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他人を助けるために自分が苦しむ

 昨日、自宅に帰ってきました。お昼は、猫たちと私でのんびりすごし、夕方帰ってきたぴょろと2人で夕食を食べ、TVを見ながらくつろいでいました。

 そこに、結婚以来ずっと親しくしている友だちが2人で訪ねてきてくれました。私が、最近あまり連絡を取らないので、心配していたようです。”悩みがあったら何でも吐き出しなさいよ”、と言ってはくれるのですが、私は相変わらず口が重く、さらっと今までの事を話してあとは世間話をして終わりにしました。

 友人たちは、「無理しないで」「ゆっくり休んだら?」と言ってくれるのですが、そう言われても無理をしないと今の生活は続けられない。別の友人は、大学院やぴょろの話をすると、「がんばってね」と言ってくれるが、今はとうていがんばれる状況ではない。

 こんな私は、なんてワガママなんだろう…と考えていたら、カイパパさん「がんばれ」って言わないで 「がんばらないで」って言わないで、という記事を見つけました。

 相手は善意で言ってくれているのかもしれないが、それが自分を苦しめる、なぜだろう…とずっと考えました。

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休息はどこへ?

 4月から、大学の看護学部で心理学を教え始めました。
前期は2年生、後期は4年生を受け持ちます。

 聴講生も含め120人の学生さんを相手の講義なので、初めは教えるので精一杯の感じがありました。確かに、平均年齢20歳そこそこの若者たちと私では年齢の差だけでなく、明らかに興味関心が違いますよね。

 それでも2ヶ月目に入ると、段々と大人数の講義に慣れてきて、学生さんの様子を見ながら話を進められるほどの余裕ができてきました。

 教壇から見ていると、学生さんの1/3は明らかに顔を伏せて寝ているか、目をつぶって眠りの世界に入っている様子です。1/3は、私の話を比較的熱心に聞いて、毎回配るプリントにも目を通しています。残りの1/3は、とりあえず寝てはいないけれど、横の人とおしゃべりしたり、「内職」をしているような感じです。

 これだけ人数が多いと、一人一人の状況をちゃんと見るのは不可能です。そこで、実習も兼ねて、気分や身体の調子を調べられる心理テストをみんなにやってもらいました。回収したテストを一つ一つ見直してみて、年齢の割にはかなり疲れている人が多いなあ、という印象を持ちました。気分は悪くないけど、身体のほうは明らかに疲れがたまっていて、普通の生活にも支障が出ている人も1/4程度いました。

 不安や緊張の項目の得点も高い人が多くて、慢性的にストレスを抱える人が、高い割合でいるのではいかとも考えました。

 特に点数が高く気になる学生さんに声をかけてみたら、アルバイトと学業で時間に全く余裕がない、と話してくれました。忙しくてもアルバイトも授業も休まない学生さんほど、身体もこころも悲鳴を上げているような感じがしました。
 いわゆる、「過労(Overwork)」の状態です。

 こういうときには、休息が第一、とよく言われます。

 だけど、彼らには、休息をとることを思いつく余裕もないのです。こちらが休みなさいというのは簡単ですが、生活のかかっている学生さんにとっては休息は二の次。かれらをわずか週1日90分の講義の中で、どうやって助け休息をとるところまで持っていけるのか、今考え中です。

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間違った思いこみ~DV加害者の抱える問題

 NHKニュースを見ていたら、特集でDVの加害者対策についての報道をやっていました。

 私もDVや虐待の被害者支援をやっているため、興味をもってTVを見ました。

 すると、加害者へのグループサポートの現場を紹介する場面で、加害者の一人が

 「暴力という認識がない」

 え?相手は骨折したりひどい打撲で病院に何度も運ばれているのに、単なる「しつけ」として見ていないのか?…と改めて衝撃を感じました。

 被害者対策は進んでいますが、加害者への対応はかなり遅れています。
私は以前に、虐待の被害者で加害者…という人のカウンセリングに何度か関わったことがあり、加害者へなかなか援助の手が届かないジレンマは感じていました。

 だけど、今日あらためて、加害者を何とかしないと、いつまでも問題は解決しないだろう、と思いました。

 夫やパートナーの暴力から逃げられず、黙って耐えている人も少なくありません。でも、相手は自分のしていることを暴力だと思っていないんですから、その連鎖から逃れるにはまず逃げるしかありません。まず、自分自身を取り戻してもらうこと、これが私の援助の主な部分です。

 でも、暴力をふるっている相手は、その間違った思いこみに気づかない限り、違う相手で同じ事を繰り返すんですね。

 このままではいけない、と思います。

 もしかして、DVかもしれない、という被害者の方へ
 DV危険度チェック(DVバスターズ)
 
 ドメスティック・バイオレンス共済会(東京・大阪)

 西日本新聞ワードボックス ドメスティック・バイオレンス:DV関係の記事もあります

 TFNet Japan: DV関連のサイト、書籍の紹介があります。
 メンズセンター: 加害者対策をやっている関西の民間組織です。


 

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光と影

 ガンジーさんは、ブログを始めて知り合った学生さんです。
そして、うつ仲間でもあります。そんなガンジーさんがうつ病とのつきあい(4)で紹介ししている中島敦の『山月記』の一節を、私も読ませていただきました。

 「己の珠に非ざることを惧れるが故に,敢えて刻苦して磨こうともせず,
又,己の珠なるべきを半ば信ずるが故に,碌々として瓦に伍することも出来なかった」

 「益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果となった」

「事実は,才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と,
刻苦を厭う怠惰とが己のすべてだったのだ」

人は「あるべき理想の私(Ideal self)」の姿を追い求めます。強くありたい、人に信頼される私でありたい、といった、好ましい自己像を誰もが持っています。しかし現実は思うようにはいきません。「現実の私(Real self)」と「理想の私」の間には少なからずギャップがあり、それが大きいほど人は苦しみを感じる、とカール・ロジャースはいいました。

 人間にとって、自分の弱さや欠点を認めることは、難しいことです。相手の弱さや欠点はよく見えるが故に、自分の中に同じものがあることに気付きにくいのかもしれません。

 「私は”理想の私”でなければならない」という気持ちが強すぎると、「理想の私」にそぐわないものを否定しようとします。そして、極端な場合、その「そぐわないもの」を鏡のように他人に映し出すのです。そして、自分の中にあるはずの問題が、他人の問題に「すり替わって」しまうのです。

 例えば、「私は強い人間でなければならない」と考えている人が、飲み会の席で酔って同僚に弱音を吐いたとします。しかし後からその事を聞いた本人は、弱音を言ったのは同僚の方だ、と反論するか、あるいは同僚がうそを言った、と怒り出す…といった感じです。

 人の弱さや欠点とは、光に向かって歩くときに自分の後ろにできる、影に似ています。ものに光があたると必ず影ができます。人は強さと弱さ、長所と短所の相反する特質を必ず持っています。影とはある意味「見たくない自分の姿」なのです。しかし、人が歩いても走っても、影はどこまでもついてきます。

 「見たくない自分の弱さや欠点」を否定することは、自分の後ろにできている影を、「自分のものではない」と言うか、あるいは影を自分から切り離そうとするのに似ています。

 しかし、自然の法則上、影を切り離すのは不可能ですし、影はどうやってもその人のものです。せめて人は、影を見ないでおくことしかできません。

 弱さや欠点から目を背けることは、一時的に人を苦しみから遠ざけ、「臆病な自尊心」を満たしてくれるかもしれませんが、問題はまだ「そこにある」ままです。影を見ずにひたすら逃げても、影は振り返ればそこにあるのですから。

 「回復には必ず痛みを伴う」でも述べたとおり、何か壁にぶち当たりそれを乗り越えるためには、どうしても苦痛を経験しなければならないのです。自分が冷静になればなるほど、自らの弱さと否応なしに向き合わざるを得なくなります。

 その時に、そこから逃げ出してしまうと、回復は遅くなります。

 乗り越えるたったひとつの方法は、「光に背を向け、自分の影と向き合うこと」なのです。

 そこから、必ず何かが見えてきます。そしてその先には新しい道があることに、気がつくときがやってきます。

 人は人生の中で、必ず何度かはこのような体験をするようにできているようです。


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100記事達成!

 今、ブログを開いてみて、記事数が100になったのに始めて気がつきました。

 え~、もうそんな数になってたのー?

 ちょっとやってみようかと始めて5ヶ月。これからもマイペースでやっていきたいと思います。週の後半は忙しいのでブログの書き込みがなかなかできてませんが、次は200を目指しましょう。


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赤い花

 私は本だけでなく漫画も好きで、高校生の時に買ったコミックをまだ大事に持っています。子供のものと合わせると、今は結構な数のコミックが家を占領しています。

 その中で、仕事に疲れたときによく読むのは「家裁の人」というコミックです。家庭裁判所の裁判官が主人公で、なかなか中身の濃いストーリーです。

 その主人公が、両親の離婚でグレていた中学生の女の子に言ったせりふが、

「あなたはどちらになりたいですか。赤い花になぐさめられる人と、慰める赤い花と。」

 その子の両親はそれぞれに再婚を考えている相手がいて、どちらにも引き取る意思がない。そういう境遇にある14歳の子供に、初めて読んだときには「ちょっと厳しい言葉じゃない?」と感じました。

 でも、改めて読んでみて、今は違う心境になりました。

 どんなに不幸だと思えるような状況でも、見る人の心をなごませる赤い花のような人になることはできる。ただ、そのためには、自分で変えられるものは変え、受け入れるしかないものは受け入れ、勇気をもって一歩を踏み出すことが必要なんだと。

 その子は結局、15歳の誕生日が過ぎてから、自分で養子縁組を決めて歩き出します。親が自分を捨てる前に、親に「さよなら」を言うのです。自分らしく生きるために、手放すべきものを手放す、それもまた必要なことだと思いました。

 私もまた、赤い花になりたいと思います。

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家裁の人(1~6巻):このストーリーは確か2巻か3巻だったかな…(後で調べました)いや、5巻でした。

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時を待つ

 今週はとても忙しく、「その日暮らし」が続いています。
一つが終わると次にとりかかる、そしてまたつぎ…で、気がつくともう週末。明日はやっと自宅に戻れます。

 今日は、午前中は大学で講義、終わると小学校で相談のお仕事でした。毎日、午前と午後で職場が変わる、渡り鳥のようだとつくづく思います。

 時間に追われるような毎日なので、私自身の事を考える余裕がありませんでした。それでも、離れて住んでいる家族の事はいつも頭にあって、特にぴょろの事は気になります。

 それまで住んでいた場所を離れ、新しい土地で新しい職場を与えられている、そのことがまだ、現実のように思えないときも、少しだけあります。自転車をこぎながら、電車で移動しながら、「なぜ私はここにいるんだろう?」と自問していたりします。

 当然、人間関係もこれまでとは大分変わりました。非常勤の仕事を渡り歩く中で、毎日出会う人の数は去年までより格段に増えた気がします。気遣いの必要な関係もありますが、中にはあまり時間が経っていないのに、いつの間にかメールをやりとりする人が出てきたりしています。出会う人のタイプが以前と少し変わりつつあるようです。

 学校の先生や生徒たち、大学の先生、学生さんたち、病院のスタッフ、とそれぞれつきあい方も違います。その中には、ちょっとしたきっかけで、自らの心の傷について、少しだけ話をしてくれた人たちもいます。

 彼らに心の傷をもたらした出来事とは、まだ会って間もない人に話せるような内容ではありません。思い出せばいろんな気持ちが出てくるだろうし、どう言葉にすればいいのか分からないこともあるだろうと思います。それでも、私もこうだったんだよ、と話してくれたことを、私はちゃんと受け止めてあげられたのだろうか、と考えます。

 彼らが、自身の身に起こった事をもう少し話してくれるかもしれないし、そうでないかもしれません。たとえ話せたとしても、傷ついた体験を言葉にできるのには時期があります。こちらが無理にたずねるのでなく、話せる時を待つことが大切なのです。

 病院には毎日のように、PTSDの患者さんが診察に来られます。しかしスタッフが多いので、別のスタッフがカウンセリングを担当していて、私は彼らの様子を間接的に聞く毎日です。私がこれから出会う人は、その中の何人かに過ぎないでしょう。それがいつなのかも分かりません。それでも、必ず会うべき人には会える気がしています。これもまた、その時を待ちたいと思っています。

 このところ、ブログの更新が遅いのは、忙しいだけでなく、私自身の気持ちの問題もありました。毎日PCには向かい、記事を書こうとするけれども、どうしてもできなかったのです。私の中にはまだいろいろな未整理の気持ちや思いがあって、それを言葉でどう表せばいいのか、今も分からずにいます。いつかそれらも、言葉にしてあげられる、そんな時がくるといいなと思います。

 

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普通の人

 最近、「障害者」の表記の件で、いくつかのブログのコメントを見ました。

 「障害者」という表記について:ノーマライゼーションねっと
 「障害児」という表現:たからばこII

 私は、医療関係者としては障害という言葉を多少は使わざるを得ない立場にあるため、正しく使ってもらえればいいのではないか、というスタンスでいます。誤解や差別を生まないような、慎重な対応は必要ですが、例えばADHDは脳の高次機能の障害であることに間違いはないので、この言葉を使わないで子供の状態を説明するのは極めて難しいです。ただ、それがラベル貼りのようにならないでと願うだけです。

 親としては、全く逆のことで悩んでいます。

 それは「普通」という言葉。これがやっかいなんですよね。

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幸福な人生

 忙しい毎日が続いています。連休明けから、F県のスクールカウンセラーの仕事が始まりました。大学の講義は大分慣れてきましたが、やはり120名の学生対講師一人の体制では、やりたいことがあっても人数が多すぎて「やっぱやめとこう」…となるときが、少なからずあります。(でも、教えることは楽しいです♪)

 さて、今日はK市内のクリニックでカウンセリングの仕事をしました。

 体調が悪かったので、院長に事情を話して1ヶ月休んだあとの久しぶりの出勤でした。本当は”今月いっぱいでやめます”と言うつもりで行きました。でも、仕事が終わるときには「やめよう」が「続けよう」に変わっていました。

 今年の初め、EMDRの治療者仲間から、ある女性のカウンセリングを頼まれました。その人は、クリニックのあるK市からは、かなり遠い所に住んでおられ、片道4時間をかけてクリニックに通ってきていました。

 私は、自分の体調とその人の負担を考え、本人の自宅からもっと近い場所で開業している、別の治療者を紹介する手はずを整えていました。ところが、本人にそのことを告げると、病院を変えたくない、ときっぱり断られました。かなり複雑な問題をお持ちの方なので、”カウンセリングは多分長引くと思う、だから月に2回長い時間をかけて通うのはあまりにも負担が大きいのではないかと心配している”、と話したのですが、「それでも通います」という答えが返ってきました。

 その言葉を聞いた時、私のこころの中につかえていたものがすうっと消えた気がしました。

 せっかくの休みをまる1日つぶしてでも、今の状況を少しでも変えたい、私からカウンセリングを受けたいと望んでいる人がいる。

 ”Sana、あんた何してんの?”と自分に問いかけるもう一人の自分がいました。どこまでできるか分からないけど、この方のニーズに応えられるようなEMDR使い(セラピスト)にならなくては、と。

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 ここ数日、フランス式「うつ」「ストレス」完全撃退法という本を読んでいました。その中に、幸せな人生を送るためには2つの条件がある、と書かれていました。

 その条件とは、

 身近な人たちとの安定した愛情関係、そしてコミュニティーへの積極的な参加、だそうです。

 愛され受け入れられたい、という気持ちが(ある程度)満たされることは、人が生きていく上ではやはり必要なことだと思います。しかし、幸せだと感じるには、もう一つ、「私が何かをすることが、誰かの役に立っている」という気持ちを感じられるような体験も必要だというのです。

 人はつながりの中で生きているんだなあ、と時々実感します。人との絆から喜びを得られること、それが本当に幸福な状態なのかもしれません。愛し愛されることは、人の心だけでなく、身体にもよい影響を与えるのだそうです。薬よりも強力で劇的な効果をもたらすこともあるんだとか。

 今までは、こんな私を誰か分かって~!とか、受け入れて欲しいという気持ちがつよかったけれど、今日改めて「受けるより与える方が幸いである」という言葉を思い出しました。誰かのために役に立てるかもしれない、と思ったとき、素直にそして心の底から、うれしいと感じたのでした。

 

オーストリアの精神科医、ヴィクトル・フランクルは、ナチスの強制収容所の生存者である。彼は自らの経験に基づく衝撃的な著書「夜と霧」のなかで、極限状態で収容されていた人々を支えることができたものについて語っている。(中略)つまり、冷酷で無関心な世界の中で生き延びるためには、自分の存在の意味を見つけ、何かとつながることが必要なのだ。絶望的な状況において、彼は人生が自分に何をしてくれるかではなくて、自分が人生に対して何ができるかを問い続けることが大事なのだ、とアドバイスする。それはただ、他人の役に立つためには何をすればよいかを問い続けながら、より大きな思いやりをもって自分の仕事を行うことかもしれない。また、何かのために、グループのために、あるいはただ、自分が気になる誰かのために、動物でもいい、たとえば一週間に一度というわずかな時間を費やすことかもしれない。

 そう、それができれば、確かに幸福な人生といえるでしょう。

 4時間かけて来てくれている人の事を考えると、私の通勤時間は片道2時間、半分じゃないの…と思えたのが不思議です。


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「知る」不安と向き合うこと

 月曜日から、なぜだか急に忙しくなりました。
その理由は、短期で小学校の子供たちの支援に派遣されることになったからです。

 小学校では、不登校の問題だけでなく、軽度発達障害の子供たちと、父母への援助の仕事が待っています。

 軽度発達障害の疑いありと認められる子供たちは、今の状況では一クラスに数人いる割合になります。残念なことに、この支援の仕事は、担任あるいは養護教諭からの紹介でないと、子供たちと直接関わりを持つ機会がほとんどありません。ですから、クラスによっては、明らかに子供たちが困っていても、先生が気づかずに期間が終わらないかという心配が私にはあるのです。

 やはり、小学校の先生方に、軽度発達障害について勉強してもらえるように、まず研修会などを企画する事から取り組むことになるのではないかと思います。

 父母にも先生に対しても、軽度発達障害について知ることで、「自分たちには子供のために何ができるのか」を考え、援助をしていただけるようにと願っているのですが、私の説明を過去すんなりと受け入れてもらえた方が少ないような気がしています。

 一番困るのは、きちんと医学的な説明をしようとしても、なかなか子供たちの状況が受け入れられず拒まれること。


 「今まで知らなかったことを知る」のは場合によってはそれまでの不安から解放されることもあるのですが、子供たちの発達の問題について知るということは、逆にショックを受けたり不安を高めてしまうこともあるのです。知ることで、子供のこころや行動をより理解できたと言える人は、まだそれほど多くありません。多くは、逆に一時的に不安になるようです。子供の発達障害についての告知は、今でも一番頭の痛い問題です。

 それでも、「知る」ことは、子供たちが出来る限り適切な環境で育つためには必要です。どうしても、不安と向き合っていただき、それを乗り越えていかないと、一番困るのは援助を受ける子供たちなのですから。

 だから、私は必ず「しゃべりっぱなし」の状況を作らないで、説明後どんな事が不安なのか、その不安を少しでも減らすためにどうすればいいかということをたずねた上で、不安と向き合う作業にめどがつくまで、父母や先生に対しても援助をすることにしています。

 また、あえて知ろうとしない人に対しても、根気強く接していきたいと思っています。

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あなたの子に生まれて

 今日は母の日ですね。
ぴょろは、来週だと思っていたようで、あわてていましたが、「お母さん、大好き」と言ってくれました。

 もう、その言葉だけで十分。

 明日のお昼までには、K市に戻らなければならないので、ぴょろが寝ている間に家を出ます。ちょっと寂しいけど、週末にはまた帰ってくるからね、と寝る前のぴょろに声をかけておきました。

 毎年母の日が来ると、私は複雑な気持ちになります。

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もっともっと宇宙人:大人のADHDふたたび

 今まで、ぴょろと配偶者のADHDについて、何度も記事を書いてきました。

 しかし、ADHDを抱えているのは、この2人だけではないのです。

 身近には他にも、間違いなくADHDだと分かる人が何人かいます。一人は配偶者の叔父、そしてもう一人は、私の職場の上司にあたる、しかも研究指導をして下さっている精神科医です。また、私の祖父も、今考えると多分ADHDだろうなと思います。

 一言でADHDといっても、性格はみなそれぞれに違います。しかし、やることはほんとうに似ています。

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回復には必ず痛みが伴う

 連休が終わると、とても忙しい毎日が続いています。
大学の講義、研究、そしてスクールカウンセリング、後輩の指導…と、やらなければならないことが山積みです。しかし、一日に出来ることには限界があるので、一つが終わると次にとりかかるという「その日暮らし」スタイルのおかげでパニックにならずにすんでいるような感じです。

 少し前よりは、気持ちの方も段々と落ち着いてきている感じもします。単身赴任の生活に、少しずつ慣れてきているのかもしれません。

 今日は久しぶりに心的外傷後ストレス反応(PTSD)に関しての書き込みです。

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予想通りといえば予想通り

 連休もとうとう終わりですね。

 前に「連休の予定は未定」と書いた後、急に配偶者と子供が単身赴任先に訪ねてきました。結局3日間、K市を拠点にあちこちを巡り歩き、2人は今日の夕方、満足した顔で帰っていきました。

 彼らが帰ったあと、私はどっと疲れが出て、しばらくは動けませんでした。

 この2人を、連休中で人がたくさんいる場所に遊びにつれて行くのは、ほんとに大変でした。

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書くことで癒される?

 今日から5月です。

 昨日職場でGWの予定は?と聞かれ、う~ん、分かりませんねぇ、と答えておきました。

 本当に分からないからです。他のスタッフは、旅行に行く人、家族で外出する人…と皆それぞれに予定が入っているようでした。

 スタッフの一人がK市にいるようなら、車を貸しましょうか?と申し出てくれました。ありがたいけど、今は外出するだけの気力がないので、「初めての土地だから、車の運転はもう少し慣れてからにしたい」と丁寧にお断りをしました。

 自分のために使える時間はこの連休中しかないのに、それでも私はなかなか重い腰を上げることができません。でも予定がないのも寂しいので、今日はこれから大学の大掃除会に参加することにしました。

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