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失敗宣言

 昨日はクリスマスでしたが、1日K市のクリニックで仕事でした。
ぴょろは学校で卒業文集の制作活動に出かけ、夕方までクラスのみんなと過ごしました。

 昨日だけは、車で博多駅まで行き、博多駅から新幹線を利用して通勤しました。駅のコンコースは、何時にも増してにぎやかで、駅裏にはクリスマスのオーナメントも飾られ、何となくみな楽しそう。

 それを見ながら駐車場へと急ぎ、車に乗って家に向かって走らせているうちに、だんだんと気分が落ち込んでしまいました。

 今年は、家族がそろわなかったというだけでなく、友達と呼べる人とのつきあいもなく、本当に寂しいクリスマスでした。K市に引っ越して1年足らず、職場で話す人はいますが、仕事を離れてまでつきあえる人はまだいません。もともと人に慣れるのに時間がかかるので、沖縄にいても2年くらいは友達ができなかった経験がありました。

 今年は、今まで結構連絡をくれていた人からも連絡がなく、この1,2ヶ月、仕事以外の時間で誰かと話したり会ったりすることが、ほとんどありませんでした。

 そんな今の私の状況を思うと、昨日はひどく寂しくなって、落ち込んでしまいました。

 昨日はDV被害者の女性とのカウンセリングをしましたが、それももう一つの落ち込みの原因でした。この方とのカウンセリングは、相手を援助するだけでなく、同じような被害をもつ人間として、いろいろと気付かされることも多いのですが、昨日はとても聞くのが辛く感じました。

 それは、私にその方のような、ソーシャルサポート(社会的援助)資源がないことを思い知らされたからです。

 仕事帰りに車を運転しながら、いつもよりもいろんなことを考えました。配偶者の、あのときの表情を思い出すと、今でも手足の力が抜けてしまいます。私が怒らせたのか、いや、たとえ怒っても相手に直接暴力をふるわない人もいる…考えても考えても、「なぜ」の輪から抜け出ることができなかった…。

 その時に、カウンセリングの中で、被害者の女性がふと言った事を思い出しました。

 「”間違った男性を選んでしまったのは私の失敗”と認めるのは辛いけど、それで少しは楽になった」

 結婚の決断を、相手をよく知らないのに「多分大丈夫だろう」、と安易な気持ちでしてしまったその結果として今があると思うと、その女性の言葉がぐさりと胸に刺さる感じがしました。

 でも…結婚当初から、理解しようとすればするほど、理解できず、近づこうとすればするほど、距離を置こうとする配偶者と、何とか理解し合いうまくやっていきたいとずっと願っていました。

 願うだけでなくて、努力も少しはしたと思います。大学院で心理学を学び、その後臨床現場で様々な人と出会う中で、配偶者がアスペルガー傾向(ADHDも混じっている)を持つことも分かったし、独特の「認知の枠組み」を持っていることも理解できました。

 私自身もPTSDで結構苦しんだけど、それでも家族がバラバラにならないように、辛かったけどそれなりに子供と配偶者の間をとりもち、大切なことはきちんと話し合いの機会をつくるようにしてきました。

 きちんと向かい合って話をしようとすると、配偶者は話題をそらしたり寝てしまったりと逃げの姿勢に入ってしまいます。それで今まで、きちんと話し合って何かを決めた、ということがほとんどなく、大切な事なのにうやむやのうちに話が終わってしまったことも何度もありました。

 配偶者は全く自覚がないわけではないということも、私には分かっていました。配偶者の、「今ボクは変わろうとしているのだから、そのプロセスを見て欲しい」「ボクの可能性を信じて欲しい」という言葉も、何度も信じて待ちました。私のココロのどこかには、「本人がこれだけ言っているのだから、いつか何かの変化が起こるかもしれない」という期待があったのだと思います。

 ある教会の祭司職にある人の、「一緒にいるうちに愛情が深まるから信じてあげて」という言葉も、いつもココロのどこかにあって、忍耐して待つ(といってもただ待っている訳ではなくて、それなりに苦言も言ったけど)ことで、どうにかなるだろうという気持ちもあったのだと思います。希望を失うことへの恐れも。

 でも、昨日やっと気がついたのです。

 配偶者は、自分が他の人と何かが違っていることも、そのためにいろんな問題が起きたことも、ちゃんと分かっているのです。でも、だからといって、自分を変える気はないのだ、ということに。

 忍耐して、本人の言葉を信じて待ったことは、全く無駄ではないけれど、それにしがみつくのはもうやめよう。

 13年かけても、私にはどうしても配偶者を理解できなかったし、どんなに相手の立場になって考えても限界がある、なぜなら、配偶者自身が人間に興味を持てないし、自分で作った認知の枠組みの外では生きられないということが、やっと理解できたのです。

 精一杯やった、とはまだ言えません。でも、白旗を揚げる時なんだ、と思いました。

 私の選択は失敗だった、と認めるのは確かに辛いです。でも、そこから始めるしか他に道はないとやっと分かりました。

 もちろん、失敗から学んだことはとても大きいと思いますし、後悔はしていません。でも、一度負けを認めてやり直す方が、多分今のまま生き続けるよりもっとこれからに希望をもってやっていけそうな気がするのです。

 配偶者からの暴力も、情緒不安定なアスペの特徴を考えれば理解できる行動です。でも、絶対になかったことにはできないし、これからも絶対にないとは言えません。(本人はもう絶対にしないつもりでいるけど)

 回数としては決して多くはありませんでしたが、本当に死ぬかと思ったことが何度かありました。忘れることはどうしてもできません。でも配偶者の身内が取り囲む地域で生きていくためには、忘れたふりをするか、たいしたことないと考えるしかなかったのです。そうやって、自分の中だけに閉まっておこうとすると、次第に人付き合いができなくなり、友達とも段々と疎遠になってしまいました。

 学んだことも多かったけど、失ったものも多かったと思います。

 これからとりかえせるものもあるし、もう取り返すことができないものもあります。でも、ここからもう一度、少しずつつきあいの幅を広げるなり、もう一度関係を築き直すなりしていくしかないのです。

 こんな事を書くと、Sanaさんは離婚するの?と思われる方もいるかもしれませんが、そんな大きな事を決断したわけではありません。

 ただ、失敗は失敗と認めて、ここから再出発しよう、と決めただけです。

 私は多くのエネルギーを、配偶者を理解するために、そして家族をつなぐために使ってきました。これをもう一度見直してみて、しがみつかなくなっていらなくなったエネルギーを、他の人を助けるために使いたいと思っています。

 確かに、悲しいけど、少し楽になった気がします。
 
 
 

 

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何年か前にあなたが通られた道を、いま正に通っている者です。結婚11年目に初めて裏切られ(不倫)その中で主人がある程度以上のアスペルガーで、子供のまま大人になってしまったんだと気づきました。主人の過去の結婚やスポイルされた子供たち,統合失調症になってしまった前の奥さん,これまでふしぎに思っていたことが全て理解できるようになり,離婚も決意もしたものの経済的事情や親の病気,52才でほぼ主婦の自分、と言った問題の多さ複雑さ、それに対して『ラクなのがいい』,としか言えない全く先を考えられずに話し合いのできない主人。不安の中,いろいろな言葉をかみしめながら追体験させていただいてます。ただ、主人の彼女の愛称がsanaなので、神様、これは何のジョークですか?と、苦笑しながら・・・

Posted by: akiko | 2009.11.04 at 04:05 PM

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