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今を幸せだと思えるために(1)

 論文、まだ書いている途中ですが、思うように集中できません。
多分、私が本当に興味あるテーマじゃないからでしょう。それでも書かないと卒業できないし学位もらえないから、がんばるしかないけど。(今日は吐き出し日?)

 最近、ひとの幸せって何だろうかと考えたことがあります。

 いろんな人の悩みを聞く仕事をしていて、一緒に悩んだり考えたり、出口を探すお手伝いをするのが私の役目かなと、以前はそんな風に思っていました。

 何かに気づき、辛さを乗り越えた時の笑顔を見るのが、私のささやかな喜びで、そんな瞬間に立ち会えることが、単純にうれしく感じていました。

 しかし、発達障害を持つ当事者や、その家族のカウンセリングをやるようになって、少し考え方を変えざるを得なくなりました。

 一つ問題が去っても、新しい問題がまた起こってくる、解決法が見つかるようで見つからず、結局はこちらの受け止め方を変えるしかないと思うようなケースに、次々に出会いました。彼らの話に耳を傾け、悩みに共感し、問題が明らかにされても、そこから先どうするか、というところで壁にぶつかってしまうのです。

 これらはほとんどが当事者との関わりで出てくるものですが、家族とのカウンセリングの場合でも、発達障害の存在が分かってから家族がそれを受け入れ、前向きに進もうとすると、必ずと言っていいほどそれを阻むようなできごとが起こったりします。

 長い期間をかけてカウンセリングをしても、変化は見えないほどにゆっくりということが普通で、通常のうつ病や不安障害よりいろんな意味で忍耐を必要とします。発達障害の事をよく知らない主治医と組むと、「何のためにカウンセリングしているの?」とよく指摘され、ブリーフセラピー専門の先生からは、介入の焦点がはっきりしないから、と言われたりすることがあります。

 いやそう言われても…これが変わればうまくいく、というほど問題が単純じゃないんだけど…とよく思います。

 そんな板挟みに合い、なかなか前に進めない患者さんを目の前に無力感を味わいながら、それでもぼちぼちやってきた、というのが本当のところです。

 最近になって、日常生活の問題を減らしていくことも大切だけど、本人に努力して何かを変えてもらうという以前に、もっと大事なことがあるのではないかと思うようになりました。

 心療内科に訪れる発達障害の当事者は、ほとんどがうつ病か不安障害を持っています。就職経験者がほとんどで、何年も同じ職場で働いている人は少なく、何回も転職を経験した人が多いです。

 よく話を聞いていると、ほぼ全員が、人生の早期にいじめか、そうでなければ自分の存在を否定されるような体験をしています。

 過去と未来を生きている人が多く、今に満足している人はほとんどいないと思います。過去の辛い体験を忘れられないだけでなく、未来に対してまた同じようなことか、もっと悪いことが起こるのではないか、と漠然とした不安を抱えています。

 彼らの口からは、よく「過去を消したい」という言葉が出てきます。過去があるから、これから先も良くなれないのだ、と言う人も少なからずいます。

 何例かのカウンセリングの後に、彼らがまず必要としていることは、「自分の存在をそのまま受け入れられる」ことではないかと思うようになりました。私は、何度でも同じ話につきあい、相手の体験にできるだけ沿うようなスタイルに変え、相手が満足して次の話題に移るまでは、極力介入をしないことにしました。

 そして、カウンセリングの間だけでも、「今ここにいる」ことに、安心感やよかったと思う気持ちを感じてもらえるような、そんな対応をするようにしました。

 確かに、仕事や社会生活全般の具体的な援助は必要で、それも5年、10年と長期的視野に立たなければならないことは十分に分かっています。

 しかしその前に、「今を幸せだと思える」ことが、何よりも大切だと分かったのです。

 現実には、うまくいかないことだらけでも、ささやかながら、楽しいこと、うれしいこと、生きていてよかったなあと思えることをほんのちょっとでも見つけるお手伝いをすること、それが私の役割なのかもしれないと今はそう思うのです。

 空を見てきれいだと思えること、音楽を聴いて心が響くこと、光や緑や、身の回りにあるものの中には、たとえ感覚が違っていても、きれいだと思える瞬間がある、そんな今いきることの中に、幸せのカケラがたくさんあることを、私はずいぶん長く気付かずにきました。

 だからこそ、未来を考えるために、今を生きることから始めることの大切さが身にしみて分かるのです。


(続く)
 

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比較をやめれば、見えてくるもの

 論文書かないと…と思いつつ、また後回しになっているような(笑)。

 最近、気になっていることを少し書いてみたいと思います。

離婚や未婚女性の出産の増加で、母子家庭の数が2003年時点で過去最多の約122万5000世帯となったことが19日、厚生労働省の調査で分かった。パートや臨時雇いの割合は5年前の前回調査より大幅に増え、平均年収は約212万円と、集計のある1978年以降で初めて減少。厳しい不況がシングルマザーの家計を直撃している現状が浮かんだ。(1/19 yahooニュースより)

母子家庭への風当たりはますます厳しくなっているように思います。子供がいて安定した職につくことがいかに難しいか、私も何度もきつい思いをしていますので、身にしみて分かります。私の知り合いにも、2つの仕事を掛け持ちし一日12時間働いて生計を立てている人もいます。

 でも、増えているのは母子家庭だけではありません。翌日のN新聞朝刊には、「父子家庭も過去最高」という記事がありました。雇用という意味では母子家庭より安定しているように思えるかもしれませんが、実は仕事、子育て、家事を男1人でやるのはかなり大変なようで、相談窓口もなく困っている人はたくさんいるようです。

 いずれにしても、1人で父母両方の役割をこなし、なおかつ生活も支えていかなければならないという、2重3重の負担がかかっているわけです。

 母親の雇用支援も、生活を安定させるためには大切なことだと思います。しかしそれだけでなく、母子家庭であれ父子家庭であれ、「どうがんばっても1人ではできない」部分を、どんな方法で補っていくかという視点がないと、子供たちは安心して育つことはできないだろうと、私は思います。

 離婚家庭、あるいは未婚家庭(いわゆるsingle-parent family)への風当たりの強さは、経済面に限ったことではありません。以前にDV被害者の女性が、「離婚は、(その方の住んでいる地域では)家族の恥、という考え方が強くて、何か重大な罪を犯したようにずっと思っていたので、戸籍の(離婚の)記載を消して欲しいと何度も思った」と話していたのを思い出します。離婚した私は自分勝手なのか?と自分を責め続ける人を、私は何人も知っています。決して面と向かって責められるわけではないけど、周囲の目が気になって仕方ないという悩みもよく耳にします。

 夫婦仲良く、子供がすくすく育つ環境は、確かに望ましいものです。このような理想に近づくために、国や自治体の支援もこれからもっと必要になってくるかもしれません。

 しかし、その環境の大部分は、誰かが与えてくれるものでなく、自分たちで作っていかなければならないものです。

 そして、それぞれの家族が自分たちにとってよりよい家庭環境を作っていく過程で、いろいろな問題が必ず起きてきます。それを乗り越えることで、さらに家族の絆が強まることもあるし、逆のこともあります。どんなに環境が整っていても、互いに理解し協力するという意識が夫婦になくなってしまえば、やはり離婚は減ることはないでしょう。

 離婚は決して、ラクな選択ではありません。

 私の以前の職場には、離婚して2人の子供を育てている女性がいました。また私の配偶者の幼なじみにも、同じような事情を抱える女性がいます。どちらも、元夫に無断で借金の保証人にさせられ、離婚後も多額の借金を抱え、十数年かかってこつこつと返し続けています。「離婚はこれ以上借金を増やさないための、最後の選択だった」と言います。お金の問題だけではありません。暴力から逃れるため、ぎりぎりの所で離婚を選択する人たちもいます。

 そのような大きな問題がなくても、いろいろな理由で人は離婚するかもしれません。一方が家族をまとめようと頑張っても、もう一方がそれを壊そうとすれば、家族の機能は失われます。結婚した時点でいつか離婚するだろうと思う人はほとんどいないだろうと思います。だれでも幸せになりたい気持ちはあるでしょう。離婚とは、そのような望みから一時的にであれ遠ざかることであり、失うものも大きいので、どのような場合でも、決断までには様々な葛藤を経験しているだろうと私は思っています。

 ニュースの中の統計的な母子家庭の数字には、離婚や未婚だけでなく、死別により母子家庭になっている人たちも多く含まれているはずです。父子家庭も同様です。自殺、事故、あるいは病気により父親(母親)を亡くした家庭もこの中には多く含まれていると思います。単なる数字だけでは分からないことがまだまだたくさんあります。しかしこのような見方をするならば、様々な事情で片親で子供を育てなければならなくなった人たちが、経済的にもそれ以外のところでも、十分な援助を受けられずに困っているのではないかと、私はそんな風に想像します。子供の将来を考えるなら、母子(父子)家庭への援助は緊急性の高いものではないかと思います。 

 私の祖母、曾祖母は、夫を早くに病気で亡くし、再婚もせずに女手一つで子供たちを育てた人たちです。私の叔母の1人は飲酒の問題で夫と離婚し、やはり1人で子供を育てました。曾祖母は私と非常に似た人物だったらしく、農業のかたわら、人助けに奔走し、非常に幸せな生涯を送ったそうです。祖母は、戦前戦後の混乱期に5人の子供たちを育て(その末子が私の父親)、皆結婚し孫が成長するのを見届けて、私が13歳の時、静かに生涯を終えました。叔母は美容師をしながら娘(私から言うと従兄弟)を育て、今は娘夫婦と同居し、さらに孫が結婚しひ孫の誕生を心待ちにしています。

 彼らから私へのメッセージ、それは「他人と自分の生活を比較するな」ということだったのかもしれないと最近思います。

 優しく理解ある夫と、元気な子供たちに囲まれて生活すること、それは私が望んでいた理想の家族の姿でした。

 しかし現実には、皆それぞれに違った障害や問題を抱え、結局配偶者と距離を置く形で生活しています。

 よく考えると、離婚や死別をはじめとする家族の問題は、おそらく人類が始まって以来、途絶えることのないテーマであろうかと思います。もし、全ての家族が理想に近い生活ができれば、そこには比較もなく、起きなくて済む問題もあるかもしれません。しかし人が1人1人違っているように、家族一つ一つの必要も、望ましいかたちも違っていて、だからこそ家族内だけでなく、家族同士、地域同志で互いに違いを理解し受け入れる姿勢がなければ、社会自体が成り立っていかないようにできているのではないかと思います。

 理想を絵に描いたように見えても、問題のない家族はありません。自分と比較してないものをうらやんだり、嘆いたりするのをやめれば、自分だけが苦労しているという気持ちにはなれなくなるでしょう。家庭に縛られているという気持ちがどこかにあると、離婚はラクに見えてしまうかもしれませんが、それも比較をやめれば、抱えている問題の質も負担も全く違っていることが見えてくるであろうと思います。

 理想の家族像を手放すことで、いかに無駄な比較を私たちがしてしまっているかに気付くこともあるでしょう。

 最も大切なことは、どのような家庭環境や事情があっても、10年後に親も子供も笑って生活できるようになるために、今どのような支援を必要としていて、私たちがそれらのニーズを満たすために今何ができるかを考え、与えられた役割をきちんと果たしていくことではないかと思います。

 特に医療福祉関係の専門家には、子供にもお年寄りに対しても、このような視点を持って対応することが必要だと思います。

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いるべき場所、行くべき場所

 最近ブログの更新スピードが遅いです。時間がないといいつつも結構書き込んできたつもりですが、先週はいつにも増して忙しく、メールを読むのも数日おき、新聞を読む暇もないくらいでした。

 先週は、2本の研究発表の準備と、大学の講義と(そろそろ後期も終わりに近づいてます)、スクールカウンセラーの仕事と、そしてゼミや研究会での発表と、てんこ盛りのスケジュールでした。そして昨日はクリニックでの仕事も何とかこなし、やれやれ、と息をつきたいところですが、論文を今週末までに提出しなければならないので、それが終わるまでは時間があきそうにありません。

 年度末って、毎年こんな感じです。

 先週「仲間はどこに?」を書いたときは、何か割り切れなくて悶々と悩んでいた私ですが、その後数日の間にいろんな問題が起こり、結果的にはそのおかげで意外な結末に。

 記事更新の翌日、私は大学病院の研究グループのミーティングに参加しました。ある患者さんとの面接の経過報告をやるように割り当てられていたので、カルテなどの記録をきちんとまとめて資料を作り、報告は無事に終わりました。

 報告が終わって質疑の時間になると、いろんな質問がメンバーから出され、その一つ一つに分かる範囲内で答えているうちに、何となく違和感を感じ始めそれは段々と大きくなっていきました。

 私が報告した内容が、どうも私が予想するのとは違う受け止め方をされているのではないか…と感じたのです。

 もちろん、どちらが正しい、というのはないのです。カウンセリングや心理療法の考え方は多種多様ですから、私がこうだ、と思っても、別の心理士が同じ人に対して別の見方をすることは、よくあります。

 しかし、このときは、根本的な所で意見が合っていないんだ、と直感しました。

 その「ずれ」はその後、さらにややこしい問題となって現れました。

 翌日になって、私は経過報告を行う上で、1つ大きなミスを犯していた事が明らかになり、上司から厳重注意を受けました。これは完全に私のミスなので、怒られても仕方ないことでした。しかし、それだけでなく、患者さんの対応について、コンセンサス(同意)が得られているなら起こるはずのない、あり得ない誤解が生じてしまっていて、その誤解を解くために延々と上司に説明をしなければならなくなったのです。

 こういったことは、今回が初めてではありません。この患者さんを担当し始めて、2度目のことでした。

 ああ、またか、と思いました。誤解されるような事をやった覚えは全くないのに、何で同じ事が繰り返し起こるんだろうか、と一瞬自分を責めたくなりました。

 でも、「何事においても患者の福利を最優先させる」という言葉を胸に刻みつつ、数年間の臨床活動をやってきて、いくら何でも、そんなことするわけないでしょ、と思い直し、「先生がご心配されるようなことは、私は決してやっていません」と、事実だけを伝えました。

 信頼されていないんだなあ、という悲しさはありませんでした。むしろ、上司なりの気遣いを感じたし、私に良くなってもらいたい、という気持ちで言ってくれているんだろう、という感謝の気持ちはありました。

 ただその時に、ここはわたしがいるべき場所ではないんだろうな、と感じました。

 もし何か学ぶ必要があるなら、あと1年かそれ以上、ここ(大学病院)で働くつもりでいましたが、他に行くべきところがあるのかもしれない、と仕事帰りの車の中で、ぐるぐると考えました。

 その日の夜、私は思い切って師匠に「関西に引っ越します」というメールを出しました。

 2日後に、師匠から歓迎の旨を伝える返事がきました。今まで、あまり師匠に迷惑をかけないように距離を置いていましたが、今回は師匠に頼ることにしました。仕事も住まいも、まだこれから探さなくてはなりませんが、これまでがそうだったように、結局落ち着くところに落ち着くだろうという気がしています。

 このような問題が起こる少し前に、同じ大学院の先輩からも関西行きをすすめられていて、自分でも今度は素直に助言を聞いて行動に移した方がいいのかな、と思いつつ、なかなか踏ん切りがつかないでいました。

 今度の事件?は、そんな煮え切らない私の背中を押すためのものだったのかもしれません。

 同じ目標を持つ仲間と、数少ない理解者の1人である師匠のいる地域で、より働きやすい環境を求めることは決して贅沢なことではないと思いました。この年で、大きく生活環境が変わることへの不安はありますが、素直に流れに乗ってみるのも悪くないような気がしています。

 ブログを見て下さっている皆様から、コメントや励ましのメールをいただいて、本当に感謝しています。皆さんの言葉に勇気づけられたり元気をもらったりしています。私の書いたものを見て下さる人がいて、トラバして下さる方がいて、直接会わなくてもこころに留めて下さる方がおられることを、本当にありがたいことだと思っています。

 もうしばらくの間は更新がとぎれとぎれになるときがあるかと思いますが、これからもこころがほっとしたり、「あ、そんなこともあるんだ」と思えるような記事を、ぼちぼち書き続けていきたいです。


 
 

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仲間はどこに?

 更新が長く途絶えてしまいました。記事を楽しみにして下さっている方々には申し訳ないと思います。

 最近、ずっと落ち込んだまま、低空飛行の状態が続いています。仕事はかろうじて行け、家事もそれなりにこなせますが、メールも5日間は見ていなかったし、できるなら誰にも会いたくないしメールも電話もしたくない、セミ引きこもりになっておりました。

 少しでも自分を元気にしたいと思って、暇をみては本を読みあさり、その時はすこし気分が上向きになりますが、長続きしません。

 去年まで頑張りすぎたツケが回ってきたのと、あとは多分、自分の内面が変化してきて、環境に合わなくなってきているからではないかと思います。

 考えようによっては試練というか、転機というか、がんばりどころなのかもしれませんが、どうしても力が出ないのです。行動する気力がない。

 なら、いい機会だからゆっくり休もうかと家にいるとよけいに気分が沈んでしまいます。

 今私に出来るのは、無理をしないことと、「好きなことをやることを自分に許してあげる」事なのかもしれません。

 そしてもう一つ、仲間に出会いたい。

 これまで、臨床心理士になるために、どんな仕事でも経験になればと引き受けてきました。ところが、資格を取ってしまったあと、その仕事の大半に魅力を失ってしまったのです。

 正直なところ、私はすごく焦りました。

 去年の終わりに、やっと「自分を大切にしよう」と決意した後から、異変は起きました。それまではとにかく資格を取るまでは、と多少がまんしながらやってきた仕事が、とても苦痛になりました。それまでは、そういう考え方もあるさ、と受け流してきた事が、目について仕方なくなりました。大学病院も、学校も、自分が本当にやりたいこととは違っているように思えました。何となく違和感を感じながらも受け入れようとがんばってきたのに、今は他人の期待に合わせようとするのが辛く思えるのです。

 うーん、”ついにきたか、中年の危機”という感じです。

 K市は大学院のために在住しているのですが、授業もゼミも今年はなく、論文を書けば終わりなので、もうここに住む理由は仕事以外にはありません。その仕事がどうしても合わないので、他を探すか沖縄に引き上げてもいい、と思うのですが…

 沖縄で家族3人で暮らすのにためらいがあります。

 ぴょろは思春期に入っていて、これから最も厳しい時期を迎えようとしています。ADHDを持つ人は、そうでない人よりも気分の変動が激しく、うつになりやすい特徴があります。環境も変わることを考えると、ぴょろのケアが必要になるのはこれからです。今までは、アスペルガー症候群の配偶者を抱えながらでも何とか私ががんばればどうにかなると考えていたのですが、ここから先は私1人では無理だろうと思うようになりました。

 発達障害の診断治療ができ、なおかつ長くつきあえる医師を沖縄で探すのは極めて難しいです。配偶者の親戚に取り囲まれるように暮らしている状況で、このような分かりにくい発達障害に関する理解が得られることもなく、配偶者とうまくつきあい、配偶者が自ら治療を受ける決断を促すためには欠かせない、家族療法のできる専門家も皆無です。このように理解者やサポート資源の極めて少ない沖縄でやっていける自信は、今の私にはありません。

 本音を言えば、関西に行きたい。

 去年相当迷って、家族の事を考えてあきらめたはずだけど、どうしても頭から離れません。何で関西なのか、はっきり理由があるわけではなく、(師匠はいるけど)仕事をどうやって探すのか、どこに住むのかも全く見当がつかないのに。

 それでも何かが見つかるような気がすると思うのは、甘いでしょうか?

 時間だけがどんどん流れていくような気がして、動けない焦りはますます強くなります。

 昨日読んだ本:

 ADHDと自閉症の関連がわかる本
 これを書いた本人の執念もさることながら、この人がこれだけのことを書けたのは、周囲に家族をサポートし、本人の大変さを理解する人たちがいたからなのではないかと感じました。
 細部については、多少異論もありますが、「(アスペルガー症候群の)夫と暮らすのは、1人で暮らすのと同じ」という引用には、まさにその通りと共感しました。

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パートナー

 明日、年明けの最初の授業を、大学と専門学校で教えます。
専門学校の方は、発達心理学がテーマで、昨年末は、子育てと出生率の問題について、ビデオを見ながらみんなに考えてもらいました。

 今回はその続きで、夫婦の問題と自殺のことを取り上げる予定にしています。(中年期の心理、ということで)

 話のネタになれば、と年末年始、TV番組や週刊誌など、普段見ないものにまで目を通していると、中年の「不倫願望」とか「熟年離婚」といったテーマがやっぱり目につきました。確かにセンセーショナルな、野次馬っぽいものもありましたが、中には結構まじめで、的を得た意見もちらほらとありました。ひとの生き方に関わる問題として取り上げているものは、私も十分共感できました。

 中年とは、ひとことで言うと、「ふりかえりの時期」であり、こころもからだも、大きな変化(クライシス)を体験する時期でもあるようです。

 そして、今まで蓄積したいろんな問題が、目に見える形で出やすい時期とも言えます。20代、30代の未解決の課題が、40代以降に違った形で出てくるとも言われます。しかし逆に、人間としては大きく成長するチャンスも多いし、若いときからの努力が、何らかの形で実り始める時期でもあるので、必ずしも良くないことばかりではないのです。

 中年期は、子供が次第に成長し、親の手を離れる時期でもあり、親が年を取り、手助けが必要になってくる時期でもあり、家族機能も大きく変化します。中でも、夫婦の関係が最も揺さぶられる時期と言っても過言ではないと思います。

 この時期をどう乗り越えるか、身体的・心理的・環境的な変化に適応できるかどうかが、よい老年期を迎えられるかどうかのカギだと思います。

 私が留学中に、「どうして日本人はすぐに離婚しないのか」と聞かれたことがありました。向こうでは、パートナー同士うまくやっていけないということになると、あっさり離婚してしまうことが多いので、うまくいかないと分かっているのに何年も我慢して一緒にいるのはどうしてなのか理解が難しいというのです(しかも結局は離婚するでしょ?とは相手の言い分)。子育てについての責任感とか、経済的な問題とか、いろいろと理由を説明はしましたが、自分でもなぜ?と言われるとよく分からないところがありました。

 最近、男女の役割とか、子育て問題などを含めて、パートナーとの関係がうまくいかなくなってもすぐに離婚にならないのは何故なのか改めて考えてみました。

 (ここからは、あくまでも仮説であり、私の主観も多少含まれているということを念頭に置いて、お読み下さい。)

 

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親離れのとき

 今日からやっと、仕事が始まりました。…といっても午前中で終わり、今は自宅でぼんやりしています。本格的に仕事が始まるのは8日からなので、それまではとにかくじっとしておこうかと…。

 今住んでいるところから私の実家までは車で約40分。本当は行こうと思えばすぐ行けるのですが、今年はまだ顔を出していません。ここ3ヶ月ほどは、ぴょろを預けて仕事に行くために、月に2回程度は実家に行っていますが、それ以外では相変わらず疎遠なままです。

 実家には行っても、長居することはありません。一緒に食事をする程度で、あまり会話がないのも以前と変わらないです。近いけど、まだ私には、行きづらい場所です。
 
 母親は、私が来ると必ず、「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」と、必ず妹の飲んでいる薬のことを尋ねます。いつもそんな「質問」に始まって、母親の悩みや愚痴を聞くのが私の役目です。妹は、相変わらず仕事に行く以外は完全に部屋に引きこもっていて、実家に行ってもまず顔を合わせる事はありません。母親のストレスが溜まるのも理解できるので、ただ相手がしゃべるのをひたすら黙って聞いています。

 母親にも相談できる相手はいるのですが、私に話すことで安心を得たいんだろうなと思います。それが時々重荷に感じることがあるので、そういう時は早めに話を切り上げて帰り支度を始めます。そうやって、何とかうまくやっていこうとしています。
 

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きっとよくなる

 お正月は沖縄でのスタートとなりました。

 配偶者の実家と親戚にお年始のご挨拶に行くのが毎年のならわしです。義父母のきょうだいや親戚は多く、また挨拶に行くと結局家に上がり込んで、長々と話し込んでしまうので、たいてい2日がかりの訪問になります。

 ここ2ヶ月ほど、休みらしい休みをほとんどとれなかったこともあって、お正月は何もしないと決めていたのですが、結局、一日も家にじっとしていることはできませんでした。「家で留守番しておくから、あなたたちだけで行ってきたら」と配偶者に言うと、「しばらく会っていないんだから、正月はちゃんと顔出さないと」と、車に乗せられあちこち連れて行かれました。やっと終わったー、と思った次の日にはもう、福岡に向かう飛行機の中。

 クリスマスを終わったあたりから、うつ状態が続き、本当のところ具合があまりよくありませんでした。そのために、ブログの更新もしばらく滞っていました。冬休みに入り、過密なスケジュールから一時的に開放され、一気に疲れが出たのもあったと思いますが、それが直接の原因ではありませんでした。

 おととしの年末にPTSDが再発し、その後ひどいうつ状態になったときに、そのことを誰にも話すことができず、それまで連絡をとりあっていた人とも段々と疎遠になっていました。他人に問題を知られる事への不安もあり、電話をかけることもメールをする気力もありませんでした。それでも何とかその状態を切り抜け、少しずつ気分は上向きになっていたのですが、クリスマスにふと、仕事がなくなっても個人的に連絡を取り合えるような人も、困ったときに相談できる人も、友達と呼べる人も、今の私にはいないことに気付き、とても悲しい気持ちになりました。

 家族以外で親しい人間関係というのがないのは寂しいなあ、と、お正月の間もずっと落ち込んでいました。

 だけど不思議なことに、孤独感を感じていてもその一方で冷静に考えようともしています。うつになったことで、確かに人づきあいはめっきり減りましたが、もしあのころにつきあいのあった人たちに私の悩みを話しても、結局は理解されずに傷つく結果に終わってしまったかもしれない、という気持ちもどこかにあるのです。それに、私自身も他人との間に常に壁を作っていて、相手の気持ちも十分に受け入れられる状態にはなかったので、親しくなれるはずもなかった。

 以前のように自分を責める気持ちが薄れ、いろんな失敗をした自分を許せるようになったことで、私は自己嫌悪感を持たずに生きられるようになりました。そんな大きなこころの変化を体験する中で、これまでの人間関係の中で、手放すものを手放す時期にきているのかもしれません。いままでおつきあいのあった人の中で、これからもつきあえる人がいるのかもしれないし、これからまた出会いがあるのかもしれない。そう考えると、今回のようなことは、決して不幸なことではなく、むしろ生き直すチャンスを与えるために必然的に起こったことと受け止めることもできそうです。

 たとえゼロからでも、ここから新しい関係を作っていけるならそれでいい。

 今が一番しんどいときだけど、きっとよくなる。

 そう自分に語りかけるようにしています。


 (おまけ:父からのプレゼント)

 CIMG0039 2004年12月30日、南西諸島上空(17時10分ごろ)CIMG0044 そして15分後の上空です。


 

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新年のご挨拶

 遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。

 昨年は、いろんなことがありながらも、仕事もブログも何とか続けることができ、無事に新しい年を迎えることができました。

 ブログを通して、学んだことはたくさんあり、また出会いもありました。

 このブログを見て下さったたくさんの方へ、そしてコメントやメールを下さった皆様へ、こころから「ありがとう」と伝えたいと思います。

 これからも、どうかよろしくお願いします。


 今年がみなさんにとってしあわせな年となることを願っています。


                                   Sana


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