど、この分野(トラウマケア)をこれからもずっとやっていこうと思えるような、ちょうど羅針盤でいう針のような、行くべき方向を示してくれるような言葉だった気がします。

 なぜか節目の時に、新しい出会いがあり、その人のひとことからまた新しい道が開ける、という経験を何度か繰り返していて、そのたびに少しずつですが、私個人の生活もよい方向へ向かっているように感じます。

 
 

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とうとう電池切れ

 この2,3日、余震の影響と過労と、いろんなことが重なって、体調を崩しました。

 私もわりと我慢強い方ではありますが、今回はちょっと休んだくらいではなかなか良くなりません。毎日パニック発作を起こしていますし、気持ちは「あれをしなければ…」と思うのですが、体が全くついていきません。

 これ以上がんばれない、と白旗を揚げ、とうとう知り合いのドクターのいる診療所へ行き、これまでのことを話してきました。

 PTSDであることは間違いなく、しかもうつ状態にあるので、今度こそ薬物治療を受けることを承知しました。

 先生には、「疲れがたまったら具合が悪くなることは分かっているんだから、無理をしないように」と一応言われました…が、無理しない生活自体が無理です。

 今日はとりあえず、トレドミン(25) 2T/2回・14日分 と、パニック発作を緩和するためにソラナックス(0.5) 1T/14回分をもらってきました。

 仕事のもろもろのストレスと、DVの影響と地震の後遺症と…もう一人では抱えられないので、しばらく隔週で診療所へ通い、先生に話を聞いてもらうことになりました。

 そういうわけで、あと2日ほど、充電のために、ブログの方もお休みしようと思います。

 もちょっとエネルギーが回復したら、軽度発達障害の話を続けたいと思います。いつも見て下さっている皆様を少しお待たせしてしまうことになりますが…ご了承ください。


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軽度発達障害について思うこと(7)

 2つの記事で書ききれなかったことをもう少し。
 もしかしたら、このテーマだけで本が書けてしまうかも…とまじめに考えてしまうSanaです。

 虐待との問題に関連して、もう一つトラウマのことを付け加えておきたいと思います。

 PTSD(心的外傷後ストレス障害)と自閉症スペクトラムは、共通の特徴をいくつか持っています。一つは過覚醒症状、特に睡眠障害や刺激への過敏性といった点では、ほぼ同じような問題を持っています。また、記憶の想起という点では、PTSDの方が侵入性(思い出したくないのに思い出す)は高いですが、何かの刺激がきっかけで鮮明に思い出すという部分では、大変似ています。

 例えば、あるアスペルガー症候群の人は、2歳の時のトラウマではない嫌なできごとの詳細を、今も鮮明に思い出すと言います。このことをその人の両親に尋ねてみたところ、全く覚えていないというのです。その状況の意味や時間の流れより、具体的な状況が記憶として蓄積させるという特徴は、いわゆる外傷性の記憶と共通するところなのです。

 二次障害としてPTSDが生じると、外傷性記憶の再処理はかなり難しいものとなります。そして、先にPTSDと診断され、ある程度トラウマへの対応が進んだ時点で、発達障害の存在が明らかになることも珍しくありません。発達障害があると、外傷体験はその後起こっていないのに、PTSDの症状が何かのきっかけで再発することもあります。だから、PTSDの診断そのものは、外傷的なできごとと症状との関連性に注目しますが、個人的に私はそこに短くても必ず生育歴の聞き取りをするように気を付けているのです。

 これまで述べてきたように思春期以降発達障害が発見されるのは、二次障害がきっかけになることが多いです。そもそも、発達障害の支援が目指すのは、日常生活の生きにくさを改善し、その人らしい発達を促進することと、もう一つは二次障害を最小限に抑えることだとは、発達障害の支援に関わる多くの人たちの意見です。ところが、実際には二次障害が起きていても見過ごされてしまうケースは多いと思われます。医学モデルでの診断には限界があり、そして診断をいかに正確に行うかだけでは、発達障害を抱える人たちのニーズはほとんど満たせないということなのです。診断基準も今までいろんな議論があって今のような形になってはいますが、完全ではないのですから。

 診断後、そこからどうするかについて、医学的にできることは限られています。経過を見守り、必要に応じてお薬を処方する、それだけです。カウンセリングは精神的な支えや日常のストレスへ対処するための多少の援助はできるかもしれませんが、全体的な援助のごく一部を占めるに過ぎません。

 それでも、必要に応じて医療機関とつながっておくことは、大切なことです。

 ここで、もう一つ大きな壁があることを言わなければなりません。

 子供の時に発達障害が発見される場合は、小児科の専門医が対応します。発達相談なども含めて、小児科ではある程度のフォローが受けられます。

 ところが、小児科は基本的に14歳までです。15歳から後はどうするの…?と聞かれると、私も返答に困ります。知的障害など重度の障害を伴う場合、小児科から発達障害の専門医へつなぐことは比較的可能です。しかし、軽度の発達障害の場合、14歳を過ぎてさらに精神科へつなぐのが、予想以上に難しいと知ったのは最近の事です。

 特にグレーゾーンで、診断上「傾向」があるとしか認められない場合は、小児科でも数ヶ月に1度経過を見るだけの事がほとんどです。そのような子どもたちを持つ保護者は、15歳の誕生日を迎えた後どうしようかと悩むのです。結局、何も問題が起こらない限りは、病院への受診はそこでストップします。中学生の時期に発見される子どもたちの中には、1年足らずで小児科からはずされ、行き場がなくなることもあります。

 今私が一番悩んでいることです。

 小児科ではきちんと対応されていた子どもたちが、小児科を卒業した後どうなっているのか、ということは私にも分かりません。知っている事と言えば、眠れなくなったり、学校を休みがちになるなどの問題が起きて、近くの内科で薬をもらっている人たちがいた、ということです。

 精神科での発達障害に対する理解度は、未知数なところがありますが、少なくとも私が説明することを「そういう可能性もありますね」とすんなりと聞いてくれる専門職の人たちが増えていくならば、それなりに良くなっていると考えることができるでしょう。

 

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軽度発達障害について思うこと(6)

 さて、発達障害の診断に関しては、もう一つ大きな問題があります。

 先週、ある病院のスタッフミーティングに参加した時、一人のケースワーカーがある新規の患者さんについて短い報告をしました。「適応障害」の診断がある不登校の高校生で、人前での緊張が強くて学校を長期で休んでいて…と、大まかなこれまでのいきさつと簡単な生育歴の紹介があり、それから皆で今後の援助について話し合いました。

 私はその患者さんの生育歴を聞いていて、思い当たることがあったので、ミーティングの時に「適応障害であることは間違いないが、発達障害が背後にある可能性も考えた方がいいのではないか」と提案しました。

 ところが、あるベテランのスタッフから「先生(精神科の主治医)はそういうことは一切言ってなかったので、それはここで触れる必要はない」とばっさり切られてしまいました。

 こういう事は、病院ではよく起こります。Sanaさんはすぐ発達障害に結びつけるから、と皮肉を言われることもあります。同業者や精神科医と意見が合わないことはしょっちゅうです。

 小児科医や発達障害を専門にする精神科医でない限り、思春期以降、発達障害が診断の候補に挙がることは、極めて少ないです。そして、S先生によれば、多くの場合、特に自閉症スペクトラムについては、二次障害がないのに別の病気として誤診されているケースが多いというのです。それは、気分障害、統合失調症、人格障害…と様々なのだそうです。

 一般の精神科の見方は、symptoms-based(症状が基本)です。今ある症状がどの疾患の基準に当てはまるかで判断するので、似たような症状をもつ別の疾患として取り扱われることは不思議なことではありません。

 一般的に、小児科に比べると精神科の発達障害への感心が低いのも事実です。「発達障害があるかもしれないと思うので、調べて下さい」とこちらから言っても、医師によっては一蹴されることもあります。私は以前、うつの治療のために行った病院で、「調べても気休めにしかならないですよ」と言われたことがあります。(アメリカで間違いなくそうだ、と言われたにもかかわらず)

  ここに「二次障害」が加わるとさらに複雑になります。元来発達障害が存在し、その結果としての二次障害なのか、あるいは別の原因で発達障害に極めて似た行動上の問題が起きているのかを判断しなければならないからです。

  発達障害かどうかを診断する上での基本情報の大半は、生育歴を含む、生活史の詳細な聞き取りから得られます。発達障害かどうかを判断するためにはまず家庭環境を念頭に置かなければならず、虐待が明らかな場合、子供の行動が発達障害によるものなのか、あるいは虐待の結果として生じた行動障害なのか、あるいは両方からくるものなのかを判断しなければなりません。

 例えばADHDの場合、不注意なのか解離症状なのかの鑑別が必要ですし、多動については虐待やDVの影響による可能性を考えなければなりません。発達障害を持つ子どもたちの多くは、虐待の被害者でもあります。その場合はまず虐待に対する対応が優先されるのはしかるべきことです。さらに、先天的には発達障害がなくても、虐待の程度によっては後天的に発達障害が生じる可能性もあるので、子供の診断にはまず虐待の有無を確認してから発達障害についての診断を考える必要があります。

 虐待がない場合、二次障害が起きるのは日常のストレスが原因となることが多いです。そして年齢が上に行くほど、二次障害の方に精神医療の注意が向いてしまい、大元のところにある発達障害が見えにくくなってしまうのです。それは障害の多様性だけの問題ではありません。複数の精神疾患に共通する症状というのが思いの外多いからなのです。

 多動や不注意は、ADHDだけのものではなく、うつ病や不安障害でも同じような行動が起こります。高機能自閉症やアスペルガー症候群の人に多い、過度の緊張やパニックは、統合失調症の破瓜型の初期でも同じような状態が見られます。従って、精神医学の立場からは、「これはうつ病の症状」「これは統合失調症の発病期だ」と判断されることは何ら不自然ではありません。

 発達障害の可能性を証明するには、生育歴が有力な助っ人になるのですが、年齢が上がると本人も家族も詳しいことをあまり思い出せなくなっていることも多く、「特に何も問題なく成長し…」となると、もうお手上げなのです。

 そうならないためには、虐待などの大きなトラウマがない場合に、それぞれの発達障害に合併しやすい精神疾患が何であるのかを前もってきちんと把握しておく必要があります。

 LDや自閉症スペクトラムの当事者が診断されることが多い疾患は、パニック障害、強迫性障害、全般性不安障害、気分障害(単極性うつ)、社会不安障害、などです。

 アスペルガー症候群は、気分障害(双極性障害)の割合が高い、という報告もあります。個人的には、心身症(身体表現性疾患)も多いかなと感じています。

 ADHDは、過剰適応があると不安障害になりやすく、気分障害(単極性うつ)も多いです。大人になってからADHDかどうかを判断する場合、うつとの関係を明らかにするのは難しいです。

 その上で、「ある精神疾患の診断を受け、その診断に見合った薬物治療を行うときに、処方薬が頻繁に変わったり、あるいは期待していたような効果が3ヶ月以上投薬をしても見られない場合は発達障害を疑ってみる」ようにすると言う方法を、私は普段使って対応しています。

 「難治例」と呼ばれる患者さんたちの中に、何らかの発達障害を抱える人が含まれる可能性は否定できません。そして面接を進める中で、特にこちらから指摘することをしていないのに、後から生育歴が少しずつ明らかになることもあり、診断とは一度決定したからそれが全てと思わない方がいいと、いろんな人の例から学ばせてもらっています。


 
 
 

 

 

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軽度発達障害について思うこと(5)

 金曜日の夜、突然配偶者が私たちに会いにやってきました。

 このブログのことは、配偶者には話していないので、彼がいるとブログの更新ができなくなります。

 幸いにも、今日はぴょろと2人で出かけてくれて、私は今家に一人なので、やっと記事が書けます。いいタイミングで一人になれたので、ツイてます。

 今日は2回に分けて、発達障害をとりまく問題点について、別の視点から書きます。

 「発達障害が発見される年齢が上がれば上がるほど、診断、障害の受容(当事者だけでなく家族も)やバランスのとれた支援をするのが難しくなる傾向がある」とは、軽度発達障害について思うこと(3)で書いた通りです。

 ここでは、医学的な見地から、診断と医学的援助の問題点について触れます。

 DSM-IVでは、LD、ADHD、そして広汎性発達障害などの発達障害は、子供の精神疾患のカテゴリーに属しています。そして、多くの病院はこの診断基準に基づいて診察をし、診断を決定するのですが、ここに大変多くの問題点が含まれています。

 比較的早期に何らかの発達障害の疑いありとして、病院での診察を受ける子どもたちの中で、このDSM-IVの基準をきっちり満たしている例は、それほど多くありません。実は、いくつかの発達障害の特徴を少しずつ持ちながらも、どれにもぴったり当てはまらない子どもたちがたくさんいるのです。

 そしてそのような子どもたちは、例えばアスペルガーとADHDの両方の特徴を持っていたとすると、「アスペルガー傾向」と呼ばれますが、厳密にはアスペルガー症候群とは見なされないのです。

 また、子供の頃は典型例と言われていた人たちが、成長に伴い、診断基準を一部満たさなくなることもあります。どちらにしても、診断基準をきちんと満たしていないだけであって、発達障害がないわけではありません。ところが、そうなったときに、専門家でさえ「基準に全て当てはまるわけではないから、発達障害があるとは言えません」といってしまう人がいるのです。

 ここに、診断基準に関する、大きな落とし穴があります。本来、DSM-IVの診断基準が提唱するものは、あくまでも発達障害を持つ多数の子どもたちに共通の特徴のうち、もっともpopularityの高いものであって、それがすべてではないのです。

 ローナ・ウイングが「障害は多様な形で現れ、その中には微妙なものもあれば気付きにくいものもある」と記しているとおりで、発達障害が実際に持つ多様性からすると今の診断基準には多くの矛盾が含まれていて、それが診断の不一致を起こしているというのです。

 なぜそうなってしまうのか、という理由は、大きく2つに分けられます。

 一つは、発達障害そのものが持っている多様性です。発達障害は、ひとことで言うと脳の機能障害ですが、脳のメカニズムは大変複雑で、どのあたりにどのような不具合が生じるかにより抱える障害が少しずつ違ってくるのです。たとえば、ADHDだけの子供と、ADHDにチックが加わった子供とでは、機能障害を起こしている脳の部位が微妙に違っている、といったように。

 そしてもう一つが、環境が後天的にもたらす多様性です。発達障害は、育ち・教育・年齢・社会資源といった環境の影響を非常に受けやすいです。そのため、年齢が上に上がれば上がるほど、どのような人と出会い、どんな育ちをし、どのような教育を受けたのかという影響が大きくなり、いわゆる「典型例」を見つけるのはますます難しくなります。人の行動は、年齢と共に変化しますし、周囲の人の影響を受けます。発達障害の子どもたちは、定型発達の人たちより、多少周囲から受ける影響が大きいのではないかと私は思います。

 適切な養育と彼らの能力をきちんと伸ばすことのできる教育、そして発達段階に応じた生活支援があれば、多くの子どもたちはよい育ち方をします。それは、発達障害のもたらす生きにくさや人の成長への影響を、完全に取り除くことはできなくても、できる限り小さくすることはできます。そういう意味では、発達障害はどちらかというと「結果思考よりはプロセス思考」のほうが、収まりがいいのです。

 しかし、医学モデルはあくまでも診断第一、結果主義なので…相容れないところが出てきてもやむを得ないのではないか、と私は思っています。DSM-IVの基準は、人間の発達と個人の成長プロセスという視点が抜け落ちているのです。そしてその視点がないまま診断基準だけが一人歩きしてしまうと、多くの発達障害、それも診断基準にぴったり当てはまらない人たちが見過ごされていくことになるのです。

 もう一つの問題は、次の記事に移します。 長文を読んで下さっている皆様には本当に感謝です。

 

 
 

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気づき、受容、変化

 ブログの記事を書こうとしたら、いつの間にか画面のレイアウトが変わっているではありませんか。

 使いやすいのかどうなのか…まだ実感はありませんが、変わったな、ということだけ。

 昨日はK市の委託事業である、子供の発達相談の打ち合わせにいってきました。平成の大合併でK市に合併されたある町が、K市に合わせる形で今年から始めるため、これから何をすればいいのかを、担当の保健士さんたちと話し合ってきました。

 とりあえず、今月から1歳半、3歳児の集団検診に参加し、まずはそこで育児相談から始めることになりました。

 これは、私がまだ修論をせっせと書いていた時に思い描き、ずっとやりたいと思っていたお仕事です。やっと願いがかなって、大変うれしいです。これまで学んできたことが、別の形で生かせるかなと思います。


 今日から大学の講義が始まるため、昨晩は準備のために久しぶりにカウンセリングの教科書と課題図書に目を通しました。1年前とほとんど同じ内容で、全く同じ本を使用するのに、1年ぶりに読んだらなぜかとても新鮮に感じました。

 心理の仕事を始めて4年経ち、年齢的にもいろんな意味で曲がり角にあることを多少なりとも自覚せざるをえないこのごろです。このあたりで少し基本に立ち返り、もう一度仕事の方向性や生き方の見直しが必要な時期かもしれません。

 仕事を始めた頃は、人の役に立ちたいという気持ちで、毎日が本当に充実していました。しかし一昨年うつになった頃から、頑張って自分を奮い立たせようとすればするほど、無力感や脱力感が出てきて、やらなければならないことはたくさんあるのに手つかずな状態が続きました。

 一番しんどかった頃は、起きて仕事に行くだけでも大変な労力が必要でした。「ここを超えればラクになる」ただそれだけを考えながら、毎日を過ごしていました。私の気力を支えていたのは、ただ相手に迷惑をかけてはいけないという責任感だけでした。

 今はその時ほど落ち込むことも、消えてなくなりたいと思うこともありません。でも私のこころの中には「なぜ私はこの仕事をしているのだろうか」という疑問がずっと残ったままです。確かに、トラウマや悩みを抱えている人の話を聞き、解決の糸口を探すという仕事の心への負担は、「代理受傷」という言葉があるくらい、とても大きいときがあります。しかし、私は相手の話で深く傷つくという体験よりは、相手の話を聞いていると、自分の中にある矛盾にいやでも向き合わざるを得ず、これがとてもしんどいと思うことが度々あるのです。

 「気づき」はクライエントや患者さんの側だけに起こるのでなく、カウンセラー側にも起こります。そして一度自分の中にある、未解決な問題や矛盾に気付いてしまうと、それを否定すればするほど、苦しくなります。

 面接に訪れる相手にとって、私という人物がどのように写るかは様々です。時々は、私は相手の鏡になり、そして相手の感情という衝撃を受け止めるクッションになるのです。そうやって少しずつ、相手の何かが変わっていくのに寄り添って、時期が来ると彼らは自分たちで問題に向かって行き、それを最後は受け止めて乗り越えていくのです。

 相手はどんどんと変化していく一方で、私の方は相変わらずあるところから動けずに苦しんでいる、私は本当はたくさんの矛盾を抱えた、ただの人間しかないと思い知らされることもありました。カウンセリングという仕事の中で、クライエントや患者さんの生き方から何かを学ぶと同時に、私の弱さや限界や見たくないものをたくさん突きつけられ、私の生き方そのものが大きく問われているようにも感じました。

 今私は、そんな矛盾だらけの私、嫌な私を受け入れる作業をしています。それがどういう結果をもたらし、何が私に残るのか、見えるようで見えてきませんが、今までと同じ生き方や考え方ではこの先やっていけないということは痛いほどよく分かっています。おそらく、何かがふっと軽くなり、ああそうか、と思えたときに見えたものが、私が本当にやりたいこと、やろうとしていることで、その時にこの仕事をこれからも続けていっていいのかどうか答えが得られるような気がします。

 

 

 

 

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軽度発達障害について思うこと(4)

 さて、中学校では小学校よりもっと問題が複雑になってきます。

 定型発達の子どもたちにとっても、中学校はかなりしんどい時期です。授業のスピードが速くなることや内容が段々難しくなることもそうですが、人間関係でもいろんなことが起こります。思春期前期は特に、身体の成長と内面の成長が最もアンバランスな時期なので、そもそも「揺れやすい」特徴があります。

 そして自意識が高まる時期でもあり、他人への競争意識も出てきて自己評価が下がりやすい時でもあります。この時期に発達障害が未発見・未介入のままならば、この点で何らかの影響が出てくることは否定できません。

 しかし、目に見える問題が生じない限り、中学校で発達障害が話題になることはほとんどありません。

 中学校で発達障害の存在が発見されるのはほぼ、集団の和を乱すような問題行動や不登校など、何かきっかけになるできごとがあってのことです。

 学級担任や教科担任からの申し出で本人と面接をするのですが、その場で発達障害があるかどうかの判断はできないので、結局保護者に来ていただくように、担任を通してお願いします。

 しかし、中学校になると、保護者が連絡を受けても面接に来ないことも少なくありません。私はなるべく一回で終わらせずに、少し間を置いて何回か来ていただくように手配するのですが、発達障害の可能性がある、ということを告げた後から面接に来なくなることもあります。そういうこともあって、中学校で保護者と話をするときに、発達障害のことをあまり前面に出さないように注意しながらやっています。

 学級担任や、本人とつながりの強い教師には、私からの意見を述べ、問題が起きたときの対応について何度も説明します。幸いなことに、今の時点では先生方にはある程度の理解が得られています。そしてそれなりに対応して下さると、少しは問題行動も落ち着くのですが、本来は応急処置にすぎません。養護教諭とも、定期的に話し合い、自閉症などそれぞれの発達障害に応じた配慮について検討しています。

 ここまでもっていくのに要したエネルギーは結構なものです。そして、誤解のないように申し添えておきますが、これはあくまでも私の勤務する中学校に限った話で、中学校により、さらにそれぞれの学校の抱える状況により発達障害への対応はかなりの差があって、うまくいくことばかりではありません。非行の問題が大きいと、発達障害への対応が後回しになりますし、学校全体としては落ち着いていても、あまり興味を示さないところもあります。

 管理職や教員の興味や知識だけの問題ではありません。・・・ここでは詳しく取り上げませんが、スクールカウンセラー自身の専門性の問題も大きいです。

 いずれにしても、中学校では目立った問題がなければ発見される機会はぐんと少なくなります。そして、発達障害への対応が一番問題になるのは、不登校生徒、特に別室登校や適応指導教室などの支援を全く受けずにほとんどを自宅で過ごしている子どもたちに対して、今の教育システムではほとんど何もできることがないということです。引きこもりへの対応が少しずつ導入されてきているのですが、引きこもりの全てが発達障害というわけではなく、かりに引きこもりへの支援の途中で発達障害の存在が疑われても、そこからどうするかという答えはまだありません。

 中学生くらいになると、自分でも他の子どもたちと何か違うことに気付くことも多いです。しかし、何かのきっかけで気付いたとしても、あるいは自発的に病院にいってみようかと思えても、保護者が動かなければ何も始まらないのです。そしてこの年齢以降、保護者の発達障害の受容はさらに難しくなります。発達障害の疑いがあることを保護者に告げた後、最低でも数年は定期的に保護者と会い、少しずつ支えていける状況があればいいのですが、スクールカウンセラーは学校に週1日、年間280時間という非常に短時間の勤務で、しかも2,3年で他校に移動してしまうので、長くおつきあいをするということが大変に難しいです。しかも1日8時間をフルにつかっても足りないくらいの相談が持ち込まれ、じっくり一人の人と関わるのは不可能に近いです。

 出来るだけやろうとがんばっても、限りなく中途半端な感が否めません。それが、私が一番くやしくて、辛く思うところです。

 私としては、やはり医療機関や民間の支援機関へ何とかつなげたいと切に願っています。そうするには、保護者を動かすしかないのですが、そこでたびたび壁にぶち当たり己の無力さを痛感しています。

 中学3年になると、さらに進路の問題が出てきます。自分の興味や状態にあった学校が見つかるのが一番理想ですが、学力的に厳しいと必ずといっていいほど進路でもめます。それでも何とか納まって、中学校を無事に卒業した後、そこからどうなっていくのか…は、周囲に発達障害について知っているか否かにかかわらず、子どもたちの特性を理解し受け入れられる第三者の存在があるかないかで大きく違ってきます。発達障害の診断や支援に関しても高校生以降は子供の時とはまた違った問題が出てきます。


 続きは多分あさってに。


 

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軽度発達障害について思うこと(3)

 4/4の記事の続きです。

 軽度発達障害の場合、早期発見のケースの多くは、障害の度合いが重い、いわゆる典型例が多い傾向があり、多面的かつ長期的な援助が必要だということを前回書きました。また、軽度であれば発見が遅くなる可能性があるとも述べました。

 そして、「発達障害が発見される年齢が上がれば上がるほど、診断、障害の受容(当事者だけでなく家族も)やバランスのとれた支援をするのが難しくなる傾向がある」ことを付け加えておかなければなりません。

 ここから先しばらくは、私の知る限りでの現状を述べていきます。

 小学校1,2年では、発達障害が軽度であれば、学校現場で誰も気付かないことはよくあります。定型発達の子どもたちでも、集団への適応や学習面での問題は起こりえるからです。しかし、3年生を過ぎたあたりから、歴然とした差が出てきます。LDの場合は、漢字や計算のように特定の課題について、それぞれの障害に応じた遅れが出てきます。多動や不注意もこの年齢になると段々と目立ち始めます。しかし教育の視点から見れば、発達障害を念頭に置いて指導するよりむしろ、学力を向上させるための指導が優先されるので、よほど教員が発達障害について勉強している場合を除いて、発達障害へのアプローチはほとんどなされることがありません。

 現在は、特定の小学校に、発達障害支援のために教師を加配(定員に追加で配置)し、通級により指導するところも出てきていますが、実際の利用者は決して多くありません。教師か、保護者か、あるいは第三者が気付かない限りは、子どもたちが自主的に利用するということはあり得ません。

 私は以前に小学校の教職課程を大学で受講した経験があるので、教師の仕事の大変さは多少経験しています。小学校の先生は本当に忙しく、時間的に余裕がほとんどないのが現状です。それでも発達障害に興味をもって勉強して下さり、そういう子どもたちがいるということをちゃんと理解して下さる先生方も少数ながらいます。ただ、残念ながら、興味を示さない教員もいます。

 小学校以降は、発達障害は家庭よりむしろ学校生活の中で発見されることが多いです。もしかしたら、何らかの発達障害があるかもしれない、と誰かが気付いても、大変なのはそこからです。

 発達障害かどうかをはっきりさせるには、どうしても専門医の所で診察と検査を受けていただかなければなりません。そのためには…保護者に説明をしなければならないのです。K市では、学校によってはこころの教育相談員が配置されていて、相談員が保護者に説明をするようにお願いされることもあります。しかし、そうでない場合は、学級担任や、養護教諭など、子供に関わっている教員が対応せざるを得なくなります。

 保護者に学校に来ていただいて、子供の学校での様子を説明して、病院受診を勧める…言葉で書くと単純なようですが、誰が話しても保護者が一度の説明で理解して病院に子供を連れて行く、ということはほとんどありません。私は親としての心情は痛いほど分かります。たった一度言われて、そうですか、と受け入れられるようなものではありません。だから、長い時間をかけてじっくりと話していく必要があるのですが、今の体制では保護者と一度あって話したら、後はそれっきりになってしまうのです。結局は、言いっぱなしで保護者任せになってしまっているのが実情です。

 さらに、学年が上がると、集団生活への適応や学習面での問題がもっと顕著に出てきます。そして、そのころにクラスが騒がしくて授業が成り立たない、という状況が起きてしまうと、学級全体の問題が全面に出て個人の問題が目立たなくなってしまうので、発達障害からくる諸問題は、そのまま次の学年、あるいは中学校へと持ち越されます。

 クラス全体に特に大きな問題が発生しなければ、目立った行動として、あるいは学習面での遅れとして、周囲も何か自分たちと違う、ということに気付き始めます。このときに、いじめや不登校といった状況が起こると、それらの問題への対応に目がいってしまい、その背後に発達障害が隠れていることが見えにくくなるのです。実際に、中学校で長期の不登校生徒の中には、小学校5,6年くらいから欠席が次第に多くなり、登校しても保健室のような別室で過ごしていたケースが大変多く、そのうちの何割かは、何らかの発達障害を持っている可能性があります。

 LDがあると、この学年までにすでに何らかの学習面の遅れを抱えている上にさらに欠席が増えることで、ますます遅れが大きくなってしまいます。中学校入学時点で、小学校2年程度の漢字の読み書きができなかったり、四則計算が満足にできない子どもたちが実際にいるのです。順調に登校していた子どもたちは、それでも学級担任が丁寧に補習授業をしていた例もありましたが、小学校高学年から不登校状態になった子どもたちは、ほとんど学習指導を受けずに中学校に入学してきます。

 アスペルガーや高機能自閉症も、小学校高学年になると集団内で様々な問題として出てくることがあります。しかし多動のように、目で見て明らかと言い難く、LDのように学習評価と問題が結びつきにくいため、残念ながら他の発達障害よりは、よく注意して子供の状態を評価しないと分かりづらいです。それでも、発達障害に関する専門教育を受け、臨床経験を積んでいる人がいれば発見は難しくないのですが、小学校にはそのような条件を満たす専門家はいないのです。

 スクールカウンセラーは基本的に中学校に配置されます。小学校でカウンセラーが配置されるのは、極めてまれなことです。そして、K市の場合、中学校のSCが小学校の相談も形式上引き受けられることになっていますが、小学校から発達障害に関して相談を受けることは、大変に少ないです。唯一小学校から中学校への連携がはかれる機会は、年に一度の「小中連絡会議」で、新しく中1になる子どもたちの状況について情報交換をするときくらいです。

 中学校で仕事をしていると、「もっと早く誰かが気付いていれば」と思うことがたくさんあります。しかし小学校で何らかの発達障害の存在に気付いても、気付くだけで実際の対応は明らかに遅れてしまうのです。

 だからといって、小学校にスクールカウンセラーを配置した方がいいと主張するものでもありません。小学校の中に第三者が入るより、支援センターのような機関に専門家を置き、連携を促進する方がいいのではないかと思っています。


 中学校編に続きます。


 

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魂の成長期?

 まだ修士課程の学生だった頃、ある臨床心理士の講演会で聞いた話です。

 人が今よりもっと成長しようとすると、必ず難題がやってくる。もし、”この人の援助は私にはできないかもしれない”と思わせるような人があなたのところにやってきたら、それはあなたにできるから与えられた宿題であって、これを乗り越えればもう一つ上のレベルの臨床家になれる

 斉藤一人の言葉をお借りするなら、「魂の修行」といったところでしょうか。

 最近、本当に難題が多いです。「修行」というよりは成長期という言葉がぴったりくるような気がします。それでも、何とか一つ一つ乗り越えながら、明日に向かって歩いてます。

 某心理テストの質問ではありませんが…私の人生は本当に失敗と誤解が多いです。それでも、わたしはわたし以外の何者にもなれないので…自分を責めないようにしようと思っています。

 さて、前回の記事の続きを書くことにします。


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軽度発達障害について思うこと(2)

 さて、発達障害の発見については、付け加えておかなければならないことがあります。

 それは、早い時期であればあるほど、障害の程度が重い傾向があるということです。

 発達障害か、単に遅れているだけなのか、という判断は当然慎重に行われる必要がありますし、乳幼児の発達障害を診断できる医師の養成や、健診などで適切に子供の発達を評価できる専門家をきちんと育てていかなければなりません。残念ながらどちらも非常に少ないというのが現状です。私も、乳幼児の発達障害の症例数が限られており、さらに研修や実践を積まなければならない立場にあります。

 そして、単に発見して診断を下すだけでなく、そこから長い道のりを歩まなければならない子供と、保護者とそして彼らをとりまく人たちを、腰を据えて援助しようという体制がなければ、診断は逆に彼らを苦しめるだけになってしまいます。私の目から見て、診断を受けただけでそこからどうすればいいのか分からずにいる家族が今も非常に多いように思います。

 多少厳しい言い方であることは分かっていますが、どの年齢で発見されるにせよ、当事者を含むひとつの家族に長く関わっていこうという気持ちがないなら、発達障害であることが明らかでも告知は慎重にすべきだと思っています。安易な告知はかえって彼らの福利を損ねることになります。

 早期発見・早期介入が効果的なのは、保護者が子供の発達障害をある程度受け入れることができ、なおかつサポート資源が適度にある場合に限られます。介入を効果的に進めるためには、保護者の発達障害への理解と、障害の受容を促すことが必須ですし、家族だけで抱え込まないように福祉との連携やサポート資源の開発や活用も同時に考えていかなければなりません。

 ところが、これらのことをきめ細かにやろうとすると多業種の連携が必要で、これが最も難しいことなのです。

 それは、「ひとつのことに長く関われる人」がいないからです。

 例えば、行政が中心になってのネットワークは、担当者が数年で転勤してしまう現状があります。子育て支援も委託事業なので、同じ仕事をずっとできるわけではありません。枠組みはあっても、中にいるメンバーが入れ替わっていくので、一貫して安定した支援というのはかなり困難になってしまいます。

 結局、それぞれの職域でそれぞれの専門性を行かして支援はされているけれど、連携という点での課題は山積みです。

 
 ここらへんで、今日は寝ます。続きはまた明日にでも。

 

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軽度発達障害について思うこと(1)

 今日はもう書かないつもりでした…あしたぴょろとスペースワールドに行くお約束なので。

 でも、どうしてもどうしても、書かねばならないという気持ちが、眠気に勝ってしまいました。

 今日の内容はエノキダケさんRosamondeさんのトラバに関することです。

 今日突然、K市内のある地区の「子どもすこやか相談(育児・発達相談)」を引き受けることになりました。この地区にとっては全く始めての事業で、私も全く始めてのお仕事です。この事業は、毎月1回固定の相談業務と、不定期で1歳半・三歳児健診時に同席して相談を受けるというものです。もちろん、即決即答でした。

 私はこれまで主に、精神科医療の現場と中学校で、自閉症スペクトラム、ADHD、LDといった軽度の発達障害を抱える人たちの支援をやってきました。もともとぴょろと配偶者と私…と三人三様の個人歴と問題を理解するために始めたことが、私が思っていた以上に必要だったと分かるのに時間はかかりませんでした。

 しかし、同時に、発達障害とは、単に当事者の問題にとどまらず、家族や学校システムや地域全体に関わる、非常に複雑な問題を含んでいることを思い知らされました。そして、心理職はこの問題に対しては、あまり力になれないかもしれない、という危機感も抱いています。

 今の自閉症研究のupdateな話題は(海外での話)、「早期発見、早期介入」です。しかも、いかに早く自閉症を発見できるか、というところに、多くの研究者と専門職の興味が集まっているそうです。それはそれで、必要なことなのかもしれませんが…個人的には、それも限界があるだろうと思っています。

 子供の行動の標準化など、難しい話はここではしませんが、仮に他の子供より発達が遅れていたり、何か違うと感じても、実際に発達障害かどうかという診断が確定するには、非常に時間がかかります。そして、言語や運動能力などの知能の明らかな遅れがない限り、発見はどんどん遅れてしまいます。それは子供の発達のスピードに個人差が大きいからです。何をもって「定型発達」とするのか、という定義は非常にあいまいです。しかも幼稚園までは、多くが子供の個性として受け止められていて、集団生活が始まる小学校で、それも入学から1,2年経ってみないと分からないということも多いです。

 アスペルガーや高機能自閉症ないしは広汎性発達障害で、高い能力を持つ子どもたちは、発見がさらに遅れる傾向があります。それは学校自体がperformance-based(決められたことをどれだけきちんとやれるか)な評価に偏る傾向があるからで、「ちょっと変わったところもあるけど、頭はいいしちゃんとやれる子」だと見られると、特に問題なし、となってしまいます。大人の当事者の方々にお聞きする限りでは、「SOSを出していたけど、”これくらいなら他の子どもたちでもあり得ることだから”と見過ごされてきた」、ということも少なくないようです。

 そして、何となく不自由さを抱えながらもそれなりに適応してきた子どもたちは、そのまま中学校へ上がります。中学校でも、それなりにがんばって何とか無事に3年間を過ごした子どもたちは、さらに高校へ行き、大学・専門学校と進学し、やっぱり何とかやっていき、そして卒業を迎えます。彼らの多くは、周囲に必ずと言っていいほど、発達障害のことを知らなくても、本人たちを温かく見守り、個性として受け入れてくれた第三者の存在があり、また社会資源もそれなりに持っていたことが、大きな支えになったのではないかと、私は思っています。

 しかし、学生の間までは何とかやってこれた人たちも、社会人になってどこかの時点で、大きな壁に突き当たるように思います。人間関係や仕事が複雑になり、そして非常に悲しいことですが、彼らにとっては非常にストレスフルな環境で、しかも彼らの苦手なことを要求され、それが外部の評価につながるような仕組みの中で、次第に疲労し、頑張りきれなくなって、二次障害を引き起こす例が、とても多い気がします。不安障害やうつ病などの精神疾患の治療目的で病院を受診し、そこで発達障害が発見されるパターンは、これからもっと増えていくかもしれません。

 理解者や社会資源に乏しいケースは、多くは小学校高学年くらいから不登校などの問題が次第に出始めます。そこで発達障害が発見される例は、残念ながら決して多くありません。中学校でも、スクールカウンセラーや学校の教師がよほど詳しくない限りはなかなか見つかりません。軽度であればあるほど、疑わしいと感じて保護者へアプローチしても、病院に受診してもらえることがほとんどなく、結局未介入のまま高校へ、ということも多いのです。

 個人的には、児童期までに発達障害を発見・介入しやすい時期はいくつかあると思っています。3歳前後、6歳前後、そして小学5、6年です。大きくなればなるほど、何か問題が起きない限りは、発見は難しいと思います。

 どんな方法で発見し、どう介入するかは、年齢や発達段階により当然違っていなければならないと思います。早くても、多少遅くても、その年齢で見つかるということは、それぞれに意味があり、そして目標とするところが変わってくるはずです。

 別記事で続けます。

 

 

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ワガママですか?

 今日は朝からいい天気です。

 ぴょろを塾に送っていくついでに、小学校の校庭に桜を見に行ってきました。こんなにきれいに咲いた桜を見るのは、何と十数年ぶりです。春を身近に感じられることが、とても幸せに思えます。

 最近の私は、軽いうつのまま、ずーっと安定している感じがします。特別元気いっぱいでも、すごく落ち込んでいるわけでもなく、飛行機にたとえるなら、4500mくらいを水平飛行…といったところでしょう。

 しかし、周囲は相当ごたごたとしています。巻き込まれてしまわないように気を付けてやっと現状維持というところです。

 ごたごたの中心はやっぱり人間同士の関係で、わたしはつくづくADHDの不便さと良さと両方あることを実体験から学ばせてもらっています。

 私はいわゆる「社交辞令」というのが、未だに理解できません。ある活動で知り合った保護者の方が、以前に「春休みに遊びにきたら」と言ってくださったので、先週その方ともう一度お会いした時に、伺ってもいいかと尋ねたら、「ああ、そうでしたっけ」と軽く流されてしまいました。

 仕事の上でも、似たようなことが数え切れないほどありました。「Sanaさんのいいようにして下さい」と言われてその通りにやったら、すごく怒られた経験があって、「いいですよ」という言葉の裏に「本当は(相手の)言うとおりにするんだよ」という隠れたメッセージがあることに気付かなかったのです。

 そんな私が人間関係が大変複雑な大学で仕事をしているので、当然ながらあれこれと問題が起きてしまいます。あの人とこの人と、両方を立てなさいとか、グループ全体の利益を考えなさいとか、私の理解力を超える高度な要求が出されることも少なくありません。

 そう言われても、結局自分の分かる範囲内でしか人間関係を理解できないので…最後には誰かに不快な思いをさせてしまうのでした。

 子供の時から、「見えないものは存在せず、聞こえないものは分からない」ので、気が利かない、ワガママとよく怒られました。端から見ると、私の言動は、不注意の特徴もあってか、タイミングがずれていたり、その場の状況に合っていないことがよくあって、それが人によってワガママなように思えるらしいです。

 今ある人間関係の中でも、自分なりに周囲に気を遣おうとしているのですが、誰かが「あの人が言っていたのはこういう意味で、あの人とこの人の関係がこうだから、あなたにこういう事を期待している」と説明しない限りは、相手の話すことの額面通りを受け取って、あとから「あ、しまった」と思うことになるようです。

 しかし、相手の気持ちだけは敏感に受け取ってしまうようで、相手が不快感を感じている、ということは言わずとも察知できるようにできています。

 友人曰く、「見る必要のあるところが見えなくて、見なくていいところが見えてしまうのよね」

 はい、その通りです。

 そんな私は、やっぱりワガママですか?それとも単に、世渡りがヘタなだけ?

 
 
 

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不思議な現象

 昨日10時前、久しぶりに大きな揺れを感じました。このあたりで震度3だったとか。

 その時私は…ドンキーコンガ3で遊んでいる最中でした。揺れがおさまってもしばらくの間、心臓はバクバクし体は緊張でこわばっていました。

 余震が続く限りは、本当の意味で落ち着くことはできなさそうです。地震の影響か、過覚醒状態が以前よりひどくなっている気がします。


 私は最近、同じ大学院で同期の先生から言われて、気がついたことがあります。

 病院でも中学校でも、はたまた大学院でも…私の周りに発達障害を抱える人がなぜか多いのです。面接を依頼されてお会いする人の3割近くはそうですし、病院の医師やスタッフ、学会で度々お会いするN先生や師匠、論文指導をした大学院の後輩もそうです。

 中学校に至っては、専門病院で診断が確定している子供が途中で転校してきて、しかも1度ならず2度までもそうだったので、同期の先生からは「まるであなたがいるのが分かっていて転校してきたみたいだね」とまで言われました。

 一般人口に対する、軽度発達障害の割合は、そんなに多いわけではありません。しかし、私が彼らに会う確率というのは極めて高いのです。

 最初は単なる偶然…と思っていたのですが、病院の心理職は多く、面接の割り当ては責任者が決めた通りにやっているので、それでも軽度発達障害のケースに出会う機会が多いのは、どう考えても不思議なことです。

 先生曰く、「磁石のように引き寄せているのではないか」と。

 半分そうかな、とも思います。似たものが似たものを引き寄せる、という現象は人間関係でも起こりえるでしょう。

 別の味方をするなら、あなたが彼らのために働きなさい、という神さまから私に課せられた宿題なのかもしれません。

 どちらにしても…不思議です。

 4月1日から発達障害者支援法が施行されました。私の周りにいる人たちと私自身のために、勉強しなければならないことはまだまだたくさんあります。

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新しい気持ちで

 4月、新しい年度のはじまりです。
 そして…ついに後期博士課程も最終学年になりました。論文を全部終わらせればあと1年でめでたく卒業です。

 卒業した後どうするのかを、そろそろ考え始める時期にきています。

 沖縄に帰るのか、ここに残るのか、あるいは別の土地へ移るのか、どんな仕事に就きたいのか…こういうことはまだあまり考えられる状態ではありません。

 先のことを考えて不安になるよりは、今ここで気持ちを新たにして、どんな場所でも、どのような仕事でも、目の前にある一つ一つのことに真剣に取り組んでいきたいと思います。

 

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別れない人たち

 今日は友達との長電話で話題になったことをご紹介します。

 誕生日にある友人から電話をもらいました。家族ぐるみのおつきあいがあり、私の配偶者もお世話になっている人です。私は以前、配偶者の事で悩んでいた時に、ちょっとだけ相談をしたことがありました。先日は、お互いの近況を伝え合い、話を終わる直前に彼女がこう切り出しました。

 「あの、あなたのダンナさんのことだけどね…彼もあなたたちのことを大切に考えているみたいだから、あなたが我慢してあげればいいんじゃないの?」

 うん、そうだね、と軽く同意だけして話を終わりました。それ以上話しても、仕方ないと思ったからです。同業者以外の友人から、たいてい同じ事を言われ続けてきたからです。

 その翌日、大学院の友達に仕事の件で電話をかけたときに、このことを話しました。

 この人は、「もしあなたが今のように距離を置かなかったら、(配偶者もぴょろも私も)三者三様に不幸だっただろうね」と言ってくれました。こんな風に言ってもらえると、少しは私の心境も分かってもらえたのかな、という気持ちになります。

 仕事上、私よりひとまわり以上年上の女性のカウンセリングをお引き受けすることが、少なからずあります。

 子どもたちはすでに成人し、中には結婚し別所帯を構えている子供もいるような方々です。相談の中心は、夫婦の関係についてであることは想像に難しくありません。結婚しすでに20年は超えておられる方がほとんどで、子供が手を離れた頃に自分を見つめ直す機会として、カウンセリングを希望されるケースも少なくありません。

 長年積もりに積もった不満をぶちまける…という想像をしがちですが、実際には彼らの悩みはもっと深刻なもので、中には「それはDVではなかろうか」と思える場合もあります。

 私は立場上ご夫婦の仲裁に入ることはしませんし、どちらかの味方になるわけでもありません。ただ、どうすればいろんな難しい状況を乗り越えて、もう少し生きやすくなるのかを考えるだけです。…もちろん、DVが明らかな場合は別ですが。

 彼女たちのカウンセリングをしながら、常々考えていることがあります。それは、人はどこかで相手への期待を手放さない限り、ずっと苦しみ続けるのではないか、ということです。

 私が相談を受ける方のほとんどが、パートナーから愛されたいと強く望んでいます。そして、自分が苦しい時に助けて欲しかった、分かって欲しかったのに、と訴えます。その言葉の背後には、「女性は愛され守られることが幸せだ」というビリーフ(信念)があり、夫婦とは互いに助け合う関係であるべきだ、という考えが根づいているように感じます。

 しかし、愛され守られることだけが女性の幸せではないと思います。むしろ愛し守る方が女性にとってしあわせなのかも、と思うことさえあります。

 親子でも夫婦でも、たとえお互いがどんなに努力しても、残念ながら分かり合えないことも助けられないこともあると思います。それはどちらが悪いかという次元の問題ではなく、どうしようもないことなのでしょう。しかし、相手への期待が大きければ大きいほど、期待した通りの結果が得られないと裏切られた気持ちになってしまい、相手への不満を募らせてしまっているように、私には見えることがあるのです。

 カウンセリングの時間の大半は、相手への不満や今の苦しい気持ちなどの訴えを黙って聞くようにしています。大抵は話すことですっきりしました、と言っていただけるのですが、ただ聞いて終わりにしてしまうと、次のカウンセリングの時にも大体が同じ話の繰り返しになってしまいます。なかなか堂々巡りから抜けられないので、相手ばかりでなく聞いているこちらも段々と苦しくなってきます。何とかこのスパイラルから抜け出そうとこっちも必死です。

 「これから、どうやっていきたいですか?」と尋ねると、ほとんどが、「主人がもう少し分かってくれたらいいのですが…」。それでは、もし分かってもらえないとしたら、どうしますか?と聞くと、「分かりません」、「分かるまで話し合っていくしかないんでしょうか」と言われます。 

 どうしてもだめなら…という私の意地悪な質問に、大抵の方はそれでも一緒にいるしかない、と答えます。一緒にいて苦痛だといいながら、それでも離れるという考えはないのです。私は離婚を強く勧めているわけではありませんが、今のままでずっと苦しむことが分かっているのに、なぜ相手に変わることを期待し関係を維持することにしがみついているのだろうか、と考えることはあります。経済面でどうしても自立が難しい、という理由も多く挙げられますが、どちらも働いていて経済的に不自由していないのに、それでも不満を抱えながら一緒にいることを選択している人も少なくありません。

 ジェンダーや社会通念などをここで論じるつもりはありません。あくまでも別の視点で述べています。私の目から見て、長い結婚期間、いろんな事がありながらも結局一緒にいたということは、それなりに利点があったということなのではないかと思います。もしどちらかが我慢しなければ成り立たない関係なら、決して長続きはしないし家族にもっと重大な問題を引き起こしていたかもしれません。過去を振り返ってあれこれ言うよりは、これからどうしていけばいいのか、と未来に視点を移すことが彼女たちには必要なのかもしれない、と思います。

 かくいう私も…離婚をしない人間の一人です。

 配偶者を理解するために、私が勉強したのは発達障害のことだけではありません。男性の心理についてもいろんな本を読んだり、話を聞いたりしてきました。どうすればうまくやっていけるのかという答えが欲しかったからです。

 そして分かったことは、「相手はどうやっても変えられない」、ただこれだけです。

 アスペルガーとADHDの混合である配偶者は、育った環境も手伝って、基本的な人間関係(愛着)や内省力(自分を見つめる力)が育たないまま成人し、いわゆる「深みのない」人格ができあがってしまっています。言いかえると、表面的に理解できても物事の本質を理解できない、ということです。

 S先生の話では、9歳を過ぎるとこれらの力を育てるのは極めて難しくなり、大人になってから育ちを取り戻すのは不可能に近い、と言います。配偶者にはこのままでいてもらうのが一番幸せなことなのです。

 悪気はなくても言葉の使い方次第で相手の気持ちを傷つけてしまうのが、配偶者の最も難しい点ですが、いくら丁寧に教えても本当には理解しないので、結局同じ事を繰り返すだけです。相手に理解や反省を期待するのはやめるしかありません。

 配偶者には配偶者の強みがあり、良いところもあります。それは否定されることはありません。そして、暴力的な言動に出るにはそれなりの理由があることが理解できてからは、彼の抱える問題は彼のものであって、私の援助できる領域を超えていると割り切れるようになりました。

 配偶者を決して嫌いになりきれないのは、それなりに魅力があるからで、配偶者に対する愛情は今も多分あると思うし、過去に彼がやったことを何時までも恨むことは、決して私のためにならないと知っています。

 それならば、離婚はしないで距離を置いた理由は?と友人は私に聞きました。

 それは、配偶者といると、私の気持ちが前向きにならないからです。あれほど生き方指向に関する知識を持ち、話すことも立派に正論なのに、一緒にいても私のこころは決して豊かになれないのです。配偶者は…それが発達障害のせいばかりではありませんが…時々私がしてほしくないこと、私ならば絶対にやらないだろうということをします。それは、どんなカップルでも少なからず起こることです。しかしそうする配偶者を見て、私は悲しくなります。それが、たまにではなく、日常に当たり前のように起こります。そして小さな傷が、心の中にどんどんとできていきます。

 そして予期しないときに、彼が思わぬ行動を取ることで、さらに大きな傷ができてしまいます。

 私は、必要以上に傷ついたり悲しむことがないように、自分を守るために距離を置いているのです。

 愛情があるからこそ、離れることもあるのではないかと思います。

  

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