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ジレンマ(上)

 事後報告ですが、3日間お留守にしていました。
ぴょろが受験する中学校の説明会と私のお仕事もあって、沖縄に帰ってきました。

 やはり気温差10度以上というのは、体に堪えます。沖縄は日中は長袖でも汗ばむくらいの気温なのに、飛行機に乗って1時間半で福岡に戻ってきて、空港から外にでると寒い。これからの季節が最も気温差が大きいので、毎年体調管理には気を遣います。

 沖縄に発つ前に半日だけ、病院でカウンセリングの仕事に行きました。その日は、人数は4人と少なかったのですが、その中の1人に心理テストをやることになっていたので、その事で主治医と意見調整をしたり、時間の合間でテストの採点をしたりと結構忙しくしていました。

 ちょうどお昼の休憩時間、病院のスタッフと一緒に話していたら、私の担当しているRさんの話題になりました。

 Rさんは、うつ病の診断があり、認知療法とカウンセリングをしてほしいと、主治医から依頼された患者さんで、私がその病院に勤務し始めてすぐから、1年半ずっと面接を続けている人です。Rさんは、当時医師の薦めに従い、1年間の休職中でした。

 最初は、私も素直にうつ病として対応していたのですが、そのうち段々とこの方は多分ADHDか、あるいはアスペルガーとADHDの混合ではなかろうか、と思うようになりました。また本人も、もしかしたら、自分はADHDではないかと考えるようになり、本を買って読まれたりしていました。

 私はRさんから何度も、「自分はいったいどういう病気なのか?」と尋ねられたことがありますが、その都度うつ病であることと、休養が必要だという事を繰り返し伝えてきました。しかし、ほんとうにRさんが知りたかったのは、ADHDかどうかだと、私は気付いていたのですが、それを本人に告知することができませんでした。

 なぜなら、この点において、主治医と全く意見が合わなかったからです。

 主治医は、私がいくら説明してもADHDであるということを認めてはくれませんでした。主治医と意見が合わない限り、私は主治医の下した診断を超えることは立場上言えないので、主治医が本人に対して説明することを繰り返すしかなかったのです。診断を出せるのは、法的にも医師だけなので、私たちには医師の出した診断に準じて、自分の置かれた職域で患者さんに対応することしかできないのです。

 Rさんと合うたび、告知とその後のフォローの必要性を感じながらも、とうとう言わずじまいで、Rさんは職場に復帰していきました。復帰後1ヶ月の面接が、先週だったのです。Rさんは、大分疲れているようでした、うつは良くなっているのに、人間関係など肝心の問題はほとんど未解決のままなのです。

 Rさんは、私から見て、明らかに典型的なADHDの問題と、多少アスペルガーと共通する生きにくさを抱えているように思えました。そんなRさんが時々診察やカウンセリングの予約時間をすっぽかすことがあって、私はそれはADHDの人にはよくあることだから、とあまり気にしたことはありませんでした。

 しかし、スタッフは決してそうはとらえていないことを、思い知らされたのです。

 スタッフの1人が、Rさんの話題が出たときに、「あの人、ときどき診察に来ないし連絡もないときあるよね」と言ったら、別のスタッフが「でも、○○の時にはちゃんときていたし、自分が来たくないときはこないだけじゃない?」と返し、それに対して別の人も、「けっこうわがままなんじゃないの」。

 彼らの会話を黙って聞きながら、「そうじゃないんだけどなあ、本当にRさんは忘れてたんだよ」と言いたかったけど、言いませんでした。普通の人から見ると、多分ADHDの特性って、単なるわがままだとか、気まぐれだとか、誤解されやすいことは、自分自身の体験からも嫌と言うほど分かっていますから。

 それでもやっぱり、病院なんだから、もう少し発達障害の事も理解しておいてもらわないと、患者さんに不適切な対応で不愉快な思いをさせることになるんだよ、と内心かなりイラついていました。

 病院で大人の発達障害に対応していくには、私の中にまだまだジレンマがたくさんあります。


(続く)

 

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ぴょろぐ。始めました

 ブログに遊びに来て下さっている皆様にお知らせがあります。

 ココログに「ぴょろぐ。」という新しいブログを作りました。このブログには、Slient Voicesとは別に、ADHD当事者であるぴょろと私の、刺激的でおもしろい日常の出来事や、ADHDっ子の子育てに関する記事を載せることにしました。

 ADHDの子育てに関しては、小学校くらいの年齢まではいろいろと情報があるし、大人のADHDについても次第に本も出版され、情報も増えてきているのですが、思春期の頃のADHDに関する情報があまりないので、これから中学生になるぴょろの成長に合わせてどう対応していくか、ということも紹介したいと思っています。

 何よりも、ADHD当事者の親子の生活は、結構ハプニングが多く、いろんな事が起こりますので、決してネタ切れにはならないような気がします(笑)。

 そういう意味でも、私の違う一面が見られるかもしれません。

 もちろんSilent Voicesにも、発達障害関係の記事はこれからも書いていきますし、ぴょろぐ。と共通の記事も時々は出てくると思います。

 ぴょろぐ。は、どちらかというとカウンセラーとしてのSanaではなく、親としての立場を優先にしたいと思います。(たぶん、ごちゃまぜになるとは思いますが…)


 もし、ご興味があるようでしたが、ぴょろぐ。もよろしくお願いします。

 ぴょろぐ。の記事の更新は、時々こちらのブログでもお知らせしたいと思います。


 ぴょろぐ。のURL: http://sana0329.cocolog-nifty.com/pikapiyo/

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生まれてきてごめんなさい

 発達障害支援法の前に、私が書こうとしていたことは、専門家でなく、ADHD当事者としての体験から感じたことでした。

 私は3年ほど前に、ADHDのお墨付きをもらい、その後カウンセラーとして発達障害の当事者のカウンセリングをやっていく中で、どうにか自分の障害を理解し受け入れられるようになっていきました。
 
 ADHDだと分かる前はどうだったかというと、少なくとも大人になってからは、何かと不便さを感じながらも、何とかその場しのぎの対応を繰り返してきたように記憶しています。

 それでも、常に他人の反応には敏感でした。相手に嫌われそうになるとすごく不安になって、自分の意に反してでも相手にあわせようとして、その結果余計に関係が悪くなって落ち込むということも多かったし、注意力が頻繁に切れるための聞き間違いや失敗が毎日の事なので、「やる気がない」「ばかにしている」と誤解されることも多かったです。

 そういうこともあって、常に自己評価(専門用語だとセルフエフィカシー:自己効力感という概念が近い)は低かったし、今考えてもそれは仕方のないことではなかったかと思います。

 ADHDだと分かったあと、専門的な知識も後押しして、現実と向き合い、日常の「困ったこと」を少なくしようとそれなりに努力もしてきました。

 しかし、頭では分かっていても、どうしても自分を好きになれず、それどころか時々は消えてしまいたいとさえ思ってしまうことがありました。ごく最近、ちょっとしたことがきっかけで、自己否定の根が意外と深いところにあると、やっと分かったのでした。

 以前はぽっかりと抜け落ちていた6歳~12歳くらいまでの出来事を、大分思い出せるようになってからのことです。

 小学校1,2年の頃、私は、「自分が生まれてきたせいで、親に迷惑をかけている」と思っていました。そしてその時の思いをずーっと手放せずにいたのです。

 その頃すでに、私は1度短期の不登校を経験していて、自分は周りの子供たちと何かが違っていて、そのために親を怒らせたり迷惑をかけていることを、子供なりに気付いていました。当時はまだ発達障害という概念すら、重度の自閉症以外では知られていませんでしたから、周囲には全く分からなかったかもしれませんが、私は私なりにこの年でいろんな不具合を感じていたし、またしばしば身体の不調となってストレスが表面化していました。

 当時の私は決して口には出しませんでしたが、親に対して本当に申し訳ないと思っていました。それは、「私は存在すること自体が迷惑である」という強力で否定的な自己暗示を生みだし、そして「生きる価値がない」というビリーフ(信念)を作り上げてしまったような気がします。


 「生まれてきてごめんなさい」

 自分が存在する事を謝らなければならない、というのは何とも心が痛いですが、当時の私は、そう思わざるを得ない程、周囲の反応に傷ついていたのだと思います。そしてそれは、いつも意識されているわけではありませんが、いろんな場面で、自分自身の存在を否定してしまうような言動となって度々現れていたことに、今更ながら驚きを隠せませんでした。

 このような「存在することが申し訳ない」という考え方は、私だけでなく、多くの発達障害の当事者に共通しているものです。これまでにも、書籍や実際の仕事の中で、同じような例を何度も聞いたことがあります。

 この自己否定的な考えが心に居座り続ける状態では、どんなに周囲の理解が進んで環境が整っても、外部からの適切な援助が得られても、本人の中で何かが変わろうとすると壁にぶち当たったり、ある所から急に成長が止まったようになってしまうのです。私のEMDR治療がなかなか進まなかった原因も、この考えを手放せなかったことにあったのだと思います。

 今ある問題を乗り越えて前に進むためには、何かの方法でこの「存在することが申し訳ない」というビリーフを変えていくことも必要なのかもしれません。

 専門家と、友人の援助もあって今はだいぶ、このビリーフが生活全般に及ぼしてきた悪影響を理解し、乗り越えられてきましたが、その方法については、それぞれの立場や個人にあった方法がある、としか、今は言えません。確かにいろんな方法があるのですが、根拠のない自己治療を勧めることはしたくありませんし、安易にカウンセリングならどこでもいいともいえません。ただ、解決には時期があって、その時期に必要な人や資源との出会いが必ずあるように思います。

 ぴょろもやはり、生まれてきてよかったのだろうか?と思うときがあるようです。今朝も「お母さんは子供が本当に欲しかったの?」と突然私に尋ねてきました。

 ”本当は子供大好きだからもっと欲しかったけど、病気したからぴょろ1人だけしか生めなかっただけだよ”、と説明したところ、

 「お母さん、もしぼくが生まれていなかったら?」と返してきた。

 そこで、ぴょろに「ぴょろがいるからこんなに楽しくて幸せな毎日が送れるんだよ」

 と正直な気持ちでいったら、急にぱっと顔を輝かせ

 「じゃあ、ぼくは生まれて良かったんだね」

 もちろんですとも!

 できるだけ、自己否定的なビリーフの芽は、早めにつみ取った方がいいと思います。保護者だけががんばるのではなく、周囲の大人も子供も、発達障害の当事者たちが「生まれて良かった」と心から思えるように、発達障害を適切に受け止められるような支援が必要だし、そのためにやらなければならないことは、まだまだたくさんあるようです。

 


 
 

 

 
 
 

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母親の涙

 本当は、別の記事を書こうとしていたのですが、カイパパさんの記事と、めめさんの記事を読んで、今日起きたことをどうしても書かなければという気持ちになりました。

 祝杯にはまだ早い:発達障害者支援法の出発点を確認する(カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル)
 発達障害者支援法(きらきら ぐるぐる)
 
 今日私は、ある中学校の先生方と、その学校で問題のある生徒のことについて、コンサルテーションのためのミーティングを行いました。この中学校は、K市内では比較的まだ落ち着いている方の学校なのですが、発達障害の疑いがある子供たちが多いのです。特に気になる生徒については、担任の先生と個別に面接をするなどしてこれまで対応してきたのですが、今日のミーティングでは特に自閉症スペクトラム障害の話に集中しました。

 話し合いの中で相談の対象となった子供たちの半数以上が、学力の著しい遅れも伴っていて、その中でもうすぐ進路決定の時期を迎える3年生の生徒たちにとっては、厳しい選択を迫られることは想像に難しくありませんでした。中学校までのように、高等学校は発達障害に対して理解を示さないことが多いと、先生方も私も経験上承知していました。だからこそ、中学卒業後、彼らがどのように育っていくのか、それぞれの立場で心配がつきないのです。

 話し合いは、2時間半と、いつもの倍近い時間になりました。

 ミーティングが終わって、私が帰り支度をしようとしたら、参加していた先生の1人が、かなり思い詰めた顔で、「ちょっと個人的に相談したいことがあるんですけど」と近寄ってきました。

 他の先生方が部屋から出て行かれたあと、その先生は、やっとの事で重い口を開き、家族の事で話したい、と切り出しました。

 子供にどう接していいか分からないんです…と、後は堰を切ったように話し始めました。以前からどうしても子供とうまく行かず、これからどうしていいかずっと悩んでいて、ミーティングでの話を聞いていると、もしかしたら子供が自閉症スペクトラムに当てはまるのではないかと思う、という内容でした。

 子供の発達状況や「今困っていること」を伺った限りでは、アスペルガー症候群の可能性が高いように感じました。

 先生という職業柄、周囲のプレッシャーも子供に対する責任感も人一倍強かったのでしょう。話が、子供の将来のこと(進学や就職の問題)に及ぶと、こらえきれなくなった先生は、涙を流しながら、「子供がどんな職業につき、どんな人生を歩むのか、それを考えるのが辛い」とおっしゃっていました。

 私が目の前に見たものは、紛れもない、子供の将来を心底心配する母親の姿でした。

 理解しよう、歩み寄ろうとしている愛情豊かな両親にとって、どんなにがんばっても子供に思いがきちんと伝わらず、どうしても心の距離が縮まらないのは、とても苦しいことなんだと、改めて感じました。

 その時、私は一瞬、スクールカウンセラーの立場がふっとんでしまい、1人の発達障害を持つ子供の親として、安易な慰めの言葉をかけるより、今はただ相手の苦しい気持ちをそのまま受け止めてあげたいと思いました。

 私は、自閉症スペクトラムの告知を受けた時の、母親の涙を何度も見てきました。だけど今日もう一度、涙を流す母親の姿を見て、改めて決意したのです。

 彼女たちや私のような人たちを、これ以上ふやしてはいけない。

 親として、過度の自責感や必要以上の辛さを味わうことのないように、そして「この子を育ててきてよかった」と思えるように、そして、子供の将来にもっと具体的なビジョンや希望が持てるように、

 私はもっともっと勉強して、発達障害の専門家として、また当事者の親として、できるだけ彼女たちの力になりたい。

 そのためにも、最も基本的な枠組みである、発達障害者支援法が、出来る限り原案のまま採択され、実施され、もっと発達障害の当事者や家族への支援を適切で十分なものにしていく大きなきっかけになることを何よりも切実に願わずにはいられません。


 そして、このあとの記事でもう一つ、大事な事を書きたいと思います。

 

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告知後のケア

 先週20日に、大阪へ行ってきました。ゆきこさんを始め、大阪ひだまりくらぶのみなさんとお会いすることができて、時間は短かったけど、とてもよい経験となりました。(みなさま、お世話になりました)

 帰りの新幹線の中で、自分がADHDと言われたときって、どうだったっけ?と思い返してみました。

 多分…という曖昧な言い方でなくて、「君はADHDだと思うよ」とはっきり言ってくれたのが、アメリカで小児発達心理学を専門としている大学院の先生でした。ぴょろのADHDを見抜いたのは、特殊教育学の教授と、行動心理学を教えている先生の2人でした。

 ぴょろのADHDが分かったときに、この教授(女性)が私に言ったことは、今でも忘れられません。

 「彼は、優れた才能のある子どもよ。あなたに育てる力があるから授かったのよ」

 行動心理学の先生は、ぴょろを見てこう言いました。

 「彼は、すごく敏感で頭のいい子だね。将来が楽しみだよ」

 私にADHDの告知をしてくれた発達心理学の先生は、告知した後で、こんな言葉をかけてくれました。

 「あなたには高い能力があるから、きっといいサイコロジストになれるよ。」

 誰も、私にADHDがあるから大変だよ、なんて、一言も言いませんでした。彼らは、私たちのいい所を伸ばすようにと励ましてくれたのです。

 ぴょろに関しては、子育てでいろんな思いを味わいながらも、どこかでこの2人の先生の言葉を信じてきて、最近になって確かに彼らが言っていることはその通りなのかもしれない、と(多少親バカも入っているでしょうが)思えるようになりました。

 そして、私はあの時の先生と同じような立場で仕事をするようになってから、発達障害について本人あるいは家族に告知した後のケアが本当に大切だということが分かるようになってきました。

 大人の発達障害は、診断自体、専門医が極端に少ないこともあって、とても難しいのですが、更に診断が確定して本人に告知された後のフォローはほとんどなされていないのではないかと思います。

 単にADHD、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー症候群…と名前だけ告げられても、それがいったいどういう状態で、告知後はどうすればいいのかということなど、告げられた人の不安を減らし将来の見通しをある程度立てられるだけの情報が得られ、心理的な援助が受けられるにはほど遠い現状だと感じます。

 本当は、告知した後からが、長い道のりの始まりなんですけどね…。

 修士課程の時は、アメリカ人の中に混じって勉強し、発達障害を抱える大人の人たちにも会いましたが、彼らがすごく明るくて前向きだったのは、おそらく彼らの性格的なものもあるかもしれませんが、彼らの周囲の人たちの発達障害に対する理解の仕方が、日本人とは大分違うことが大きく影響しているのかもしれない、と思います。(ADHDも50年前から研究されていて…歴史が全然違います)

 少なくとも発達障害を抱えている事を、決して不利だと思わないで生きられるような、そんな環境を整えていくためには、やっぱり発達障害支援法が一日も早く制定されて、まず法の枠組みができ、そこから少しずつ中身を整えていくしかないのかなあ、と考えたりしています。

 私自身が先生方の励ましに大分救われたように、私も発達障害の方々を自分なりに力づけられるような人物になりたいと思っています。


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大ゴカイ大会!?

 今週月曜日の午後、大学病院に出勤しスタッフルームに入っていきなり、主任に呼び止められました。

 「ちょっと聞いたんだけど、Nさんに催眠療法を使う予定があるの?」

 そんなこと言った覚えはない。いやまてよ…先週別のスタッフとNさんの事を話した時に、催眠療法も選択肢の一つとは言ったけど、実際に使えるかどうか分からないと言ったはず。

 それがいつの間にか、「使う」話に飛躍している…状況が飲み込めた私は、主任にこれまでのいきさつを丁寧に説明し、それがスタッフの誤解であることを了解してもらい、それで一件落着…のはずでした。

 今朝、大学病院に出勤し、午前中の仕事を終えて帰ろうとする直前になって、またまた主任に呼び止められました。

 「ちょっと聞いた話だけど、Tさんのケースを学会に発表することになったの?」

 確かに、M先生にはもしTさんの状態が落ち着いて可能なら、将来学会で症例として発表してみたい、とは言ったけど、それもまたいつの間にか、「発表する」という話になってしまっていました。

 今回は2度目だったので、私はそういう言い方はした覚えがないと前置きした上で、「私が話したことが、大分誤解されて伝わっているようですね」と主任に言ってみました。

 主任は人間関係のベテランなので、その一言で事情を理解して下さったようでした。「職場に人がたくさんいればいるほど、こういうことが不思議と起こるのよね」、それが主任の答えでした。

 ある人に話した事の、一部分がすっぽりと抜け落ちて、いつの間にか内容が段々と変わっていく。間に入る人が多ければ多いほど、最初の話が伝わるべき人にそのままの状態で伝わりにくくなる、ちょうど伝言ゲームのようなものなのでしょう。人間の脳はけっこう自分勝手に情報を選択し、意味づけしてしまうところがあるので、よーく気を付けないと誤解が誤解を生むことに。

 大学病院では、1人の患者さんに複数の医師、看護士、作業療法士、心理士、社会福祉士…とずいぶんたくさんの人が関わることになっています。だからこそ、患者さんの情報については特に、人から人へ情報が伝わっていくうちに、どんどんと話が事実から離れていかないように、使う言葉にも聞く言葉にも、十分な注意を払わなくては、と実感しました。

 ところで、今回の大ゴカイ大会のもととなったスタッフと先生は、どちらも自他共に認める混合型のADHDで、主任の話を聞きながら、ああ…なるほどね、と納得したのでした。ちゃんと私の話を最後まで聞かずに、勝手にそうするもんだと思いこんでしまい、それが主任にまで伝わったのか…今度からはよく注意して話すようにしなければと思いました。

 それと同時に、これは私自身の問題でもあるため、やはり人の話を聞くときにはもう少し注意して聞くように気を付けようと思います。

 大学病院で、直接本人から聞いていない話は、何らかのバイアスがかかっていると思いながら聞いた方がよさそうです。


 

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”いい人”はもうやめた

 日曜日、久しぶりに、配偶者と電話で話しているうちに、プッツンとキレて怒りが爆発してしまいました。

 最近、仕事上で悩んでいることがあって大分落ち込んでもいて、私自身が配偶者の態度にいつもより敏感になっていたこともあったとは思うのですが、「悩みがあるなら話してごらん」、と言いながらも、話すと「悩みが多いよねえ」とか、「心配するな」としか言わない。そして私が突っ込みを入れようとすると、すかさず「じゃあね」と一方的に電話を切ってしまうのがおきまりのパターン。いつもなら、「あ、またか」であきらめるところですが、その時はなぜか聞き流すことができなかったのです。隣にいたぴょろが、私が電話を切って落ち込む姿をみて、「お父さんと話してこんなになるくらいなら話さない方がいいんじゃない?」と模範的な事を言ってくれました。

 その通り…なんだけど、何だか後味の悪い感じが残ってしまいました。

 配偶者の問題行動を全部受け入れる必要はないと、頭では分かっているのですが、気持ちが全然ついて行っていない、その矛盾に更にイライラを募らせ、結局は怒りのマグマが溜まると爆発する、この悪循環を止めたいけど止められないんだよなあ…とココロの中でつぶやく私。

 これまでに受けた、配偶者に関する師匠や元師匠のアドバイスも、彼らの言っていることは的を得ていると思えるけれど、素直にアドバイスに従うことは今までできませんでした。彼らの言葉が、頭では分かっても、どうしてもココロの中に入ってこなかったのです。
 
 電話を切ってしばらくは、ぐったりしていましたが、それでも気を取り直して講義の準備を始めました。

 ビデオ屋さんから借りてきた"Catch Me If You Can"を講義で使用するため、すぐに見たい場面が見れるように準備しておこうと、ビデオを早送りしようとしたらうまくできなかったので、はじめから見たい場面が出てくるまで40分くらいそのまま見る羽目になりました。

 そうして主人公の心境(これも講義で話すための準備)がどんなだったのかをぼんやりと考えながら、ビデオを見ていたら、ある瞬間「あっ、そうか!」とひらめいた。

 私は、相手を喜ばせようとして、あるいは傷つけまいとして、「いい人」をずっと演じ続けていたんだ…と。

 子どもの時は両親に対して「いい子」でいようと精一杯がんばり、そして大人になってからは職場でも家庭でも「いい人」でいようと必死だった。

 それは、できる限り相手との衝突を避けたいという気持ちと、相手に受け入れられたいという気持ちの表れでもあったかもしれません。

 でも、私はその時、「いい人」をこのまま演じ続けることは意味がない、とはっきり悟ったのです。

 どんなに相手に気に入られるようにがんばっても、全ての人が好意的に見てくれるということはあり得ないし、その逆に全ての人に嫌われるということも考えにくい。無理して「いい人」になっても、そうでなくても、結局は気が合う人としか気が合わない。

 今までできるだけ相手に合わせるように努めて、相手が望む人間になろうとしたけれど、親しくなった人はほとんどいませんでした。一番望んでいたものは、こんなことでは得られないんだ…。

 だったら、ありのままで生きていく方がいい、と気がついたのです。

 もちろん、誰に対しても気遣いは必要ですが、自分が好かれるために相手に対して必要以上のことをやるのはやめようと思いました。配偶者や配偶者の周りの人たちに対しても、「いいパートナー」でいなければという気負いが大きすぎて、このままいくとつぶされてしまうところだった…。

 配偶者のことも、どうしても理解できないなら、そこから始めるしかないのです。


 その時、気持ちがすうっと楽になったのを感じました。今日に至るまで、私の態度が急に変わったりはしていませんが、職場で相手が傷つくような事をよく口にする人がいて、今まではその人から言われた事をしばらく引きずっていたりしていましたが、不思議とあまりたいしたことでないように思えて、自分が本来やるべき事に集中しようと思えるようになりました。

 そして、師匠が以前に言ってくれた言葉の通り、「いい人」の鎧を脱ぎ捨てなければ、本当に人とは親しくなれないということが、ようやく分かったように思います。

 

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がんばりすぎた?

 前回の更新から、また時間があいてしまいました。
先週末から今日にかけて、本当に忙しかったです。

 11月からの私のスケジュールはだいたいこんなところです。

月曜日: 午前中:大学で研究(データ収集のための介入面接)
       午後:大学病院でカウンセリング
       移動距離:往復約10km

 火曜日: 午前中:F大学で心理学の講義
  午後:K専門学校で臨床心理学・発達心理学の講義
       移動距離:往復約100km

 水曜日: K市内の中学校でスクールカウンセリング
       移動距離:往復500m(この日が一番ラクできる)

 木曜日: 午前中:大学病院でお仕事
       午後:K市内の高等学校でスクールカウンセリング
       移動距離:往復約3km

金曜日: 午前中:大学病院でお仕事
       午後:大学で研究か、フリーでカウンセリング
       移動距離:往復約10km

土曜日: 月2~3回はK市の病院でカウンセリング
        移動距離:往復…うーん300km超かな?
       月1度は沖縄に帰省してやっぱり仕事が待っている
        移動距離:約1100マイル

 日曜日が唯一のお休みなのですが、月に1度は学会か研修会でつぶれます(大抵は東京か関西方面へ行く)。こうやって書き出してみると、やっぱり休みが少ないですね。ほとんど毎日、午前と午後で仕事場が違い、移動距離も半端でないことが、あらためて実感できます。

 火曜日が一週間の中で一番きつい日で、午前中の講義が終わるとすぐに車をとばして専門学校へ行き、お昼休みをほとんど取らない状態で続けて180分の授業をするため、夕方仕事が終わって帰る頃にはもうくたくたになっています。昨日も同じ状態で、帰ってぴょろと夕食を食べるとすぐ寝てしまいました。

 で、朝目が覚めて起きようとすると、腰に電気のような衝撃が。

 ぎっくり腰のように全く動かない訳ではないけれど、足までひびく痛さが今も続いています。

 仕事自体はとても楽しんでやっているので苦しくはないですが、やっぱがんばりすぎ…かなあ。ずっと座っているのもきついので、今は時々立ち上がって部屋の中を歩いてみたり、横になって休憩をとりながら、PCに向かっているのです。

 明日はこのまま痛みが引かなければ、整体院に行ってこようかと思っています。

 
       

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悪夢

 最近少し落ち着いてきたPTSDの症状ですが、まだ週に1~2度は悪夢を見ます。

 大抵は、事故でけが人が出て救急車で運んでる…などのようなすごくリアルで怖いものと、後はやっぱりトラウマに関係してなのか人間関係でひどい仕打ちを受ける夢が多いです。

 今朝もやっぱり悪夢を見て、起きたあと不安で不安で、一瞬だけど何が起きたのか分かりませんでした。

 今回の夢は、師匠と今までうまくやっていたのに、突然一方的に連絡を絶たれてしまうという内容でした。登場人物も、母親とか、夫とか、バラエティーに富んでいるけどそのほとんどは、現実に私との間でいろいろと問題があった人たち。

 この「師匠」を別の人に変えると、実際にあった出来事になるのです。でも、師匠との間でも、もし私が何か気に入らないことをしでかしたら、現実にあり得ないわけではないため、起きた後、ものすごく不安になり、混乱もしました。

 目が覚めて5分くらいは、不安(パニック)発作と過呼吸で苦しくて救急車を呼ぼうかと思うくらいでした。朝6時くらいのことで、隣にはぴょろがすうすう眠っていたので、起こしてはいけないと、布団の中で落ち着くまでじっとがまんしていました。30分もすれば、いつもと同じように動けるようになり、朝の家事もきちんとこなせたのですが、今もまだ、息苦しさが残っていて、夢のことが頭のどこかでずっと気になっています。

 おととい、論文指導をしている前期博士課程の学生さんからPTSDのケースへの対応のことで相談を受け、その話が一段落ついたあと、話の流れから自分のトラウマのことをちょっとだけ話しました。それが、ちょうど夢にみた内容と重なっていたのです。

 今から2年前、就職した先の精神科医となかなか意見が合わず、他のスタッフもそのドクターへの対応に苦労していました。それでも、資格を取るためには働かないといけないので、じっと忍耐して働いていたら、円形脱毛ができてしまったのです。自分でもどうしていいか分からなかったので、以前から顔見知りで仕事上でもお世話になったことのある大学のA先生(師匠ではない別の人)に、個人的に相談をしました。A先生はちゃんと話を聞いて下さって、多少のアドバイスもいただき、そのおかげで、難しい問題が出てきても何とか落ち着いて対応することができました。それからもしばらくは頑張って働いたのですが、結局そこを辞めて、別の病院へ移ることになりました。

 ところが、A先生に相談をしてから3、4ヶ月経ち、あと2週間で新しい職場に移動という時に、採用を一時保留します、という連絡がありました。その直後、病院を紹介して下さった臨床心理士の先生から、病院側が私の事をひどく誤解しているようだが何かあったのかという電話をもらいました。

 この電話で、病院側に私が以前にA先生に相談した内容が、かなり歪曲した形で伝わっているということが分かったのです。

 A先生とその病院の院長がある学会の席でばったり出会い、院長が新しい心理士を採用するという話をしたらしく、それが私だと分かると、A先生が「その人はいろいろ問題があるから採用を考え直した方がいい」と言ったらしいです。私が相談したことや、A先生が知っている私の個人的な事情がA先生から病院側に伝わっていて、しかもそれは事実から大分かけ離れた内容になってしまっていました。

 A先生を信頼していただけに、私にとって相当なショックな出来事でした。結局、採用保留は取り消しに代わり、私はそれから数ヶ月職を見つけることができず、とても苦しい時期を過ごしました。

 その時に、私を助けてくれて、別の仕事を紹介して下さったのが今の師匠でした。師匠とはトレーニングで一緒になっただけで、そのころはまだ顔を知っている程度でしたが、それでもA先生が言っていることは事実ではないという私の言葉を信用してくれました。

 あの時そのまま病院に就職していたら、今とは別の道を歩んでいたかもしれない、と思うと多少は気持ちが落ち着きます。しかし今でもA先生の行動が理解できず、そういう仕打ちを受けるような理由は分からないです。

 A先生に、事実を問い合わせようと思って連絡を取ったのですが、電話をしてもつながらず結局本人からはその後連絡が入ることはありませんでした。

 この話を聞いた学生さんが、私に「先生ほんとに強いですね。私なら今でもまだ立ち直れないでいるかもしれない」と言っていました。強そうに見えるかもしれないけど、本当は強くないのよね…。

 この出来事を引きずっているから、まだ立ち直れていないから、夢に出てくる。

 もしかしたら、師匠とも同じようなことにならないかと今とても不安です。そんなことはないと思いたい反面、どこかで不安が現実になったらどうしようと考えてしまうのです。この出来事がその後の人間関係に与えた影響は結構大きいように思います。


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こころの警報機

 最近、休みなしの生活だったせいか、はたまた二次面接が終わってほっとしたのか、月曜日からずっと身体がとてもだるく、それでも仕事を休めないので頑張って通っていたら、昨日からうつモードに入ってしまいました。

 時間的には十分寝たはずなのに、朝起きると全然疲れがとれていないなあ…やっぱ過労気味?と思っていたら、昨日あたりから、何でもかんでも悲観的に考えようとしている自分に気がつきました。

 なんだかみんなに迷惑をかけているようで申し訳ないとか、このままずっと状況が変わらないような気がするとか、そういうことを考え始めるときは、うつ状態に入っている証拠。こんな時は、じっと休んでこころの体力の回復を待つしかないのです。

 そんなわけで、今日は体調不良を理由に、午前中の仕事をお休みしました。

 午後は高等学校のスクールカウンセラーの仕事です。これは休めないので行くしかないのですが、幸い家から近いところの学校だし、今は時期的にあまり忙しくないので、今日はゆっくりペースを心がけて臨みたいところです。

 うつ病は、今話したような症状が少なくとも数ヶ月続いている状態を言います。ゆううつになることは誰にでもあるけれど、大抵は一過性のもので、時間が経つとまたもとに戻っていくようにできています。なぜゆううつ感を引きずってしまうのか、何度かうつ病になってみて、長引くにはそれなりの理由があるのではないかと思うようになりました。ほとんどの場合、うつ病と診断される以前に、何度も体調を崩したり、気分の浮き沈みが激しくなったり、何らかのサインが身体やこころから発信されているにもかかわらず、そのサインに気付かないか、あるいは気付いても何もしないままにしておいた結果としてうつを発病するのではないかと思います。

 身体が疲れると思うように動けなくなりますが、これは「休息を取って充電するように」本人に知らせる警報機のようなものです。こころもエネルギーが少なくなると、それを本人に知らせるための警報システムを持っています。しかし、こころは身体ほど疲れを意識できないので、こころの警報機がエネルギー不足を知らせているのに、「まだこのくらいなら大丈夫」とがんばり続けてしまうことは珍しいことではありません。

 段々とエネルギーが空に近づいてくると、やる気が出なくなったり、今まで楽しめたことが楽しめなくなったり、興味が持てなくなる、といった形でこころは本人に危機が迫っていることを伝えるのです。このようなこころのサインに加えて眠れない、食欲がない、体重が急に減った、ものごとに集中できない、ちょっとしたことが気になり悲観的に捉えてしまう…などの症状が出ているようなら、うつ状態に入っていることになります。

 以前に比べると、早めにこころの警報機のサインに気がつくようになった私ですが、あとはうつモードに入っている時にどうやって休みをとるかという課題が残されています。責任感が強いし、途中で投げ出すのが嫌いなので、一度頼まれると無理してでもやってしまいがちなので、私にとって「休みを取る」のは難しいことなのです。休む事への罪悪感を少なくすることも必要だし。

 こころを休ませるというのは、何もしないということではなく、こころが落ち着けるようなことをやってあげることだと思います。身体の方が疲労がピークに達している時は、当然休息は必要ですが、じっとしてさえいればいいというものでもないように、こころの休息には、何か充電器のような、こころに元気やエネルギーを与えてくれるようなものが必要だなあ、と実感しています。

 今の私でできるこころの休息と言えば…やっぱりピアノかも。残念ながら今の住まいにはピアノがないので、電気屋さんのディスプレイ用電子ピアノをこっそり弾きに行くしかないですが。


 

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自分の仕事に誇りを持つ

 昨日、臨床心理士認定資格二次試験のため、日帰りで東京へ行って来ました。

 とっても疲れました。今朝起きるのが辛かった…。

 面接は、わずか10分間。しかし、その面接に参加するため、前日から実家に泊まり、朝8時過ぎの便で東京へ。面接は午後1時過ぎなのに東京に着いたのは午前9時45分、そこからモノレール・電車と乗り継いで会場のある有楽町に着いたのが10時20分ごろでした。実際には会場に入れるのが面接予定時間の10分前なので、それまでの3時間、いったい何をしてすごしてよいのやら…。

 そこで、会場からすぐの「銀座プランタン」に行き、アロマセラピーフェアというのをやっていたので、しばらくその会場でアロマオイルの説明を聞いたり、ハーブティーの試飲をいただいたりして時間をつぶしました。いい香りに包まれて、幸せ気分を十分に味わってきました♪

 アロマの効果なのか?あまり緊張もせず、無事に面接は終わりました。

 東京に向かうときに、もう今更何を考えても仕方ない、とにかく面接を楽しむつもりで臨んだらいいさ、と開き直っていたせいか、面接中も、それほど焦ることがありませんでした。

 面接官は2人ずつ、同じ時間に同時に20名近い候補者が面接を受けました。私がお会いした面接官は、2人ともとてもおだやかな感じの女性の先生で、質問もほとんどが、これまでの私の仕事や臨床経験に関することでした。それほど意地悪な質問もなく、分かる範囲で何とか答えることができて、とても和やかな雰囲気の中であっという間に終わってしまった感じでした。

 あとから、もうちょっとこんな風に話せばよかったなあ、と思うところもあったのですが、まあ、終わったからいいやと思うことにしました。

 試験の結果は12月下旬に分かります。うーん、やるだけやったから、後はお任せというところですね。

 予想していた通り、職業を途中で変えたことについて、面接の最後で少しだけ聞かれました。

「あの、履歴書を見ると、以前は会社員だったんですよね。どうして臨床心理士になりたいと思っていたんですか?」…どこに行っても聞かれるこの質問、ああやっぱりね、と思いつつ、今までと同じように、OLしていて段々とこのままの生活に不安を覚えていた頃に、心理学に興味を持って…と話したところで、面接官から「途中でどうしても勉強したくなったんですね」とずばりお答えが。その通りです、と答えたらもうそこで面接は終わり、ということになりました。もしもう少し時間に余裕があったら、「今のカウンセリングの仕事を本当に誇りに思っている」、と言うつもりだったのに言えなかったことが少し残念でした。

 今の私の一週間のスケジュールは、まるで渡り鳥のようにあっちこっちに出稼ぎ状態で、ほとんど収入にならない仕事も結構入っています。以前のOL生活のような福利厚生もボーナスも一切なく、仕事をしなければほとんど無収入になってしまう、非常に不安定な生活です。

 それでも、心理のお仕事を始めてから、本当に心から楽しいと思える瞬間(大学で学生さんたちを教えている時)に何度も出会えて、その一方で様々な患者さんたちとの交流の中から大切なことをいくつも学んできて、とても充実した時間を過ごせている、そのことが、私にとってはありがたく、また誇りに思えるのです。

 どんな仕事でも、楽しみを見つけ、誇りを持って臨めるなら、それが何より幸せなことなのかもしれませんね。私の場合、それがたまたま今の心理職であったというだけのことで、もし別の職業でも自分にとってこれでよかったと思えるものに出会えていたら、今と同じような心境になっていたのではないかと思います。

 収入がついて行かないのが問題だけど…残念ながら、臨床心理士の資格をいただけたとしても、この状況はほとんど変わらないです。きちんと病院に就職するか、どこかの大学で教職につかないかぎり、渡り鳥生活はまだまだ続くのです。

 

 

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雑感

 ブログを始めてもうすぐ1年になろうとしています。
まさかこんなに長く続くとは想像していませんでした。日記代わりにと軽い気持ちで始めたのですが、ブログを通していろんな出会いがあり、いろんな事を学ぶ機会を与えられ、今では生活の一部になりつつある気がします。

 ブログは個人ベースで使えるけど、ブログに載せる情報は誰でも見ることができる、そういう利便さとリスクをはかりにかけながら、できるだけ慎重に書いてきたつもり…だけど、今振り返ると大分感情が入っていたなあと思うこともたくさんあって、見る人を不快にさせるようなことがあったかもしれない、と反省もしています。

 Silent Voicesを立ち上げたときと今とでは、ブログに対して期待することや目標が少しずつ変わってきたようにも思います。以前は、記事を見てもらえることで、少しでも見た人にとって何かのお役に立てれば、という考えが強かったですが、今は日常で感じたことを自分の言葉で伝えることで、見て下さっている方々とのコミュニケーションのきっかけを作れるような、そんな使い方があってもいいのかなあ、とぼんやりと考えています。

 あさって、臨床心理士資格認定試験の二次面接のため、また東京へ行きます。

 合否の決定が面接官次第の所もあって、どういう展開になるのか全く予測はできません。でも、面接官は選べないし、だれに当たるかというのも出会いなので、自分のコントロールできる領域ではないから、なるようにしかならない、と今は開き直っています。ただ、無事に終わることを願うのみです。(師匠にはずいぶんと脅されたけど…)

 まやさんのところの記事にあった、最後まであきらめない2番目のネズミに、私もなりたいなあ、と思います。

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二次的被害(1)

 まだ、明日の講義の準備が出来ていないので、じっくりと時間をかけて記事を書いている暇がありません。それでも、どうしても、気になったので、一言だけ。

 ガンジーさんのブログを経由して、今回の新潟県中越地震の報道のありかたについて、いろんな議論があったことを知りました。今回の地震が特別という訳ではなく、これまでいろんな事件・事故の報道のあり方については、私も言いたいことはたくさんあるけれど、PTSD研究者を目指す者として、ずっと心に引っかかっていることがあります。

 遺族の方は、特に奥さんと長女を一度に亡くしたご主人は、今どんな思いでいるのでしょうか?

 長男だけでも助かってよかった、と素直に喜べる状態ではとてもないはずです。そんなときに、ご本人がこういう議論がネット上で飛び交っていることを知って、どう反応するだろうか、と想像するだけでも辛いです。

 いろんな事故・事件が起こるたびに、いい噂も悪い噂も流れます。どこかに原因を求めたい人間の性質なのか、真実を知りたがる人間の思考の癖なのか、「これがあったからこの事故(事件)が起こったんだ」と結論を出そうとする。

 でも、残された人たちにとって、それはそんなに重要な事ではないのです。

 たとえ正確な裏付けと調査によって、真実が明らかになったとしても、遺族にとっては大切な人がいなくなったことに変わりはありません。

 そして、「自分だけがこうして生きていることが申し訳ない」「あの時に自分が別の判断をしていたら起きなかっただろうに」といった、強い罪悪感や自責感を感じていることに対し、真実が分かったところでそういう遺族の感情を和らげる何の助けにもならないのです。

 起こった出来事は1つしかありません。しかしそれに対する反応や見方が人によって違うことで、いろんな問題が起こるのです。例えば、田中さんには田中さんの、木村さんには木村さんの見方や考え方があっていいのです。新聞記事だって、ニュースだって、100%客観的なものを作るのは不可能です。必ず作り手の主観から、何らかのバイアスがかかっていると考えた方が賢明です。

 それを、責めるつもりも批判するつもりも全くありません。むしろ、その人はこういった事件や事故(あるいは今回のような災害)をこんな風に受け止めているんだ、と理解するチャンスにもなると考えることもできます。

 ただ、どのような意見であっても、遺族の立場を少しでも配慮したものであって欲しいと思います。

 それが欠けていることによって、大切な人たちを失った遺族の感情をさらに傷つけてしまうことにならないか、それが私が最も憂慮していることです。

 事件・事故、そして災害の被害者は、とても周囲の反応に敏感になります。だからこそ、彼らの置かれた立場や感情を考慮しない言動、そして報道は、彼らの傷をさらに深めることになるのです。

 そうやって、二次的被害が起きているのです。トラウマとなった出来事以上に、二次的被害のために苦しんでいる人たちは、非常に多いです。

 今回の地震に関しても、できるだけこういった被害が最小限にとどめられるようにと願ってやみません。


 さて、いい加減準備しないと徹夜になるので、残りは後日に。

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