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先行投資~未来への土台作り

 あと1日で、新学期が始まります。
今は、明日からの学会の準備や、大学の定期試験、後期の授業の準備と、ぴょろの転校手続きや引っ越しなどで、とても忙しく、メールを見たのも3日ぶりという状態です。

 ぴょろが転校するかしないかで、大分もめましたが、結局9月初めから転校することになりました。

 毎年、4月と9月は、学費納入の月です。この時期になると、学費をどうするかで悩みます。私の通う大学院は、費用が比較的安いですが、それでも年間に約70万円の授業料を払わなければなりません。これまでは、いろいろあったけれど最後は配偶者が出してくれていました。今年は、この時期に引っ越しを決めたので、その諸費用を出してしまったあと、学費をどこから捻出すればいいか思案中なのです。

 私も仕事での収入はありますが、これまで1年半は、そのほとんどが、沖縄との往復航空運賃と、学会参加費用に消えていて、今は蓄えがほとんどない状態です。学会といっても、いろいろあって、年間6つ前後に参加するようにしているのですが、年会費、大会参加費用、交通費、宿泊費、これらすべては全くの自前です。頑張って稼いでも、学会の度に消えていく運命にあります。

 この、航空運賃と学会参加費用にお金をかけることが、配偶者にはどうしても気になるらしいです。それがなければ、学費を援助する必要がなくなる、というのも大きな理由の一つなのでしょう。しかし、節約できるところは節約しながら、(例えばマイレージをうまく使うとか、ホテルのインターネット予約で割引率のいいところを利用するとか)、続けてきました。

 学会への参加は、研究者としての実績作りのためでもあり、学ぶべき事を学ぶためでもあります。だから、確かに安くないお金ではありますが、私は自分が出したお金は、それ以外のところで十分還元されてきたし、これからも必ず何らかの形で自分に戻ってくると信じています。今はちょっと大変だけど、これは先行投資なんだ、と思うようにしています。

 先行投資は、何もお金に限ったことではないと思います。

 おととい、通勤途中の電車の中で、「グッドラック」という題名の本を読みました。2人の騎士が魔法のクローバーを探しに行くという物語なのですが、ある場所に必ず生えるという魔法使いの言葉を信じてお城を後にした2人の騎士が、実際にその場所に行ってみると、こんな所に生えるわけがない、と言い渡される。それを聞いた騎士の一人は、他の情報を探しながら、どこかで奇跡にすがろうとして結局何も得られず、そしてもう一人は与えられた情報を元に、自分にできることをやったら、生えないと言われた場所に、魔法のクローバーが芽を出す、という結末になっていました。

 私はこの本を読んで、苦しい体験も、一種の先行投資なんだな、と思いました。

 やせた土地にいくら種をまいても、そのままでは成長しないで枯れてしまいます。種が育つには、土を掘り、新しい肥えた土を入れ、種が育つ条件を整えてやらなければなりません。

 人生の中の苦しい体験とは、ある意味土を入れ替えるようなものではないかと思うのです。体験を通して、人の苦しみを理解し、どう助けたらいいか学ぶための、あるいは生きる目的や意味を見つけるための、土台作りの役割を担っているような気がします。苦しい体験は、それを受けた人のとらえ方次第では、大きな成長のきっかけにもなると思います。

 今やっていることがすぐには結果が出ないと分かっていて、それでも続けるというのは大変な努力を必要とします。苦しいときに、少し先の事を考えるのは人間にとって難しいことです。それでも、自分の可能性を信じながら一つ一つを乗り越えていく、その先には、きっと今までとは違う何かが待っているような気がします。ちょうど、自分の持てる力と資源を使い最善を尽くし、最後に魔法のクローバーを両手いっぱいに手に入れた、白い騎士のように。


 

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孤独より辛いものはない

 ブログを始めて、9ヶ月になりました。
こんなに続くとは思っていなかったので、ちょっと驚きです。
振り返ってみて、いろんなことを書いてきたなあ、と思います。
時々、大分前に書いた記事にコメントやトラバをいただくことがあって、あ、こんな事書いたんだっけ?と懐かしく思い出すこともあります。

 ブログは、私にとって、大切な情報発信源というだけでなく、人とのつながりを改めて考える機会を作ってくれたと思います。実際の姿が見えるわけではないけれど、それでも、私の書いた記事を読んで下さる方がいて、相互のコミュニケーションが図れるのは、ブログならではだと思いますし、それで大分助けられた所もあったように感じます。

 前回の記事を読まれた方から、コメントやメールをいただいたこと、とても感謝しています。メールへの返事は、もう少し落ち着いてからならできると思います。皆さんお一人お一人に、お礼を申し上げたいと思います。

 おそらく、私については、仕事をバリバリやっているイメージがあるのかもしれませんが、本当のところは、それほどキャリアを求める気持ちがないのです。大学の非常勤講師の仕事は、好きで楽しんでやっていますが、それ以外はもともとは交通費を捻出する目的で引き受けた仕事でした。(もちろん、やっていると段々おもしろいと思うようになったんですけど)

 本当は、家族が仲良く、安心して過ごせるようになることが私の一番の望みでした。私が大学院にいってまで心理を学びたかったのは、人を助けたいという気持ちと同時に、知識を得ることが、家族や周囲の人たちのためになると思ったからでした。父親を早くに亡くし、気持ちが常に不安定な母親とほとんど家族とのコミュニケーションをとろうとしない妹と生活しながら、自分が家庭を持ったら絶対に、みんなが安心して過ごせるように、いい妻、いい母親になろうとずっと思っていました。

 ところが、配偶者と結婚して、最初のうちからどうしても配偶者と分かり合うことができませんでした。子供を妊娠したことが、過去のトラウマを引きずり出す結果となり、出産後も育児不安となってずっと残ってしまったのですが、本当に苦しくて仕方ない時に、何度伝えても配偶者には声が届かないもどかしさと焦りがありました。それでも配偶者に合わせて何とかうまくやっていきたいと思っていました。

 子供が生まれて最初の数年間は、PTSDの症状と不安とで、私もかなり不安定でした。しかし、職場に復帰し仕事をすることで、何とかバランスを取ろうとしていました。時々感情が爆発することがあって、配偶者と激しい口論になっていました。配偶者にしてみれば、そういう私の悪い所に忍耐してきた、という思いがあるようです。それは確かに配偶者の言うとおりで、私の至らなさに大分我慢をしてもらっていたという気持ちが私にもあるのです。

 配偶者の暴力は、そういう口論のさなかに突然起こっていました。だから、私には相手を怒らせた自分が悪いという気持ちがあって、配偶者の責任ばかりではないと思っていました。本人は「自分はやっていない」とすぐには認めませんでしたが、今は反省しているという言葉は聞かれるようになりました。

 大学院で勉強したいという私の希望は、最初は反対されたけれど最後は受け入れてくれ、学費とか、授業で家にいないときの子供の世話などの援助も、それなりにやってくれた、そのことには今も感謝の気持ちでいます。仕事にも(興味がぴったり一致していることもあって)熱心で、いいところはちゃんと評価してあげられれば、配偶者をもっと理解し受け入れられるかもしれない、という思いもあります。

 しかし現実には、配偶者の言動に混乱し、どうしていいか分からない自分がいて、そういう自分が許せないのです。

 これまでにも何度か触れたとおり、アスペルガーとADHDの特徴を両方もっている配偶者は、どうしても約束やルールを守ることができません。また、「自分が考えていることは他人も同じように考えている」という認知の持ち主なので、相手の気持ちや立場を理解するのが極めて難しく、しかもプライドの高さも手伝って、他人に自分の足りないところを指摘されたり、自分のやり方に異論を唱えられることに激しく抵抗します。(いいわけというか、自分は悪くないという主張をして、自分からはなかなか謝るということができないようです)

 気分がころころ変わり、突然怒り出すかと思うと、それほど時間を置かずして急に優しくすりよってきたりします。「あなたのことを大切にしているでしょ」と言う反面、キレると暴力をふるう。他人が傷つくことを平気で口にしても、そのことはすぐに忘れてしまうのに、自分が言われたことはいつまでも覚えている。そういう配偶者の態度の大部分が発達障害から来ていることは想像出来るけれども、どうしても受け入れることができないのです。

 身内でなく、クライエントとしてのつきあいなら、仕方ないと思えることが、どうしてもできない。

 配偶者とは、できるだけうまくつきあいたいけれど、暴力の記憶がどうしても消えないし、「二度としない」約束が破られる可能性が否定できないので、家庭が安心しくつろげる場所ではなくなってしまっているのです。それは当然ながら子供にも伝わる、だから何とか自分ががんばらなければ、と思ってしまうのです。

 こういう個人的な悩みは、同業者にもなかなか話せないし、私にはいざというときに夜中でも電話をかけられるほどの親しい人がいないのです。発達障害の事を説明すると、「あなたはプロなんだし、相手を受け入れるしかないよね」と言われたこともあります。辛いよね、と言ってくれた人もいたけど、そんなにしょっちゅう電話をしたり、話したりするのは相手に迷惑がかかる、と思うと、連絡ができず、結局は一人で抱え込んでしまっていました。

 そうして、思いがけず単身赴任をすることになり、家を離れてから、ひどいうつになってしまったのです。

 それでも、仕事はやめるわけにはいかないし、クライエントの事を考えると自分のことは二の次になってしまいます。でも、苦しいと訴えても、配偶者は話を途中で切ってしまい、どうしても伝わらないし、あまり同じ事を繰り返すと「またか」といやな顔をされるので、さらに落ち込む、という悪循環に。最後は「言っても無駄なんだ」と無力感に襲われます。

 そんな状況で、ぴょろを転校させるかどうかという大きな決断を、一人でしなければならないことが本当にしんどかったです。ぴょろのADHDのことも、配偶者は考えすぎとしか思っていないので、学校のこと、友達関係のことなどずっと一人で考えていました。ぴょろが一緒に住むことは、いいことなのかもしれない、けど環境が大きく変わることを考えると、決断ができないのです。責任の重さと、先の見えない不安で押しつぶされそうになるけれど、そういう思いすら配偶者と分かち合うことができないのです。

 こころに栄養をあげないまま、それでもがんばった結果、今の私は枯れそうになっている、それは私にもよく分かっているのですが、自分で自分のケアができないほど、無気力になっていて、できることなら消えてしまいたいとさえ思うときもあります。配偶者は「生きるか死ぬかは自分で決めること」と突き放しておきながら、十分に私を助けてると思いこんでいる、それに対しても、反論する気持ちすら沸いてこない状態です。

 今でも、家族が望めば仕事も全部やめて、帰りたいという気持ちもあります。配偶者と仲良くする方法があるならそうしたい。だけど、配偶者の行動を見ると、家庭が落ち着ける場所であって欲しいと言う私の希望は、私が相当にがんばらないと無理だと言うことも分かるので、やっていける自信はない。

 分かって欲しい人に分かってもらえない、相談したいけど言えない、そうやってどんどん孤立していくこと以上に人間にとって辛いことはないと思います。クライエントにはできることが自分のためにはできない、そのことが、とても悲しい気持ちがします。

 

 

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愛情と信頼(3)

 台風と前線の影響なのか、今日のK市は朝から雨が降ったりやんだりしています。
お昼過ぎには、土砂降りの上に雷も(大学病院の)近くに落ち、どきっとする場面もありました。

 私の気持ちの方も、今日の天気と同じように、不安定でした。
今まで張りつめたものが切れたように、配偶者にぶちまけてしまい、過呼吸を起こしてしまいました。

 それでも、中学校の研修会の講師の仕事と、大学での研究をやっとここなし、木曜日のカンファのための資料作りに取りかかっています。どんなにしんどくても、一度引き受けたこと、やり始めたことは途中で投げ出すわけにはいかないので。

 アパートに戻る途中、雲の隙間からわずかに夕日が見えました。雨上がりの済んだ空気。それが逆に孤独感を呼び覚ますようにも感じました。


 いろんなことがあってから、家族って何だろう?と時々考えます。
文化も習慣も価値観も違う2人が結婚し、新しい家庭を作っていく。子供が生まれ、家族が一人づつ増えていく。あるいは、子供がいなければ2人で家族を築いていく。

 家族の定義について、大学院(修士)の授業で大議論になったことがありました。

 シングルマザー、再婚、再々婚(Stepfamily)、離婚し片親だけで子供を育てる人、国際結婚、同姓同士の結婚…など、アメリカの家族の形態とは実にいろいろです。社会的背景が複雑なので、一概に言えないのですが、少なくとも白人中流以上の家庭では、以外とダンナの影響力が強く、家庭を守る女性の役割に対する根強いプレッシャーがあるようです。伝統的価値観を今も大切にする地域と、それほどでもない地域との差もありますから、家族に関しては、それぞれに特別な思いがあるんだろうなあ、と、クラスのあちこちで飛び交う意見を聞きながら考えていたものです。

 夫婦仲がよく、家族の決定権が夫にある家庭では子供は安定して育つ傾向がある、という海外の研究調査があり、時々子育て関係の本に引用されることがあります。

 ある本の中で、この文献が引用された10数ページの後、もしひとり親で育てる場合も、父性と母性を両方発揮できれば十分育てられる、とも書かれていました。(つまり、両方の役をうまく担っていく、ということなんですが)

 これを読んで、混乱する親もいるだろうな、と思います。

 夫婦仲が良くても、家庭が安心できる場所でないなら、子供は多くの不安を抱えて育ちます。私の両親は、母親がすごく父親を立てて、父親が家族の柱、それを支えるのがアタシの役目、という考えだったので、けんかはそれなりにしたけど、夫婦仲はすごく良かったです。でも、私の兄弟も私にとっても、家族は必ずしも居心地のいい場所ではなかった。

 死別であれ、離別であれ、家族の誰かが途中でいなくなることだってあります。それでも、安定して育つ子もいるし、そうでない子もいる。たとえ両親がそろっていて、仲が悪くなくても、子供が不安定になったり問題を起こすこともある。家族も、いつも同じ人たちと同じように暮らしていけるわけではないし、当然のように変化は起こります。そんな変化に対応していく過程で、より強い絆を作り上げる家族と、結局バラバラになってしまう家族があるのです。

 家族の中では、愛情は一人一人に同じように注がれる、と考える人がいるかもしれません。しかし、家族の中の愛情は、決して平等ではないのです。愛情が、誰か一人に偏ることも、あるいは、そこまでなくても、愛情が必ずしも夫婦や子供たちの中でいつも平等に分かち合えるというものでもないです。ある意味、家族とは、愛情という点では非常に微妙なバランスの上に成り立っていると考えることもできます。

 それでも、家族の一人一人が、安心してくつろぐことができ、お互いを受け入れられるのは、信頼感を維持できているからなのだと思います。そして、その信頼感を維持する唯一の方法は、日頃の、ちょっとした事の積み重ねであり、家族のそれぞれの必要を満たすために、お互いが自分のできることをやっていけるかどうか、だと思います。

 信頼は、たった一度の出来事でも、一瞬にして失われることもあります。そして一度失った信頼を取り戻すことは、大変な努力を必要とするのです。どんなに家族に対する愛情があっても、信頼を失ってしまうことは、家族の人間関係のバランスを崩してしまうことにもつながります。

 自分はうまく愛情を表現できないんだ、という人もいると思います。でも、家族から信頼されていれば、ちゃんと愛情は相手に届いています。どんなに愛しているよ、と言葉にしても、あるいは態度で示しても、もし、信頼を失ってしまえば、愛情だけで家族との関係を元通りにすることは決してできません。

 愛情と信頼、そのどちらも、安定した人間関係には必要不可欠です。そして、この2つにはそれぞれに関係を維持するための大切な役割と意味があるのです。


 

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親の悩み、パートナーの悩み

 昨日1日、臨床心理士会主催の研修会に参加しました。
途中から、座っているのが段々きつくなってきました。背中が痛いなあ、と手のツボを押しながら最後まで話を聞き、それからアパートへ戻ってきたら、それまでの疲れが一度にどっとでて、TVを見ながらいつの間にか寝てしまいました。

 不安が強いとき、私はよく入道雲の夢を見ます。いつも飛行機に乗って見ているからなのか、かなりリアルです。

 空を見ていると、入道雲がもくもくと大きくなってこちらに迫ってくる。そのうち、灰色の雨雲にかわり、どんどん空に広がっていく。夢の中の私は、なぜか小学校2年生くらいの子供で、バス停でバスを待っていると、段々と雲が空を覆い、雨が降ってくる。雷が落ちてこないかとはらはらしながら、身を低くしてバス停にじっとしている、そんな夢でした。

 目が覚めたとき、一瞬だけど恐ろしいほどの孤独感が襲ってきます。人とのつながりが全くなくなってしまったような、全く誰からも切り離されてひとりきりになってしまったような、そんな感じです。

 こんな時に、すぐに話せる人が思いつかない、それが私にとって一番辛いことです。


 師匠との出会いから、必然的にPTSD(心的外傷後ストレス障害)の心理療法に関わるようになってはや3年、いろんな人との出会いがありました。子供の頃の虐待、DV,突然の死別、刑事事件の被害者、と抱える問題は様々でした。その中に、自閉症スペクトラム障害も抱える人たちが含まれていた、そのことがきっかけで、大人の発達障害への支援にも、PTSDの治療と平行して関わるようになりました。

 大人でも子供でも、発達障害の可能性が明らかなときは、私は親に告知をします。主治医がいる場合は、主治医と話し合いの上、主治医から伝えてもらうこともあります。

 言いっぱなしではなく、その後、長期的な家族へのサポートが始まります。

 私の、仕事から得た経験と、ブログで出会った皆さんの記事と、そしてADHDの子供とアスペルガー症候群の配偶者を持つ家族としての経験から、発達障害の本人も困っているけど、家族はもっと困っている、と実感しています。誰かが家族を支えていかないと、家族がうまく機能しない、そう思うからこそ、いろんなブログを訪問し、あるいは実際にご家族と会って話を聞き、どんな事に悩んでいるのか、どういう助けを必要としているのか、ずっと考えてきました。

 本当は、同じ助けは私も必要としている、だけど援助者としてそれはとてもいいにくいです。カウンセラーはそういう意味では因果なお仕事なのでしょうね。

 親としては、子供とどう関わっていいのか毎日迷い、悩み、試行錯誤の日々。このくらいできるだろう、という期待はあっさり裏切られる。かと思うと、思うよりあっさり出来たりする。注意集中力は日によってムラがあるし、予測が難しい。あまり気にしていないように見えて、傷つきやすい部分がある。どう叱り、いつ教えたらいい?その結果はどうなるのか?相手の態度は状況次第なので、先が見えない。だから、小さなことでも、何かを始めるときは、いろんな事を考えてしまう…。子供が次第に成長してくると、友達、先生、周りの人との関係について、親としての心配は増えていく。子供の特性を説明しても、分かってくれる人そうでない人、興味を持つ人持たない人、それぞれに反応が違う。いじめのこと、学力のこと、受験のこと…と、考えることは後からどんどんやってくる。思春期の大きな変化も、発達障害のある人には少ししんどいことも多い。進路のこと、自立のためのスキルを今からどう教えるか、目の前の事だけでなく、10年先まで常に考えながら、子供に対応していかなければならない。

 子供を一人育てるだけでも、考えることもやるべき事もいろいろあります。他人の理解や協力なしで、とても親だけでできることではありません。

 その上に、配偶者にも発達障害がある…。2人の子供を一人で育てるのと状況的には似ているかもしれません。

 興味の範囲が狭い配偶者は、決断が苦手です。大事な決断の時には話し合いができないので、結局いつも一人で考えてきめることになります。しかし、意見や気分がころころと変わる配偶者は、いつも直前になって攪乱するため、最後の最後までもめてしまう。あるいは、決めてしまった後で、「自分は本当はこう思ってた」と言い出す。

 共感が難しく、不器用な配偶者には、何度言っても私の声は届かない。

 子供を育て、配偶者とうまくやっていくには、私にはどうしても専門家としての知識が必要でした。今まで膨大な量の専門書と文献を読み、専門家の講義や助言を受け、どうすれば、という私自身の疑問にできるだけ答えを探してきました。

 知識だけでなく、人並み以上のキャパ(包容力)も求められます。配偶者の失言や、他人を視野に入れない、衝動的な行動にも、寛容な対応をしていかなければならない。子供の問題行動にも、冷静に対応していかなければならないから…。

 だけど、私はマリア様のようには、何でも許し包んではあげられません。

 子供のことだけ、配偶者のことだけにかまっていられるわけではありません。仕事でも、いろんな問題や悩みが起きるし、実家のこともある。大学院生として、まだ研究を続け、論文を書いて実績をつまなければならない。

 子供のことで落ち込んで、配偶者の態度に腹が立って、泣いて泣いて、そんな夜を過ごしても、朝になるとまた、1日が始まる。仕事の時には、患者さんやクライエントの事に集中しなければならないし、大学に行けば、研究に集中しないといけない。単身赴任を始めてから、助けたくてもすぐには帰れないジレンマも。落ち込んで死にたくなっても、それでも講義が始まれば、一生懸命学生さん相手にしゃべりまくっている自分がいる。


 彼らは変われない、だから私が歩み寄るしかない、そのことは十分承知しています。多くを望んでいる訳でもないし、少なくとも彼らは、いろいろ壁にぶつかりながらも、マイペースで笑顔で暮らしています。

 その後ろに、彼らを支えて励まして、自分の力以上に受け入れようとしてきた私がいることを、彼らは分かっているのかは分かりません。

 ただ、私は誰でもいいから、「よくがんばったよね。」と言って欲しい。そんなワガママなことを考えてしまいます。

 
 

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混乱のもと

 昨日の夕方、10日ぶりにK市にもどりました。
大学病院で仕事をし、アパートに戻ってきてからは9月始めに行う前期試験の問題を作り、気がつくと夜中1時を回っていました。

 おととい、普段は最高100前後しかない血圧が急に上がり、昨日福岡へ向かう飛行機の中でも血圧の上がり具合がいつもと違うと自覚出来るほどでした。そのせいなのか、飛行機を降りてから夜までずっと、頭痛があってなかなか眠ることができませんでした。心臓がときどきぎゅーっとしまるような感じもします。

 ストレスによるもの、とは重々承知しているけど、それにしてもK市のアパートで一人になっても変わらないのはなぜなのか…それは、引っ越しするしないでもめているから、なのです。

 配偶者と一緒にいると、一度決めたことが簡単に覆されることがよくあります。また、覆した相手が配偶者自身であっても、それがいつの間にか私のせいになっていることもあります。

 また、自分が考えていることは、他人もその通りに考えている、という認知の問題があるので、他人が違うことを考えているというのがどうしても理解できない(あるいは受け入れられないというのもあると思う)ので、どうも私が配偶者と違う意見を言うと、話題を急に変えてしまうところがあります。

 那覇空港へ向かうとき、いつもはダンナの事務所まで車を運転し、そこから歩いて駅まで行き、モノレールを利用します。しかし昨日は運転途中で急に激しい雨が降り出したので、空港まで車で行き、あとで配偶者に車を取りに来てもらおうと、配偶者に電話をしました。

 駐車料金がもったいないと考えた配偶者は、自分が空港まで送っていく、と言い出しました。

 私は別にどちらでもよかったので、配偶者の申し出を受け入れました。ところが、事務所を出た時間は決して早くなく、配偶者の運転する横で、搭乗手続きにはかろうじて間に合うけど、時間の余裕はほとんどないだろう、と私は思いました。それなのに、途中で寄り道をしたいと言い出した配偶者をどうにかおさめ、何とか20分前までについてくれ、と内心願いつつ、空港に向かっていたら、

 配:「この時間なら十分間に合うよ」 (この時点で、私は空港にはぎりぎりにしか着かないことが分かっていた)
 Sana:「私はぎりぎりだと思うけど」
 配:「全然余裕だよ」
 Sana:「うん、あなたは余裕だと思ってるんだよね。でも私は時間に関してはあなたとは違う考えを持っているからね」
 配:「うん、そうねえ」

 分かってもらえたのかな、と思ったその瞬間、

 配:「ねー、”鉄板ステーキハウス”って知ってる?」
 Sana:「???」

 運転席の横を見ると、「鉄板ステーキハウス」の大きな看板が。そうです、彼は見たままを、何の意味もなくしゃべっているのでした。しかも、それまでの会話とは全然関係ない。当然ながら、「ごめん」の一言もなし。私はあまりの無意味さに、思わず笑ってしまいました。でも、何故私が笑うのかも、配偶者は全然分からないようでした。結局、空港についたのが、搭乗時間のきっちり20分前でした。

 これが、これまで私をたびたび混乱に陥らせるもととなっていました。会話の途中で、話題がいつの間にか変わってしまっていて、いったい今まで何話してたんだっけ?ということは日常で当たり前のように起こります。配偶者が一度「いいよ」と言ったことが、舌がまだ乾かないうちに(こういう表現も配偶者は分からないんだけど)「そんなこと言ってないよ」とあっさり覆される…。その上に、必ず私が気になること、言って欲しくないことを一言付け加える。

 今朝も、同じようなことが起こりました。

 私はK市に経つ前に、配偶者に手紙を残してきました。そこには、ぴょろをK市の小学校に転校させたい、そのためには、現在借りているアパートから、候補の小学校校区内に引っ越さなければならないということを書いておきました。また、配偶者の暴力など、いろんなことがあって、少し回復のための時間が欲しいので、時々行き来はするけどもうしばらくは離れて住みたい、とも伝えました。

 手紙を昨晩読んだ配偶者は、今朝電話をかけてきました。

 配:「ぴょろをK市に連れて行くのは賛成だけど、ぴょろが”行きたい”というならね」
 Sana:「じゃあ、ぴょろに直接聞いてみたら?」
 配:「仕事も落ち着いたから、時間もちゃんととって、面倒見れるんだけど」
 Sana:「もし、あなたが”ちゃんと見れる”っていうなら、今まで通り、ぴょろと一緒にいてもいいよ」
 配:「おかあさんが連れていってもいいんだけど、あなた神経質だから、それに一日中仕事しているから、ちゃんと面倒見れるの?」
 Sana:「あなたも一日仕事をしているんじゃないの?誰だっていつも思うように時間がとれるわけではないし、そういう意味ではあなたが面倒を見ても状況は同じでしょう?」
 配:「ぼくは、ちゃんとやれると思うよ」
 Sana:「ふうん、そんなに自信あるんだ」
 配:「そうだよ」

 配偶者の言っていることは、当たっている。子供には初めての転校、言葉も大分違うし慣れるには時間がかかる。私も仕事をしているから、ぴょろを十分にサポート出来る自信はありません。4月に私がK市に住まなければならなくなったとき、私が単身赴任を選んだのは、ぴょろの環境を急激に変えない方がいいと思ったからだし、配偶者がちゃんとやるから、と言った言葉を信じてのことでした。だけど、3ヶ月様子を見てきて、ぴょろを一人きりにすることが多く、配偶者が「面倒みるのも大変だから」、とある日言い出したのです。ぴょろもおかあさんと住みたい、と言うので、今の環境を変えない方がいいのか、それとも親と一緒にいる方がいいのか、ずいぶん悩んで、いろんな人の意見を聞いて、やっと決めようとしていた時でした。

 そういう時になって、「自分はちゃんと面倒見れる」とそれまでの意見を覆す、私に「ちゃんと面倒見れるのか」、と切り返す。そこには、「どちらを選んでも、お互い出来ることをして協力していこう」という考えはないようです。自宅にいるなら配偶者が面倒を見る、私の所に来たら、私が面倒を見る、そんなにはっきりと境界線があるような問題なのか?と思ってしまいます。でも、配偶者はそういう風にしか考えることができない。ぴょろをK市に連れてきて、よいこともあるし、そうでないこともある、そういう考え方の私は、配偶者の自信たっぷりの態度に、自分の考えていることや感性に対しての自信がなくなり、自分が分からなくなってしまうのです。だから、なかなか決められない。何かを決めようとすると、必ず配偶者が反対のことを言い出し、揺さぶりをかける、そんな繰り返しなのです。

 そして、手紙を書いて、きちんと私の気持ちを伝えたはずなのに、ぴょろの転校以外の事は一切触れずじまいです。「手紙には、おかあさんの気持ちがよく出ているね」、それが配偶者の唯一のコメントでした。

 そこには、共感はないと分かっている、それだけに、私はむなしさを感じます。

 そんなアスペルガー全開の配偶者を今の私が、ぴょろを育てながら単身赴任を続けながらどこまで援助できるのか、いったい誰に相談すればいいのか、悩みはつきません。

 そんな私を横目に、「おかあさんは悩みが多いよなあ、悩むのをやめたらもっと楽に生きれるのに」と言う配偶者がいるのです。ははは…。

 

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愛情と信頼(2)

 ついさっきまで、師匠の送別会に参加し、自宅に戻ってみると、誰もいませんでした。
それから30分ほどで、配偶者が玄関を開ける音が。

 それから5分くらい後に、ただいまー、と言いながら私の部屋のドアが開いたので、おかえり、と言おうと後ろを振り向いたら、洋服も下着も何もつけていない配偶者が立っていました。

 ぎゃー!! 

 私の部屋の向かいはお風呂場なので、こういう事は始めてではありませんが、今日は楽しい事があった(いろんな人とお話ができた)後で気分がよかったのに、一瞬で現実に引き戻された気がしました。 

 私は今結構神経が過敏になっているので、時々配偶者の予測不可能な行動でびくっとさせられます。

 
 今年の春、あるワークショップに参加した時に、講義の最後にあるビデオを見ました。

 国際養子縁組で、北ヨーロッパからアメリカの養父母のもとへやってきた、ある子供の治療の場面です。この子供は生まれてすぐ捨てられ、孤児院で数年間過ごした後で、養父母に引き取られるのですが、どうしても養父母のケアを受け入れられず、適応障害になっていました。

 その治療とは、以前から何度も紹介している、眼球運動による再処理と脱感作(EMDR)という方法です。ビデオの中では、眼球運動(25往復前後)の数セット目で、その子が泣きたいのを必死にこらえながら、治療者の指の動きを追っている場面が出てきます。一番悲しい場面(親に捨てられたこと)を思い出していることは、容易に想像ができます。しかし、それから急に、本人の表情が和らいで、最後には笑顔になったところでビデオが終わります。

 EMDRについては、ここでこれ以上詳しく触れませんが、とにかく非常に印象的な治療法です。

 さて、何らかの事情で、子供の時に十分な愛情を受ける、あるいはニーズを満たせなかった場合、人を信頼するのは難しいということは前回触れた通りです。愛情を与える相手を離別や死別で失った場合は、失った事への悲しみと向き合い、それを受け入れ、乗り越えていくという、喪の作業と呼ばれる過程を通り、人は別の相手との人間関係を再び作っていけるようになります。

 子供時代の虐待や、アルコール依存症の家族の場合にも、状況によっては、何らかの形で離別を体験することになります。施設に保護される事で、家族と別れることになりますし、片親の家出や離婚で、家族が離ればなれになることもあります。それ以外にも、彼らは成長する中でたくさん失っているものがあるのです。

 その失った悲しみを、十分に表現できる安全な場所を持たないために、自分自身の中にしまい込んでしまっている、そのために、十分に自分の気持ちと向き合う機会がないまま、成長せざるを得ないのだと思います。

 そうして、他人との適切な距離をとることができず、十分な信頼関係を築くのが難しい状態で、まだいやされない、満たされない心を抱え、失ったものの代わりを求め続けている、それが、子供の虐待被害者や依存症の家族に共通した特徴なのだと、私は思っています。

 例えて言うなら、本来他人との関わりの中での感情的な交流をブロックしているものがある、それが、トラウマであり、何かを失った(しかも十分に悲しめていない)体験なのでしょう。

 そこから、立ち直り、新しい人間関係から信頼することを学び、愛情を得るには、かつて十分に悲しめなかった、過去の出来事を改めて悲しむ、喪の作業が必要です。

 自分の悲しい気持ちと向き合い、乗り越える作業は、一人のひとの中で静かに行われる場合が多いです。しかし複数のトラウマを背負っていたり、状況が複雑な場合、見守り役の人が必要です。そうして少しずつ、信頼を回復し、愛情を感じられるようになるまで段階的に介入していくのです。

 このプロセスを通らずに、愛情やケアだけを与え続けても、相手の心にはなかなか届かないのです。

 そして、悲しみの作業を終えることで、ありのままの自分でも愛してくれる人もいることを理解できるようになっていきます。また、自分の気持ちを受け入れると、自然に周囲の状況をもっと冷静に見つめることができるようになります。そうやって、成長過程で失われたものを、少しずつ取り戻していく作業が始まるのです。


 喪の作業は、自分の一番辛い記憶と向き合うことを求められるので、勇気も必要です。この作業は、自分自身を知るためのものでもあります。自分を信じられるようになるには、多少長い道のりは必要かもしれませんが、その過程での出会いが、少しずつ生き方の方向性を見つける手助けをしてくれることもあるように感じます。

 そろそろ眠くなってきました。次回に続きます。

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親離れ子離れ

 お盆で配偶者の兄弟が帰省中です。
いとこたちが来ているので、ぴょろは5日前から、配偶者の実家にずっと泊まっています。

 それで、配偶者と私は(夜だけ)2人で過ごすしかありません。こんなに長く子供が家を空けるのは始めてです。あと2日は帰ってこないのですが、今度は私が金曜日にK市に戻るので、ぴょろとはあと4,5日会えずじまいです。

 修学旅行、体験学習、とぴょろが数日家を空けることはこれまでも何回かありました。

 でも、せいぜい3、4日、しかもその間、私も仕事で出張したりしていたので、お互い様、というところでした。

 昨日あたりから、ぴょろがいないことが段々寂しくなってきました。本当はいいかげん、家に戻ってこい、と言いたいところ。でも、来年から中学生になるぴょろが、今のように自分より年下のいとこたちと無邪気に遊べるのは、あと何年くらいだろう、と考えると、ぴょろに今のうちにできるだけたくさんの楽しい思い出を作っておいてあげたい。だから…ぴょろの気持ちを優先させよう、と私も寂しさをぐっとこらえ、一人で晩ご飯を食べました。

 仕事から帰ってきた配偶者は、「夜になって、家が恋しくて泣いてないかなあ」と真顔で言いました。

 それは、せいぜい小学校1,2年生までのこと…と言いたかったけど、口には出しませんでした。配偶者のぴょろへの対応を見ていると、どうもぴょろが今12歳であることが分かっていないような、配偶者の中では、ぴょろはまだ5,6歳くらいの子供のままではなかろうかと思うことがあります。

 やはり、配偶者の時間の感覚には問題があるんだよなぁ、と再認識。

 ぴょろは順調に親からちょっとずつ距離を置こうとしているのに、親の方がどうも子離れできてないようです。

 私はまだ、配偶者の暴力の問題から完全に立ち直っていないので、配偶者と2人になることがまだ怖いです。それでもいつかは、ぴょろが独立して家を出ていけば、この5日間と同じ事がしばらく続くわけです。

 配偶者とは、もともと会話が続かない(配偶者の興味のある話題以外は)ため、ぴょろがいないと本当に静かです。仕事にほとんどのエネルギーを費やす配偶者は、家庭の中のことについてはあまり興味を示さないからです。しかも、この前も言っただろ…と思うような、同じ会話が繰り返されることも多いです。

 このあたりが、本当にアスペらしい、と思うところです。

 ぴょろがいることは、ある意味私の不安を解消してくれるところがあったんだなあ、と改めて思います。家族のBuffer(もともとは、「緩衝液」という化学用語ですが、心理学で「緊張緩和の役割」という意味で使われる言葉)を引き受けてくれていたのです。だけどそれでは、子供の時の私と同じになってしまいます。だから、私もぴょろに依存してしまわないように、ぴょろがバランスよく育つように、子供と年齢相応の距離を取れるようにしなければ、と思いました。

 その前に、もう一人の子供…じゃなくて、配偶者との距離をどうとるか、という問題が残されているんですけどね。

 

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愛情と信頼(1)

 昨日いちにち、台風のため最悪の天候となりました。
航空各社も欠航が相次いだようで、本当は昨日戻る予定だったけど、そうしなくてよかった、と思っています。

 昨日私は、師匠と沖縄での最後のお仕事を終え、そのあと、帰省中の甥とぴょろを、ゲーセンに連れて行きました。そのあと、配偶者の実家で夕食をみんなで食べた後、9時過ぎに自宅へ戻りました。

 飼い主の帰りが遅いのを心配していたのか、みーちゃんとシェーンが玄関で迎えてくれました。配偶者曰く、私が不在の夜はけっこうミーミーないて私を捜しているんだそうです。10日に、久しぶりに帰宅した夜中、シェーンがないていたので名前を呼ぶと、「うにゃ~ん」という甘えた声を出しながら、だーっと駆け寄ってきたのを思い出しました。

 うーん、私のこと、飼い主と認めてくれているんだねぇ。

 そのシェーンちゃん、今は私の部屋の、レーザープリンターの上で気持ちよく寝ています。(印刷できないじゃないか!)

 私は、猫と台風にはこよなく愛されているようです(笑)。


 私の周りには、親のどちらかがアルコール依存症、という友人が多いです。また、DV被害者のカウンセリングをやっていると、やはりアルコール依存症の親を持つ人が多いことに気付かされます。

 飲んだくれて暴れてものをこわすとか、家族の誰かに暴力をふるう現場を目撃して育った人たちが、私の周りにはたくさんいます。

 その中には、同じように飲酒の問題を抱える人も少しはいますが、大半はむしろ同じようになりたくないとがんばっている人たちです。彼らに大体共通しているのは、周囲への細かな気遣いができ、非常によく他人の世話をし、相手の要求を第一に考えようとし、自分の要求や感情を出すのが苦手、という特徴です。アルコール依存症の家族に関する研究はかなりやられていますから、細かい点まではここでは述べないことにします。

 しかし、友人も、クライエントも、ほぼ全員が実家との問題だけでなく、配偶者や子供との問題を抱えています。中でも配偶者との関係の悩みは、深刻なことが多いです。DV被害者に限らず、暴力の目撃者(witness)として、家族が一方的にやられるのを目にして育った彼らは、どんなに状況がキケンでも、そこから逃げ出せない、あるいは逃げ出そうという考えすら持てないのだ、ということを、これまで何度も感じてきました。

 むしろ、自分さえがまんすれば、とひたすら耐えている人も少なくありません。また、自分で責任を負いすぎてしまい、他人に援助を求めることを躊躇する人が多いように思います。

 昨日、師匠と仕事(コンサルテーション)をしていて、気がついたことがありました。

 依存症の親をもつ人は、親とは違うタイプのパートナーを捜そうと望みながらも、あるいは同じ問題を二度と繰り返したくないと思いながらも、飲酒の問題がなかったとしても親と同じようなパートナーを選んでしまう、あるいは問題を繰り返してしまうということが、とても多いです。

 その背後には、共通した問題があるのではないか、と思ったのです。

 アルコール依存症に限ったことではありませんが、様々な理由で親の愛情を十分に受けられなかったり、子供のニーズが満たされずに育った人は、どうしても、その「満たされないもの」の代償を他人から得ようとするところがあるのではないかと、以前から思っていました。(実際私もそうだった)

 その、代償を他人に求める気持ちが、アルコール依存症の家族は特に強いのではなかろうか、と気がついたのです。他人との親密な関係を築くのが難しい状態で、無償の愛情を求めようとする、それが結果的に同じ事を繰り返してしまう根底にあるのではないか、と考えました。

 母性と父性で触れたように、無償の愛情は、人が基本的な信頼感を築くのには不可欠です。しかしそれが不足すると、他人への安定した信頼感を持つのは難しくなります。多くの人は、親に代わる愛情を得ることができれば、その問題は解決すると信じているかもしれません。

 しかし、子供であっても、親から得られなかった愛情を代わりに誰かから受け取れるようになるには、大変な作業が必要なのです。

 本当は、親代わりの人から愛情を受け取るには、相手に対する信頼感を持てているかどうかが重要なポイントとなります。しかし、依存症の家族の多くは、相手に役に立つ、あるいは相手の喜ぶ事をすることで、相手から愛されようとしている人たちなのかもしれない、と気がついたのです。もちろん、そうすることで、相手からの信頼を得て、望んでいるものを得られることもあると思います。しかし、彼らは、相手に対して献身的に接しながらも、どこかで相手も自分も信じられていないような気がします。

 愛情が得られれば、相手を信頼できる、というものではなく、信頼できるから愛情を感じられるのだろう、と思います。


 続きは次回に。さて、今からお仕事がんばろっと。今日は「アスペルガーday」(アスペルガー症候群のクライエントのカウンセリングが集中している日)です。


 
 

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クライエントに教えられたこと

 配偶者の「早起きブーム」は5月くらいから始まりました。
朝4時に目覚ましを鳴らすので、自然と私も目が覚めてしまうようになりました。

 今は、目覚ましを鳴らさなくても毎日同じ時間になると目が覚めます。
配偶者のマイブームは去ったみたいですけど。

 朝の方が、ブログを見たり書き込みするには都合がいいので、早起きも悪くないですね。


 私は今、とても重要な分岐点にいます。
仕事を辞めて、家族を支えることに専念するか、それとも続けるか。
続けるなら、ぴょろと一緒にK市に住むことになります。

 今小学校6年のぴょろは、あと半年がんばれば中学生になります。
こんな中途半端な時期に、転校させるのはかわいそう、という気持ちと、配偶者の子育て能力の限界を考えるとやはり私がぴょろと一緒にいた方がいいのではないかという2つの気持ちの間で揺れまくっています。

 スクールカウンセラーも大学の非常勤講師も、基本的に採用は年度単位なので、途中でやめるのは難しいです。でも、家族3人一緒に暮らすのが一番いいなら、全部手放すしかない、とも考えます。

 この2週間ほどずっと考えているのですが、結論が出ません。

 本当は、臨床心理士の受験手続きも進めないといけないのですが、手をつけることができないままです。

 もやもやした気持ちを抱えながら、それでもカウンセリングの仕事は入ります。昨日も、あるクライエントがカウンセリングを受けにきました。

 半年前まで、いろんな問題を抱えて沈みがちだった人が、今は見違えるように元気になった姿でやってくる。EMDRを使うようになって、こういう場面を何度も目にするようになりました。

 そんなクライエントから、最近は逆に励まされたり教えられたりしているような気がします。私は自分の抱えている事情をクライエントに話すことはありませんが、クライエントの問題と私の問題が非常に似ていて、何気なく言ったひとことがまるで自分に言われているように感じることがあるのです。

 人にはしがみつきを手放すようにアドバイスしながら、私自身はしっかり家族にしがみついている。過去を繰り返さないための支援をしながら、自分はそうあってはならないと頭で分かっていても、同じ事を繰り返している。

 クライエントと面接をしながら、私は段々と気付いていったのでした。

 受け持ったクライエントが元気になっていくのは本当に自分のことのようにうれしいです。その反面、どうして私は自分自身が元気になろうとするのを、押しとどめてしまうのだろうか?と悲しくなります。

 昨日、あまりにも問題が似通ったクライエントの、問題を乗り越えたあとのすがすがしい笑顔を見ながら、私は自分に何が足りないんだろうか?とずっと考えていました。


 

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母性と父性(2)

 オリンピックが始まって、配偶者はTVを見る時間が増えているようです。
私は、かなり忙しいので、TVを見るひまがほとんどないです。

 本当は大事な話をしないといけないのに、配偶者がTVのほうに気をとられている、ということが今一番の困りものです。やれやれ。

 さて、前回の続きです。

 母性と言う言葉は、ある意味誤解の多い言葉です。女性が子供を出産し子育てが始まる時にはすでに身に付いている先天的な能力、と考える人も多いですが、そうではありません。母性とは、「自分の経験と他人の経験から学ぶことにより、つちかわれる能力」なのです。

 母性は、人間が生きていく上で、とても大きな役割を果たします。母性とは「ひとの存在を受け入れ、愛し守る力」とも言えるでしょう。したがって、子供に十分な母性的な働きかけがなされないと、子供は安全・安心感を持つのが難しく、自分や他人を信頼する、言い換えると人間関係の土台の部分をしっかりと確立できないまま成長しなければならなくなります。

 3歳までの母子関係が重要視されるのも、こういった理由からです。親の母性が最も発揮されなければならない時期であり、この土台がしっかりしていないと、今度は父性を発揮できないからです。

 父性もまた、生まれつき備わっているというよりも、やはり経験から育つ能力です。父性とは、社会性を育てるために必要なもので、ルールを教え、社会で生活するためのスキルを子供が身につけるための援助をする役割を負っています。

 ある専門医の言葉ですが、「母性的なものが十分に伝わってから、父性的なものが伝わる」のが原則です。つまり、子供に限らずひとは、いったん自分を受け入れてもらってからでないと、相手からの助言は十分に伝わらないということです。

 これは、虐待された子供たちの養育の難しさにもつながっています。

 数年前、招かれて訪ねた家庭で、ある光景を目にしました。小さな子供が3人いて、3歳少し前くらいの子供が、とことこと近寄ってくると、急に私をばしっとたたきました。でも顔は笑っています。私はこれも子供の表現のひとつなんだから、とあまり気にしませんでした。ところが、それを見たその家のおとうさんが、急に怖い顔になり、その子をとなりの部屋に連れて行って、「何でたたくんだ」とその子の顔を何度もたたいて叱っていました。そのしかり方が、どう見ても年齢には見合っていなかったし、たたくな、といいながらたたいていては、しつけの効果はない、と逆に私は不愉快な気持ちになりました。子供たちは、たたくことがいけないこと、という意識があるように見えませんでした。むしろたたくことを愛情表現だと受け止めているような印象がありました。父親としてはたたいて言うことを聞かせるつもりだったのでしょうが、子供たちへ逆のメッセージを伝えているにすぎなかったのです。

 母性がよく誤解されるように、父性もまた、誤解されているところがあります。「母親の優しさと父親の厳しさ」とはかつて私が何度も耳にした言葉です。父性が最も必要になるのは思春期ですが、それまでに、養育者との基本的な信頼関係ができていないと、父性を発揮しようとしても、逆効果になることすらあります。

 母親は、子供がまだ小さいときから、しつけという点では母性と父性の両方を発揮しながら子育てをしています。では父親はどうなのか?それは、小さいときから子供とどう関わるかにより変わってくると思います。

 父親の中にも、母性と父性の両方があります。子供が小さいときは、どちらかというと母親の母性を補うような関わりが必要だと思います。しかし、子供が段々大きくなり、特に幼稚園以降、子供が集団の中で社会性を身につけていかなければならない時期になると、次第に父性を発揮する機会が増えていきます。それでも、母性的なものが全く必要ないかというとそうではなく、どうバランスを取っていくかだと思います。そうやって、普段からの子供との関わりの中で築いていったものを土台として、思春期に最も大切な機会が訪れると、私はそう考えています。

 私の個人的な体験から、ひとつだけ言えることがあります。

 母親が子供を叱るときは、父親は子供を受け止めることが大事です。また、父親が子供を叱るときには、母親が子供を受け止めてあげる。両方から叱られると、子供は居場所がなくなってしまいます。

 では、一人親のときには?叱った後のフォローを十分にすることと、叱っても子供を否定しているわけではないことを、ちゃんと伝えることだと思います。

 父性と母性とは、おたがい補い合うために人に与えられている能力です。

 そして、両親がそろっているから、母親が家庭にいて、父親が社会的役割をきちんと果たしているからといって、父性的なものと、母性的なものがきちんと機能していない家庭もあります。

 子供たちに安らぎを与える居場所を作るのが母性の仕事、そして自立の準備をさせるのが父性の仕事、そう考えると、男女の性差やジェンダー(性的役割)の議論に、母性を持ち込むことがいかに焦点がずれているかということが分かると思います。

 本来は、役割分担を明確にすることでなく、その時々の発達時期や状況に応じて、どう協力して子供を育てていくかということを考える必要があるのではないかと思います。

 夫婦がそろっていても、どちらかが母性と父性の両方をフルに発揮せざるを得ない状態、つまり子育てがどちらか一人の親に任せっきりになること、これが一番大きな問題だと思うのですが…。


 

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やっぱり怖い

 昨日の2時過ぎに、沖縄では、大事件が起こりました。

 米軍ヘリ沖国大に墜落 3人負傷 宜野湾市(琉球新報)

 昨日は、中学校校内研修会のレジュメ作りで一日パソコンとおつきあいしていたため、事故が起きてすぐにインターネットのニュースで知りました。

 3年前まで、沖縄国際大学のすぐ近くに住んでいたんで、とてもびっくりしました。

 落ちたのは正門に近い本館のそば。正門前の道路は一日中車の往来も多く、近くには病院、小学校、保育園、中学校がある地域です。

 今朝の沖縄の新聞はどちらもこの事故の記事が半分以上を占めていました。写真を見ると、昔の近所のことなので人ごととは思えず、もしあのまま住んでいたら…巻き込まれていたんだろうなあ、とぞっとしました。

 私も大学で教える身なので、自分の仕事場にヘリが落ちたと想像すると、職員も学生さん達もさぞ怖かっただろうなあ、と思います。(心理学科はあるから、多分ケアはできるだろうけど)

 新聞には「夏休みでなければ、大惨事になっていたかもしれない」、と書いてあったのですが、たとえ夏休みであってもその当時100人以上の人が大学内にいたわけで、これだけでも立派な大惨事ではなかろうかと思います。沖国大の学生数は確かに私立では一番多いので、学期中だったら…うーん、考えるのも恐ろしい。

 今回は幸い人的被害はなかったようですが、ヘリが墜落する際にあちこちに部品が散乱し、それが民家を大分壊したらしいので、大学の建物とあわせると被害は相当なものになりそうです。

 私はこの地域に8年住んでいました。確かに毎日のように頭上をヘリがぶんぶん通るのでうるさいし、それに飛行場の近くなので、かなりの低空飛行(機体が多分数百メートル上くらい)でした。あまり音がうるさいと、落ちたらどうしようと心配になって落ち着かなくなった経験はたくさんありました。

 今は、単身赴任のため空港をよく利用していますが、那覇空港は軍民共用なので、自衛隊と民間機が交互に離発着を繰り返し、そのために飛行機の出発が30分近く遅れることもあります。

 そして、一番怖いのが、離陸してしばらく高度600mくらいで低空飛行をすること。沖縄の空は、民間機、自衛隊の戦闘機、そして米軍基地を離発着する戦闘機やヘリで混雑しています。

 普天間飛行場は、市街地のど真ん中にあって、以前から危険性が指摘されていました。沖縄の空は、全然安全ではないのです。

 福岡空港も市街地にあって、以前に航空機の事故がありました。しかし沖縄と明らかに違うのは、飛行場の数十メートル先に民家が密集している、ということはないです。

 うーん、頼むからヘリを飛ばさないでくれ…と祈らずにはいられません。

 やっぱり、基地があんなに近いというのは怖いことです。


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母性と父性(1)

 今日はいろいろと予定が入っていて忙しいので、書き込みができる時間が今しかないようです。本当はお洗濯の時間なんだけど…。

 最近いくつかの新聞記事に、反ジェンダーフリーについて載せられていました。ひと頃、男女の性差による差別をなくす動きが活発で、混合名簿とか、雇用機会均等法など、いろんな制度も誕生しました。

 …が、ここにきて、それとは全く反対の方向へ動いているというのです。

 何か新しい考えが出てくると、それに真っ向から対立する考えというのが必ず起こってきます。物事には常に反対のものがあるのです。これはEMDRで私もすでに経験済みです。

 私は、フェミニズムではありませんし、性差についてはどちらかというと中立的な立場をとってきました。脳の構造ひとつとっても、男女では明らかな差はありますので、それらは受け入れるしかないですが、その差が必要のない差別化を生まないようにしてほしい、というのが私の考えです。

 しかし、今回の記事では、ちょっと(有識者の集まりにしては)論点がずれているような部分があって気になったので、少し自分なりの考えを述べておこうかなと思います。

 その前に、

  「ジェンダーフリー」教育現場から全廃 東京都、男女混合名簿も禁止

 という記事があるので、興味のある方はお読み下さい。

 男女の性差までも否定する過激な男女平等教育の背景になっているとして、東京都教育委員会は十二日、「ジェンダーフリー」という用語を教育現場から排除することを決めた。学校での「ジェンダーフリー思想に基づいた男女混合名簿」の作成も、禁止する方針。月内にも各都立学校に通知し、二学期からの実施を目指す。このような決定は全国で初めてで、今後、各方面に大きな影響を与えそうだ。
 「ジェンダーフリー」は、その意味や定義がさまざまで、単純な生物上の区別や「男らしさ」「女らしさ」といった観念まで否定する極端な解釈もされている状況。

 ジェンダーフリーという言葉が正しく用いられていない弊害もあるとは思いますが、その背後には「女性は家庭、男性は仕事」という考えを強力に推し進めているグループがあるらしい、とは別の新聞記事にありました。

 さて、反ジェンダーフリーを掲げているグループが主張していることのひとつに、実は母子関係の重要性があります。男女の差別があいまいになって、女性の社会進出が進んだことが、母子関係を希薄にしているのではないか、という理論らしいです。父親と子供の関係については何ら触れられていませんが、とにかく家庭を守る母親と家庭を支える父親という役割分担を明確にすれば、家庭はもっと安定して良くなる、ということのようです。

 彼らが主張するのは、特に三歳までの母子関係は非常に重要である、ということです。

 これに関しては、異論はありませんが、母親が家にいさえすれば母子関係が自然と安定する、というものでもないのは、このところの虐待関係の記事を読めば分かることです。ある有識者は、それでは逆に母親を追いつめることになるのではないか、と危惧する投稿をしていました。

 確かに、幼少期に安定した親子関係は必要です。(専門用語で愛着と呼ばれるものです)これが、対人関係の基本になるからです。

 しかし、これまでの私の経験からは、子供と親が何時間一緒にいるかという量の問題よりは、関わり方、つまり質の問題である、と思います。

 英語では養育者のことをcaregiverと言いますが、養育者は必ずしも母親だけとは限りません。本当はいろんな人が少しずつ関わって、子供は育っているのです。

 一部の専門家は、非常に母子関係にこだわっているのですが、実は母性と父性とは別々に切り離して考えること自体が不自然なことなのです。なぜならば、子供が成長するには両方必要だからです。


 そして、今回の論点に一番欠けているのは、「人間は一人の中に、母性と父性の両方を持っている」という視点です。母親=母性、父親=父性と完全に分かれている訳ではなく、本当は両方ともあって、それを状況で使い分けているのが現実です。

 ところが、そのことが見過ごされてしまって、母親には母性を求めすぎてしまっているように思えます。

 これでは、いつまでたっても根本の問題は解決できないかもしれません。


 続きは、多分明日かな?


 

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出会いは選べない?

 火曜日に自宅に戻ってきて以来、ブログの更新がペースダウンしています。

 電話回線がヘンになってしまったので、やむを得ずADSLをあきらめ、ISDNに戻りました。いやー、スピードが遅いこと…。ついでに私の生活ものんびりモードになっていて、ちょっと気が抜けた感じです。

 どういう訳だか、私にとっては、3月ではなく8月が別れの季節なのです。

 8月とは、アメリカの学校では新年度に入る時期です。だから、7月8月は、転勤など移動の時期なのです。催眠療法を教えてくれた私の最初の師匠は、2年前、米軍基地の病院を定年退職し、日本を離れました。今は、本国の看護学校(大学院)で教鞭を執っています。

 この最初の師匠が日本を離れる時は、本当に寂しくて、私もついていきたいよー、と思ったくらい別れが辛かったです。それは、この人が本当に日本人の事をよく理解していて、公私ともにずいぶんとお世話になったからです。この先生がいたことで、私は人生の辛い時期を乗り越えるためのいろんな助言や励ましをもらいました。

 そして、今年の8月、今度は今の師匠が関西へ転勤します。

 別に新幹線か飛行機で通えない距離ではないのですが、今までのように、車で10分で大学に行けば会える、という環境ではなくなるので、少々寂しいかな、と思います。

 この2人の師匠との出会いは、どちらも意外なことがきっかけでした。

 前の師匠(M先生)と知り合ったのは、友人のおかげでした。海外通販にこっている友人が、M先生の住所宛にとどいた荷物を取りに行くというので、ついて行ったら、そこで師匠を紹介され、最初は英語のレッスン(心理学は専門用語が難しくて大変なので)を受けるために通う約束をしました。ところがその後すぐ、私は大学院で病院実習をすることが決まり、スーパーバイザーをお願いすることになりました。それから2年間、クリスマスと夏期休暇以外は毎週のように指導を受けるためにM先生のところに通いました。

 友人は私より1年早く大学院を卒業していましたが、その日、たまたま用事で大学院の事務所に来ていたところをぱったりと会い、待ち時間が1時間ちょっとできたから、一緒に行かない?と誘われたのがきっかけです。

 それが、私の人生の中での、とても大きな出会いにつながっていました。

 今の師匠との出会いは、地元で開催された学会に出席していた時に訪れました。これもまた、会場で久しぶりにあった大学院で同期(このときは2人とも卒業した後でした)だった友人と会い、その人が紹介したい先生がいるから、と私を無理矢理ひっぱって連れて行ったのが事の始まりでした。

 その時師匠とは単にあいさつをするだけで終わろうとしたのですが、その時に師匠がEMDRが専門、と自己紹介をしたのでつい「私も論文を書こうとしたことがありますよ」と言ってしまったのが運の尽き、すぐにレベル1、2のトレーニングを受けるように勧められ、それを素直に聞いてしまった私はトレーニングに参加しました。

 トレーニング自体は非常に興味があって良かったのですが、トレーニングの中で治療者と患者役に分かれて練習をしなければならず、患者役をどうしても引き受けられなかったため、トレーニング終了後に、できなかった患者役をやるなら、どうしても師匠に治療者を引き受けてもらいたいんですけど…、と無理矢理頼み込んでやってもらうことになりました。

 だけど、トラウマがたくさんあったので、当然1、2回では終わらず、結局半年ほど通いました。

 EMDRのトレーニングが終わった直後は、一応認定はしてもらったけど、自分が治療者として使える自信がなく、多分やらないだろう、と思っていました。

 半年師匠の所へ、自分の治療のために通っていたら、気持ちが段々変わってきて、私もEMDRを使ってみようかなと考えるようになりました。

 そんな私の心境の変化をするどく見抜いた?師匠は、治療が終わった後さっそく私にケースを持たないかと持ちかけてきました。初心者だからと躊躇したものの、「行き詰まったら助けますから」、という師匠の言葉を信じて始めてEMDRを使った介入をやりました。

 始めからうまくいったわけではなかったけど、師匠は言葉通り、コンサルテーションをやってくれました。そうしているうちに段々と私もやり方が分かってきて、これはすごくいい治療法だということを感じるようになりました。

 だけど、M先生の時ほど、実際にはそんなに頻繁に連絡はとっていませんでした。今の師匠はM先生とは全然タイプが違っていて、クールで厳しいイメージがあって、取っつきにくい感じがあったし、私自身は違う大学の大学院を出ていて、師匠の直接の教え子ではないので、EMDR以外の接点がほとんどなかったからです。

 だけど、この師匠には、1度だけ大変お世話になったことがありました。

 一昨年の暮れ、私は博士号取得のため、ある大学院の後期博士課程の受験を考えていました。しかし、その大学院に関する情報がほとんどなかったので、師匠を訪ねてそのことについて相談をしました。その時師匠は、私に別の大学院を薦めてくれて、今の私の指導教授を紹介してくれました。

 博士課程に籍を置いて研究活動をやるようになってから、師匠との関係は少しだけ変化しました。それまでは患者さんのこととか、技術的な話がほとんどでしたが、そこに研究が加わったことで、師匠から教わることが増えた気がしました。結局トレーニングを受け始めてから3年のつきあいとなりました。

 師匠の転勤の話を聞いたとき、師匠にとってはすごくいい話だから、最初は素直に喜んでいました。でも、いざ離れる時が来たら、せめてあと1年、私が大学院を卒業するまではいてくれてもよかったかなあ、と思う時も。(国内だし、行かないで~というほどのリアクションはないけど)

 前の師匠は、私にとっての生き方のモデルであり、今の師匠は、研究者として一番尊敬する人物です。それぞれに大切な存在です。こういう出会いは一生のうちにそんなにたくさんはないだろうと思います。

 今年になって学会への出張が格段に増え、それと共にいろんな研究者と出会う機会も増えましたが、挨拶する程度で終わるのがほとんどです。だけどそれもそれなりの意味があると思います。

 こういう事を考えると、出会いは偶然でないだけでなく、もしかしたら自分で選ぼうとしても選べないところがあるのかもしれない、と思います。だからこそ、それが1回きりになるかもしれなくても、出会いは大事にしたほうがいい、と感じます。

 とりあえず、師匠は笑顔で見送ってあげたいと思います。

 

 

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大人のアスペルガー症候群(suppl.)おまけ

 前回の記事を書いてから、ちょっとお休みをしました。
まだいろいろな気持ちがあって、どんな言葉にすればいいか分からなかったからです。コメントを下さった皆さん、ありがとうございました。お返事ができず、すみません。

 前の記事に、少しだけ付け足しておきたいと思います。

 アスペルガー症候群と一言で言っても、人により直面する問題は少しずつ違います。アスペルガー症候群に限らず、高次脳機能に障害があると、他人の表情、声、話し方など、言葉以外で伝わるメッセージを読み取りにくくなります。また、その場の雰囲気とか場の空気を読み取るといった、脳に送られる一つ一つの情報を統合・分析し、その結果から推測するという作業が難しくなります。

 そのような働きの不具合が、ある時は、相手の本音と建て前を見分けにくいという問題になって現れ、別の時にはその場の状況や相手の気持ちに合わない発言や行動として表れます。人のコミュニケーションは、文字通りの言葉のやりとりだけでなく、実は言葉以外の情報交換によって成り立っているのです。

 アスペルガーの大人例の中には、その不具合を高い知能や経験で補っている方々がいます。彼らは少なくとも、自分がどう振る舞ったときに人がどう反応するかという事を理解しています。しかし、どう対応すれば、相手にも自分にとってもいいのか、その具体的な方法を自分で編み出すということができないように思えます。体験から学んだことを、そのときの状況に応じて少しずつ変えていく、つまり応用するということが苦手だからです。したがって、一度こうやったらうまくいった、という記憶を頼りに違う状況でも同じ方法で対応しようとします。その結果うまくいかなかったとき、やり方を変えるという選択肢がなくなると、うまくいかなかった原因を自分以外に探すか、そうでなければ、自分自身がだめだからと否定的に考えやすくなるのです。

 言語の理解力という点では、やはり他の自閉症スペクトラム障害に共通するものがあるので、「こうすればいいのよ」と口で言うだけでなく、実際にロールプレイなど、体や五感をフルに活用することで、より相手は理解しやすくなります。SST(社会スキルトレーニング)のプログラムは発達障害にも十分に応用できる、非常に優れたものだと思います。情報の受け手としての訓練だけでなく、どう自分の気持ちや考えを表現すればいいのかを少しずつ身につけていくことが、彼らの潜在的な能力を社会で生かしていく上では重要なことではないかと思います。

 さて、私は、配偶者の言動について、それがなぜ起こるのかということはある程度理解できるようになりました。そして、今までの臨床経験から、私が本人に対してできることと、あきらめて受け入れるしかないことが何なのかも、少しずつ見えるようになりました。

 それなのに何故、私がうつになってしまっているのか、その一番の要因は配偶者の予測不可能な感情の爆発です。パートナーとして最も介入がしづらい部分、それが相手の感情面だからです。

 カウンセラーとして患者さんたちに接するときには、私自身にはっきりとしたboundary(境界)意識があるので、相手の態度に私が感情的になりそうなとき、いつどこでどう対応すればいいかというある程度の行動基準を持っていて、一人で抱えられない時に他の同業者の援助を受けるという選択肢も準備されています。だからかなり難しいケースでも、自分を見失わずにやっていけるのです。

 しかし、身内の場合は大分状況が異なります。どうしてもこちらも感情的になりやすく、それが悪循環となり最後には暴力へと発展してしまうのです。

 発達障害をもつ大人のパートナー(恋人、配偶者、友人など)の大半は、相手を何とか理解し援助するための努力を続けている人たちだと思います。その中に、私と同じような悩みを抱えている人が必ずいるだろうと思ったので、あえて私は配偶者の暴力について書きました。

 確かに、対応次第では、相手の「困ったこと」を少しずつ解決することはできるかもしれません。しかし、相手の気持ちや立場を考慮し、感情の爆発に黙って耐えている人たちも少なくないと思います。アスペルガーに限らず、高次脳機能障害に関連した、感情コントロールの問題は、家族やパートナーが一人でがんばってどうにかなるものではありません。特に明らかな暴力がある場合、危ないと思ったら一時避難する手段を用意しておいてほしいと思っています。逃げることは、相手を裏切ることでも見捨てることでもありません。「自分さえがまんすればいつかはおさまる」と思うことは、逆に相手が自分自身を見直す機会をうばってしまうことになるかもしれません。

 第三者へ助けをどう求めたらいいのか、その答えはまだ私も探している最中です。

 専門家といっても、大人の発達障害をきちんと診断し治療的な介入ができる人は限られています。そのような人がどこにいるのか、という情報も不足しています。本来は、同じ悩みを持つ方々のサポートネットワークが必要なのですが、その点は、私の今後の課題でもあります。

 今わずかながら分かっていることは、子供の発達専門医(小児精神科医)や少数の精神科医で発達障害に詳しい人がいるようだ、というくらいです。本来は臨床心理士、社会福祉士のような他業種が一つのチームとして関わるべきだと思いますが、地域差や専門家自身の意識の違いが大きく、それぞれがバラバラに援助に携わっているという印象がまだ強い気がします。

 どういう形でも、相談できる相手を必ず持っておいた方がいいと思います。決して孤立して自分を追いつめないようにしてほしいと思っています。

 私は、配偶者の事が決して嫌いではありません。コミュニケーションが難しいし、共感できたという体験が非常に少ないことは残念だけど。それでも、暴力さえなければ、ここまで苦しまなかっただろうと思います。

 DVや虐待という問題だけをみると、確かに目の前で起こる行為をやめさせることに注意がいきがちです。しかし人の生まれてから今までの個人史やライフスパン(発達段階)といった観点からみると、こういう出来事は、その人の歴史の一部でしかないことに気づきます。発達障害との関連性も、この視点からでないと見えてきません。

 本当は、その人の歴史を十分に考慮し、評価した上で、こういった問題に対応していかない限り、一時的に行為をやめさせることはできても、再発を防ぐための十分な対応が難しくなるのではないかと思っています。実は、暴力というのは結果であって、その背後にある感情コントロールの問題を解決することは、その人の生き方(中でも価値観や問題への対処法といった複数の社会的機能)の根本を変えるほどの大作業なのです。そして発達障害の存在が、この作業を行う上でどう干渉しているのかを考えないでは、適切な介入は不可能です。

 発達障害とそれに伴う問題は、複雑で解決が難しい、だからこそ、絶対に家族だけで抱え込まないでほしいと思います。


 私は、ぎりぎりのところでやっと気がついたけど、このブログをみてくださる方には、決して私のようにならないでほしいと願っています。


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大人のアスペルガー症候群(下)〜家族の立場から

 今朝のことです。なく子も黙る丑三つ時(夜中2時前)に、数年ぶりにひどいパニック発作を起こしてしまいました。「もう少し続いたら、救急車を呼ばないと」、と思ったほど苦しくて、思わず配偶者に電話してしまいました。夜中ですから、電話には出てくれたものの、明らかに寝ぼけ声ですぐに電話を切りました。翌朝、電話を取った本人は、電話がかかってきたことすら、すっかりお忘れのようでした。

  私のパニック歴は実に23年にものぼります。良くなったり悪くなったりの繰り返しです。調子がいいときは、半年に1度くらいまで少なくなったこともありましたが、一番ひどかった時期は、1週間に3〜4回は発作に見舞われていました。薬は一時的に発作をおさえてはくれますが、結局symptom-freeにはなれませんでした。(離脱症状もあったしね)

 パニック発作を起こしやすいのは、寝不足が続き、疲労がたまっているとき、精神的なストレスがたまっているときです。この2つがどうしても避けられない状況(学会前とか授業の準備が滞って徹夜になりそうな時など)が生じると、それだけ発作を起こす確率が高まります。

  昨日の私は、確かに多少疲労もあったかもしれませんが、あれほどひどい発作を起こすほどくたくたではなかったし、むしろぴょろと出かけたり職場のスタッフと夕食を一緒に食べにいったりと、楽しい一日でした。しかしココロの中では、この数日間ずっと悩んでいました。一度ひどい発作を夜中に起こすと、しばらくは寝るのが不安になるので、睡眠不足になるという悪循環に今度も陥ってしまうんだろうなあ…と憂うつになります。

  前置きが長くなりました。
私の悩みとは、私の配偶者のことです。配偶者とパニック発作と何の関係があるのか、そのことをこれから説明します。

  前回は、治療者としての立場から大人のアスペルガー症候群について書きました。今日は、家族として違う立場からみるとどうなのか、ということについてふれておきたいと思います。

  半分以上は愚痴になってしまうかもしれませんが、カウンセラーも生身の人間であるという言い訳を使うことを、広いココロでお許しください。そして、前回触れた通り、アスペルガー症候群と一言で言っても、三人三様であり、配偶者の問題は、基本的に大人のアスペルガー症候群全体に必ずしもあてはまらないということをご承知の上、お読みください。

  私は配偶者と一緒に住み始めて13年目になりました。
最近ようやくこの障害について知るまで、私はずーっと混乱と不安の中で生活してきました。今はなぜこの人がこういう風にふるまうのかが理解できるようになったことで、配偶者の様々な行為に対処する方法を見いだすことができましたが、以前とは違う新たな悩みを抱えることにもなりました。

  アスペルガーと分かる以前、私にとって配偶者の行動は、まるで宇宙人のように思えました。

  ADHDも合併している配偶者は、とにかく思いつき・無計画な行動で周囲を振り回してきました。落ち着きなく、じっとすることが苦手です。思いついたことをぱっと口に出してしまうし、ちゃんと聞いていなくてこちらが問いかけたことと全然違う答えが返ってくることもあります。一度覚えた単語が頭から離れず、独語のように無意味に繰り返すことがあり、食べ物も、同じものを飽きるまで何度も食べます。環境や手順の変化を嫌い、自分のやり方を曲げようとしません。初めての場所や人が苦手で、緊張しやすいです。よくしゃべり、一見人なつこいようで、その反面とっつきにくいと感じます。時間の感覚は相当に曖昧で、人を待たせても待つことができません。

  自分の興味があること(金融関係の仕事)には、驚くほどの集中力と記憶力を発揮します。だから仕事を通してのつきあいや人間関係は大事にします。日常生活のかなりの部分はルーチン化されていて、決まったタスク(仕事)は一応きちんとこなしますが、それ以外の事にはほぼ無関心です。ノルマへの執念はすごく、何としてでも達成しようとします(それが熱心とみられるらしい)。お金にはうるさく、きちんと細かく管理します。だから仕事上では、ある程度の評価や信頼を得ているようです。

   仕事の顔しか知らない人には、まじめ、穏和、積極的、という印象があるようです。

  相手の気持ちや状況を理解するのは苦手で、気分や意見はころころ変わります。全体的にものごとをみることができず、大ざっぱに見える反面、細部への異様なこだわりを見せます。人の評価にはとても敏感なので、外では必要以上に自分をよく見せようとするため、感情を爆発させることはないようです。家でも機嫌がいいときはにこにこしていて、一見穏和そうに見えます。しかし、予期しない時に、ちょっとした私やぴょろの言動が引き金となり、いきなり爆発します。それほど回数的には多くありませんが、暴力に出たときに死ぬかもしれないと思ったこともありました。

  しかし爆発が終わると、まるでうそのようにおとなしくなります。そして、そのことを問いだたしても、本人は覚えていないか、やっていないと反論します。配偶者自身の問題が、いつの間にか私の問題にすり替わっていたり、うやむやのまま、時間が過ぎて不問のままになったことは数知れません。

  興味のある金融の話や、好きな話題に限っては会話が成り立つのですが、家族の中で大事な事を話さなければならないときなどは、話し始めて5分で寝てしまうことは珍しくなく、いつのまにか全然違う話題になってしまっていることがしょっちゅうありました。また、感情的な交流を感じられることがほとんどなく、状況にそぐわない言動に相手を怒らせたり傷つけることも少なくなかったです。

  アスペルガー症候群の存在が分かったとき、感情の爆発も、共感の欠如も、そういった今までずっと日常で体験してきたことについて、受け止め方をかえなければならないと思いました。家族が共同生活をしていく上で、本人には直してほしいと思っていたことがたくさんあり、それが口論や暴力へと発展することもありました。しかし、変えられる部分が非常に少なく、こちらが受け入れるしかないし、今までと同じように結局はできないところをこちらが補っていくしかないと気がつきました。

  これまで、「次から気をつけるから」「もうしないから」という約束はことごとく破られてきましたが、それもアスペルガーの特徴と本人の性格から考え、仕方のないことと思うようにしました。助言は必要最低限にとどめ、リフレーミングというカウンセリングの技術を使うことで、本人とのコミュニケーションを少しでもよくする努力をしてきました。

  私が仕事上学んできたことは、少しは役にたったとは思いますが、クライエントの場合のようにはうまくいかず、配偶者の反応はかなり悪く、うるさいパートナーと外で愚痴られていることもありました。年齢的なことを考えても、大人になるまで未発見、全く対応されないまま来ていて、しかも配偶者本人は、十分な問題意識がないので、自分で変えようという動機に乏しく、「あなたが受け入れてくれればそれで十分」という態度を崩さないので、相手の理解ができてもそこからどうすればいいのか、ずっと悩む毎日です。

  配偶者独特の考え方や価値観に、こちらが歩み寄るしかないのですが、それが私を混乱させます。

  そして、配偶者の度重なる暴力は、私の子供の頃の記憶と重なり、今もときどき生々しくよみがえります。相手を責めても仕方がないと思うし、許したいとも思います。家族である以上、できるだけ関係を良くしたい。

  それなのに、自宅に帰る前日の夜、必ずパニック発作を起こします。今もうつ状態は変わりません。一番PTSDの症状がひどかった今年の5月、何度も自殺を考えました。配偶者に電話で話してみましたが、「そう、じゃあね」と切られてしまいました。

  配偶者への対応も大変だけど、発達障害の事を話せる人が周囲にいなかったことが一番つらかったです。子供と異なり、パートナーとしての悩みは単なるわがままととらえられがちで、私は孤独感を感じない日がありませんでした。

  配偶者とうまくやって行くには、私自身も理解者やサポートが必要なんだと思います。今は本当にぎりぎりの状態でやっている気がします。


   

  
  

  

 

  

  

 

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i-Book購入しました

 昨日、かねてから予告していた通り、i-Book G4(14inch)を買いました♪
早速使ってみて、windowsより使いやすいなあ、と思うところと、慣れないと使いにくいと思えるところと両方ある感じでした。VAIOはCD-ROM/RWが外付けで、持ち運びには便利でしたが、付けたりはずしたりが面倒でしたし、USBが1つしかないので、結構不便でした。インターネットの接続は以前よりずいぶん楽になりました。

 i-chatやiMovieを使いたいための、2台目PCのつもりで買ったのですが、VAIOの出番が少なくなりそうです。

 日本語変換ソフトはATOK16、office:mac2004もそろえました。メモリは 774メガまで増設しました。それでもVAIOより5万円以上も安いので驚きでした。購入するまでは大分迷ったけど、今は買ってよかったと思っています。

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大人のアスペルガー症候群(下)~セラピストとしての立場から

 今日は、1週間ぶりに、大学病院でお仕事です。
しかも今日はぴょろが職場についてきます。

 そういうわけで、あまり時間がなく、この記事も2回に分けて書くことにしました。

 その前に、とうとうVAIOのUSBが壊れてしまい、マウスもプリンターも使えなくなりました。うーん、どうしよう…。


 さて、アスペルガーについて書いた記事を読んで下さった方は、お気づきかもしれませんが、今回、全くリンクを張っていません。その理由は、アスペルガー症候群について紹介したいいサイトがあるのですが、英語で書かれているので、リンクをためらっているからです。でも、記事を全部書いた後に、サイトと本はまとめて紹介しようと考えています。

 子供のアスペルガーに関するサイトは日本語もあるのですが、大人となると、情報がかなり不足しています。本も、訳本がほとんどです。どうしてこんなに少ないのか、不思議に思います。

 前回触れたように、大人のアスペルガー症候群の診断は非常に難しいです。

 その理由の一つは、症状を元に診断するシステムにあると思っています。これは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)にも全く同じ事が言えます。症状を中心に見てしまうと、他の精神疾患との広範囲な重なりがあるので、その他の疾患の診断が優先されてしまうからです。

 その他の疾患との識別のためには、認知、言語、対人関係、知能、その他の日常生活機能、そして身体的・精神的症状、と多面的な評価に基づいた診断基準が必要だと思います。

 アスペルガー症候群について話すとき、パートナーとしての立場と、セラピストとしての立場を明確に分けるのが難しいのですが、最初にセラピストの視点から見た、対応について触れておきたいと思います。

 いわゆるアスペルガーの典型例、というのは以外に少ない気がします。大人の場合の多くは「アスペルガー疑い」として判断されているのではないかと思います。他の自閉症スペクトラム障害と同様、アスペルガー障害も実に広範囲なものなので、大人の発達障害に詳しい医師やその他の専門職に出会わなければ、別の診断名がつけられアスペルガーへの対応を受ける機会が失われることになります。

 病院において、このような方が医師からカウンセリングを受けるように勧められるのは、社会不安障害(GAD)、強迫性障害(OCD)やパニック障害などの不安障害が存在する時で、対人関係や社会的活動の制限については、デイケアなどの集団療法を利用するように勧められます。

 私は、アスペルガーの典型例の大人(女性)との出会いがあったので、介入の難しさや課題についてその方との関わりから多くを学んできました。

 大人の発達障害全体に言えることですが、「何に困っているのか」がカウンセリングや治療的な介入の焦点になります。そして、認知なり行動なり、改善できる点を改善し、工夫をし、「困っていること」を減らしていくのが介入のゴールということに、理論上はなっています。

 アスペルガー症候群の場合、大半は、対人関係やソーシャルスキルを身につける援助と、感情のコントロールの仕方の改善の2つに、カウンセリングの時間が費やされます。

 また、不安障害がある場合には、不安・恐怖感への対処法や、不安を引き起こす状況に慣れるための訓練も行います。(方法としては通常と同じですが、時間がかかります)

 出来る限り視覚を利用すること、具体的で段階的な対応をすること、などは、子供の場合と基本的に同じです。しかし大人の場合は、それまでの間にすでに何らかのストレスや問題に対する、その人なりの対処法というのが身に付いてしまっているので、それを変えていくのは大変なことです。以前に触れたように、思考の柔軟性に難点があるため、今身に付いている方法以外に別の方法がある、と何度取り上げても、そうだと実際に理解し、日常に取り入れていくまでには、かなりの忍耐を必要とします。

 例えば、面接の間では、「そうですね、分かりました。やってみます」と約束できても、次の面接で尋ねてみると、全くやっていない、という返事がよく聞かれます。そこでかなりレベルを下げて、これだったらできるだろう、という非常に簡単な課題を出すのですが、自分の興味や考え方と合わないと、長続きしない傾向があります。

 自閉症スペクトラム障害全体にも言えることですが、アスペルガー症候群の場合、何かを変えようとするなら日常生活のなかで彼らを見守り、補う役割を負う家族などの第三者の存在が欠かせません。病院の、しかも60分枠というカウンセリングの時間の中では、家族への対応には限界があるのですが、それでも、家族へ障害の説明を行い対処法についての相談を受け、家族へのココロの援助が、本人への介入と同時進行でできる場合は、時間はかかっても、少しずつ日常生活に変化が出て、本人も安定するようです。1対1の面接だけで、うまくいっているという例はまだ経験したことがありません。

 感情のコントロールについては、爆発型と抑制型では対応が異なります。爆発型の場合、まず私は短時間でも毎日続けられる構造的な運動(早歩き、ジョギング、キャッチボールなど)をするようにアドバイスします。また、感情が爆発したときの対応について、本人と家族に別々にアドバイスをしています。大人の場合は、怒りが爆発する前に深呼吸をするとか10数えるという方法は取りにくいこともあり、タイムアウト(その場からちょっと離れる)のが最も効果的な印象があります。日常的に呼吸法などリラクセーションをやってもらい、運動と合わせてリラックスしているときの身体や気持ちを体験的に理解できるように援助しています。抑制型も、運動やリラクセーションという点では同じですが、自分の身体感覚や感情にどう気付いていくかという訓練を必要とします。

 パニック症状や、感情のコントロールに関しては、リスパダールという向精神薬もある程度の効果を示します。ただし、あくまでも少し落ち着くだけなので、結局行動や考え方を少し変えていく上で多少役に立つ程度です。もともと統合失調症の治療薬なのですが、なぜアスペルガーに効果があるのかはよく分かっていません。米国心理学会(APA)によると、それでも経験的に使われているそうです。

 対人関係スキルについては、やはり集団での訓練は必要だと思います。しかし、今の我が国のデイケアは統合失調症をはじめ精神障害者向けのプログラムなので、アスペルガー症候群やその他の自閉症スペクトラム障害の必要には必ずしも合っていないように思います。

 アスペルガー症候群の大人の方にとって、対人関係で一番大変なのは、相手の気持ちや周囲の状況をどう理解すればいいかということです。しかし子供のように、それを絵などで教えるのには抵抗を示されるので、大人向けにどう変えていくのか、これは今の私の課題になっています。自分が感じているように相手も感じている、と自動的に評価してしまうので、自分と他人の感情が異なることを、何から読みとればいいのか、という事を身につけてもらうのですが、これはなかなか骨折りな作業です。

 さて、そろそろ時間になったので、ここでやめておきます。

 
 

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味はココロ

 昨日の夜、久しぶりに家族みんながそろって夕食をとっていた時の話です。

 ぴょろが「お母さんの入れたお水は味が違う」と言い出しました。

 「いや、誰が入れても同じ水だよ。味も同じ。」と私が答えると、やっぱり違うよ、という答えが返ってきました。

 何が違うのか…?いまいち分からない私。

 するとぴょろはちょっとまじめな顔で、

 「お母さんの愛情がこもっているからおいしいんだよ」


 …ううん…そんなに愛情こめて水をくんだわけではないんだけど、そういう風に感じてくれたことがうれしかったですね。

 某ガス会社の宣伝ではないけど、味はココロで感じる側面もあるんだろうな、と改めて思いました。味の記憶もすごく重要らしいので、ご飯はできるだけちゃんと作らなくっちゃ、と反省中。

 それにしても、ぴょろの口から時々大人顔負けの発言が聞かれるようになり、彼も成長してるんだなあ、と実感しました。


 

 

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大人のアスペルガー症候群(中)

 今日は予定していたカウンセリングがキャンセルとなり、久しぶりに暇な一日を過ごすつもりが、子供にせがまれてゲーセンへ行き、太鼓の達人6に挑戦してきました(ノルマ達成はどうにかできたけど…)。そのあと、i-Bookのお値段を確かめるために電気屋さんへ行き、帰ってきたのが5時過ぎ、その間に、電話回線の修理が終わり何とかインターネットが使えるようになりました。

 さて、続きです。

 DSM-VIにあるアスペルガー障害の診断基準は次の通りです。

 A. 社会的(対人)関係の質的な障害(2つ以上)
  1)非言語的行動(アイコンタクト、表情、姿勢やジェスチャーなど社会的交流を促すもの)の著しい障害
  2)発達レベルにふさわしい仲間関係が未発達
  3)他人と楽しみ、興味、達成感を分かち合おうとする態度の欠如
  4)社会的または感情的な相互的交流の欠如
 B. 常同行動(1つ以上)
  1)非常に強いこだわり、ステレオタイプで狭い興味や視点にとらわれている
  2)独特なルーチン、習慣への固執
  3)ステレオタイプで反復した身体の動き(手や指をたたくかひねる、あるいは複雑な身体全体の動き)
  4)対象の一部分への一貫したこだわり
 C. これらの問題が社会的、職業的、あるいはその他の日常生活機能に著しい障害を起こしている
 D. 明らかな言語の遅れがない
 E. 認知機能や年齢相応の身辺自立能力、適応力(人間関係以外の)、周囲に対する興味といった点において明らかな発達の遅れがない
 F. その他の広汎性発達障害、統合失調症の診断に当てはまらない

…DSM-VIでは、アスペルガー障害は子供(思春期まで)の精神疾患のカテゴリーに含まれています。

 個人的にみて、確かに大方の所は当てはまるのですが、この診断基準を大人例に当てはめるのはちょっとわかりにくい気もします。大人のアスペルガーの方にお会いすると、表情が乏しいか非常に硬いとか、視線が合わないということもあるにはあるのですが、細々とでも他人と言葉や気持ちの交流を何とか続けてきた方がほとんどなので、どこまでが欠如の定義に当てはまるのか、悩むことも少なくありません。

 こだわりの対象も、特定のもの(コレクション)、お金、仕事、人間…と人によりまちまちですし、ひとつだけというよりはいくつかあって、状況によって変わっていく人もいるように思います。

 大人の場合はむしろ、独特の人間観・人生観を持っていることが多く、認知にある種の偏りがあるように思います。そして一度確立した思考パターンを変えるのが極めて難しく、融通がきかない、頑固な印象を受けます。

 また、対人関係については相互的な交流がうまく持てないことに対する明らかな苦痛や悩みを持っていると思います。

 認知機能については、多少の障害は存在すると思います。(特に時間や空間の認知)また、言語については、語彙(ごい)自体は人並みかそれ以上なのですが、言葉の使い方という点では、明らかな問題があるように思います。言語には必ず複数の意味があり、その時の状況や文章の内容で使い分けているのですが、そのあたりの微妙な違いがもしかしたら理解できていないのかも、と思わせるようなエピソードが結構あったからです。

 もちろん、高機能広汎性発達障害との相違点も考えないといけないんですけど…。

 また、診断基準には含まれていないのですが、記憶や情報処理という点でも、いらない情報と必要な情報の振り分けが不得手なのではないか、と感じることが多いです。

 ですから、私自身が大人の方で、アスペルガー症候群かもしれない、と考える時には、診断基準にはできる限り従いますが、それ以外の特徴を考慮しつつ、その他の精神疾患の可能性をいくつも考えながら、時には何週間も悩むことになります。

 別枠で続けます。


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大人のアスペルガー症候群(上)

 さて、師匠と意見が分かれた話題について、触れておきたいと思います。
この分野については、専門家の間でも意見が分かれるくらい、難しいということを前置きしておきます。

 ブログを見て下さっている方の中には、同じような問題を持つ当事者やご家族がおられると思うので、皆さんの参考になればとも願っています。言葉の表現には十分に注意したいと思いますが、何分sensitiveな話題なので、もし、これを読まれて「ここは違う」とか「これはこうだ」というご意見があれば、是非伺いたいと思っています。

 ここには、私の個人的な体験から得たものも含まれています。この記事を書くことで、私も自分なりにこころの整理ができるかなと思います。

 これまで、私は何度か配偶者のADHD(注意欠陥多動性障害)のことについてここに載せてきました。

 最近になって、配偶者にはもう一つ、アスペルガー症候群があることに気がつきました。それは、私がアスペルガーの大人例を何人もケアするようになってから分かったことです。

 師匠ともめた話題とは、アスペルガー症候群を持つ大人への対応についてでした。師匠は認知行動療法が専門で、彼らの困った行動を変えることに興味を持っていました。しかし、私はそれは非常に難しいし、アスペルガーの特徴を考えると、本人には逆に苦痛になるかもしれない、周囲が受け入れるしかないことも多い、と反論したわけです。

 アスペルガー症候群は、自閉症スペクトラム障害の中では、他の発達障害とはやや特徴が異なります。いわゆる「三つ組」の障害自体はあるのですが、言語の発達の遅れはほとんどありません。私は、個人的には「認知障害」(これには記憶・情報処理の障害が含まれます)、「コミュニケーション・社会性の障害」の2つに分けて考えるようにしています。反復行動は認められますが、目立たないので分かりづらいことが多いような気がします。

 アスペルガーの子供は、逆に言葉の発達が早いこともあり、知的にも高いので、乳幼児健診などで発見されることは非常に少ないようです。他者との関わりが増える幼稚園や小学校でも「ちょっと変わった子」だと周囲が思う程度で個性の範囲内と捉えられ、何の介入もないまま大きくなってしまうことは珍しくないように感じます。

 アスペルガーの大人の方々と接するようになって、この障害の大人例の診断が極めて難しいということを知りました。アスペルガーの大人例が抱える問題が、境界性人格障害(BPD)、統合失調症と共通している部分が多いからです。また、子供の場合と違い、診断を確定できるような道具(心理テストや構造化面接など)も極めて少なく、詳細な生育歴の聞き取りが重要な情報源で、他の2つの疾患でないという消極的な診断になりがちです。

 アスペルガーの大人例の聞き取りから、おそらく教科書には載っていないであろうものも含めると次の様な主な特徴があることが分かってきました。

 ・時間や空間の理解や把握が苦手。(年月日の記憶違いなど)
 ・知覚過敏がある場合と、逆に身体感覚を感じにくい人の両方がいる
 ・自分と他人の境界があいまい(だから自分が何者でありどんな感情や思考を持つかが捉えにくい)
 ・想像力に乏しく、抽象的な概念の理解が苦手。
 ・計画的・構造的に行動することが難しい。(思いついたことを、ぱっと言ってみたり実行するところがある)
 ・変化を極端に嫌う(日常生活のルーチン化、第三者が急に予定を変更するとパニックを起こすなど)
 ・他人の感情や周囲の状況を理解するのが苦手
 ・あいまいさの理解が極めて困難(物事には例外がある、ということが受け入れにくい)
 ・複雑な人間関係の理解が難しい(そのために対人緊張が極めて高い)
 ・細部への極端なこだわりから、全体像を把握するのが苦手
 ・感情のコントロールが苦手(爆発型と、抑制型の2つに分かれる)
 ・言葉は流ちょうでむしろ雄弁だが、reciprocal(相互的)なコミュニケーションが成立しにくい(つまり会話が一方的になりやすい)
 ・自分のやっていることを途中で妨げられることに、強い抵抗を示す
 ・待つことが苦手
 ・内省(振り返って反省する能力)に乏しく、同じ失敗を繰り返しやすい。自分の非を認めるのも難しい。
 ・気分が変わりやすい。(周囲には気まぐれと思われてしまう)
 ・かなり早期から、慢性的な睡眠障害(眠りが浅い)を持っていることが多い

 このような特徴のいくつかを必ず持っている人たちだと考えていただければいいかと思います。

 でも、悪いことばかりではありません。アスペルガーの人は、能力的には高く、こだわりをうまく利用することで社会的に成功している人たちも少なからずいます。興味があるものについてはとことん追求する姿勢があり、またこつこつと続けていくので、興味が職業につながると、安定した生活を送ることも可能です(ただし、以前に発達障害の就業支援でも触れたように、今の社会で彼らの能力を十分に生かす機会は限られています)。

 上に挙げた特徴のいくつかは、境界型人格障害(BPD)と共通しています。また、対人関係の難しさやあいまいさの理解が難しい、などの特徴は、統合失調症の症例でも見られます。(ただし主症状である幻聴・幻覚や妄想がないけど)

 自閉症スペクトラム障害は、高次脳機能の障害、とも言われますが、アスペルガーの場合はおそらく眼窩前頭皮質(思考や行動をコントロールする中枢)や帯状回(社会性の中枢)などの機能がうまく働かないことによる障害ではないかと考えられています。これは、PTSDにより引き起こされる障害と共通していますし、交通事故などにより後天的にこの部分の機能障害が起こっても、同じような認知・行動上の問題が起こるようです。アスペルガーの場合、感情自体は複雑に発達しているのですが、それを認識したりコントロールする部分の障害があるため、気分が変わりやすく、感情のコントロールが難しいのではないかと思っています。

 PTSDでも大脳の機能がシャットダウンすると、同じような現象が起こりますが、ちゃんとした治療を受けることで回復が可能です。しかし、アスペルガーなどの自閉症スペクトラムや後天的な高次脳機能障害の場合、介入はある程度の効果をもたらしますが、障害が完全になくなることはありません。

 アスペルガーの大人の人たちは、かなり早い時期から、自分が他の人と何か違っているということが分かっているようです。分かっているけれど、どうしていいか分からないまま成長してきたのだと思います。本来、成長過程で他者との関係の中で身につけるはずの社会スキルが未発達なことが多く、仕事に就けても長続きしない場合が少なくないようです。

 また、自分自身が何者であるかを捉えにくいことのひとつの結果として、常に空しさや無力感を感じている人も多く、(このあたりがBPDと非常に区別がつけにくい)他人の気持ちや状況がうまく理解できない反面、他人が自分をどう考えているかについては非常に敏感なので、嫌われること、見捨てられることを恐れ、不安定な関係にしがみつくことが少なくないような気がします。そのために、第三者から見て、非常に条件の悪い仕事を引き受けてしまったり、いじめや犯罪被害にも遭いやすく、PTSDを合併している事もあります。

 また、感情の爆発型の例では、逆にDVなど暴力に依存してしまうこともあります。(配偶者がこの例にあたる)

 生育歴の聞き取りから、大人のアスペルガーの人たちには、高い割合で小中高等学校のどこかで不登校の体験があり、社会不安障害(SAD)、強迫性障害(OCD)などの不安障害の合併率が極めて高く、原因の分からない身体の症状(心身症)が少なからずあること、LD/ADHDとの合併例、誤診断が多いこと、そして虐待の被害者が少なくないことなどが分かってきました。

 アスペルガー症候群は、日常生活全般にわたる様々な障害や問題を抱えるため、その影に隠れてしまい、見極めが極めて難しいと言わざるを得ません。

 配偶者のアスペルガーのことが分かったとき、正直な所、これは私自身が考え方を変えるしかない、と決断せざるを得ませんでした。本人も大変だけど、家族や周囲もまた様々なストレスを抱えることになります。発達障害全般に言えることですが、本人の状況を把握できてもそのあとどうするか、という問題には正解がないだけ、周囲の悩みもまた大きくなってしまうのです。


 この続きは仕事のあとで。


 

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悲しいとき

 日曜日の最終便で、やっと自宅に帰ってきました。
ぴょろは、大好きな友だちに会えたことと、念願のポケモンセンターに行けたことで、大満足の様子でした。

 先月はほんとに忙しかったので、自宅には5日間しかいられず、ぴょろとゆっくり話す機会もなかったので、出張とはいえ2人で出かけてよかったかなと思いました。

 これでゆっくりできると思っていたのですが、長いお留守の間にたまっていた仕事があり、一夜明けるとまた仕事モードに。いつもは空き時間に家事をするのが普通ですが、昨日はいろんなことがあって、家事が全然できないくらい忙しい日になってしまいました。

 昨日、久しぶりに師匠の所へ、配偶者の事で相談に行きました。
その時、私の言い方が悪かったのか、ある話題を巡って意見が分かれてしまいました。

 師匠としては、好意で言ってくれたのだと思うアドバイスが、逆に私にとってはすごく心の痛い言葉になってしまったのです。まあ、生身の人間だから、誤解とか失言も付き物だと思えばそんなに気にならないのですが、家に帰ってしばらくしたら、やっぱり誤解は解いておいた方が、師匠にとっても今後同じようなクライエントに出会ったときの参考になるかもしれない、と思ったので、師匠にメールを送ることにしました。

 意見が分かれた話題については、とても大切な事なので、メールを送る前にここにも載せておきたいと思います。

 師匠は私のコンサルタントでもあると同時に、今回EMDRの治療者としても助けてもらいました。PTSDの方は、そのおかげで大分よくなってきたとは思います。

 ただ、おそらくトラウマの中身の問題なのか、終わった後あまりすっきりした感じになれず、逆に悲しくなってしまいました。(師匠も私があまり嬉しそうでなかったことはヘンだと思ったらしい)

 そういう時、みーちゃんとシェーンが代わる代わるそばにそっと寄り添ってくれて(トイレも仕事も寝るときも一緒)優秀なナース役を引き受けてくれているので、助かっています。ぴょろもまた、それなりに物事がちゃんと理解できる年齢になり、きちんと話ができるので、PTSDの治療をしたのが今で良かったのではないかと感じました。

 そして、私には心から楽しめるピアノという道具もある…。

 悲しいとき、今まではできるだけ楽しい事を考えたり気分転換に出かけたりして、早くこの気持ちがどっかに行ってしまったらいいのに、と考えていました。だけど、寄り添う者の存在や、悲しみを表現できる手段を持ったことで、私自身は悲しいときにその感情を十分に感じ、それから少しずつ癒されていくという体験ができるようになりました。

 これは、私にとっては非常に大きな変化だと思います。

 

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