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立ち直るチカラ

 今日、これからぴょろを連れて東京へ出張です。
さっきまで、準備に追われ、退屈するぴょろの相手をしながら時計とにらめっこしていました。

 日曜日には自宅に戻れるけど、まだ電話回線の調子が悪そうだし、出かける前のちょっとの時間だけど、どうしてもこれだけは書いておきたいことがあって、またPCを立ち上げました。

 ここ2週間、出張の合間を縫うように、カウンセリングの仕事をしてきて、気がついたことがありました。

 患者さんやクライエントの悩みも問題も様々ですが、みんなそれぞれにちゃんと自分の中に立ち直るチカラを持っているんだなあ、と。

 時期もきっかけも、みんな違うけど、それでもいつか立ち直って自分の足で歩いていける。

 私はひとりの治療者として人間として、彼らのもつチカラをうまく出せるように援助するだけなんだ、と。

 そうして、私自身も、少しずつ仕事やそれ以外での体験を通して、立ち直ろうとしているように感じました。


 人間って、よくできた生き物だなあ、と感動しました。


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i-Book購入計画

 久しぶりの更新です。

 神戸から自宅へ戻ってみると、電話回線がおかしくなっていて、通話もインターネットも使えなくなっていました。@niftyのサーバにアクセスできない状態が続いていたので、メールもHPも全く見られない日が数日間続いていました。

 昨日の夜、K市に戻ったのでやっとPCがまともに使えるようになったのですが、今回はぴょろも一緒に来ているので、メールを見るのがやっとでした。

 明日からまた、3日間東京出張で、ぴょろも一緒に行って友達の所へ泊まる約束になっています。配偶者抜きで一緒に行動するのは、多分3、4年ぶりではないかと思います。

 さて私は仕事上、携帯に便利なモバイル型のVAIOを持ち歩いているのですが、CD-RWが外付けで結構めんどくさいので、昨年、オールインワンタイプのノート型パソコンを購入しました。ところが、このPC、大きさの割には非常に重く、移動ができないので、買ってからほとんど使わないまま、1年が経とうとしていました。

 最近から、いろんな人とのビデオチャットやデータのやりとりが増えて、Macだったらよかったけど…と言われることが何回もあって、この1ヶ月、何とかしてi-Bookを購入したいなあ、と考えていました。

 今日、ふと、使っていないPCを売ろうと思い立ち、近くのPCショップへ行ったら、予想以上に高い値段で売れてしまいました。それで得たお金を頭金にして、i-Book G4を購入することに決めました。

 出張から帰ったら、候補のお店をいくつか回って、一番良さそうな所で決めたいと思います。

 i-Bookあったら、仕事だけでなくイラストなどプライベートでも使用範囲が広がるので、今からとても楽しみです。

 

 

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Traumatic Memory:外傷性記憶 (1)

 今日はもう一つ、どうしても書いておきたいことがあります。
今日のワークショップは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)について、医学的な見地からの特徴や治療に関する事をテーマにしていました。

 話題自体は大変excitingなのですが、ここでもまた困った問題が起きてしまいました。

 講義を聞いていて、先生が例として出した話題に反応してしまい、思い出したくない出来事を思い出してしまったのです。話題自体は、私が体験したこととはそれほど共通点はないのですが、"Choking"(窒息する、首を絞められる)という言葉を聞いたとたん、記憶がぱーっと出てきて、息苦しくなり、心拍数・血圧が一気に上がり、タイムスリップしてしまいました。

 そこは私も慣れてきたので、何とか落ち着かせようと、周囲に分からないように呼吸法などのリラクセーション法を使ったのですが、あまり効果がなく、段々と身体の方も落ち着かなくなりました。

 でも、その場を立ち去るわけにはいかず、しばらく我慢をしていたら、足の力が抜けてしまい、動かそうとしても動かすことができなくなりました。

 それから5分くらいして、お昼の休憩に入ることになり、立とうとしたら立てずかなり焦りました。

 ちょうどそこに、同じ職場の精神科医が通りがかったので声をかけ、ちょっと話していたら落ち着いてきたので、やっと立ち上がり、どうにか歩くことができました。

 しかし、足に力がなかなか入らず、まるで鉛が入ったような重い感じでした。

 話し相手がいてくれたおかげで、お昼が終わるまでには身体の方は落ち着いたのですが、人の話は聞こえるしちゃんと理解も出来ているのに、なんだかフィルターを通して聞いているようなヘンな感覚が、夕方くらいまで残っていました。

 ワークショップが終わり、しばらく神戸の町を散歩していたら、少しずつ感覚が戻ってくるような気がしました。

 今は、ずいぶんよくなったように思いますが、それでも首のあたりに違和感が残ったままです。眠ることでこの違和感がとれてくれれば、と願うだけです。


 どうしてこんなに身体が反応したり、記憶が突然よみがえるのか、と不思議に思う人もいるかもしれませんが、これがTraumatic memory(外傷性記憶)の特徴です。こういった思い出し方を、去年の11月から繰り返しているのです。

 最近は、大分よくなった方ですが、それでもこの「侵入的想起」と呼ばれる現象は当事者にはかなりしんどいものです。思い出すきっかけは、必ずしもトラウマと直接関係があるわけではなく、思い出すと、その時に戻ってしまうので、今自分がどこにいて何をしているのかすら、一瞬分からなくなってしまうのです。

 外傷性記憶と普通の記憶の一番違うところは、身体感覚・時間感覚の異常さです。

 普通の記憶は思い出したときに、どきどきしたり、逆に幸せな気持ちを感じたり、と感情や身体の反応が出てくることもありますが、思い出す当人はそれが過去に起きた出来事であると分かって思い出しています。反応は、それほど強烈なものではないし、思い出すのをやめればすぐに消えていきます。

 それに対し、外傷性記憶は、思い出したときにタイムスリップしてしまうので、時間の感覚はなくなっています。しかも、感情や身体の反応は相当に強烈で、思い出さなくなってもしばらく残ってしまうのです。

 そして外傷性記憶は、思い出すと、前頭葉の働きが遮断されるので、新しい情報を取り入れたり、判断したりということができなくなってしまいます(コンピューターでいうとフリーズした状態)。

 思い出す時のこころや身体の反応だけでなく、判断力や情報処理能力が落ちてしまうので、日常生活のいろんな場面に影響が出てきてしまうのです。


 そんな状態をどうにかやり過ごしながら、仕事と日常をこなしていかなければならないというのが、今の私の置かれている状況であり、現実なのです。


 

  

 

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van der Kolk博士

 5日間続いた学会も、今日でやっと終わりました。(やれやれ…)
明日、2週間ぶりに自宅に戻れます。今回は8日間となが~い出張でした。

 今日は一日、van der Kolk博士のワークショップに参加しました。
ちょっとまえの記事でも触れたように、アメリカの精神科医であり、PTSD研究の第一人者です。彼の論文や著書を何度も引用したことがあり、今日のために学会に来たといっても過言でない(それでは発表は何だったの?!)くらいです。

 van der Kolk博士の講義の内容は、公開できたとしてもとうてい説明が難しい、相当医学的なものでした。でも、話している本人は、時差や多忙なスケジュールにもかかわらず、何だか話すことが楽しくてしかたない感じでした。正直なところ、こんなに偉い先生のワークショップに参加できるほどの立場の人間ではないはず(だってまだ大学院生だから)ですが、冗談もさえわたり、参加者が退屈さを感じないうまい話し方で、あっという間に時間が過ぎてしまったような気がします。

 その先生が、いよいよ講義の終わる最後、皆が短いビデオを見終わったあとしばらくの間沈黙があって、今までとは違う表情を見せました。何というか、このまま講義が終わるのが惜しいような、でも終わらないといけないことが分かっているので、「本当はもうちょっと話したいんだけどなあ」というやや寂しげ?な感じにも受け取れました。

 それを見ていて、本当にこの先生は、自分が研究や経験から得たことを、参加者に伝えたかったんだろうなあ、と感じました。

 PTSDに限らず、精神医学系の研究者の中には、自分の理論を必要以上に強調する人がいたり、他人の援助より自分の興味で研究をしているのではないか、と思えるようなことがときどき起こります。

 でも、この先生は、PTSDの人が何に困っていて、どうすれば彼らが日常生活を取り戻せるのかを真剣に考えて、研究して、実践してきた本当にいい人なんだなあということが、伝わってきました。冗談はややブラックでフランクなおじさん、という印象でしたが、ワークショップの最後で彼のコメントを聞いて、この人は本当に尊敬できる人だと感じました。

 私が海外に行ける身分にならない限り、再び講義を聞く機会がないかもしれませんが、これからもvan der KolK博士の密かなファンでいようと心に決めたのでした。

 (今日のワークショップに出て、ファンになった人は他にもいたかもしれません)

 今回はトラックバック野郎の記事へのトラックバックということで、こういう内容になりましたが、異性というより研究者としての態度に惹かれたので、ちょっと本題から離れているかも…。


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発達障害とうつの合併(1)

 学会もあと2日間になりました。今日はワークショップで英語のシャワーを浴び、私の頭の方はただいま情報過多のため、機能不全の状態です。(早い話が、あまりたくさんの事を一度に聞いたので、頭の情報処理能力がフリーズしてしまっているわけです)

 …とりあえず頭を休めるため?ホテルでTVをつけたら「となりのトトロ」をやっていたので、さっきまでずっと見ていました。

 先日「昇るより降りる生き方」を載せたところ、うつの急性期(一番症状が重いとき)にはちゃんと治療した方がいいのではないか、というご指摘をいただきました。もちろん、ご指摘のとおり、私の言語障害…でなくて、説明不足であったと思います。誤解のないように、少しこの件について、専門家と当事者の2つの視点から、付け加えておきたいことがあります。

 子供でも大人の場合でも、ADHDや自閉症スペクトラムなどの発達障害を抱えている人に、高い割合でうつの合併が見られます。大人の場合は、うつの方が全面に出て、その背後にある発達障害に気付いてもらえないことがすくなくありません。子供(学童期~思春期)では逆に、問題行動のほうが注目されやすく、うつの発見が遅れることが多いです。

 発達障害とうつが合併するときの対応の仕方は、うつが何故起こったかにより少し違ってきます。

 ごくまれですが、もともと脳内のホルモンのアンバランスがあって、うつを起こしているときがあり、その時は薬でバランスを整えるのが効果的だと言われています。

 しかし、発達障害を抱えていることで、日常生活特に人間関係で様々なストレスや問題が発生し、その中で何らかの出来事や体験が引き金となってうつになっている場合は、抗うつ薬で多少気分が落ち着いても、うつとなるきっかけになった体験の整理がつくか、問題の解決のめどがたつまでは、ゆううつな気分はなかなか改善しません。

 うつで薬の助けがどうしても必要なのは、1週間以上眠れない時と、食欲がなく急に体重が減ってしまった時です。眠ることと食べること、この2つが損なわれると、生命を維持するのが難しくなるので、うつでこの2つの症状が長く続くときには、薬を飲み、体力を必要以上に消耗しないように、休息を取ることが大切です。

 うつは、ひどくなるとやる気が全くなくなり、外出も起きて何かをやる気力もなくなります。しかし、薬を使っても、気力を取り戻すには少し時間がかかります。また、自殺のリスクはむしろ治りがけの頃に高くなります。薬を飲み始めて段々と元気になってきたころが、一番私たちにとっては要注意の時期と考えているのです。

 発達障害がありうつが合併している場合、抗うつ剤は50%程度、気分をよくしてくれ、睡眠や食欲を改善してくれます。残りは、薬以外の援助により、本人の行きにくさを減らし、ストレスをうまくコントロールする方法を身につけることで、改善することはできますが、100%よくなる、ということは非常に難しいと思います。

 大人の発達障害の場合、何年も抗うつ薬を飲み続けていても、あまり改善が見られない、ということもあります。それでも、漫然と同じ薬が使われていたり、何種類もの抗うつ薬を処方されているのが現状です。おそらく、通常の精神科医で、発達障害とうつの合併の可能性を考えながら治療のできる人はそれほど多くないのではないかと思います。

 子供の場合も、まず発達障害を専門に診ることのできる医師の絶対数自体が少ないという大きな問題があります。抗うつ薬の中でSSRIは子供には使えませんので、それ以外のお薬が使われますが、やはり薬だけではなかなか改善は難しいと思います。

 いずれにしても、ある程度気分や症状が安定するまでは薬中心の治療、安定した後でカウンセリングなどの心理療法を取り入れるのが一番妥当な方法だと言われています。

 ある程度安定した時に、生きにくさへの対応や障害とうまくつきあうための方法を模索する中で、自分の抱える障害を受けれられるようになると、段々とうつ症状が改善されることがあります。

 「昇るより降りる生き方」という考えが生きるのがこの段階だと思います。


 

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見る人はちゃんと見ている

 今日は、私自身のポスター発表の日でした。
…といっても、パワーポイントで作ったスライドを印刷して、あらかじめ備え付けてあるボードに貼るだけ、あとは興味がある人がフロアにならんだポスターを見てくれる、という単純なものです。

 国際会議なので、いつもと違い、いろんな国の人が来ていて会話は基本的に英語、というタフな学会です。

 私が発表したテーマはあまり新しいものでなく、私自身もどのくらいの人が見てくれたのかはよく分かりません。ポスターセッションというのがあって、1時間だけ自分のポスターの前で、他からの質問を受け付けることになっていたのですが、その時に私の所にきて見てくれて、声をかけてくれたのは、日本人が2人、中国人が2人、あとは同じ研究室の院生2人と、最後に師匠が何となくさらりと見にきただけ、でした。

 他のポスターの前に人だかりが出来ている所もあったのですが、別にあまりいろんな人に見られるほどの研究でもないので、まあ、こんなものか、と思いました。

 とりあえず今は、無事に終わったのでほっとしました。

 ポスターセッション以外の時間は、張りっぱなしで誰が見てくれたのかはよく分かりません。不思議だったのは、朝9時に会場について、ひとりでポスターを貼っていた時に、複数の韓国人の研究者やアメリカ人の心理学者に声をかけられ、抄録はないかと聞かれたり、自分も同じような研究をやっているよ、頑張ってね、と励まされたりしたことでした。

 おととい、ワークショップで一緒だったイタリア在住の臨床心理士(Ph.D)の方も、今日の午後帰国するからその前に必ず見て帰るからね、と昨日言って下さったし、数的にはどうかわからないけど、とにかく日本人よりは外国人の臨床心理士との交流のきっかけにはなってくれたみたいです。(スライドをメールで送ってというリクエストもありました)

 実は、今回の学会で発表するのは正直なところちょっと不安でした。

 かなり小規模な、細々とやった研究で、あまり出したくない気持ちの方が大きかったからです。中には非常に興味あるトピックで、目立つポスターで、人目を引くものもあったので、それからするとかなり地味な研究でした。

 これまで心理のお仕事をしていく中で、私の能力不足や、能力以外の部分で、いろんな壁(障害)がありました。そのことで、相当にくじけたことがあって、過去に2,3度、師匠にメールでぐちをこぼしたことがありました。

 そうすると、すぐにではないのですが、しばらく経って私が忘れかけたころに、

 見る人はちゃんと見ています。

 という言葉で締めくくった、短いメールが師匠から送られてきました。

 今回の学会でポスター発表が終わった後、この言葉をふと思い出して、そうかもしれないなあ、と素直に感じました。師匠はどちらかというと、普段からあまりほめない人なのですが、この言葉にはずいぶんと支えてもらっている気がします。
 

 さて、発表も無事に終わったし、読みたい本があるので、今日は早めに切り上げよっと。
 

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ひとりの患者としての生き方

 2004世界認知療法・行動療法会議(WCBCT2004)の2日目、今日も朝からまじめに勉強してきました。

 お昼に研究室の先輩のポスター発表を見に行き、シンポジウムに出席し、講演を聞き、同じ大学院から参加した他のメンバーとも顔を合わせました。

 今回の学会は、主に2つの分野の研究発表を聞くことにしています。

 一つが、発達障害に関する研究です。自閉症スペクトラム障害、ADHDなどの診断、評価、治療に関するupdateな研究発表に参加することで、さらに知識を高め、研究者との交流を持ちたいと願ってのことです。

 もう一つは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に関する研究です。といっても、今回私は脳機能などかなり医学的な話題に興味を持っていて、トラウマを体験した後、脳にどのような影響が出るのか、画像診断による分析などかなりマニアックな研究発表に参加しています。

 PTSDの治療についてはいろんな考え方、治療法があって、まだまだ議論の多い分野です。でも、医学技術の進歩で、生物学的にはいろんなことが分かってきていて、この分野の研究が、「なぜPTSDになる人とそうでない人が出てくるのか」という疑問に対する答えのヒントになるので、私の興味を引くのです。

 PTSD分野の研究で、非常に有名なVan der Kolkという精神科医の発表を今日聞く機会がありました。その時に、彼の考え方や研究の手法が私の考え方と合うからなのか、非常にわかりやすく、私が知りたいと感じていた事について、いろんな情報を得ることができました。

 学会に参加している時、私の頭は基本的には研究者モードになっています。

 その一方で、PTSDについての研究発表を聞きながら、時々は一人の患者として自分に当てはめて考えていて、それはたぶん自分の症状や置かれている状況をより的確に理解し、もう少しだけよりよく生活していくために何が必要なのかを見つけていくためなんだろうなと思います。

 治療者であり研究者のタマゴであり、そしてPTSDに振り回されてきた当事者でもある、という微妙な立場にいることへの不安や葛藤が全くなくなったわけではありませんが、「べてるの家」のメンバーの講演を聴いた後、当事者であるということは、私が考えていたよりもっと大切だと思うようになりました。

 当事者が自分の病気の事を自分で研究する、という「当事者研究」と呼ばれるものがべてるにはあるそうです。

 よく考えると、私が心理の勉強をするに至ったのは、半分は自分自身を理解するためだったような気がします。だとしたら、私という人間がまさに研究対象であってもいいわけです。そしてその研究から分かったことを、同じような問題を持つ方々をサポートする時に生かしていけばいいんですから…。

 私がよく迷っていたことは、PTSDを持つ当事者としての私と、治療者・研究者としての私を区別して考えた方がいいのかどうかということでした。

 だけど今は、全部ひっくるめて私、と思うようになりました。その中で治療者・研究者としてよりも、ひとりの患者としての生き方を大切にしたいと思います。自分がこれまでに悩んで苦しんだことと少しずつ折り合いをつけながら、決して患者としての視点を失わないように、そしてPTSDを抱えていることの意味を考えながら、残り3日間の学会へ参加したいです。

 明日はいよいよ私もポスター発表です。無事に終わりますように…。


 

 
 

 

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弱さを大切に

 今日から神戸で学会が始まりました。
先週末の学会とは全く雰囲気も違って、かなりProfessionalというか研究色が濃いというか、とにかく圧倒されそうです。

 今日は、私の二番目の専門であるPTSDのワークショップに参加してきました。長時間でしたが、私の興味が切れることなく、非常に集中して聞くことができました(注:国際学会なので、全部英語のセッションです)。

 心的外傷後ストレス障害(PTSD)の診断・治療や疫学についての講義やワークショップをこれまでに結構受けてきたことと、昨年から論文作成や学会発表のために文献を読みまくっていたこともあって、すでに周知の内容が多く、レクチャーもわかりやすかったです。

 …が、今日は一つだけ困ったことがおきました。

 PTSDについての話題になると、結構実際のケースの話などが引用されます。今回のワークショップで話題提供として出たケースが、私の状況と似ていたんだと思います。途中で、急に過去の事を思い出してしまいました。それだけでなく、首を絞められた時の首のあたりの痛みの感覚が、講義の途中で出てきてしまい、しばらくずっと残っていました。

 お昼休み、気分を切り替えるために、会場近くをしばらく散歩しました。(今日はすごーく暑かったんだけどね)

 それから会場に戻ったときに、声をかけられた人としばらく立ち話をしていたら、自然と痛みが消えて午後からは何の問題もなくワークショップを受けることができました。

 PTSDの研究に関わっていて、時々こういったことが起こります。

 これまでだと、どうしよう…と混乱することもありましたが、開き直ってしまった今は、「あ~、また弱いところが出てきたなあ」くらいにしか考えなくなりました。

 不思議なことに、患者さんと一対一で面接しているときには、PTSDの症状を自覚したことがありません。これまで犯罪被害者支援をやってきて、私よりもっと衝撃的な体験を聞くことも少なくありませんが、それでも聞いたからといってこちらまで思い出す、ということはなかったです。

 ただ、面接が終わると、それまでの緊張が一気に抜けるからか、はたまた私の頭が日常モードに戻るからか、がらがらと崩れてしまうのでした。

 こんな時、一人でどうにかしようともがいていたのが以前の私でした。突然思い出したり体が反応したり…というのは時間が経つと自然におさまることが分かっているので、「何もしないでじっとしている」というのが私のいつものやり方でした。

 カウンセラーは、相談者との関係についてのいろんな制約があるので、基本的には自分のことを話さないし、自分の弱さを他人に見せることをいやがる人が多いです。

 でも、最近、こういう距離を置いた関係はすごく不自由かもしれない、と思うようになったのです。

 人を助ける職業であることを意識しすぎると、自分が人から助けられることもあるということを受け入れるのが難しくなります。だけど、カウンセラーも人の子、弱さもあるし私生活では問題だらけ、ということも少なくありません。実は援助職(看護士、臨床心理士、作業療法士などの専門職)の人が一番、自分の弱さを認めることが難しいのかもしれません。

 相手は自分の一番弱いところをさらけだして援助を求めざるを得ないのに、自分は手の内を見せないし援助を受けたがらない、それはなんだか人間としては不自然な気がしました。

 そのままで生きていく事にまだ全然慣れていないけれど、ごく最近からもしかしたら私が弱さを認めてしまった方が、これからいろんな人と関わっていく上ではプラスになってもマイナスになることはないのではないか、と思うようになりました。

 PTSDの症状が出たら、「ちょっと今日はしんどいなあ」と言ってもいい。眠れない時、不安や恐れが突然おそってきたとき、自分でコントロールしようとしてもうまくいかないことがあれば、「ちょっと力を貸して」と信頼できる人には言ってもいい。そういう風に自分の弱さも全部大切にしながら、不自由を当たり前にして生きて行けたらいいなあと思っています。

 明日は学会2日目、私の所属する研究室の先輩の発表を見に行きます。

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昇るより降りる生き方

 2日間の東京での学会が終わり、今日から神戸です。

 土曜日の朝、多少家を出るのが遅れ、その遅れを引きずったまま、始発電車に間一髪で乗り込んで…と出だしからすでに大きくコケた今回の出張…。(思わずホームで、「その電車待って~!」と叫んでしまった)

 今年の日本外来精神医療学会は、池袋のホテルが会場でした。早速池袋で迷い、JRから降りてすぐの所にあるはずのホテルを見つけられずにうろうろ。

 やっと会場にたどり着いたのが、開始時間から30分ほど経った頃でした。

 そんな、大不調のまま迎えた学会でしたが、終わってみると非常に中身の濃い、とても勉強になった2日間でした。

 参加費は事前登録で5000円というお値段で、某製薬メーカーのスポンサーでお弁当と筆記用具付きという至れり尽くせりのサービスに、この値段では安すぎると思うような内容でした。

 中でも、私の考えを根本から変えるような衝撃的な講演を聞く機会がありました。

 「べてるの家」のメンバー4人と、精神科医である川村先生の講演です。以前にある新聞記事がきっかけで、彼らのユニークな活動についてはすでに知っていましたが、精神障害の当事者が自分の体験を学会で話すというのは相当に画期的なことで、立ち見が出る程の参加者となり講演が終わったときには大きな拍手が会場から寄せられました。

 講演の内容については、ここで紹介はしませんが、彼らの語った内容のすべては”べてるの家の「非」援助論”(医学書院、2100円)に載せられています。

 さて、「治さない医者」を自称する川村先生と、当事者の率直な体験発表から、私の考えを大きく変えるきっかけを作ってくれたキーワードは、

「昇るより降りる生き方」
「弱さを大切に」
「当事者研究」
「普通の悩みをとりもどす」
「健常者支援」

…の5つです。

 この講演で一番私にとって印象的だったのは、彼らの「病気は克服するものではなく、つきあうもの」という考え方でした。

 それまでは、病気と向かい合い、乗り越えていく過程を大切に、というのが私の考え方でした。それなのに、当事者たちが、「病気になってよかった」「病気を治さないで下さい」と話すのを聞いていて、私のプロの援助者としての考えががらがらと崩れていくのを感じました。

 何で?…治療者としての私は、目の前で困っている方がどうすれば少しでも楽に生きられるのか、症状を軽くするにはどうしたらいいかということをまず考えていました。

 だけど、PTSDやうつの当事者としての立場から考えてみると、彼らが「勝手に治さないで」と訴えるのもなるほど、と思えたのです。

 PTSDでもうつでも、あるいは統合失調症でも、薬や心理療法で症状を軽くするということはある程度できるし、それが治療者・援助者の役割、という教育を受けてきたのですが、

 よく考えると、症状がなくなっても、生活はちっとも楽にならないのです。むしろ、症状がなくなると、悩みが逆に増えることすらあります。援助をしたことが、果たして本当に当人のために良かったのか?と考えてしまうことも時々あるのです。

 病気と向かい合い、克服するのを助ける、というのは、今の状態からもっと良くなれるように上を目指してがんばろう、と励ましの意味もあると思います。

 だけど、そもそも、がんばれなくなってうつになり、体験が自分の処理能力を超えているからPTSDになっているわけで、がんばれない人に更にがんばって克服しましょう、というのはおかしいんではないか?と気がついたのでした。

 講演が終わり、宿泊先に向かう電車の中で、私は自分の考え方を変える必要がある、とはっきりと悟りました。

 それまでは、何とかしてこの辛いPTSDの症状を克服し、普通の生活を取り戻したい、と考えていました。

 だけど、もしかしたら、PTSDになった(しかも10年間良くなったり再発したりを繰り返している)のは、私に「これ以上がんばるな」と教えるためだったのかもしれない、と思いました。PTSDになった私は普通の人とは違う、という気持ちがいつもどこかにありました。だから、どうにか普通の人と同じような感覚を取り戻すことが、私の以前からの目標だったのかもしれません。

 でも、PTSDは、私から排除すべきものではなく、これからも共存していくものなんだ、と思った瞬間、

 もう降りた…!

 と思ったんです。

 早い話が白旗を揚げるようなものです。無理してがんばって治そうなんて思うのはやめることに決めました。今でも突然思い出したりパニック発作を起こしたり、悪夢を見たり、ということが時々ありますが、「仕方ないよ、それだけ私にとって処理不可能な出来事だったんだから」と考えることにしたら、何だか張りつめていた気持ちがすうっと楽になりました。

 PTSDの症状があるおかげで、私は無理をするとどうなるかを身をもって体験することができ、過労死せずに済んできたのかもしれません。

 私は今までに3回、死ぬかもしれない、という体験をしていますが、それでもしぶとく生き残っている私はもしかしたらとてもラッキーなのかもしれません。

 こんな風に考え方を少し変えてみたら、PTSDになったことがかえって私の人生に大きなプラスになっているように思え、これでよかったんだ、と素直に感じました。

 治療者・援助者としての役割がある故に、当事者としての問題をなかなか直視できず、以前にも書いたように自分の中にある矛盾を受け入れられないでいたのですが、その矛盾もそっくりそのまま受け入れて生きていこう、と決めました。


 残りのお題については、今日からの学会の合間を見て、ぼちぼち取り上げたいと思います。

 ”べてるの家の「非」援助論”そのままでいいと思えるための25章(医学書院)View image


 特にカウンセラーや援助職を目指す人がこのブログを見て下さっている方々の中におられるようでしたら、ぜひ読むことをおすすめします。


 

 

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出張前のHappeningはつきもの

 今日は、とにかく忙しい日でした。
朝は学会の準備をしながら、洗濯をどうにか終わり、その合間にかかってくる勤務先の学校からの電話に対応し、お昼からは小学校へこころのケアへ行ってきました。

 今日が最後だったからなのか、急に面接が入ったり、以前に面接した子が声をかけてきたりと、あわただしい午後となりました。

 小学校での面接が終わると、大学病院へ戻り、報告書の作成をしました。それから明日からの出張の準備のため買い物に行き、帰ってきて遅い夕食を取ってから、再び学会のレジュメ作りにとりかかりました。

 真夜中、やっと終わったので印刷のためプリンターを取り出したところ…

 黒もカラーのインクもない!

 この時間、もうどこの電気屋さんも開いていない…仕方なく、メモリースティック持参であす出張先のどこかのPCを借りて印刷することに決めました。

 いつも出張に行く前に、予期しないハプニングが起こります。前は飛行機にあやうく乗り遅れそうになったことがありましたし、学会の口頭発表の時になって、訂正の必要な間違いが見つかって冷や汗がでたこともありました。

 私としては、できるだけ準備周到で行こうといつも思っているのですが、いつもどこかぽっかり抜けてしまうのです。

 ほんと、要領悪いってば…。

 明日から日本外来精神医療学会(東京)、2004認知療法・行動療法国際会議(WCBCT2004)で神戸行き、と25日までの長期出張です。22日は、ポスター発表の予定です。(印刷できなかったらどうしよう…)

 というわけで、ブログの更新は、PC持参で出張先から続けるつもりです…が、ちょっとペースダウンしそうです。

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こころの声に耳を傾ける

 配偶者の早起きブームのおかげで、最近私も早起きするようになりました。
今朝も5時前には目が覚めてしまい、だるいのでしばらくは布団の上でごろごろだらだら。

 それからゆっくり起きあがり、窓の外を見ると、雲の合間に夏の青い空が見えました。

 今日も暑くなりそうです。

 私の頭の中ではいろんなことがぐるぐると巡っていて、しなければならない、こうあらねばならない、ということがたくさんあります。特に人との関係では、「人に迷惑をかけてはいけない」「人に嫌な思いをさせてはいけない」「しっかりしなくてはならない」と常に頭で考えている状態で、人と会うとき、それがたとえ気心の知れた人であっても、なかなか自分を出せないでいます。子供の頃からずっとそうです。

 カウンセリングでの相手との関係は、ある程度距離を保たなければならないことや、必要以上に親密にならないという様々なルールがあり、これがかえって私のような人間には、あまりストレスにならない関係でもあります。

 ところが、日常生活では、相手が私と親しくなろうとすると、私は自分から距離を置いてしまうくせが抜けません。そういう私の不器用な、不思議なところが、これまでいろんな人に、「壁を作ってる」「人当たりはいいけど、近寄りがたい」というイメージを与えてしまっていたように思います。

 人との関係でもそれ以外でも、私はなかなか決断ができない、という欠点があります。

 頭で考えることと、気持ちが感じることがばらばらになるからです。頭としては「こういう時は慎重に考えた方がいい」とか「周りの意見や気持ちを尊重しなければ」と考えてしまうので、心の方が「本当はこうしたらいいよ」とささやいていても、それをうまくキャッチできないんだと思います。

 数年前、非常にお世話になった大学の先生から、こんな事を言われました。

 「迷ったら、自分の考えでなくこころの声を聞いたほうが絶対に後悔しないよ」

 その先生も、人生の大きな岐路に立たされたときに、「どうしても今やらないと」という自分の中の声を無視できず、それまでの仕事をきっぱりやめて、新しい進路を選んだそうです。

 頭で考えることと、こころが感じることが違っているとき、こころの声を聞くことは私にはまだ難しい課題です。

 でも、私に与えられているOption(選択枝)から、人間関係でもそれ以外でも、毎日何かを選んでいかなければならない状況にある今、よりよい選択のために、そして何より、これでよかったと思えるようになるためには、やはりこころの声に耳を傾けることが、最善の方法ではないかと感じています。

 私は何を感じていて本当はどうしたいのか、静かに自分と向き合う時期が来ているのでしょうね。

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ささやかな喜び

 今日は中学校でスクールカウンセラーのお仕事の日でしたが、一日でいつもよりたくさんの人に会いました。

 保健室登校の生徒さん
 悩み相談に来てくれた生徒さんたちと、付き添い?で来た彼らの友人たち

 不登校の相談で訪問して下さった保護者の方々
 不登校生徒への対応などで相談に訪れた担任の先生方
 教頭先生、校長先生

 中学校が終わると、今度は大学へ。そこでは大学院の後輩からケースの相談を受けました。

 大学を出ようとしていたら、実習帰りの看護学科の学生さんたちとぱったり出会い、そこからまた、実習の悩みやストレスの相談を受けました。

 そうして、アパートに戻ったら9時を過ぎていました。

 一人一人と会った時間はそれほど長くなかったので、もう少しじっくり話を聞けたら良かったのに、と思う場面もあったのですが、中には今日初めて会った人も何人かいて、初対面ながら私という人間を信用して話をして下さったことを本当にありがたいと思いました。

 十分ではなかったかもしれませんが、それでも話が終わる頃に相手が笑顔を見せるとき、私にもわずかながら人の役にたてたのかなあ、と思える瞬間があって、それが今のわたしにとっての支えであり、ささやかな喜びになっているように思います。

 
 

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いつでも捨てる覚悟で

 単身赴任生活をはじめて3ヶ月が経ちました。
このところ、週末に自宅へ戻り、何もなければ火曜日の夕方にK市に帰ってくる、この繰り返しです。

 大学の非常勤講師、スクールカウンセラー2校の掛け持ちで、渡り鳥のように違う職場を転々としながら、空き時間に研究を続ける毎日です。

 朝と夜の2回、自宅には電話をかけるようにして、何かあれば仕事のスケジュールを調整しながら対応してきました。

 お給料は時間給なので、月による変動があります。その給料は全部自宅との往復のため航空運賃に消えていきます。

 単身赴任が決まったとき、ぴょろを一緒に連れて行くかどうかですごく迷いました。小学校最後の学年だし、友達のこと、体操クラブのことなどいろいろと考えて、自宅に残し、私が行き来すると決めたものの、時間が経つと段々とこれでよかったのだろうか?という思いもわいてきます。

 私の一番心配なことは、配偶者とぴょろの2人を自宅に残しているということです。

 ぴょろのADHDの事は、これまで私一人で対応してきました。学校との連絡、子供同士のトラブルの対応、自宅での支援…とやることはたくさんありました。

 自宅を離れるにあたって、ADHDの事をなかなか認めない配偶者とうまくやっていけるんだろうか?という不安がありました。配偶者自身もADHDがあるし、他人の気持ちや状況を理解する能力が低いので、この2人で生活してうまくいくのかどうか、と今でも考えます。

 自宅に戻ると、家の中は一見変わりなさそうに見えますが、予想通り、郵便物など大事なものがなくなっていたり、学校からもらってくるプリントや学級通信もどこにあるのか分からないという状態で、自宅にいる3日間はほとんど掃除と捜し物に時間を費やすはめになります。

 配偶者は、仕事モードに入ると他のことが考えられないので、子供のことまで手が回らないというのが実情で、やむを得ず配偶者の実家の助けを借りています。

 やはりこの2人を置いていくことは、無理だったのではないか?と考えたことが何回もあります。

 確かに、研究がメインで始めた単身赴任ですが、ぴょろにとって、今の状況がよくないと分かったらいつでも、今の仕事も研究も捨てる覚悟でいます。私にとって、人の役に立てることはうれしいけれど、家族はそれ以上に大切だからです。

 発達障害のある配偶者と子供を持つことは、人並み以上に難しい決断が多いということでもあります。離れていても、彼らにとって大切なこと、必要なことを常に考えながらの生活です。

 

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緑内障…?

 昨日の午後から、突然の頭痛と左目の奥の痛みが続いています。
昨日は、それでも夕方までがまんして仕事をしたのですが、仕事が終わった後、あまりの痛さに保冷剤で頭を冷やし、しばらく横になっていました。昨晩たっぷり寝たにもかかわらず、朝になってもまだ痛みが残っていて、お昼に少し落ち着いたと思ったら、今日の夕方から再び痛みがひどくなりました。

 2年前に眼科で検査をしたときに、眼底に異常が見つかり、緑内障の可能性があるから再検査すると言われ、結局検査をしないままになっていました。

 緑内障は、初期にあまり自覚症状がないのが特徴で、進行すると視野が狭くなったり、失明することもあります。眼圧が高くなるタイプと正常なタイプの2つがあり、私は後者の可能性があるらしいです。

 PCも最近はそれほど使っていないし、眼精疲労なら、片目だけ痛くなると言うことはあまりないようです。本当に突然だったので、しばらく様子を見るつもりでしたが、やっぱり明日眼科に行った方がよさそうです。

 
 ところで…、

 昨日配偶者に「前に緑内障かもって言われた」と話したところ、突然何を考えたのか、懐中電灯を取り出し、「ちょっと目を見せて」と迫ってきました。

 いやがる私に、

 「目の病気のことは少しは分かるから」

 私が懐中電灯を目に当てればよけいよくないのでやめるように言ったところ、

 「でも目が緑かどうかは見れば分かるでしょ?」

 私は宇宙人にでもなったんでしょうか…。皆さんはくれぐれも、懐中電灯で眼球を直接見ることはおやめ下さい。
(注:配偶者は冗談でなく、本気で目が緑色になるのが緑内障だと思っていたらしい)

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アリの行列

 今日も蒸し暑い夏空の下、ぴょろはお昼から体操クラブに出かけていきました。

 夕方、帰ってきたぴょろが、玄関のわきに置いてある植木鉢をまじまじとながめていたので、そばに寄ってみると、かなりの数のアリが列をなして動いていました。多分近くにアリの巣があるんじゃない?と私が話しかけると、

 「東京に行くと、人間がこんな感じなんだよね」

 確かに上からアリの行列を見ていると、気ぜわしく歩く人であふれかえる新宿駅を連想させます。

 時々、ぴょろの観察眼と、鋭い一言に驚かされます。子供の目から見れば、なるほど人間もアリも似たようなものなのか…。

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白衣の天使のタマゴさんたち

 4月より看護学校でカウンセリングを教え始めて3ヶ月。
今日は前期最後の授業の日でした。

 必修科目でないこともあって、学生さんたちは要領よくちょこちょこと休みながら無事に課題をこなし、レポートも提出し、どうにかこうにか授業は無事終わりました。

 臨床心理士を目指すわけではないので、あまり専門的な話をしない方がいいと思い、看護に関係ありそうな話題を中心に講義をしました。それが良かったのかどうか分からないのですが、とりあえず学生さんたちはそれぞれにカウンセリングについて知識を深めてくれたようで、ほっとしています。

 彼らはあと2~3年で、国家試験に合格すれば白衣の天使になる、タマゴさんたちです。毎日実習や講義で非常に忙しい生活を送っています。

 そんな中で、かなり疲労やストレスがたまっているなあ、と思える人たちも結構いました。金曜日の朝1限の講義は、それはそれは眠かったはずですが、それでも講義は何とか出席し、私の話もそれなりに聞いてくれていたようです。最後に感想を書いてもらったところ、学んだことを看護に生かしたいと書いていた学生さんが結構いました。

 一人一人の感想文を見ながら、本当にありがとう、と言いたい気持ちになりました。

 私が一番辛かった時期に、私を支えてくれたのは、大学の講義でした。いろんな事に対し気力も興味もなくなった私が唯一楽しめたのが、「人に教える」ことだったのです。

 白衣の天使のタマゴさんたちの未来を想像しながら、彼らが立派な看護士になるために身につけておいた方がいいことを教えたい、その気持ちがあったから、苦しい時期を乗り越えられたのかもしれません。

 今振り返ると、彼らとは出会うべくして出会ったかもしれない、と感じます。

 彼らを再び教える機会はないだろうと考えると寂しいですが、一人一人の成長を、草葉の陰…ではなくて、遠くから見守る存在でいたいと思いました(大学病院の実習でばったり会う可能性が高いので)。

 後期は、別の学年で臨床心理学を教える予定です。これからまた、新しい白衣の天使のタマゴさんたちとの出会いが待っています。

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気のせいじゃないんだってば…

 七夕メールでも触れたように、昨日はぴょろの担任の先生と個人面談の日でした。

 単身赴任中なので、去年ほど学校の状況が分からず、少々不安も覚えながら教室で先生とお話してきました。

 成績の事、学校での様子、課題提出状況など、ひととおりの説明を受けた後、またまた先生が気になる一言を。

 「ぴょろ君は、学級でもそんなに落ち着きがないようには見えないし、他にもっと注意の必要な子供が何人かいるのでそれから考えると特に目立った問題はなさそうなんですが…いや、お母さんの気のせいではないかと…」

 はいはい、家庭訪問の時と同じご意見ですね、と内心思ったが、そこは私も引きませんでした。

 「あのう、最初から問題がなかったわけではなくて、もっと以前は大変だったんです。早く気がついて私も先生方も療育という点でいろいろ対応してきたからこの程度で済んでいるのかもしれません」

 先生は”そうですかね~?”とあまり納得しないお顔で答えました。

 残念ながら、家庭訪問の時に渡したプリントは役に立つことはなかったようです。まあ、他にも同じような子たちがいるようなら、参考にしてもらえたらいいですね、とだけ言っておきました。

 「お母さんの気のせい」と言ったのは担任の先生だけではありません。ぴょろの体操のコーチからも全く同じ事を言われたことがあります。私が神経質すぎる、みたいな言い方で(体育系の先生って、気合いで何でも解決しようという乗りがありますよね?)「そんなに気にしなくても大丈夫ですよ!」と…。

 周りの先生たちが、ぴょろのいいところを一生懸命評価して下さっているのは本当に感謝にたえません。

 でも、大人たちの方が、少々Optimistic(楽観的)過ぎる気がしています。

 子供たち同士での評価は少し違うようです。ぴょろは幼稚園の頃から、要領の悪さを他の子供たちから指摘されて何度もへこんだことがあるのです。今でも「ボクはみんなのようにはちゃんとできてない」と口にすることがあります。子供たちはある意味、失敗に対しては容赦ないところがあって、大人よりもっと冷静に見ている部分があります。子供たちの目から見ると、やはりぴょろは落ち着きのない、話の聞けない子供、なんだと思います。

 毎日新聞の記事でも指摘されているように、就学の時点で、知能が正常で言葉の発達に遅れがないと、発達障害があっても簡単に見過ごされてしまうのです。実は、知的にも言語的にもはっきりした遅れが見られない、軽度の発達障害の子供たちは潜在的にはかなりの数に上ると思われるのですが、彼らをちゃんと診断でき、なおかつ療育の面でサポートの出来る専門家の数はあまりにも少なく、小学校で見過ごされて、中学になって初めて「おかしい」と気づく例も少なくありません。

 「気のせい」発言の裏には、目立つ問題行動がない、という考えがあるようですが、それも本来注意すべき点が見過ごされている可能性の方が高いと思います。

 私の目から見ると、明らかに問題行動は存在しています。注意力は本当に乏しいので、けがも多いし授業中もぼんやりしていることがあるはずです。集中にはムラがあるし、子供たちとの関わりでもまずい点はまだたくさんあるはずです。親の私の見方の問題?いえいえ、そうではないと思います。だって、私だって発達障害が専門なんだから。

 ぴょろが、学校で目立った事をしないように、精一杯がんばっているんじゃないか?と気づいたのは最近の事です。私が思っていたよりずっと、ぴょろはぴょろ自身をよく分かっていて、そういう自分を周りがどう見ているかということにもとても敏感になっているようです。がんばっている分、傷ついてもいるんだろうなあ、と考えると胸がきゅんとなります。

 ぴょろは、学校での成績は(科目による差は大きいけど)クラスでちょうど真ん中、明るくてよく話す子、というのが今の担任の先生からの評価です。

 でも、だからといって、ADHDの問題が最初からなかったわけでも、なくなったわけでもありません。

 私の気のせい、ではないんですってば…。ただ、見えにくくなっているだけです。これからもう少し大きくなると、また違った評価が違う先生から与えられることになるのでしょう。

 そのたびに、気のせい、と言われながらも言い続けていくしかないんでしょうね。

 
 あまり無駄な議論をしないためにも、ぴょろをK大医学部付属病院で専門医に診てもらうことにしました。今から予約しても2ヶ月待ちになるかもしれないんですけどね。


 

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七夕メール

 昨日、ぴょろの担任の先生と面談があり、10日ぶりに自宅へ戻りました。

 福岡空港の全日空チェックインカウンターの前で、制服姿のお姉さんがバスケットを持って「いかがですか?」と声をかけてきたので何事かと思ったら、そこにはポケモンジェットの写真つきはがきが。

 昨日は七夕ということで、はがきにメッセージを書いたら、無料で(つまり切手代は全日空持ちで)7月7日消印で送ってくれる…ということでした。

 そこで、早速ポケモン好きのぴょろあてに、メッセージを書きました。

 …これからぴょろに会いに行くのにヘンかなあ?と一瞬思いましたが、次の日の朝にはまたここ(福岡)に戻らないといけないので、私がいないときにはがきがついて喜んでくれたらいいか…と考えながら書き終えてポストへ。

 当然、ぴょろには内緒です。明日の夕方にはぴょろの手元に届いてくれるでしょう。

 周りには、若い女性や子供連れのお母さんの姿もありました。皆、楽しそうに、はがきに思い思いのメッセージを書いていたようです。それにしても、手紙を書くのはやはり女性の方なんですかねぇ。男性は一人もいなかったです。こんな時に感謝の気持ちでもちょっとはがきに書いて送ると相手も喜ぶと思うんですけど…。

 なかなか粋な全日空の計らいに、昨日はちょっと感激しました。

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引き際が大事

 昨日、某大学で症例検討会というのがありました。
一言で言うと、一人の患者さんの治療を巡ってスタッフで話し合いをするというものです。

 昨日は、私が話をする番でした。
学会で発表する予定のものを、おとといから書き直し、レジュメを作り、発表の準備をしました。

 私は、いい機会なので、EMDRの治療のビデオを他のスタッフにも見てもらうことにしました。そのために、患者さんに許可をとり、また自分で編集し、30分前に会場に行ってセッティングしてもらい、さて、いざ検討会が始まりました。

 ところが…発表に対する反応がいまいちでした。

 EMDRの効果をいくら口で説明してもなかなか理解してもらえない先生がいて、ビデオを見てもらえば少しは考えが変わるかな、という期待をしていました。ところが、その人がビデオをほとんど見ていなかったんです。

 発表のあとの質問は、EMDR以外の、例えば診断のことだとか、どちらかというとそれほど大きな問題ではないことに集中し、そこそこに時間を費やしたあと検討会は終わりとなりました。

 臨床心理士もその他の心理スタッフも、病院では基本的には医師の指示の元で仕事をしています。だから、お医者さまと意見が合わないと、なかなか思うような仕事ができないという現実があります。

 昨日は、そのことを痛感させられました。

 分かってもらえる努力はしてきたつもりですが、昨日の様子を見ていて、やはり医療現場でEMDRを使っていくには、それなりに理解のある医師の元でないと無理だと思いました。一年契約なので、来年までは今のスタッフと一緒にやっていかないといけないのですが、来年はもう更新はしないでおこう、と決めました。

 やはり今回も、やってだめなら潔く引くしかないなあ、と思いました。

 引き際ってほんとに大事ですよね。

 

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Anniversary Day(記念日)

 昨日、7月4日は、父親の命日でした。
亡くなって18年になりました。

 もうそんなに経ったかな、という気持ちと、まだ過去にならないような気持ちと、半分づつあるのが今の私。

 本当なら、実家の仏壇にお参りに行くか、墓参りに行くかどちらかやるべきなんでしょうが、今はどちらもできません。実家とは4ヶ月、ほとんど連絡を取らないままで、命日には必ず法要をやると分かっていても、どうしても足が向きませんでした。

 今日の仕事の準備もあって、仕方なくアパートで静かに過ごしました。

 時間が経っても、思い出が風化してしまうことはないように思います。やっぱり亡くなったK大学病院のあたりを通ると臨終の時を思い出すし、雨が降って蒸し暑い天気だと、葬儀の時の事を思い出します。思い出せばそれと一緒に悲しい気持ちもわいてきます。

 ただ18年のうちで変わったのは、思い出しても、そんなに苦しくないということでしょうか。

 父親がいない生活の方が段々と当たり前になってきて、自分の中でもそれを受け入れるところまで来ているからなのでしょう。思い出と一緒に生きていけるようになって、思い出すのはなぜか父親の笑顔だったりします。

 母親の事を考えると、もし父親が生きていたらもう少し落ち着いて暮らせたし、実家に行くことにも抵抗はなかったかもしれない…と考えた事は何度もありました。でも、今は父親が早くに亡くなったことで、逆に家族との関係の見直しはできたんだから、それでいいんだ、と思うようになりました。

 私は、命日という言葉があまり好きではなく、記念日(Anniversary Day)という言い方をよくします。

 毎年この日はやってくるのですから、亡くなったことを悲しむより、父親が残してくれたものを感謝し、これからもがんばっていこう、という決意の日にできたらいいな、と思っています。


 …ということで、今日もこれからお仕事がんばりまっす!

 

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悲しみは時間だけでは癒されない

 長崎では、昨年の駿ちゃんの事件、佐世保の小学生殺人事件と、訃報が続きました。
周囲に相当の衝撃を与え、今も遺族の悲しみが続いていることはニュースで周知の通りです。

 このようなセンセーショナルな事件ではないのですが、ある学校で昨年事故で子どもが亡くなり、その後の児童のケアに関わることになりました。

 学校現場でスクールカウンセラー以外の精神科医や臨床心理士などの専門職が入り、子どもたちと面接をするというのは、かなり異例のことです。学校からの要請に対し、ああでもない、こうでもない、と担当者同士で論議の末に、やっとここまでこぎつけることができました。

 今回の事故で、身近な友達を亡くし、しかもその現場を目撃した子どもたちには、悲嘆反応と言われる状態が起こりました。一言で言うと、友達が死んでしまったことを受け入れられない、思い出すと悲しみや自責感(自分を責める気持ち)や死に対する不安や恐怖感を感じる、事故の事を思い出さないように、話さないようにする、事故の現場に絶対に近寄らない、眠れない、集中できない、自分やあるいは他の友達が同じ目にあうかもしれないという慢性的な不安感…これらが特にひどく、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断される子どももいました。

 子どもたちと一人づつ面接をしていく中で、事故の衝撃がいかに大きかったのかを実感しました。

 事故後の1週間くらいに、これらの悲嘆反応がピークに達し、それから時間をかけて少しずつ自然回復していった子どもたちも多かったのですが、個人差がかなり大きく、また周囲(特に家族)の対応が回復の大きな鍵を握っていました。やはり家族や周りの大人が話を聞き、受け入れる体制があった子どもたちは、時間はまちまちだけどかなり回復していたようでした。しかし、事故の事を受け入れられなかったり、一人で抱え込まざるを得なかった子どもたちは、1年経った今でも、多少の回復はみられているのですが何らかの影響が残ったままでした。

 いったん回復した子どもたちの中には、事故の日が近づくと再び悲嘆反応が出てくる子もいました。その日が過ぎるとまた、自然に落ち着いていくんじゃないか、というのが周囲の意見でした。

 確かに、今の学校の状態は、一見記念日を過ぎて平静をとりもどしつつある、という感じでした。
 
 しかし、昨日、子どもたちとまた一人づつ面接をしてみると、単に思い出さなくなっているだけで、ココロの中の悲しみは全然消えていない子たちがいるという事に気づかされました。

 彼らは学校でも普通に過ごし、友達とも遊び、放課後習い事などにもいつも通り参加しています。本当に、一見何もかもが普通に見えるのです。

 子どもたちに「最近はどう?」と聞くと、記念日の時より楽、と答えます。でも、その子たちに事故のことを思い出してもらうと、今でも強い反応を示すのです。

 悲しみや自責感を和らげ、本当の意味で回復するには「喪の作業」と言われるこころの作業が必要です。喪の作業とは、失った事実を受け入れ、悲しみを悲しみ、様々な感情を体験し、そこから立ち直っていくというココロのプロセスです。しかし、彼らにとって事故の衝撃が大きく、この作業がまだ十分に行われていなかったのではないか、と思いました。大人でも、大切な人を失ったあとの喪の作業は、ひとりではなかなか難しいです。ましてや、まだ自分を表現する手段を十分にもたない子どもたちにとって、ひとりで喪の作業をすることは、かなり難しいと言わざるをえません。

 悲しみは、時間だけでは癒されないのです。

 夏休みを挟んで、9月末までのわずかな時間ですが、私の役目とは、子どもたちが自分の気持ちと向き合うきっかけを作り、喪の作業をお手伝いすることなんだと思います。

 

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