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iPod買いました

 最近書き込みがペースダウンしています。
理由は2つ。一つは時期的に忙しいからです。7月末までは、学会などなど行事が目白押しです。自宅にいられるのは多分10日間くらいで、月の半分近くは東京と大阪を行ったり来たりです。

 もう一つの理由は、どうしても書き込みする気持ちになれなかったから。多少暇ができても、ぼーっとしていることが多くて、何かやろうという気力が出てこなかったのです。(これは暑さのせいもある…)

 そんな私のやる気を多少なりとも刺激したくて、今日、念願のiPod(20G)を買いました♪

 iTuneのダウンロードとか、音楽のインポートなどの作業をやって、今はダウンロードした音楽を聴きながら書き込みをしています。

 うーん、音がきれい…(^o^)

 MDプレーヤーよりは全然いいですね~。この容量で約5000曲入るそうです。ロックでもポップスでもクラシックでも音域があるのでジャンルを問わず満足いく音を出してくれます。

 このiPodを紹介してくれたのは、スクールカウンセラーで仕事している高校で出会った生徒さんでした。視聴してみてすぐに気に入って、その後電気屋さんを何件か捜し歩き、今日やっと見つけて即購入しました。(衝動買いっていうんですか?)

 7月はこれで元気に乗り切りたいところです。

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回復までの時間

 今日は朝から雨でした。
木曜日は一番落ち着かない日です。明日が講義の日でその準備を、仕事の合間にやらなければならないからです。

 その講義も残すところあと2回となりました。明日は学生さんたちにカウンセリングの実習をしてもらう予定です。楽しめるものを、と短時間の心理ゲームも準備してあります。最後の日は、試験対策のための見直しと、私の専門(発達障害とPTSD)について、話をするつもりです。

 後期も、同じ大学で別の授業を担当します。後期までの2ヶ月間は、学会での発表や臨床心理士資格試験のための勉強でつぶれてしまうでしょう。

 昨年末、PTSDが再発しさらにうつ病も合併し、それ以来結構しんどい毎日が続いています。眠れない、食欲がない、集中できない、突然思い出す、時間や場所の感覚がなくなる…といろんな症状に悩まされつつ、メインの学会発表を無事に終え、大学の講義も何とかこなし、心理の仕事を続けられたのは奇跡に近いことです。ここまでこれたのは、師匠(スーパーバイザー)と友達の助けが大きかった気がします。もうだめ~!と何度か弱音を吐いたけど、その度に「やまない雨はないよ」と励まされたのもうれしかった。

 のだめカンタービレの9巻を、おととい読みました。コンクールの本選で敗れてしばらくピアノを弾かなかったのだめがもういちどピアノを弾き始める場面を読みながら、過去のこころの傷から立ち直る力を、人はちゃんと備えていると改めて感じました。

 心理の仕事を始めて、本当にいろんなことがありました。自分自身が問題を抱えながら他の人の援助をしなければならない、その矛盾に悩まない日はありませんでした。なかなか思うように回復しなくて焦りは大きくなるし、自分がずっとだめになってしまったように感じることもある、それでも続けることに何の意味があるんだろうか?と考えたこともありました。

 でも、今は何かが吹っ切れようとしている気がします。

 何かが変わろうとしている気がするのです。それが何なのかは分かりませんが、私の中にもちゃんと立ち直ろうとする力が残っていて、時期が来るのを待っている…。回復までの時間が実はとても貴重なものだったと後から分かるのかもしれません。

 私はまったくのだめタイプの人間で、一度に一つのことしかできない、本当に不器用な人です。もともと、興味のあること以外はぼんやりしていることが多くて、でも何か好きなことをやり始めると寝食を忘れるほど集中できるのです。違うのはのだめのような素直さがないことでしょうね。のだめは自分のこころの問題と向き合えなくて、自分の才能をなかなか伸ばしきれないけど、周りのサポートにはちゃんと応えてますし。

 でも、今度はちゃんと私のこころの声に素直に応えてみようと思っています。

 乗り越えた先に、また新しい可能性があるような気がします。私も千秋のような人にいつか出会いたいものです。

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発達障害者の就労支援

 【支援法】成立へ向けて始動(カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル)

 カイパパさんが6月1日からやっておられた、発達障害者支援法成立キャンペーンについては、私も微力ながらお手伝いをさせていただきました。(といっても、同業者やご家族の方々に宣伝をしたという程度です…)様々な反響があったようで、私ももう少し積極的に動けばよかったかな、と反省しきりです。残念ながら今回は見送りとなりましたが、秋の臨時国会での成立をめざして新たな提案がこれからあるようです。本当にカイパパさんのバイタリティーと行動力には頭が下がります。

 私の自宅は同じ日本でも文化的な背景のかなり違う地域にあります。失業率・離婚率ともに全国一…というと大体察しがつくと思います。この地域での、発達障害者に対するサポートというのは相当に遅れていて、今回も法律を作ろうという動きがあることすら知らない人たちがいっぱいいるので、せめて宣伝をして、カイパパさんのサイトを見てもらうことくらいしかできませんでした。

 昨日、カイパパさんのところからダウンロードした法案をもう一度じっくり見てみました。これまでに様々な形で発達障害を抱える方と関わってきて、法律という外枠を作って支援の中身を充実させていく事の必要性を常に感じてきました。今一度、私の立場でできることが何なのか、見直してみようと思っています。

 私は現在、大人の高機能自閉症、アスペルガーの人たちのサポートをしています。彼らは皆、かつて仕事をしていた人たちですが、今は失業し先の見通しがたたない不安の中にいます。私がお会いしている方の8割は、何らかの外傷体験(トラウマ)を抱えていますが、彼らはその中でも複数のトラウマを持ち、そのうち何割かはPTSDと診断されています。

 発達障害のある方全員が、職場でのいじめやセクハラなど、仕事関連で何らかの外傷体験を持っていて、そのために次の就業に不安を感じています。高い能力を持ちながらも、それを生かすには多少の配慮を必要とするため、ただでさえ若者の失業率の高いこの地域では、支援が後回しになっているのです。一人は軽度の言語障害があり、別の人はやや程度の重いコミュニケーション障害があります。そのために、大人数の職場で複数の人間との複雑な人間関係に混乱し、安定した仕事に就くことができないでいます。しかも、彼らはとても熱心に仕事をし、また能率的にもすぐれているのを利用し、非常に条件の悪い仕事をさせられたり、だまされたりしたこともあるようです。

 私は心理的にしか関わることができませんが、それでも彼らが何とか職を得て安定した生活が送れるように、どうすればいいの?といつも考えます。

 こういう地域なので特に、自治体や県が積極的に関わらざるを得ない状況を作るしかないと思います。誰かの善意に頼って解決するような問題ではないからです。そもそも、人の手を借りなければ生きていけないのは私たちだって同じです。みんながそれぞれにできることをしてお互いに助け合う、それは地域全体でやるべきことなのだと思います。だから、発達障害者が本当に必要な支援を受け、能力を生かし、自立していくために、やはり法律は必要不可欠のものでしょう。できるだけ早く成立させるために私も動かなくては、と思います。
 

 

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のだめカンタービレ(2)

 のだめカンタービレを読んで、ピアノが弾きたくなったので、金曜日の夜に久しぶりに鍵盤をさわってみました。

 このマンガを読んだときにもう一つ思ったのは、「音楽とは本来楽しいもの」であるということ。今までは技術中心で、弾けなかった曲を弾けるようになる達成感を味わいたくて、ピアノを弾いていた部分が大きかったので、指が動くようになって、楽譜通りに弾ければいいや、と思いながらやっていました。

 のだめ…を読んでいると、もっと自分らしさを出してもいいんじゃないか、と思えてきて、「ただ弾く」から「歌うように弾いてみる」ピアノの練習へと変えてみることにしました。

 ひとつの曲を何十回も練習しているうちに、おもしろいことに気がつきました。

 目を閉じて鍵盤をたたいていると、目の前に楽譜が浮かんでくるんです。もだえるまではいかないけれど、ひとつひとつの音符をどう弾けばいいかが、指先ではなく、こころで分かってくる。そうすると、気持ちと音がひとつになって、それがとても心地いいんです。弾いてる瞬間が本当に楽しいと思えるし、ピアノを通して自分を表現することができるんだなあ、と実感。

 ピアノを職業として選ばなかったけれど、ピアノは多分一生の友になるんだろうな、と感じました。

 私は本当にピアノが好きなんだ、と改めて思いました。その好きなピアノで、人を励ましたり癒したりできたらもっといいかもしれません。もう少しレパートリーを増やして、みんながよく知っている曲を、老人ホームや施設などで演奏したいなあ、と思うようになりました。催眠療法、EMDRの次は、音楽療法、ですね(笑)。

 のだめ…にはラフマニノフが出てきますが、ラフマニノフの曲は以前に練習し挫折した経験があります。指が長くないとなかなか弾けないんですよね。でも曲としては好きなので…うーん、もいっかい挑戦し直すか。

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のだめカンタービレ(1)

 最近更新が滞っていました。本当に忙しくて、時間の経つのが早すぎる…。
先週は、火曜日にK市へ帰り、水曜日はスクールカウンセラー、木曜日は大学病院と高等学校のカウンセラー、金曜日は講義、そして講義が終わると猛ダッシュで自宅へ帰りました(台風が近づいていたから)。

 空港に着いたら、そのままカウンセリングのお仕事が待っていて、それが終わって自宅に戻ってみると、家の中は荒れ放題。ご飯の準備をして、お片づけをしたら、あっという間に夜10時を回っていました。

 とにかく休む暇がないので、このままだと私の方が参ってしまいそう。

 それならせめて頭だけでも休ませようか、と本屋さんでマンガを買って読んでみました。

 Botan's HPで紹介されていた、「のだめカンタービレ」を、とりあえず4巻まで、それから「光とともに」も買いました。

 光とともに…は別枠で感想を書くとして、

 のだめ…の方は、本当におもしろかったですね。登場人物が皆個性的といえば個性的、変人と言えば変人、だけど魅力的で、4冊あっという間に読んでしまいました。

 多分私自身がピアノをやっていることもあり、それもこのマンガに興味を持てた理由かもしれません。これを読んで、ピアノが弾きたくなったことは言うまでもありません。

 さて、主人公ののだめは、私からみて、多分LD(学習障害)がありそうな気がします。散らかった部屋、ひとつの事に夢中になると寝食を忘れるほどの集中力を見せる反面、普段はやる気がなさそうで注意散漫…ADHDにも共通する特徴ですが、楽譜が読めないのに耳で音を覚えるあたり、どうもLDっぽいなあ、と思います。

 のだめはいわゆる「天才肌」の人なんでしょうね。だとすると、いい指導者との出会いがあり、のだめの個性にあった指導が受けられれば、相当な能力が発揮できるタイプのような気がします。このあたりは、トム・クルーズを連想させます。環境を整えることで才能を開花させられるでしょうね。

 のだめを見ていると、うちの配偶者とも重なる部分があって、のだめのペースに振り回されている千秋の心情が分かる気もします。(大変だろうなあ…という意味で)だけど不思議なことに、のだめのようなタイプの人の周りには、かならず千秋のような、振り回されながらもついつい面倒を見てしまう人がいるんですよねぇ…。のだめはある意味幸せ者ともいえるでしょう。

 そういう事を考えながら、9巻まであと5冊、ぼちぼち読み進めたいと思っています。


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発達障害のパートナーを持つ妻(夫)の会

 今日は久しぶりに師匠(スーパーバイザー)の所へ、今後の研究の相談に行ってきました。

 師匠は、ちょっとクールで変わった人で、スーパーバイザーを引き受けてもらったそもそものきっかけは、EMDRのトレーニングでした。人当たりは良さそうですが、鋭い事を言ってくれて個人的に尊敬している同業者の先生です。

 師匠は、私の子どもと配偶者のADHDの事を一応理解してくれています。発達障害の専門ではないので、その点でのアドバイスは受けられないですが、一緒に考えてくれるので、ずいぶんと助かっています。

 今日は、私の個人的な悩みを少し聞いてもらいました。(もちろん、メインは症例の相談と、研究論文の話です)その悩みとは、配偶者の認知障害の事です。とにかく、さっき言ったこともすぐに忘れてしまい、考えに一貫性がありません。単なる物忘れがひどいというよりも、記憶そのもののプロセスに問題がありそうな感じです。

 いろいろ日常生活の中で、配偶者と関わっていて「困ったこと」を話していたら、師匠がふと、

「発達障害のパートナーを持つ妻(夫)の会を作ったらよさそうだね」

 …確かに、発達障害の子どもを持つ親の会はあるけど、パートナーの会はなさそうです。子育てについての情報はそれなりに増えているけれど、配偶者が発達障害を持っている家族がお互いに情報交換をしたり助け合える機会というのはなかなかないように思います。

 子どもの発達障害では、どう育てるかとか社会との関わりをどうするか、などの問題や体験を共有できるグループを必要とします。パートナーの場合、もちろん仕事のように社会性の問題は共通しますが、配偶者とは基本的には生活を共にする他人ですから、一緒に住んでいていろいろと出てくる日常の問題をどう理解し対応すればいいのか、その悩みを共有できるサポートグループがあればいいなあ、と思います。

 師匠から言われるまでもなく、個人的には絶対に必要だと思うのです。

 誰かがやらんかなあ、と期待する私ですが、師匠は私がやればいいのではないか、と考えたようでした。

 メーリングリストとか、HPをうまく使えば決して不可能ではないとは思います。しかし、どう立ち上げるかについてはまだ全然イメージもわかないし妙案も出てこない。あまPCに詳しくないせいもあって、さてどうしたものか…と思案中です。

 アイデアとしては悪くないんですが、何かいい案ないですかねぇ…?

 その前に、パートナーが発達障害という方にとって、サポートグループがどのくらいニーズがあるのか、どんな援助や情報を欲しいと思っているのかを先に調べないと進まないですね。本当に必要だと思っている人がある程度の人数いることが分かれば、すぐにでも行動を起こしたいところです。

 
 
 

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味方はきっといるから

 今日は2週間ぶりに心療内科のクリニックでお仕事でした。

 おとといから疲れがたまっているのか、一日中身体がだるく頭もぼんやりしていました。やっと仕事が終わって帰り道、電車を降りて改札に向かう途中で、切符がなくなっていることに気がつきました。

 しまった…乗り換えの時に落としたか、電車の中に忘れてきたのか?…と焦ってあちこちを探しました。でも切符は見つからず、駅員さんに説明すると、申し訳なさそうな顔で、「1360円いただきます」

 うぅ…思わぬ出費。

 クリニックでは、月に2日しか行かないせいもあり、ほかのスタッフと何を話していいのか分からず、話に加わるタイミングを逃して一人だけ浮いてしまう。自分から話しかけてみても、あまり反応がないので、よけいな事は言わない方がいいのだろうかと気を遣い、さらにだんまりになってしまう…。

 別の職場でも、うまくやろうとすればするほど、小さなミスは連発するし、誤解もされやすい。そんなつもりで言ったわけではないのに、言葉が少しずつ足りなくて、相手をイライラさせてしまう。中学生の子どもたちも「先生かなり天然はいってるねえ」。あまり社会で適応できないタイプ、そう言われてきたし、自分でもそうだと思っています。

 本当に世渡りが下手で、どこまでも不器用で、時々は人とつきあうことに自信をなくして誰にも会わない方がいいんじゃないかと考えたりします。

 私はずっと自分は本当にどうしようもないヤツだと思って生きてきました。だけど、今どこかで区切りをつけなければずっと自分が嫌いなままで一生を終わってしまう、それは絶対に良くないことだと思ったのです。

 ここからは、電車の窓からそとをぼーっと眺めながら、自分に言った言葉です。

 Sana、あんたって、本当に損な性分だよね。
いっぱい誤解もされたし、言えなくて飲み込んだ言葉もたくさんある。
本当はやりたくなくても、人から頼まれるとNoが言えなくて抱え込む。
相手を喜ばせようとしてこころと裏腹な言動が出てしまう。
もういいよ、そのままでいいじゃない。
不器用なら不器用で。
無理して社交的にならなくてもいいよ。
あんたのそういうところを、うまく分かってくれる人にきっと出会えるから。
自分を好きになれれば、本物の「好き」が見えてくる。
周りに集まる人が変わる。
味方はきっとその中にいるから。

今は自分で自分に言い聞かせるしかないけれど、いつか誰かに言ってもらえる日はくるのかな?

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療育のチカラ

 水曜日と木曜日は、毎週学校のスクールカウンセラーの仕事をしています。

私の住むK市では、中学校はほぼ全校に配置されています。私は中学校1校と、高等学校1校が受け持ちです。

 学校にカウンセラーを配置した最初の頃は、不登校生徒の心理的支援をするためというのが第一の目的でした。しかし、現在は、生徒や保護者の相談、教職員からの相談、メンタルヘルスの向上のための支援、と段々とやることが増えてきています。

 私が特に力を入れているのが、軽度発達障害を持つ生徒の支援です。

 私が派遣されている中学校には、カナータイプの自閉症の生徒さんがいて、通級でのフォローがなされています。この生徒さんには、専任で教師が対応しており、私は直接の支援というよりは、先生を支援する、という形をとっています。

 しかし、普通学級には、他にも明らかに発達障害がある生徒さんがいて、その子たちのクラス内や家庭での問題について、担任の先生方から相談を受け、対応について話し合い、本人たちと面接をし障害の程度や問題のアセスメントや心理的な援助を行う、というのが、学校での私の主な仕事の一つになっています。

 昨日は、一日の半分はこの発達障害の相談に費やされました。

 K市は、派遣されている中学校だけでなく、その校区内の小学校についても要請があればスクールカウンセラーが対応するというシステムをとっています。それで、小学校からの発達障害の相談もときどき入ってきます。

 これまで2ヶ月ほど、学校で仕事をするなかで、とても実感したことがあります。

 おそらく高機能自閉症やアスペルガー症候群だろう、と判断できる子どもたちは学校全体ではそれほど数は多くないものの、そのほとんどの子どもたちの両親が、とても子どもへ対応できる体制でない、ということです。

 この子たちは、小学校就学前診断でも見過ごされ、小学校の6年間で様々なトラブルを起こしながらも、発達障害に気づいてもらえないまま、中学校へ進学してきています。中学校で、どうも他の生徒と違う行動が目立つ、と担任の先生が相談に訪れて初めて発見される、というパターンがほとんどです。

 先生方はほとんどが「どう対応したらいいのか」悩んでいます。発達障害が軽度であまり目立った問題を起こさない子ほど、学校での発見も遅れます。大抵相談にくるきっかけというのは、クラスでの小競り合いや集団行動になじんでいない、という目に見える形での何か問題が発生した時です。しかし、よくよく話を聞くと、もっと前からすでにいろんなサインが出ているのに…と思うことも少なくないです。

 そして、家庭でも全く気づかれないまま、あるいは、ほとんど何の対応もなされないまま、学校にお任せという状態の生徒さんもいます。

 学校では、知能検査などの正確な診断ができないため、生徒さんの状況によっては、医療機関か児童相談所へ紹介をする必要が出てきます。しかし、それをご両親に話す段階で、理解してもらえたという体験があまりないのです。結局、伝えたあとも病院には受診してもらえず、放置されたまま、という結果に終わることの方が多いようです。

 見ただけではなかなか分からない、軽度の発達障害の子どもたちですが、私の目からは結構ストレスがたまっているなあ、とか、こういう時にはやりづらいだろうなあ、というのが見えてきます。担任の先生の中には、家庭での対応に期待できないのに、学校で何ができるんでしょうか?と尋ねる人もいました。

 でも私は、いまからでも遅くないから、学校でできる療育をやってみましょう、と励ますようにしています。

 他の生徒や先生との関わり方、学習の方法、余暇の過ごし方、社会スキルの訓練…と、学校でもできることはあります。本来は家庭でなされるのが望ましいことですが、その全部はできなくても、少しでも実践を続けることで、かならず何らかの結果は得られる、というのが私の考え方です。

 これまでに、大人の発達障害の方々に関わってきて、早期に発見されなくても、発見された時から「生きにくさ」への介入をすることで、発達障害の程度がワンランク軽くなるという手応えを得てきました。

 中学生の子どもたちであれば、もっと反応は早いです。

 一番大切なこと、それは、先生も私たち専門職のスタッフも、子どもたち一人一人を見守り、必要な事を、必要な時に援助するということではないかと思います。

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歩き続けるしかないときもある

 ぴょろが日曜日から修学旅行へ行っています。
昨日私はK市に戻り、配偶者は自宅で一人過ごしました。
3人がはじめてばらばらの夜を過ごしました。

 単身赴任の生活を初めて3ヶ月が過ぎました。
一人で過ごす時間が増えて、家族のことを考えることが多くなりました。

 一緒にいるときは、落ち着きがなくてときどきぼんやりしていて、忘れ物が多くて…よく怒ったし、ときどき「もうしらん!」とキレたし、「たまには言われんで自分でやってくれよ」と嘆いたし、ADHDの子どもの子育ては大変だとため息も出た…それなのに、離れてみて、ぴょろがかわいくて仕方ない、親バカな私がいることに気がついたのです。

 一緒にいるときに、もっとぴょろの事を受け止めてあげればよかった、と思うこともありました。本当は、一緒にゴハンをたべるとか、お風呂に入るとか、一緒にゲームしたり遊んだり、と小さくて日常の積み重ねが大切なんだなあ、と改めて思いました。

 ぴょろは、確実に思春期に入っていて、自宅に戻るたびに親から離れようとしていることを感じます。これまでの、「ケアする」子育てから、「見守る」子育てへと切り替える時期が来ていることを実感しています。これまでは、ぴょろに社会スキルや生活スキルを教えて、それを身につけるためのサポートをするのが親としての役割かな、と考えていましたが、この年齢になると、ある程度基本的なものは頭に入っているので、それをどう実生活に生かしていくのかという「コーチング」が大切になるのでしょうね。

 変化しているのはぴょろだけではありません。
私の人生もまた、大きく変わろうとしているのだと思います。

 修士号を取ったのが3年前で、その後様々な職を体験し、気がつくと単身赴任までしながら仕事をしている私がいる、それがまだ、現実でないような気が時々するのです。

 本当は、あのままぴょろのお母さんでいることの方がよかったのではないか、と思うこともあります。ぴょろをどう育てるのか、その答えと自分自身の経験を役立てる方法を探すために勉強したはずなのに、気がつくといつの間にか、トラウマとストレスの研究者となり、いくつかの学校で危機介入に関わるスペシャリストと呼ばれるようになってしまっていました。

 これでよかったのだろうか…とふと考えるのです。

 「カウンセラーは、因果な商売だよね」、と私の師匠は時々口にします。他人の問題解決に少しは役に立てることができたとしても、自分の問題は未解決のまま残っている、クライエントが語ることと実は似たような悩みを自分も抱えている、そういう事がよくあるからです。

 トラウマケアをやる本人が未解決のトラウマを抱えている、この矛盾があるが故に苦しむこともあるのです。

 だけど師匠は、「苦しくてもつづけるしかないよね」、と言ってくれます。

 ADHDの子どもの親として、一人の人間として、悩んだり苦しんだりしていることも、カウンセラーとしていろんな人との関わりで悩んだり考えたりしていることも、みんな含めてこれでいいんだ、と思えるまでは、いまは歩き続けるしかないのかもしれない、と思うのです。

 Silent Voicesに書き込んできたことも、専門家としての私の視点と、一人の親としての視点、一人の人間としての視点が混ざり合っていると思います。

 おそらく、このブログを見て下さっているみなさんは、専門家としてというよりは一人の人間としてのつぶやきに、共感して下さっているのではないかと思います。


 

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子供のこころの叫びを受け止める

 今日、予定していた約束がキャンセルとなり、少し時間が空きました。
飛行機は2時、準備の時間を除いても、書き込みがちょっとだけできそうです。

 佐世保の小6女児同級生殺害:長崎新聞HP

 これまでの一連のニュースは地元の新聞社のHPにまとめられているので、こちらを参照して下さい。

 いろんなブログでも取り上げられ、いろんな専門家がコメントを述べているこの事件ですが、私なりの意見を少しだけ書いておこうと思っています。

 私にとっては、なぜこの事件が起きたのかということより、これからどうすればいいのかということについていろいろと考えることがありました。

 まず、加害者である12歳の児童ですが、反社会的人格障害だとか、境界型人格障害では?というご意見もあるようですが、精神鑑定などをやってもおそらくあまりはっきりとした診断のつけられるようなものではないと個人的には思います。

 ホルモン説だの、生物学的脆弱性だの、Biologicalな原因節も出ていますが、それも本当に当たっているのかどうかは分かりません。

 思春期の始めの頃には、身体が急激に変化する時期があって、脳の視床下部や扁桃体などの旧皮質が敏感になり、大脳皮質、特に眼窩前頭皮質や帯状回の発達が追いつかない時期というのは確かにあります。

 しかし、程度の差はあっても、これは誰にでも起こります。それだけでは事件の説明はつかないでしょう。

 私が最も心配していること、それはこの児童が非常に淡々としていることです。おそらく元々あまり自分の感情や意見を表現することが得意ではない上に、人と信頼関係を築くのが難しい子ではないだろうかと思います。

 HP上で公開されている詩などの文面を見る限り、かなり自己評価の低い子のようです。

 これまでに、中学生や高校生の何人かとメールのやりとりをしていて、とても似た部分があるように思いました。自分を出せず、周りにはとても気を遣い、一見するとすごく大人びた態度を示したりするけれど、内面では大人の部分と子供の部分がアンバランスで、自分の事が嫌い、誰かに依存したいけれどその反面人を心底信じることができない…。

 時々激しい攻撃性を向けると思うと、一転して自分を激しく責める。自分がなくなりそうな不安や誰にも分かってもらえない孤独感を抱えている。

 何人かの生徒が今も時々私に「誰か助けて」、とメールをしています。彼らは自分を傷つける事で自分を保とうとしています。

 今回の事件では、攻撃性は同級生に向けられ、殺人という結果に終わってしまいました。しかし、この児童はおそらく今度は同じ攻撃性を自分に向ける可能性が高いと思います。

 本人のこころは今かなり脆い状態で、自分の行為を受け止めることも、そのために自分自身が深く傷ついていることも、まだ受け止めることはできないだろうと思います。

 加害児童へのこころのケアがどうなされていくかはこれからだと思いますが、かなりIntensiveなケアが必要になるだろうと思います。この児童を何らかの形で支えていく複数の大人の存在が、この子がこれからこの痛ましい過去を背負っていくためには不可欠ではないかと思います。

 さて、この事件は学校内で起こりました。返り血を浴びた児童を目撃した子供たちも、亡くなった児童と親しかった人たちも、事件の衝撃は相当のものであっただろうと思います。

 ニュースを見る限りでは、今現在でも急性ストレス反応が出ている子供たちもいるようです。これから、1ヶ月までの間にもう少し増えるかもしれません。マスコミの対応次第では、子供たちのこころの痛みはさらに増す可能性もあります。

 また、学校の教師にも、かなりの衝撃を受けておられる方が少なからずいると思います。

 今は緊急支援ということで、臨床心理士や精神科医が介入しているようですが、この影響は長期間残る可能性があります。地域で支援体制を作り、6年生の子供たちが中学へ上がっても引き続き支援が受けられるようにしてほしいと思います。できれば最低でも数年間のフォローは必要でしょう。

 子供たちだけでなく、教師や学校へのサポートも必要です。みんなで協力して支えていくしかないと思います。

 亡くなった児童の家族のケアも、すぐにでもとりかかる必要があります。お父さんにとっては2重の喪失体験で、おそらく現在も心身ともにかなりのダメージを受けていると思います。

 今回の事件は、原因探しはあまり役に立たないかもしれません。カッターを使った(小学校での)傷害事件は、私が小学生の頃にもすでに何件か起こっていました(ということは20年以上前ということです)。カッターや他の刃物を取り上げても、一時的な解決にしかならないような気がしますし、今回原因があきらかになり、仮にそれを排除できたとしても、それだけでは不十分な気がするのです。

 こころの教育が言われていますが、人を殺しても自分を殺してもいけないということは、人の死を身近に見て、人のいのちには限りがあることを学ばない限り、本当の意味で理解することは難しいのかもしれません。もしそうなら、単に小学校のカリキュラムを変えるだけではなく、医学教育も含めて全体としてのいのちの教育そのものをもう一度見直すほどの大作業が必要になってしまうのかもしれません。

 今の子供の変化は、社会の変化を如実に反映したものであり、子供を大切に育てていこうとする流れと、子供を食い物にしている現実のあやういバランスの上に成り立っているものであることを忘れてはならないと思います。

 さて、私はこれまで3年間で、いろんな中学生や高校生との個人的なメールのやりとりを続けていますが、彼らはどうなっているかというと、そのうちの何人かはそれぞれに危うい時期を乗り越え、少しずつ落ち着いて今は将来の事を考えながら毎日を送っています。一人は大学進学をめざし、一人は資格を取り就職活動をしています。一時は自分を殺すかもしれないというところまで行きながらもなんとか持ちこたえた一人の生徒は、3年経って今は大分成長しましたよ、と電話で話してくれました。彼らに対して私がやったこと、それはもらったメールに返信をすることだけでした。私に知らせるまでは勝手に死ぬな、と何度も送りました。

 今もまだ不安定な子たちはいて、メールのやりとりは彼らがメールをよこさなくなるまで続くことでしょう。
 
 この加害児童の今の状態を理解するのは難しいかもしれませんが、少なくとも今回の事件が起こる前に行動の変化などのサインを何度も出していたようなので、その時にもし誰か一人でもこの児童の「助けて」というこころの叫びを受け止められていたら、もしかしたら防ぎ得た事件だったのかもしれない、という気持ちだけが残ります。

 

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もらい泣き

 先週の金曜日、私はある小学校へ、子供の面接に行きました。
PTSDかどうかを診断するための特別な面接です。

 この日は、空き教室を借りて面接することになりました。 
先生に連れられて入ってきたのは12歳の児童でした。

 その子は去年、一番の親友を交通事故で亡くしていました。そして、その命日があと1週間後に迫っていて、最近になって急に体調が悪くなったことを事前に知らされていました。

 面接が始まって、最初は好きなスポーツや習い事の話をして少し落ち着いたところで、事故の事について尋ねてみました。その子は顔色も変えず淡々と自分が(事故の時に)何をしていて、誰から友だちが亡くなったことを聞いたのかと話してくれました。

 辛いことを聞くかもしれないけど、と前置きをした上で、”(友だちが)亡くなったことを知ったときどんな気持ちだった?”と聞きました。

 これは、PTSDの医学的な診断のために決められた質問項目というのがあって、質問者は一応尋ねなければならないことなのです。

 その瞬間、その子は下を向き、大粒の涙をぽろぽろと流しました。

 ”そうか、辛いよね”と言った私も、思わず泣いてしまいました。どうして泣いてしまったのか、考えてみても分からないのですが、その子の泣く姿が痛々しくてそばにいる私も辛かった。

 面接は、いつもよりはゆっくり時間をかけて行いました。時々ペットのこと、好きな本のことなど気持ちを少し和らげるような話を交えながら、約1時間近くかかりました。

 面接の途中で、その子が”死んだら友だちにあえるかな、と思うときがあるよ”とぽつりと言いました。忘れてはいけないと思うけれど、思い出すと苦しくて仕方がないというのです。だけど、人前では絶対に泣けないからずっとひとりでがまんしていたよ、と泣きながら話してくれました。

 ひととおり面接が終わった後、私はこの子をこのまま家に帰すのはよくない、と思いました。それで、その児童に、簡単なリラクセーションをやってもらったあと、「○○ちゃん(亡くなった友だち)は今のあなたにどうなってほしいのかな?」と聞いてみました。

 その子は泣き顔のまま、「もっと強くなってほしいと思っているかなあ」とぽつり。

 きっと、天国から笑顔でがんばれって応援してくれてるんじゃないかな、自分の分まで生きてほしいと願っていると思うよ、と私が言うと、ゆっくりうなずきました。

 「私もお父さんが死んで悲しかったけど、今は空を見るといつも笑顔のお父さんを思い出すよ。いつかあなたにもそういう日がくるといいね」

 そう言いながら私は泣きそうでした。その子は少し気持ちを落ち着けたあと、教室を出て先生に見送られて家へと帰って行きました。

 空港に向かう電車の中で、私はずっとその児童のことが頭から離れませんでした。死にたい気持ちがそんなわずかの時間でなくなるわけはないのかもしれませんが、少しでも私の言いたかったことが伝わっただろうか…何かもっとその子にしてあげられることはなかったのだろうか、とぐるぐると考えていました。

 何故泣いてしまったのか、今気付いたのは、私の父の命日もまた近づいているということ。私とその子の経験が重なってしまったのかもしれません。(質問者が泣いてしまったのが、はたして良かったかどうかは別として)

 身近な人の死が、子供にとってもどんなに辛いものなのか、しかもそれを表現できる手段が十分に備わっていないだけに傷は思ったより深いことを思い知らされました。結局その児童はPTSDと診断され、医療機関へ紹介することになりました。


 こういう事もふまえながら、もう少し落ち着いたところで、佐世保の事件について書いてみようかと思います。

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身体は覚えている

 おとといK市にいったばかりで、昨日また自宅へとんぼ返りしました。
昨日は夕方まで仕事があって、予定の時間までに空港に着くことができず、結局予約をキャンセルし、全日空の最終便に乗りました。

 最終便は、737-500(スーパードルフィン)という小さい飛行機です。週末ということもあって、ほぼ満席でした。昨日は比較的天候は良かったはずでしたが、目的地が近くなってから急に揺れがひどくなり、空港に着く直前には大きく横に揺れ始めました。

 ぎゃー!

…と言いそうでしたが、言わないうちに飛行機は無事着陸しとりあえずほっと一息。

 以前は、ここまで揺れるとまちがいなくパニックを起こし顔面蒼白になっていましたが、昨日は揺れた割には落ち着いていた気がします。

 ここまで来るのに、なんと1年4ヶ月かかりました…。

Continue reading "身体は覚えている"

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気持ちの動揺は必ず行動に表れる

 昨日のお昼、自宅の階段で転倒し、右手親指、右手首をねんざし、おまけに右肩~右鎖骨を痛めたようです。

 本人は、転倒した時にはぼんやりしていて、思い出そうとしてもどうやってケガをしたか思い出せません。運の悪いことに、その時に私は右手に1kgのサラダ油のポリ容器と牛乳パックの入った重い買い物袋を持っていて、転んだ後しばらくして、袋が結構ぼろぼろに破れていることに気がつきました。多分袋をもったまま転んだんでしょうね。

 昨日は私が患者として治療を受けた日で、結構気持ちが動揺していたんだと思います。
帰り際に大丈夫かと言われて自分ではしっかりしていたつもりでした。

 以前には、治療が終わって帰宅途中で、事故を起こしたことがありました。被害は大したことなく、車もそんなに傷まなかったのですが、明らかな注意力、集中力の欠如による、私が9割悪いと言われた事故でした。

 今回は、運転には十分に注意していたのでよかったのですが、ほっとしたところでいきなりのケガ。

 やはり、気持ちの動揺は何らかの行動に必ずと言っていいほど表れますね。治療の後はもうしばらく用心した方がよさそうです。

 キーは痛くても打てますが、字を書くのはちょっと辛いです。肩や鎖骨がひどく痛む(多分骨は折れてないと思うけど)ので、今日K市に帰る予定を変更し、あすの朝戻ることにしました。

 今日ぐらいはゆっくり休みたいよ~。

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Professional editionを作りました

 このブログを始めた頃からずっと考えていたことがあります。
ブログはとても使いやすいし、日記感覚で更新ができる。
だけど、心理学に関する記事を書くと、どうしても専門用語を避けて通れない。

 専門用語を解説するためにもう一つ記事を書いても、また別の記事で引用というのが多少面倒くさい。

 これを何とかするには、途中でGive Upしたホームページをもう一度作り直そうかとも考えましたが時間がない。さて、どうしたものか?と考えていたら、蜜柑さんのブログはてなダイアリーの存在を知りました。

 はてなダイアリーにはキーワード機能があって自分でもキーワードの編集ができます。

 これだ、とひらめきました。

 そこで、はてなダイアリーに、Slient Voices Professional Editionを作りました。基本的にはここが中心だけど、保存しておきたい新聞記事や、医学・心理学関係の文献(抄録)、あるいは専門用語の解説や、より専門的な情報などをProfessional editionに載せて、リンクさせることで、こちらでできなかったことをやろうと考えました。

 さっそく、昨日の小学校での事件の記事と、学校における緊急介入について載せました。

 HPだと、作るのがめんどくさくてなかなか進まなかったですが、これなら思いついた時にこつこつできるので助かります。

 …ということですので、より専門的な情報についてこれからは、Professional editionの方もご参考下さいね。

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