思春期を振り返ってみる(2)
中学校で結構成績が良かったため、高校は地元でも有数の進学校へ行くことができました。
大学進学という点で有利だからという理由で周囲の誰もがその学校を薦め、そして学力的にも何とか基準をクリアして入学は果たしたのですが…。
ひとことで言うなら「その地域の優秀な子どもたちが集まった学校」なので、何事もできて当たり前という雰囲気がありました。成績も学年では中の下くらい。中学校のときのように、半端でなくグレてる子も教室で暴れる子も全くいません。そして学校では順位争いも熾烈で「みんながライバル」と言い切る人も少なくありませんでした。
学力だけでなく「行動」の面でも模範的な生徒が多く、そんな中で自然と私の多動・不注意は目立ち始め、それほど日がたたないうちに「私は他の人たちとは何か違う」ことに気付くようになりました。その高校は非常に古い学校で女子生徒が男子生徒の1/5にも満たないほど数が少なく、しかも他の人の振る舞いが気になるこの時期、「全然勉強してないよ」と言いながらテストで満点に近い成績を取る人や、かわいくて頭も良くて性格もいい、と3拍子そろった女子が同じクラスにいて、どうしてもその人たちと自分とを比べてしまうのでした。
その結果…私は自分が大嫌いになりました。このときに身に付いてしまった強い劣等感は今でも尾を引いていて、大事な局面で自信がなくなるのも、ルーツをたどればこの時期の経験に行き着くようです。
両親にとっては願ってもいない環境で、むしろ自慢に思っていたところもあったようですが、私にとってはとてもきついものでした。同じようにがんばってみても、他の人にできて私にできないことがある、それが必ずしも能力の差だけではないと分かったとき、私は非常に焦りを感じ、また自分を責めました。
高校2年に上がる頃には、私は無気力となりあまり勉強にも集中できなくなっていました。いま思えばうつ状態だったのでしょう。それでも学校は家庭より居心地は悪くないので、不登校になることはありませんでした。この頃から私のココロのバランスは崩れ始め、自分を痛めつけるような行動を起こすようになりました。頭の中では常に消えてしまいたいと考えていて、それを実行に移そうとしたこともありました。
パニック発作を起こすようになったのも、このころからです。熱が出ているのに無理して登校し肺炎で入院し、退院してしばらく経ってから今度は無理な食事制限をして体重が激減し髪の毛が抜けて、それでダイエットを辞めたこともありました。
少し落ち着いてきたら、周りの事も段々と冷静に見ることができるようになり、私以外にもいろんな心の問題を抱えている人が案外多いということも分かり、周囲の期待に応えようとして無理にいい人を演じ、心身共に疲れ果てて学校を休みがちになった人もいることを、理解できるようになりました。
そしてそういう人たちと多少の交流を持つようになり、学校で居場所がないと感じることはなくなりました。しかし、私はあまり自分のことを話せなくなっていて、本音でつきあえる友人を持つことはできませんでした。家族の中でも、父親が病気で倒れ長期入院という出来事があり、私は学校のことをほとんど家で話さなくなりました。私は孤立感を強め、それがさらにうつを悪化させる結果になっていたのではないかと思います。
高3になると、受験勉強が優先されるのであまりいろんなことを考える余裕がなくなりました。また普段より怪我が多かった私は、この年の夏に不注意がもとで階段から転落し、アキレス断裂の大けがをしました。自分がどういう性質の人間かということは、大分分かるようになっていたし、それなりに受け止めることもできるようになって、消えたい気持ちは和らいでいました。怪我が治るとすぐ受験を迎え、希望の大学に合格し高校も無事に卒業しました。
中学の3年間は、どちらかというと周りに対する見方の変化や、身体的な変化からくるこころの変化を体験することが多かったのですが、高校の3年間は、むしろ自分と向き合い、内面で起こる様々な変化を見つめた時期だったように思います。
(続く)
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