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まっすぐに前を向いて

 タイトルは映画「レーシング・ストライプス」の台詞です。

 レースを間近に控えたストライプスに対し、最後に与えられたアドバイスがこれです。

 「振り返るな。まっすぐに前を向いて、無心になれ」

 映画を見終わってから2日が経つのに、まだ私のこころを捉えて話しません。何かガツンと一発やられたような、それでいてこころの奥に響くような、そんな不思議な感覚を抱えています。

 かつてアメリカの大学院で学んでいたときは、まさにこの心境でした。英語力もほとんどない状態で、今思えば無謀とも言える挑戦をして、それでも全く後悔することも、恐れることもありませんでした。今よりもはるかに多い勉強量に加え、言葉の壁と子育てと、どうやって課題を達成できたのか、今もよく分かりません。

 その時の私は、何も考えていませんでした。いや、正確に言うと、目標以外の事は全く視野に入りませんでした。ただ授業をスケジュール通りに淡々とこなしながら、常に一つのことしか頭になかったのです。

 私にとっては、大学院を卒業することが最終目的ではありませんでした。…何故か卒業はできるものと信じていたからです。(後になって卒業がいかに難しいかを知らされたのですが)

 ただ一つの目標とは、「虐待される子どもたちを一人でも少なくする」ということでした。

 卒業までは順調にいきました。しかし、その後はなかなか望むような仕事につくことができず、何度も挫折しそうになりました。そして師匠の助けがあって、トラウマケアに関わるようになり、そしてさらに博士課程のある大学院にも進学しました。

 トラウマケアを研究テーマにするという私の希望は、やはり介入研究の難しさから方向転換を余儀なくされ、また仕事上もトラウマケアよりむしろうつ病や不安障害の心理療法に移ってしまい、気がつくと、自閉症スペクトラムをはじめとする発達障害の人たちへの支援が主流になってしまい、当初の目標から離れてしまう寂しさもどこかで感じていました。

 先週、学会のシンポジウムに参加し、被虐待児のケアに関わる専門職の人たちの話を聞いていて、はっと気がつきました。虐待された子供のケアに関わるためには、虐待と発達障害の両方に関する知識と援助経験が必要だということに。

 回り道はしているけれど、決して目標からははずれていなかったのです。

 目標から目をそらしてしまう原因は、本当は別のところにありました。

大学院も上に行けば行くほど、人間関係が複雑になり、見えない所での駆け引きなど臨床以外で気を遣うことが増え、またどのような仕事を引き受けるにしても、周囲との調整が必要になってきます。そのような状況で自分のやりたいことを貫けば、周囲との摩擦を避けられない状態にありました。それを避けるために、できる限り和を乱さないようにすることに、多大なエネルギーを使っていたのです。

 でも、上記の台詞を聞いたあと、大切にしなければならないものは、思ったより多くないことに気付きました。

 今はまっすぐに前を向いて、ただ一つのことに集中しよう、改めてそう決めました。そうすることできっと、また新しい出会いがあり、そして仕事も含めて、目的を遂げるために必要なものが最も良いタイミングで与えられるだろうという気がします。


 
 

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どうしようもないこともある

 昨日は私の誕生日でした。
 お祝い…という年齢でもないので、ここまで生きてきたことを静かに感謝しつつ、特に何かをするでもなく、いつも通りの一日を過ごしました。

 用事のために電話をかけた友人と、2時間近く話しました。相手は同業者で、話は自然と仕事のことになりました。お互いスクールカウンセラーをやっているので、学校のことや、子どもたちのことなど、いろいろな意見交換の場になりました。

 最近、複雑な問題を抱える患者さんの対応で多少疲労していたこともあって、私には友人の励ましやちょっとしたアドバイスが大変ありがたく思えました。なぜなら、彼女は私の言うことを否定しないし、自分はこう思うということを、はっきり言ってくれるからです。

 他人に悩みを相談したり、同意を求めたいと思うことが、私にも少なからずあります。また、私が聞く側の立場になることもあります。話した後で、「この人に話してよかった」と思うことばかりでは、残念ながらありません。また、相手にとっても、それは同じかもしれません。

 相手を思う気持ちがあって、よかれと思って言ったことが、時に相手を傷つけてしまうことがあるように思います。また、自分で何気なく言った言葉でも、人によっては傷ついたと感じることがあります。十分気を付けたつもりでも…このリスクは避けられません。

 カウンセラーをやっていて、相手を理解し受容するということを念頭に置きながら対応していても、やはり私の言葉に傷つく人が出てきます。

 初めのうちは、自分の未熟さに情けない気持ちを感じることも多かったのですが、今は少し違います。

 少なくとも、悪意や意地悪で出た言葉でない限りは、どうしようもないことがあると考えるようになりました。相手の善意が感じられるような状況なら、相手は自分の意見を言ったに過ぎず、どう捉えるかは受ける側に任せられるのです。

 それは、相手と私で意見が合わなかった、ということで、決して「私は相手から理解されていない」のではないということです。

 一対一の関係だけでなく、ブログのように多数に向けられるメッセージも、書き手の言わんとすることが、読む側には様々に受け止められます。

 ちょうど映画のようなものかもしれない、と思います。同じ映画を見ても、感動する場面も印象に残るせりふも、映画を見た後の感想も人によって全然違います。映画全体や、一つ一つのせりふが伝えようとしているメッセージも、それを受け取れる人と、そうでない人がいます。

 それは決して伝える側の言葉の使い方の問題だけではなく、受ける側の価値観や考え方の多様さもあり、少なくとも言葉を大切に使っている限りは、伝えようとしていることが、その言葉を必要としている人にちゃんと伝わっていればそれで十分ではないかと思います。

 そして、もし、誰かの言葉に傷ついてしまったとき、それをいやす鍵は「自分を否定しないこと」です。自分にとって傷つくような言葉を受け取ってしまったら、「それは相手の意見であって、私の意見ではない」と受け止めることです。相手から言われたことで、自分を責めなければ、傷は小さいうちに自然と癒えていきます。

 

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燃え尽きない秘訣

 昨日から、日本トラウマティック・ストレス学会に参加するため、東京に来ています。

 ポスター発表も無事に終わり、おだやかな朝を過ごしています。地震の後、ずっと忙しくしていて全然気付かなかったのですが、余震の影響なのか、みんなカリカリして怒りっぽくなっていたような気がします。余震がないとこんなに落ち着くのかと驚きです。

 今回は、虐待のケアに関する発表をしました。その前に、基調講演で援助者のバーンアウトの問題が出たこともあって、ポスター発表でパネルの前で質問を受け付けていたときに、「Sanaさんはこういう援助をしていて、しんどくなることはないんですか?」と何人もの方から聞かれました。

 仕事が忙しすぎて燃え尽きたことはありますが、虐待のケアに関してはそういう経験はない、と言われるとみなさん結構驚いておられました。

 緊急の時には、メールではありますが夜中でも朝でも対応しなければならないことがあります。いろんなことが起こります。それでも…燃え尽きたことはありません。

 どうしてか?というお答えは、私ではなく、ある先生のお言葉を。

 「私たちは相手のこころに立ち寄ることはできますが、こころの中に住むことはしません」

 相手に近づきすぎないこと、ひとりでかかえこまないこと、そして自分の許容範囲内で対応できる人数だけの患者さんのケアをすること(つまりよくばりすぎないこと)、それが燃え尽きない秘訣のようです。

 自分なりに工夫してきたことを、他人から言われると、「やっぱりこれでよかったんだな」とほっとします。


 さてこれからまた、学会に参加してきます。


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ことばが与える力

 さて、福岡市の調査では、地震後の心のケアが必要な子どもたちが多いという結果が出たと今朝の新聞に報道されていました。しかし、大人が今一番必要だと感じている支援は、実生活に関するもので、精神的なケアは大分順番が後でした。

 私はまだ、臨床心理士試験に合格したばかりで免許の交付はこれから。そういうこともあって、今回はボランティアでのカウンセリングの活動にも参加はできませんでした。地元の臨床心理士会は、資格をもらってからしか入会できないので対象にはならないのです。

 でも、心のケアは長期戦なので…もしお手伝いが必要になれば、そのうち出番も回ってくるかもしれません。いや、多分何かの形で関わらざるを得なくなる気がします。

 ここ数日、私は地震とは全く別の問題での、危機介入に追われていました。

 大学の後輩が数日前から様子がおかしい、という電話が友人からあったのがおとといの夜中でした。自殺の危険性もあるので、何とか助けてもらえないか、とお願いされました。家に電話を何度かけてもとらず、友人が心配して家を訪ねても絶対にドアを開けない、というのです。

 本人と唯一つながる手段は、携帯メールだけでした。

 本人と直接会って、自殺を思いとどまるように説得した経験は何度もあるのですが、今回は相手の顔が見えないままの交渉で、自然と肩に力が入るのが分かるくらい、いつもに増して私は緊張していました。

 限られた時間と手段で、何を伝えればいいのか迷いつつ、メールのやりとりは結局3日間に及びました。

 その内容は、誰にも公表することはできません。とりあえず今は、相手が何とか思いとどまってくれた、としか言えません。

 私は今まで以上に慎重に言葉を選び、どうすれば短い言葉で相手に伝えたいことを伝えられるのか、一生懸命に考えました。そうやって、すくない知恵をしぼりながら、相手が返事をよこさなくなったときの事を考えながら、友人と私はメールを送信し続けました。(お互いの仕事のスケジュールの合間をぬって…ですが)

 この経験で、はっきり分かったことがあります。

 それは、言葉には力がある、という事です。

 肯定的な言葉には、人を前向きにする力があり、否定的な言葉は逆の影響を与える、そのことがはっきりと分かったのです。

 安易な言葉や自分の経験から出ていない言葉は、決して人のこころに響くことはありません。言葉を綴る本人に確信がなければ…相手には決して伝わらないのです。

 私は、相手に決して自分を傷つけてはいけない、と言いませんでした。なぜなら、私の中にもそういう気持ちが存在していた時期があり、実際に傷つけたことが何度もあったからです。正論をぶつければ、相手は必ずそれを拒否して連絡を絶つだろう、と感じていたので、「こうしたほうがいいよ」とも言いませんでした。

 私が伝えようとしたのはただ一つ。

 必ず立ち直れる日が来ることを信じている、ということです。

 メールの相手が、私のこの言葉をどの程度受け入れてくれたのかは分かりません。でも、私は本当に信じているからそう伝えました。相手が心を開くまでには至りませんでしたが、とりあえずこちらの申し出は受け入れてもらうことができ、危機的な状況は回避されました。

 希望を失った人には、希望を取り戻せるような言葉を、自信をなくした人には自信を取り戻せるような言葉をかけ続けることが大切なのだと、今度の事で分かったように思います。

 表面的なものでなく、心から本当にそうだと思えることを伝え続けていると、それは自然と言葉を発した本人にも影響を与えます。肯定的な言葉は、相手のためだけでなく、実は自分のためでもあるのです。人は、食べ物や環境だけでなく、言葉によっても養われていると、改めてそう思います。

 これからは、あらゆる場面でもっと言葉を大切にしていこうと思います。


 

 

 

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揺れてるのは地面だけではない

 地震から2日目の夜も、まだ余震が続いていました。

 夜中に、ごとごとと揺れていて、ああ、まだ落ち着かないな、と思いつつ、眠りにつこうとしていたら、突然家の電話が鳴りました。

 同じ大学院の友人からです。

 用件は地震とは関係なかったのですが、結局地震の話になりました。

 ここは福岡から電車で30分くらいの場所なので、私の先輩や後輩の多くは福岡市内から通っています。高層住宅に住んでいた人たちの被害はかなりひどかったらしく、私の後輩の1人は揺れて倒れてきたタンスでケガをしたらしいと友人から聞きました。

 私の職場の友人は、天神にすごく近い場所に住んでいるのですが、本人は地震が起こった日には東京に出張しており、難は逃れました。しかし、その日の最終便で帰宅すると聞いていたので、夕方彼女に電話をかけ、かなり大きな揺れだったので、帰ってきてショックを受けないようにと、それまでの状況を説明し、人手が必要なら手伝いに行くからと話しておきました。

 みな一様に、驚きを隠せない感じを受けました。突然起こったことだし、避けようがないし…で、まあ被害がこの程度で済んでよかった、というのが友人たちや私の率直な気持ちでした。

 しかし、時々ごとっと揺れると、勝手に身体が緊張します。もちろん、余震とは分かっていますが、心拍数が上がって血圧が上がって、脳神経のアラームシステムが作動するのです。(もちろん、いざとなったら逃げるために、です)

 普段から心臓の病気や高血圧の持病のある人にとって、これはたまらんだろうな、と思います。

 確かに、大きい揺れ自体は、いわゆる診断A基準に当てはまるもので、非常にトラウマティックでした。だけど地震でストレス症状が出るのは、どっちかというと、1週間~10日くらい続く余震の影響が大きいのかなと思ってしまうのでした。さらに、避難生活などで環境が激変することによるストレスを加えると、何となく、これまで考えていた以上に出来事のあとの出来事が、回復の重要な鍵を握っている、ということを、身をもって体験している気がします。

 地震とは、地面を揺らすだけではなくて、その後のできごと次第で人間のこころをぐらぐらと揺らすんだなあ、と実感しています。

 さて、そんな中、地震の間も平然と温泉に行くことを考えていた配偶者は、目的をちゃんと遂げると、今朝沖縄へと帰っていきました。

 そういうヤツもいるんだなあ、と私にはこちらの方が驚きです。

 今回の地震で体験したことは、間違いなく今後の仕事に生かせそうです。

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地震だー! (2)

 今もまだ余震が続いております。

 そういえば、スパムコメントが落ち着いたので、コメントを再開したことを言うのを忘れていました。

 今回私は地震が起きたときに自宅にいなかったので、何がどうなっているのか把握するのに結構時間がかかりました。

 TVが一番情報が早いのかもしれませんが、今回はあまり役に立ちませんでした。車の運転もしていなかったので、ラジオもなく、結局頼みの綱は携帯電話、でした。

 TVやラジオほど早くなく、若干のタイムラグはありますが、こんなに携帯って便利なんだ、と改めて思いました。

 地震後の移動手段としては、公共交通機関が使えなくなり、さらに道路が渋滞しているときに便利だったのが自転車でした。

 K市は福岡ほど市内の損害は大きくないので、移動は比較的スムーズでバスも平常通り走っていましたが、ちょうど連休の中日ということもあって、もともと人手が多い上に地震でさらに渋滞が激しくなったので、かえって歩いた方が早そうでした。

 今回の事でふと思ったのが、家族がバラバラな時に地震が来たら、どうやって連絡をとりあったらいいか、ということでした。これが普通の日で、ぴょろが学校に行っている時間なら、学校へ直接様子見にいけばいいのですが、今回のように、休日で皆がそれぞれ違う場所にいて、すぐにお互いに連絡を取り合えない時に安否を確認する手段を前もって考えておいた方がいいと思ったのです。もちろん、同じK市内なら、行き先さえ分かっていれば、自転車が活躍してくれますが、今回私が一番はらはらしたのが実家の様子が全く分からなかったということで、災害時に電話がすぐに通じないことを考えると、工夫が必要だと感じました。

 某携帯のGPSも、こういうときはどのくらい役に立つのか分からないし、子供とは改めて話し合っておかなければと思います。

 それから、棚の上にあまりものを積み上げない方がいい、とつくづく思いました。

 今回は仮住まいということで、荷物があまりなかったのが幸いし、物質的な被害がほとんどありませんでした。棚も安い3段ボックスを家具代わりに使っている状態で、高い棚が一つもないので、倒れることはなかったのですが、棚の上に積み上げたものはさすがに下に落ちてバラバラになっていました。

 扉つきの棚も1つしかなく、もともと組み立てる時点でゆがんで開きにくくなっていたのが幸いし、扉が開いて中の食器が飛び出すということはありませんでした。今後はもし扉付きの家具を買う際には、一応ロックを漬けておいた方が無難なようです。

 それから…今年はちゃんと、救命講習会をもう一度受けておかなくては、と思いました。

 というのは、地震の直後、知人の保育園の先生が、「お年寄りは揺れのショックで心臓発作を起こすことがあるのよ」と話していたからです。

 うーん、こうしてみると、まだまだ気付かされることがたくさん出てきそうです。


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地震だー! (1)

この2週間、卒業式など公的にも個人的にもいろんなできごとがあって、ブログはお休み状態になっておりました。

 ぴょろの卒業式も終わり、配偶者も沖縄から訪ねてきて久しぶりに家族がそろい、のんびりと迎えた日曜日の朝。

 私は日曜礼拝に参加するために、教会にいました。知り合いの人と、立ち話をしていた時に、急に建物が軽くゆれはじめました。

 あ、地震だ…と思ったその直後、急に建物が激しくゆれました。

 立っていられないほどの揺れが来て、20秒ほど続いたと思います。これはいつもより大きい、と思った私は、まず壁から少しはなれ、上に蛍光灯がないのを確認し、次にガラスが割れても飛ばないように(私は窓のすぐ近くにいたので)身体を支えながら窓ガラスのそばに置いてあったホワイトボードをしっかりとつかんで揺れが納まるのを待ちました。

 揺れがおさまってしばらくたって、「今結構大きかったね」と下の階からざわざわ声が聞こえてきて、窓の外を見ると、近所の人たちが外にでて騒然としていました。

 用事があって佐賀市へ行こうとしていた配偶者は、家を出る寸前に地震に遭いました。ぴょろは揺れていた時は、私と同じ建物の中にいて、怖がるどころかきたきた…と友達と騒いでいたらしいです。

 地震というのは分かっても、それ以外のことが何にも分からないまま呆然としていると、余震でまた揺れはじめ、何回も続いて初めてこれはもしかしたら、規模の大きい地震だったのかも、と気付く有様。

 TVがないし、ラジオもないので、携帯で情報を探してみました。

 電車も高速バスも、高速道路も全部ストップ。これが一番早く手に入れた情報でした。

 15分くらいして、どうやら福岡の方が震源地らしい、と誰かが教えてくれました。30分くらい経つと、携帯のニュースサイトで、地震の情報が確認できました。

 福岡、佐賀で震度6弱、私たちが住んでいるK市は震度5強の揺れだったらしいです。

 やっと状況が分かると、私の実家は大丈夫だろうか?と不安になりました。震源地にかなり近く、しかも海岸に近い場所にあるからです。

 電話をかけても多分パンク状態だろうと思ったので、まずは災害用の掲示板を使うことを考えました…が、私の母親は携帯電話を持っていません。仕方なく、何度か電話をかけましたが、当然ながらつながりません。

 被害の状況を見に福岡へ行こうか、と考えました。高速道路を使えない上に、すでにK市内は渋滞中。それでも行こうとしていたら、母親と電話がつながり、無事を確認しました。(ただし、物的被害はあったらしい)

 地震発生から、母親と連絡をとれるまで約3時間20分かかりました。

 余震がある程度おさまってから、急いでアパートへ戻ってみました。棚などを高く積み上げていないので、予想したよりはひどくありませんでしたが、それでも本棚から本が多少落ちて散らばっていましたし、冷蔵庫の棚に置いてあったジャムなどの小瓶やヨーグルトなどは見事に下に落ちて散らばっておりました。

 一番心配した、ガラス製の写真立ては、幸いな事に手前ではなく後ろ向きに倒れていて、破損は免れました。食器棚も食器をたくさん重ねていなかったことと、下に布製のクロスを置いていて滑りを抑えていたことが幸いし、全部無事でした。

 停電にはならず、ガスも無事でした。あとはTVで地震の詳細情報は得ることができました。

 大学院の後輩と友人には、メールで連絡しました。携帯は、しばらくつながりが悪くなっていて、メールが一番便利でした。

 今は、大分落ち着きを取り戻していますが、時々軽い揺れはまだ続いています。

 当たり前のことですが…地震は突然やってくるので、全く予測ができません。揺れが大きくなったとき、私は阪神淡路大震災のことがぱっと頭に浮かんできて、気を付けなければならないのはガラス、蛍光灯、ガス漏れ、火の始末…と思いつく限りを頭の中で繰り返しながら、周りを見ながら、ここが危なくなったら逃げる場所を考える余裕が多少残っていた状態でした。

 やはり、突然何か起こったとき、どう行動するか…は結構大事だなあと痛感しています。

 それにしても、福岡というところは本当に地震が少ない土地で、私もこんなに大きな揺れは初めてですし、今はどこに住んでも地震に遭うときはあうもんだ、とまだ時々揺れるアパートのお部屋でしみじみと、普段から備えておく事の大切さを再確認しています。

 

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知識とスキルの間には

 配偶者が今朝早く帰り、やっと静かな生活が戻ってきました。

 スパムコメントの削除とか、yaplog立ち上げでドタバタとしていたら、もう3時を過ぎていました。今日は午後からの仕事がたまたま休みになったのでゆっくりできて助かりました。

 さて今回の配偶者訪問では、彼の度重なる失言や気まぐれにも惑わされることなく、比較的冷静に対応している私がいて、自分でも不思議に思えました。

 なるべく感情的になるまい、と努力したのもあったとは思いますが、これまでにお会いした自閉症スペクトラムの患者さんたちから学んだことを思い出し、無駄なゲームに乗らないように気を付けたのが一番効果があったように思いました。

 しずかな気持ちで配偶者を観察していたら、新しい発見がいくつかありました。

 配偶者は、いわゆる「自己啓発本」が大好きで、本屋さんに行くとまずビジネス書など生き方指向の書かれた本を探しにまわります。気に入った本を買い求め、家に帰って寝室でじっくり読んでいるときが、一番幸せを感じるようです。

 今回私たちのアパートにやってきてすぐに、めざとくも見つけたのが、「きっとよくなる」という本でした。カウンセリングの時に使おうと、少し前に買ったものです。配偶者は、3日間ひまさえあればこの本を一生懸命に読んで「これはいい本だね」と何度も言い、今朝も持って帰りたそうにしていました。

 配偶者の好きな言葉は、「努力」「奇跡」「成功」の3つです。この3つの言葉に対する反応は、まさにアスペのこだわりそのものです。

 彼の頭の中には、「前向きに努力すれば、たとえ困難な状況にあっても奇跡が起こり、人生が成功に導かれる」という”成功の方程式”があるのです。そしてこの方程式に沿った、いわゆる名文や名言が、彼の頭の中にはそっくりそのままインプットされています。

 そして、必要な時に記憶のファイルから必要な分だけ言葉を取り出し…それをリサイクルして使っているようなのです。

 配偶者は私より豊富な「よりよく生きる」ための知識を持っています。だから、私が時々尋ねることについて、実に模範的な回答をするのです。例えば、「アンケート調査の結果で、離婚の理由の第一位は何だと思うか」という質問をすると、「コミュニケーションが足りないこと」と答えます。それでは、どうすればそれを改善できるのかと聞くと、「毎日の小さなことの積み重ねが大切でしょ」とまたまた、模範解答を出してきます。言葉は非常に立派なのですが、実感がありません。また自分のこととして受け止めている感じも受けないので、どうしてなのか、長いこと疑問に思っていました。

 昨日家族と外出する途中で、知識はあってもスキルにはなっていないんだ、とやっと気がつきました。

 彼の頭の中にある、「成功の方程式」は、モデルとなる人物の生き方から導き出された共通の法則のようなもので、それ自体は大変貴重なものだし、その通りになれば確かに幸せになれるだろうな、と思います。

 本人は少なくとも、もうすぐ成功するつもりでいるようです。それは「ボクは幸せになりつつあるんだよ」というひとことでもよく分かります。

 いつそれが実現しそうなのか、と聞くと、「分からない。明日かもしれないし、10年後かもしれない」と言います。

 彼はひたすら待っているのです。努力を重ね、奇跡が起こる日を頭の中で思い描きながら。彼の頭の中に、たくさんのノウハウが詰まっていて、これをすればこういう結果になるということも、分かっているのです。

 知識の蓄積は、彼の考え方を多少変えたかもしれませんが、彼の行動自体は本人が言葉で言うほどの変化は見られていません。それは、頭で考えたことでなく、心に思ったことが実現するから、なのです。

 人間の行動は、知識だけでは変えることができません。それまでに慣れ親しんだ行動パターンを変えるためには、感情(専門用語で「情動」)を動かさないとだめなのです。それはちょうど、禅で言う悟りににているかもしれません。何気ない一言や何かのきっかけでこころのスイッチがONになると、目に見えて行動が変わっていきます。

 あるいは、習慣になるまで易しい事を何度も繰り返し、先に行動を起こしてから気持ちを動かす方法もあります。それは、忍耐と思いをコントロールする力がないと、なかなか難しい作業です。

 言葉はある意味、思考の産物です。そして行動は、思いの産物なのです。

 配偶者は思考と感情がアンバランスなことに気付かないまま、しがみつきを続けています。


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お詫びとお知らせ

 ブログをごらんいただいている皆様、

 昨日より、スパムコメントが断続的に書き込まれるという現象に見舞われており、今後しばらくは、コメントの書き込みができないように設定して、様子を見たいと思います。

 みなさまからのコメントは、貴重なコミュニケーションの手段なので残念ですが、どうかご理解をいただきたいと思います。

 緊急措置として、yaplogに新しいブログを作りました。3月1日以降の記事は、新しいブログとこちらの両方に掲載するようにしました。記事をごらんになるのはどちらでもできますが、コメントはyaplogの方で受け付けます。

 
 新しいブログのタイトルとURLは、

  "The Rainbow after the tears" http://yaplog.jp/slient_voices/

 今回の措置に伴い、Slient VoicesII は閉鎖させていただきます。
 また、ぴょろぐ。はそのまま続けていきたいと思います。

 みなさまにはお手数をおかけしますが、新しいブログのご登録の方もよろしければお願いいたします。


 

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最後の砦

 今日はK市で終日仕事でした。

 一年8ヶ月働いたクリニックとも今日でお別れです。2月上旬から、少しずつ患者さんの数を減らしてきて、安定している人は終結し、まだ落ち着かない人は、同じ病院の別の臨床心理士に引き継ぐか、他のカウンセラーを紹介するなどして対応し、今日何とか無事に全員の面接を終わりました。

 ぎりぎりまでカウンセリングを続けた6人のうち3人は、自閉症スペクトラム+ADHDなどの発達障害を合併していると思われる患者さんで、途中で終わってしまうのがとても残念で仕方ありませんでした。

 いずれもカウンセリングを受け始めの頃は、気分障害や人格障害として紹介されていて、面接する中で発達障害の存在する可能性が明らかになり、主治医とは意見の相違を感じつつ、また本人には告知せずに対応してきた方々でした。

 主治医とのコンセンサス(同意)が得られない限り、告知はできないので、彼らは自分自身が発達障害を抱えているということを、正確には知りません。彼らが気付いていることが分かっていても、私の口からは言うことはできないのです。

 でも、彼らが何につまづき、困っているかを私がどんどん言い当てることに、「どうして分かるんですか」と驚いている様子でした。私は、少しずつ目の前の問題をどう捉え、対応していけるのかを一緒に考え、実生活の問題を工夫して少しずつ乗り越えていけるように私にできることで後押ししてきました。

 もちろん、理解が得にくい家庭環境や、厳しい雇用条件など、周りにもいろんな問題があって、一歩進んで3歩下がるような時期もあったのですが、辛抱強くおつきあいを続けました。今日は彼らに1人1人、面接の終わりにお礼を言い、お会いできて私はうれしかった、と伝えました。

 たとえ本人に発達障害の事を伝えられなくても、生きにくいだろうな、こんなときは苦しいだろうな、とある程度分かった上で話を聞くのとそうでないのは全然違います。問題の中身は違っても、当事者として共感できる事はたくさんあったように思います。なかなか難しい人たちばかりではありますが…相手に少しでも気持ちが伝わるようにと毎回願いながら面接に臨んできたように思います。。

 4月からは、1人を除いて新しいカウンセラーが彼らの面接を続けることになります。彼らの抱える問題を私が十分に理解できたのかどうかは分かりません。それまで様々な誤解や無理解や心ない態度に傷ついてきた彼らにとって、せめてここにくれば自分の話をちゃんと聞いてもらえた、言葉にならないいろんな思いを少しでも受け入られたと感じられる経験になったのなら、私にとってそれ以上にうれしいことはありません。

 私は彼らにとっての最後の砦になれただろうか、と思います。

 引き継いでくれたカウンセラーには、彼らの抱える問題をきちんと理解して対応できるようにと願っています。


 4月から新年度に入ると、私のスケジュールは大分変わります。

  月曜日 (午前中) 調整時間  (午後) 大学病院勤務
  火曜日 (午前中) 大学で講義  (午後) 後期のみ専門学校で講義
  水曜日 (終日) 中学校でスクールカウンセリング
  木曜日 (午前中) 大学病院勤務 (午後) 大学院で研究 
  金曜日 (終日) 姫路でお仕事
  土曜日 (月1,2回) 大学でカウンセリング


  結局忙しいのは何も変わりません(笑)。4月からは、週1で姫路の病院に勤務します。新しい職場でさらに研鑽を積みたいと思います。


   

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Sana取り扱い説明書

 3月1日に「ぴょろぐ。」に載せた記事なのですが、こちらで宣伝をしようと思います。

 Sana取り扱い説明書

 もとネタは、「なるイズム」さんのところの、「自分取り扱い説明書」です。

 私の癖を職場のスタッフに理解してもらうために、何か説明書のようなものでも作ろうか…と思っていたら見つけた記事でした。これもシンクロニシティーかな?

 中学入学の時には「ぴょろ取り扱い説明書」が必要になるので、いま文章を練り直している所です。

 「ぴょろぐ。」の認知度アップも兼ねて…ご興味のある方はどうぞご覧下さい。

 

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明日のために今を生きる

 これがまさにシンクロニシティーというのでしょうか。

 幸せも不幸せも(Mainichi Interactive)

 私は体調が悪くなると、簡単なイメージセラピーをやるようにしています。最近は、RDIという、EMDRの技法の一つをイメージセラピーと組み合わせて使っています。それで少し気持ちが和らぐので、応急処置程度には役に立ちます。

 とにかく進むべき方向が見えず、何とかこの状態を抜け出したいとの思いで、久しぶりに、過去のトラウマを癒す作業に手を付けました。ところが驚いたことに、いつの間にか未来の私が今の私に助言をするという作業になってしまったのです。

 詳しくは後日紹介するとして、未来の私が、今しょげかえっている私にしたアドバイスで一番印象的だったのが、

 ”もっと自分に誇りを持って生きなさい。振り返ってる暇はないわよ。これからもっとたくさんの悩んでいる人たちに出会うのよ。”

 これが心の声なのか?と一瞬びっくりしました。本当に、心の底からわき出てきた、明快な言葉だったからです。

 それまでは、答えは外から与えられるものだと思っていましたが、内なる自分がその鍵を握っていることに気がつきました。

 そんなことがあった直後に、偶然見つけたのが、次の言葉です。

 生きることのつらさ、病のつらさ、それにつぶされ、今を悩みの中に沈めることは簡単です。でも、そうしたところで何になるんでしょう。大切な今を失うだけです。つらかろうが、生きにくかろうが、明日は自然に来ます。その大切な明日を失うわけにはいきません。水谷はそんなときは居直ることにしています。今はつらくてもいい。今は生きにくくてもいい。でも明日は来る。そのために今をつかう。


辛さを受け入れて、明日のために今を生きる。立ち止まってはいけない、ということなのですね。これが私に与えられた2つめの答えなのでしょう。

 時々、人生には不思議なこともあるもんだ、と思います。

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迷いながら来た道

 昨日から、更に調子を崩しています。
 大学と専門学校は春休みに入っているので、4月中旬まで講義はありません。今は大学病院に週2日、研究のため大学に週2日通う以外は、自宅で論文を書くための作業をしています。

 最も忙しい時は過ぎて、来年度の仕事もぼちぼち決まっていて、周りにはすごく落ち着いて充実しているように見えるらしいです。

 だけど、今の私は、迷路に迷い込んでしまったような感じです。

 このまま臨床心理士を続けていく自信がないのです。

 大学院の修士課程にいたときには、周りにsupportiveな先生たちがいて、お互い励まし合うクラスメートがいて、私も人の役に立つことをしたいという熱意があって、毎日が新鮮で生き生きとしていました。

 しかし、卒業後まともに仕事につくことがことのほか難しく、現実の厳しさを大分長く味わいました。

 それでも、資格をとる目標があったので、何とか苦しい時期をしのぎ、今はほぼ希望していた仕事に就くことができ、資格も無事にいただきました。

 あとは、自分の専門を深めていけばいいはずなのに…ここにきて、自分がいったい何をしたいのかが分からなくなってしまったのです。

 週3日程度、病院や学校などで数名のカウンセリングをこなし、さらに後輩の指導やメールでの相談などに応じ、介入研究のための面接をしているのが現状ですが、以前のような熱意を段々と持てなくなってきているのが自分でよく分かります。

 やりたくないわけではないのです。むしろこの仕事があったからこそ、助けられたことがたくさんあります。

 しかし、一生懸命やろうとすればするほど、周囲とのずれが生じます。患者さんや相談者の立場を尊重しようとすると、必ずそれに対して反対の声を挙げる人が出てくるのです。

 子どもたちのケアをする中で、保護者や周囲の大人の対応に心を痛めたことがたくさんあります。相談者本人と家族の仲裁に入ることも(これは大人のケースです)決して少なくないし、相談者本人の将来を考えて、あえて家族と対決(confront)することも、たまにあります。

 これらは確かにストレスですが…長い目でみて、これでいいと思える選択ができれば、それほどの衝撃はありません。

 むしろ今一番心を砕いているのは、同業者との関係です。

 ひとことで「心理的援助」と言っても、伝統的な精神分析療法からブリーフセラピーに至るまで、実に様々な考え方と援助方法があります。それらはどれも、きちんと適用されれば、相談者に何らかの良い影響をもたらすことができます。

 1人のひとの支援をめぐって、意見が分かれる事は珍しくありません。病院のミーティングでも、時々意見がぶつかり合うことはありますが、最後はお互いに理解し、どうすれば患者さんにとってよりよい援助ができるのか考えていく場にすることはできます。

 ところが、時々、私の知らないところで、全く事実に反する噂が流れたり、名指しではないものの「こういうことがあった」と別の場所で言われることがあり、第三者の連絡でその事実が分かるということがあります。

 それで仕事を失ったり、はずされたりしたこともあります。

 「クライエントの福利を守ることを第一とする」、ACA(米国カウンセリング学会)の倫理規定の始めに書かれてあることを守ろうとすると時々起きてしまう同業者との摩擦や、それに伴う批判などが、私にとって最もきついものです。

 このような事は、他の多くの同業者も経験しているようです。そういう中で、自分の考えを信じて貫いてきた人たちもたくさんいます。私もそれができれば悩まなくて済むかもしれません。しかし実際は…大分同業者との人間関係で神経をすり減らしているように思います。

 私はまだ、自分の専門すらはっきりと分からず、中途半端な状態にあります。実力をつけていくのはこれからの人間です。競争や嫉妬や、見えない所での様々な駆け引きに巻き込まれることは、私の望むことではありません。

 しかし、巻き込もうとする人たちと私とは、それほど違ってはいないということも、私は承知しています。

 私のこころの中のどこかには、同じような気持ちが存在しているし、人が自分より成長していくのを心から喜べないときもあるだろうと思います。誰にでも心の中に、見たくない部分があります。他人に対して、自分の嫌な部分は見せたくないけど、見えてしまうこともあります。だから「あなたには、この仕事をやっていく資質がない」と同業者に言われてしまうと、確かにそうかもしれない、と思ってしまいます。自分の中にも悪意は存在する、そんな私に果たして他人を助ける資格があるだろうか、と。

 迷いながら来た道の分岐点で、まだ立ち止まっている状態です。

 

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愛することを学ぶために

 最近は、体調がいいときと悪いときが交互にやってきます。
気分が落ち込むと、以前ならしばらく立ち直りに時間がかかっていましたが、今は比較的短時間で落ち着くようになりました。

 それでも、悪夢を見たりタイムスリップするのはあまり変わりません。PTSDのB症状(侵入的再体験)は結構きついものがあります。

 年齢的なものなのか、あるいは本当に人生の分岐点に来ているからなのか、この数日、これからどう生きていけばいいのか、何を目ざしていけばいいのか、悩んでいます。

 私はあまり、哲学的な思考はできませんし、宗教といっても、それほど熱心なクリスチャンというわけでもないので、人生の目的や意味について深く考えているわけではありません。

 でも、そんなこの世にどっぷりつかっている私でも、時々は自分の歩いてきた道を振り返り、いままでのできごとにどのような意味があって、そこから何を学ばなければならないのか、考えることがあります。

 生まれてからこころが傷つく体験を全くしていない人はいないと思います。身近な家族であっても、傷つけ合うこともあるし、100%理想の人間関係というのはありえないといいます。

 不完全ながらでも、互いに分かり合おうとする関係、それが私が今一番望んでいて、なかなか手に入らないものです。

 母親と配偶者という、2人の対応が難しい人が身近にいると、言葉や態度の一つ一つが、相手を傷つけたり怒らせてしまわないかと神経を使う毎日です。しかも、相手は、感情のコントロールが最も難しい人たちなので、これまでに何度かは、命の危険を伴うような行為に及んだこともあったわけです。嫌いにはなれないけど、好きにもなれない、近寄りたいけど近寄れない関係といったところです。

 前の日の夜にひどく傷つくようなことをされても、翌日には何もなかったかのように朝を迎えるのが、私にとっては一番苦痛でした。相手は過去の事は覚えていないか、あるいはそのことに触れることを避け、私にも忘れるように要求するのですが、私の記憶からはなかなか消えていかず、とても苦しかったことを、今でも思い出すことがあります。

 このところ、悪夢を見て目が覚めた朝に、こころが深く傷ついているんだな、と感じます。ちゃんと癒してあげたいと思うのですが、どうすれば、というのはまだはっきりとした方法は分かりません。もちろん、EMDRは強力な助っ人ですが、それだけで十分とも言えません。

 彼らの育った背景や性格的な特徴や、抱えている問題を理解することはでき、許すこともできるのですが、愛情と尊敬の気持ちを持ちつづけることは大変に難しいと感じています。

 それでも彼らが私の最も身近にいることで、私は人を愛することの大切さを学ばなければならないのだろう、と思うようになりました。

 「パルモア病院日記」の三宅先生が、家族の死を次々と看取ったことで生きることの厳しさと命の大切さを学んだように、そして、非常に重い病にある人が、今生きていることの大切さを学んだように、私もまた、最も愛情の届きにくい人と関わることで、無償の愛を持つことの難しさと大切さを学んでいるような気がします。

 最も大切なことは、最も厳しい環境の中でしか学べないのかもしれません。

 しかしそこから学んだことを生かす機会が、近いうちに必ずやって来ると思います。

 無償の愛とは、ただ相手を盲目的に受け入れるということではありません。その人が望むことではなく必要としていることを行うことだという人もいます。元師匠は私に、人を愛するとき、まずその人の幸せを願うだろうね、と言ってくれました。

 いろんな人の言葉を思い出しながら、私は彼らのためにならないことをしないようにしようと決めました。

 自分を痛めつけてまで、無理をして相手の望むものを与えようとするのはやめて、少し離れた場所から、必要な励ましと、感謝の気持ちを伝え、少しでも彼らが生きやすくなるように祈ることが、もしかしたら今自分なりにできる愛し方なのかもしれない、と思います。

 それはこれから出会う人たちをどう援助していけばいいのか、一つの試金石になるとも言えるでしょう。

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