The most difficult cases(最も難しい人たち)
さて、S先生との会話の続きの紹介です。
話はPTSDから、S先生のうつの話へと移ります。
S先生がうつ状態になってしまった原因の1つは、対応が難しい患者さんを抱え込みすぎたから、なのだそうです。
そしてその「難しい患者さん」は、私が病院でお会いしている方にもおられ、さらに互いの身内にも同じような特徴を持つ人物がいるというのです。
彼らの特徴をひとことで言うなら、
①言葉や態度が、その時の状況に応じてコロコロと変わる。穏やかでニコニコしていても数時間~数日後に突然機嫌が悪くなり、相手を痛烈に批判したり攻撃する。(私はこの現象を「地雷を踏む」と呼んでいます)
②「見捨てないで」とすがりつくかと思うと、突然開き直り人間関係を冷酷に切り捨てる行動にでる。
③自分自身が傷つけられたことは詳細に覚えているが、相手を傷つける言動をしたことを全く覚えていない。また、たとえ記憶にあっても相手からそのことを指摘されると全く認めようとしない。
④優越感と劣等感の間を揺れ動く、もろくて不安定な自己イメージを持ち、周囲の言動に常に敏感である。また、他人の態度を自分への攻撃ととらえやすい。常に他罰的で、相手の欠点や弱点はすぐに目につくが自分の欠点や弱さに向き合うことができない。
⑤自分の考えに合わないものを受け入れることができない。そして他人との関わりで様々な矛盾や葛藤が起こると、それを相手に鏡のように映し出し、相手の問題として処理しようとする。
このような特徴は人格障害を持つ人に見られると想像できそうですが、決してそうとは限りません。S先生や私が病院でお会いする人たちは、必ずしも人格障害ではない、非常にややこしい問題を抱えている人たちなのです。その問題とは、子供時代の虐待や発達障害、統合失調症と実に様々ですが、私たちが熱心に援助しようとすればするほど、acting out(行動化)するので、ついには援助者が燃え尽きてしまうか、そうでなければ最悪の形で他の病院へ転院する結果となります。
私は自分の身内(配偶者と母親)を何とか理解しようとする過程で、このような「難しい人たち」が持っている共通点に気がついたのです。
それは、「問題が何かということではなく、周囲にどう扱われてきたかが最も影響している」ということです。
まず、彼らは何らかの理由で、基本的な安全感や安心感に乏しく、不安・緊張が常に高いです。発達心理学系の学会に行くと必ず出てくる「母子関係」の影響は大きいですが、これが安定してないと安全感や安心感が絶対に持てないと言うことはありません。ただ、何にせよ、人生の非常に早い時期に、これらの感情の発達を妨げるものが存在し、適切な対応がなされないままになっていたということです。
虐待のように矛盾した子育てでは、当然子供が安全感や安心感を持つことは困難です。また、発達障害は刺激の処理方法が独特であるため、やはり安全感や安心感を持ちにくいですが、それでも環境と人間関係が安定したものであれば、安全感・安心感をはぐくむことは十分にできるのです。
私がいろいろな背景を持つ「難しい患者さん」と接していて分かったのは、彼らがいわゆる「心理的ネグレクト」の状態にあったのではないかということでした。私の配偶者や母親もそうですが、食べ物や物質的な援助は十分でも心の発達に必要な栄養分が不十分であったように感じるのです。言葉や身体的接触などを介しての心のコミュニケーションの絶対量が少なく、必要なときに必要なものを得られなかったのではないかと思います。
こころの栄養分が足りなくなると、人は相手の最もいやがる事をやってみせることで、関心を得ようとします。「心理的飢餓状態」では、無視されるより嫌われる方がラクなのです。本当に欲しいもの(愛情)ではなくても、とりあえずこころの空腹感を満たそうとします。これを繰り返していると、本当に望んでいる愛情やよい関心が他人から向けられても、それを素直に受け入れることができなくなってしまいます。ここで安全感や安心感が育っていないと、相手の言動に著しく影響され、自分を保つことができなくなります。そして、人間に対する信頼感が育たないだけでなく、自我がもろく、傷つきやすくなるのではないかと考えています。
そしてさらに、彼らは過去に力で抑え込まれた体験を持っています。彼らの多くはいじめを受けた体験があり、さらに周囲に非常に権力的な人物がいることが多いです。ある広汎性発達障害の患者さんの父親は、成績がすべてという人で、テストの点が悪いとすごい剣幕で怒りとばし、弁解を全く許さなかったそうです。まったくいわれのない事で体罰を受け、トラウマになった人もいます。そのような体験により、彼らは人間に対し、強い恐怖と敵意の両方を持つに至ったのではないかと私は考えています。もちろん、そのような体験があっても、体験後に適切な対応がなされ立ち直っていく人たちはたくさんいます。しかし彼らはその時もさらに「ネグレクト」にあい、よりどころになるものを持つことができなかったのではないかと思います。
基本的な安全感・安心感がなく、脆く傷つきやすい自己を抱え、そして十分なよりどころを持たないままトラウマを体験した彼らの中には、自己否定感に基づいた根強い劣等感が育っていき、その代償として、ちょうど振り子が左右に振れるように、あまり現実的でない優越感を抱くに至り、その2つの間を行ったり来たりしているのではないかと思います。難しい患者さんの中には、双極性気分障害(そううつ病)を持っている人もいるのですが、その気分の移り変わりはあまりにも激しく、うつ状態の時には自分の価値をとことん否定したかと思うと、躁転して全世界を支配するとまで言い放つ人もいます。自分も他人も受け入れないというのは、彼らの自己防衛手段であるとも考えられます。
S先生は、彼らは非常にプライドが高く、自分の力以上のことをしようとする反面、批判に弱く、自分の限界が分からないし他人の実力を認めることができないのではないか、と言っていました。だから、言葉で言うことと態度がまるで違うことがあって、どっちを信じればいいのか分からなくなる、と話していました。入院している患者さんで、S先生の言ったことをちゃんと守ります、と言ってまだ舌が乾かないうちに、ルールを破り強制退院になった人が、他の病院で自分がやったことは全く言わずに、病院が勝手に退院させたと言いふらし、対応に困ったことが何度もあったのよね、とため息混じりに話していたのでとても気の毒に思いました。私も似たようなことを何度か経験していて、他人事ではないのですが…。
以前は私も彼らの言動に振り回され、混乱し、燃え尽きてしまったこともありました。しかしもういちど冷静に見ていくと、彼らが私たちにつきつけてくる矛盾だらけの言動には、
「こんなに傷ついている私たちを愛して支えて欲しい」
という、声なきメッセージが含まれているのではないかと思うようになりました。
だからといって、彼らは、彼らがこころから望むものを素直には受け取らないだろうし、受け入れてくれそうな人には容赦なく悪意や敵意をぶつけてくるので、彼らが望むものを与えればそれで解決する訳ではないということも、十分に分かっているのです。
「時々白旗をあげながら、決して1人で抱え込んでしまわないように、そして相手に注いだ愛情やケアがすぐに望ましい結果につながらなくても、お互い自分を責めたり無力感を感じないようにしましょう」とS先生と約束をして電話を切りました。
最も難しい人たちをケアするためには、時には相当な覚悟と毅然とした態度が必要です。
S先生も私も、もう少し年をとったら、子供たちのこころのケアを専門にしようね、と言っています。大人になればなるほど、一端身に付いた習癖を変えるのは難しく、特にこのような特徴を持つ人たちには私たちの声は大変届きにくく、両方とも傷ついてなお泥沼から抜けられないことは少なくなく、彼らとつきあえるだけのこころのエネルギーを持ち続ける自信がなくなったら手を引こう、と話しています。
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