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歩き続けるしかないときもある

 ぴょろが日曜日から修学旅行へ行っています。
昨日私はK市に戻り、配偶者は自宅で一人過ごしました。
3人がはじめてばらばらの夜を過ごしました。

 単身赴任の生活を初めて3ヶ月が過ぎました。
一人で過ごす時間が増えて、家族のことを考えることが多くなりました。

 一緒にいるときは、落ち着きがなくてときどきぼんやりしていて、忘れ物が多くて…よく怒ったし、ときどき「もうしらん!」とキレたし、「たまには言われんで自分でやってくれよ」と嘆いたし、ADHDの子どもの子育ては大変だとため息も出た…それなのに、離れてみて、ぴょろがかわいくて仕方ない、親バカな私がいることに気がついたのです。

 一緒にいるときに、もっとぴょろの事を受け止めてあげればよかった、と思うこともありました。本当は、一緒にゴハンをたべるとか、お風呂に入るとか、一緒にゲームしたり遊んだり、と小さくて日常の積み重ねが大切なんだなあ、と改めて思いました。

 ぴょろは、確実に思春期に入っていて、自宅に戻るたびに親から離れようとしていることを感じます。これまでの、「ケアする」子育てから、「見守る」子育てへと切り替える時期が来ていることを実感しています。これまでは、ぴょろに社会スキルや生活スキルを教えて、それを身につけるためのサポートをするのが親としての役割かな、と考えていましたが、この年齢になると、ある程度基本的なものは頭に入っているので、それをどう実生活に生かしていくのかという「コーチング」が大切になるのでしょうね。

 変化しているのはぴょろだけではありません。
私の人生もまた、大きく変わろうとしているのだと思います。

 修士号を取ったのが3年前で、その後様々な職を体験し、気がつくと単身赴任までしながら仕事をしている私がいる、それがまだ、現実でないような気が時々するのです。

 本当は、あのままぴょろのお母さんでいることの方がよかったのではないか、と思うこともあります。ぴょろをどう育てるのか、その答えと自分自身の経験を役立てる方法を探すために勉強したはずなのに、気がつくといつの間にか、トラウマとストレスの研究者となり、いくつかの学校で危機介入に関わるスペシャリストと呼ばれるようになってしまっていました。

 これでよかったのだろうか…とふと考えるのです。

 「カウンセラーは、因果な商売だよね」、と私の師匠は時々口にします。他人の問題解決に少しは役に立てることができたとしても、自分の問題は未解決のまま残っている、クライエントが語ることと実は似たような悩みを自分も抱えている、そういう事がよくあるからです。

 トラウマケアをやる本人が未解決のトラウマを抱えている、この矛盾があるが故に苦しむこともあるのです。

 だけど師匠は、「苦しくてもつづけるしかないよね」、と言ってくれます。

 ADHDの子どもの親として、一人の人間として、悩んだり苦しんだりしていることも、カウンセラーとしていろんな人との関わりで悩んだり考えたりしていることも、みんな含めてこれでいいんだ、と思えるまでは、いまは歩き続けるしかないのかもしれない、と思うのです。

 Silent Voicesに書き込んできたことも、専門家としての私の視点と、一人の親としての視点、一人の人間としての視点が混ざり合っていると思います。

 おそらく、このブログを見て下さっているみなさんは、専門家としてというよりは一人の人間としてのつぶやきに、共感して下さっているのではないかと思います。


 

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