ぴょろの障害を受け入れた時
少し前にカイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルで取り上げられた【あの頃】「わが子の障害が分かるまで」体験談募集の記事を読ませていただきました。皆それぞれに受け入れるまでのプロセスがあるよね、とうなずきながら読みました。
ぴょろはADHD(注意欠陥多動性障害)で、自閉症スペクトラム障害とは少し発見までの状況が異なりますが、それでも親としていろんな思いをしました。そういえば、まだきちんと整理できてなかったかもしれないので、もう一度思い出してみることにしました。
ぴょろはほぼ予定日通りに生まれ、生まれた時の体重が2950g、出産はかなり楽な方だった、と言われました。生まれる直前までおなかの中で動き回っていたので、助産士に「この子よく動きますね~」と言われたのを覚えています。(考えればその時から多動の傾向があったのか?)
1歳半までは比較的順調に育ちました。検診でひっかかった事もありませんでした。10ヶ月で歩き始め、身体的には発達が早かったと記憶しています。
2歳を過ぎてもなかなか言葉が出ず、このあたりから私は焦り始めたのですが、周囲は「個人差があるから」と気に留める様子はありませんでした。
2歳半を過ぎた頃から、急にしゃべるようになり、語彙数が一気に増えました。その頃から私はぴょろを保育園にあずけ、フルタイムで仕事を始めました。保育園の連絡帳には、ぴょろの様子が細かく書かれていましたが、他の子供たちとの関わりにも特に問題がなさそうで、安心していました。
ところが、3歳児検診で、ブロックを積むように言われてもその通りにできず、また通常の3歳児よりも語彙数が少ない、と指摘されました。相手の目を見て話すことができず、常に落ち着かないぴょろを見た保健士さんは、とりあえずしばらく様子を見ましょう、と私に言いましたが、大勢の親子がいる場所で、そう言われて落ち込んだことを今も覚えています。
3歳から3年保育で私立幼稚園へ行ったぴょろ。たまたまモンテッソーリの理念を取り入れた幼稚園で、自分の好きなことに好きなだけ取り組める環境を与えられたこともあって、最初の2年間は特に目立った問題なく過ごせていました。興味のあることだと集中できるわけですから、当然多動も目立たなかったわけです。
その頃は、うるさいぐらいしゃべり続けていたので、言葉の問題はもう忘れてもいいかな、と思っていました。
ぴょろ5歳の頃から、少し異変が起こり始めました。じっとできない、落ち着かないという多動の症状が目立ち始めました。しかしこの年齢の男の子だと、こういったことは珍しくないですから、そのうち落ち着くさ、というくらいにしか考えていませんでした。ちょっと気になったのは、友だちとケンカになると、自分の頭を床や壁に何度もぶつける行動が出てきたことでした。今思えば、感情をうまく言葉で表現できなくて苦しかったんだろうなと思います。
当時私は、大学院に進学したばかりでした。ぴょろ5歳の夏、彼を連れて一度大学院へ科目の登録に行きました。その帰り、思いがけず(学部時代の)教育学の教授とばったり出会い、しばらく立ち話になりました。その間もきょろきょろ落ち着かない彼を見た先生が、
「この子多分ADHDじゃないかなあ」(He might have ADHD problems.)
と言ったのが、始めてこの障害を知った時でした。しかし、教授はその後のフォローも忘れず、
「この子すごく頭のいい、スペシャルな子だよ。神様はあなたに育てる力があるからこの子を与えられたと思う」(He is smart and special child. God gave him to you because he knows you CAN bring up him with your abilities.)
そう言われた私は、確かに落ち着かない子だけど…とは思ったのですが、すぐには受け入れられませんでした。しかしそれ以後、ずっとそのことが頭のどこかにありました。
小学校は、あえて少人数クラスでやっている私立の小学校へ入れました。1年生の時は、やはり椅子にちゃんと座れず、教室を歩き回ることがありました。宿題のプリントを、一番最後の問題からやり始めたり、問題を抜かしてしまったりという不注意な行動も目立っていました。漢字の書き順を何度教えても、一番最初に覚えた順番でしか書けず、このようなぴょろの行動を見ていた私は、段々教授の言ったとおり、ADHDなんじゃないか、と思い始めました。
1年の途中で、担任の先生に「この子はADHDかもしれません」と説明しました。しかし、クラス全体が騒がしく落ち着かなかったこともあって、一応頭には入れておきます、と言われたのですが、それ以後、この話題に触れられることはなく、2年になりました。
2年生の時は、家庭訪問の時点でADHDかもしれない、と話しました。しかし担任の先生は、そういう見方をするよりは、個性として見ておられたようで、相変わらず落ち着きのないぴょろを見ていても、あまり問題ないようですが…としか言わなかったです。
この頃は、大学院も終わりになりかけていました。私の発達障害についての知識が増えていたこともあって、「~かもしれない」が「多分そうではないか」に変わっていました。
だけど、心のどこかでは「私の考え過ぎなのではないか。もう少しすれば落ち着いてくれるかも」と否定したい気持ちがありました。自分の子供の障害は、専門家(のタマゴ)でもなかなか受け入れられないんです。
そして3年生になり、家庭訪問の時に新しい担任の先生に、ADHDかもしれないので、と話しました。この先生は非常に熱心で勉強好きな方だったので、私に言われて自分でも本を読んだりして、一生懸命に考えて下さったようでした。
2学期に入り、この担任の先生からちょくちょく連絡をもらうようになりました。同級生とのトラブルで怒ったぴょろが、壁に頭をがんがん打ちつけていた、運動会の練習で指示と全然違う行動にでた…などなど、細かな注意を何度も受けました。その頃には、1、2年までは騒がしかった他の子供たちもずいぶんと落ち着いていたため、ぴょろの多動は明らかに目立っていたようです。その2学期の終わりの個人面談の時、ぴょろの学校での様子について話を聞きながら、段々と気持ちが落ち込んでいくのが分かりました。「あー、やっぱりそうなのか…」と。
そして、最後にその先生が、「ぴょろ君は、確かにADHDですよね。私もどう対応したらいいか考えながらやっているんです」と一言。
その時、私はぽろぽろと涙をこぼしながら黙って聞いていて、しばらく顔を上げることができませんでした。今までのいろんな事が頭をよぎりました。公共の場で、じっとできなくて周りに迷惑をかけたことも1度や2度でなく、私の親や周囲の人からは、私がちゃんとしつけをしていないから、と言われたこともありました。外出したり他人の家を訪問する度に気が重くなり、そのイライラからぴょろをきつく叱ったことも数え切れないほどありました。でも、泣きながら、私がぴょろの障害をちゃんと受け入れないと何も始まらない、と気がついたのでした。ぴょろをちゃんと育てたいから(発達心理を)勉強したんじゃなかったっけ、と。
そこからが、出発点でした。ぴょろの多動にまつわる問題行動は、5年の頃には目立たなくなっていましたが、不注意の問題は相変わらずで、結局は注意欠陥優位の混合型、ということで落ち着きました。担任の先生の前で泣いた一件以後、私は、問題が起こる度に、担任の先生にもちゃんと話すようにしてきました。また、どう対応してほしいのかという要望や意見も伝えるように心がけてきました。先生により、反応はまちまちでしたが、それでも注意はしてくれていました。何かあれば必ず私に連絡が入るようになりましたし、ぴょろが段々自分の状況を理解できるようになると、ぴょろとも一緒に考えていけるようにもなりました。
私の場合は、頭では分かっていても気持ち的に受け入れられない期間が長かったです。また、配偶者にぴょろのADHDの事を何度か説明をしていますが、勝手に病気を作るな、と現在も否認中です。そのため、子育てをしていてどうしても意見の一致を見ることができず、今はこの問題の方が大きいです。
しかし今は、ありのままのぴょろを、全力で愛したい、と思います。
幸いに、その後心理士として経験を積んでいくうちに、これからぴょろが思春期に入る時にどんな問題が出てきて、どうすればいいのかをある程度予測できるようになり、私の気持ちは落ち着いています。
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Comments
Sanaさん
カイパパです。体験談のシェアありがとうございます☆
気づかれにくいADHDですが、さすがにアメリカでは、気がつくのが早いのかなと思いました。
ADHDの場合、「そもそも障害かどうか」「障害とレッテルばりすべきではない」といった議論も入ってきて、
他の発達障害とはまたちがった複雑さがあるんですね、きっと。
ただ、「特性を知って、それに対応したサポートをしていく」といった基本は、
「単なるレッテルばり」(←これだけだと差別と「お手上げ」につながる)とは違いますよね。
「
この頃は、大学院も終わりになりかけていました。私の発達障害についての知識が増えていたこともあって、
「~かもしれない」が「多分そうではないか」に変わっていました。
だけど、心のどこかでは「私の考え過ぎなのではないか。もう少しすれば落ち着いてくれるかも」と否定したい
気持ちがありました。自分の子供の障害は、専門家(のタマゴ)でもなかなか受け入れられないんです。
」
親の思いは、診断がついたからといってすっきり割り切れるものではありませんよね。
親の思いと専門家の専門性の両方をもっ手いるからこそ、できる仕事、サポートがありますよね。
ローナ・ウィング博士もそうですし。
今回の体験談を読みながら、その思いを強くしました(^^)
Posted by: カイパパ | 2004.04.26 at 07:09 AM
カイパパさん、コメントありがとうございます。
「親の思いは、診断がついたからといってすっきり割り切れるものではありませんよね。」
…いや、全くその通りです。カイパパさんが言われたように、私にも短い期間でしたが、喪の作業の時期があったんですよ。そういう時期を経て、次第に普通になったという感じです。
親としての経験が、これからの臨床に生かせるように、がんばりたいと思います。
Posted by: Sana | 2004.04.26 at 10:36 AM
しおのやです.
今日、初めてここを見つけました.
先ほど、「最近のトラックバック」で書き込みをしたのですが、
Subjectの最後が(笑)となっているので、誤解されそう・・・と
思ったのと、私と息子の「かいり」がADHDなのもあってコメント
させていただければと思いました.
#私は未診断ですが、間違いないでしょう.
私のことは、ひとまずおいて置いて、我が家のかいりくん.
本当によく動き、こだわりの多さに他の人たちから(親を含め)分かってもらえず、
よくパニックを起こしていました.
まだそのころは、ADHDだと認識していなかったので、家内はずいぶん悩んでいたようです.
そのため、家内だけで子供たちを連れて外に出るのを嫌がったり、
かいりがパニックになって泣き止まないときには手を上げることもありました.
そのことで、夫婦でも喧嘩もありました.
ADHDと診断されたいまでは、家内も頭の整理がついたのか、前向きに検討し、
療育センターへ通い、やっと幼稚園に入園できました.
幼稚園では、極力何をしても咎められることがないので生き生きとしています.
しかし、最近ドラマでやっている「光とともに」ではないですが、
やはり一番問題なのは、周りの目と声です.
かいりには、3年生のお姉ちゃんがいますが、子ども会や、PTA、自治会などで、
かいりを連れて行ったときに、ADHDという症状が、単なる「障害者」という
言葉だけで終わらされて、それがお姉ちゃんの友達や大人から、
「お前の弟、障害者なんだろー」などの中傷を受けることが怖いです.
結果、それが、お姉ちゃんとしても気分が悪いでしょうし、最悪、「かいりがいなければ・・・」
と思うようになっても困るのです.
特別扱いをしてくれとは言いません.できる限りのことはやっていこうと
思っています.
だから、あなたたち(周りの人たち)も、できる限りの理解する努力をしてよ!
と、声を大にして思うのはいけないことなのでしょうか?
確かに、やらなくても良いことをやってくれとお願いしているのですから、
迷惑をかけていることは分かりますが、そもそもPTAとか自治会とかって、
助け合いの場なのではないですかね?
仲良しごっこだけの助け合いなのであれば、そんなものは必要ないかと・・・
話がたくさん脱線してしまいましたが、これからもちょくちょく足を運ばさせてもらいます.
Posted by: しおのや | 2004.04.30 at 04:48 PM
しおのやさん、ご自身の家族のことをシェアして下さってありがとうございます。
親だけで子供の発達障害に対応するのは不可能に近いです。学校、地域と理解者を増やしていくことは、子供に必要な環境を整えていく上では不可欠です。
理解の度合いも反応も個人個人で違いますが、それでも伝えるべきことは伝えていくのが一番だと思います。
私は、学級懇談会でもたびたび、ADHDの話をします。ぴょろのクラスにはもう一人、とても目立っているADHDの子がいるのです。どうすれば彼らがクラスの中で感じる不自由さを少なくできるのか、そのために、他の父母に分かってほしいと思うことはとりあえず言葉にしてみます。トラブルがあると、相手の親と話し合えそうならそうするし、どう対応してほしいかも言います。
声を大にして理解を求めることはいけないことではないですよ。
Posted by: Sana | 2004.04.30 at 11:13 PM