今を幸せだと思えるために(1)
論文、まだ書いている途中ですが、思うように集中できません。
多分、私が本当に興味あるテーマじゃないからでしょう。それでも書かないと卒業できないし学位もらえないから、がんばるしかないけど。(今日は吐き出し日?)
最近、ひとの幸せって何だろうかと考えたことがあります。
いろんな人の悩みを聞く仕事をしていて、一緒に悩んだり考えたり、出口を探すお手伝いをするのが私の役目かなと、以前はそんな風に思っていました。
何かに気づき、辛さを乗り越えた時の笑顔を見るのが、私のささやかな喜びで、そんな瞬間に立ち会えることが、単純にうれしく感じていました。
しかし、発達障害を持つ当事者や、その家族のカウンセリングをやるようになって、少し考え方を変えざるを得なくなりました。
一つ問題が去っても、新しい問題がまた起こってくる、解決法が見つかるようで見つからず、結局はこちらの受け止め方を変えるしかないと思うようなケースに、次々に出会いました。彼らの話に耳を傾け、悩みに共感し、問題が明らかにされても、そこから先どうするか、というところで壁にぶつかってしまうのです。
これらはほとんどが当事者との関わりで出てくるものですが、家族とのカウンセリングの場合でも、発達障害の存在が分かってから家族がそれを受け入れ、前向きに進もうとすると、必ずと言っていいほどそれを阻むようなできごとが起こったりします。
長い期間をかけてカウンセリングをしても、変化は見えないほどにゆっくりということが普通で、通常のうつ病や不安障害よりいろんな意味で忍耐を必要とします。発達障害の事をよく知らない主治医と組むと、「何のためにカウンセリングしているの?」とよく指摘され、ブリーフセラピー専門の先生からは、介入の焦点がはっきりしないから、と言われたりすることがあります。
いやそう言われても…これが変わればうまくいく、というほど問題が単純じゃないんだけど…とよく思います。
そんな板挟みに合い、なかなか前に進めない患者さんを目の前に無力感を味わいながら、それでもぼちぼちやってきた、というのが本当のところです。
最近になって、日常生活の問題を減らしていくことも大切だけど、本人に努力して何かを変えてもらうという以前に、もっと大事なことがあるのではないかと思うようになりました。
心療内科に訪れる発達障害の当事者は、ほとんどがうつ病か不安障害を持っています。就職経験者がほとんどで、何年も同じ職場で働いている人は少なく、何回も転職を経験した人が多いです。
よく話を聞いていると、ほぼ全員が、人生の早期にいじめか、そうでなければ自分の存在を否定されるような体験をしています。
過去と未来を生きている人が多く、今に満足している人はほとんどいないと思います。過去の辛い体験を忘れられないだけでなく、未来に対してまた同じようなことか、もっと悪いことが起こるのではないか、と漠然とした不安を抱えています。
彼らの口からは、よく「過去を消したい」という言葉が出てきます。過去があるから、これから先も良くなれないのだ、と言う人も少なからずいます。
何例かのカウンセリングの後に、彼らがまず必要としていることは、「自分の存在をそのまま受け入れられる」ことではないかと思うようになりました。私は、何度でも同じ話につきあい、相手の体験にできるだけ沿うようなスタイルに変え、相手が満足して次の話題に移るまでは、極力介入をしないことにしました。
そして、カウンセリングの間だけでも、「今ここにいる」ことに、安心感やよかったと思う気持ちを感じてもらえるような、そんな対応をするようにしました。
確かに、仕事や社会生活全般の具体的な援助は必要で、それも5年、10年と長期的視野に立たなければならないことは十分に分かっています。
しかしその前に、「今を幸せだと思える」ことが、何よりも大切だと分かったのです。
現実には、うまくいかないことだらけでも、ささやかながら、楽しいこと、うれしいこと、生きていてよかったなあと思えることをほんのちょっとでも見つけるお手伝いをすること、それが私の役割なのかもしれないと今はそう思うのです。
空を見てきれいだと思えること、音楽を聴いて心が響くこと、光や緑や、身の回りにあるものの中には、たとえ感覚が違っていても、きれいだと思える瞬間がある、そんな今いきることの中に、幸せのカケラがたくさんあることを、私はずいぶん長く気付かずにきました。
だからこそ、未来を考えるために、今を生きることから始めることの大切さが身にしみて分かるのです。
(続く)
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