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けんかの後…

 今朝からイライラ気味だったところに、配偶者の相変わらず傍若無人な態度にとうとうぶち切れ、ケンカになってしまいました。

 頭では分かっているんだけど…わざとではないということは。

 だけど、やはり人の話を聞けないというのは、致命的な気がします。

 EMDRでの治療が続いているここ数週間は、私の気分は相当に不安定です。もちろん、いい方向には少しずつ行っているとは思うのですが、ココロの根っこの方にはまだ大きなかたまりのようなものがある感じです。

 それでも仕事をし、家事をやって近所付き合いも勉強もやれるだけやっているんだから、少しは分かってくれよ、と相手に望む方がいけないのかな?私だって辛いんだよ~と言ってみても、「あ、そう?仕事うまくいってるだけでも感謝しないとバチ当たるよ」

 あぁ…そういう言葉を聞きたいんじゃないんだけどなあ、といつもならそこで終わりなのに、今日はカチンときてしまい、つい声を荒立てることになってしまいました。

 

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配偶者は宇宙人:大人のADHD(その後)

 少し前に私の配偶者の事を書いたあとも、ほぼ毎日いろんなことが起こっています。
いいことも、そうでないこともありますが、とにかくこの人とつきあっていくには、強靱な精神力が必要なんだと実感します。

 私は明日誕生日を迎えるのですが、配偶者は多分忘れているような気がします。先週のはじめに聞いたときには覚えているよ、と言っていたんですが。

 明日は食事にでも行こうかといったのも先週のことですが、それも忘れ去られているようです。

 だけどぜ~ったい教えてやるもんか、とこちらもムキになっています。

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”こころのバリアフリー”の前に

今朝付け毎日新聞(オンライン)から「差別解消目指し厚労省検討会が指針」というタイトルの記事を見つけてきました。(情報元はyahooニュースです)


 精神疾患や精神障害者への偏見・差別を解消しようと、厚生労働省の検討会は25日、「『こころのバリアフリー宣言』~精神疾患を正しく理解し、新しい一歩を踏み出すために」と題する指針をまとめた。関係機関に配り、啓発活動に役立ててもらう。


 指針によると、精神疾患は国民の5人に1人がかかるという調査結果が出ており、糖尿病や高血圧などの生活習慣病と同じ身近な病気だと分析。早期の発見・治療で十分回復が可能で、「自分だけは大丈夫」と過信せず、ストレスを減らす生活を心がけることが必要と指摘している。


 そのうえで、社会が精神障害の問題を受け入れ、障害者が安心して暮らせるよう、教育現場や職場での啓発や支援活動を推進することを提言している。

 精神疾患といっても、この書き方だと、多分うつ病とか不安障害あたりを指しているのかな?とも思いました。精神障害には統合失調症や各種発達障害、精神遅滞などが含まれるのかもしれませんが、とにかく内容は実物を見てみないことには何とも分かりません。

 こういう指針が、精神疾患あるいは精神障害に対する社会的なバリア(壁)をなくしていくために何かのきっかけになってほしいという気持ちもあるのですが、その前にもう一つ基本的な視点が欠けていないだろうかと、個人的には思います。

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私の中の、ゆずれない部分

前の記事を書いて3日間は、論文を書くために空き時間のほとんどを使いました。
Blogをやると、そっちに逃げてしまいそうなので、メールも見ないしインターネットもお休みしました。

おかげで、今朝やっと論文のドラフト(下書き)が終わりました\(^o^)/
その後は、3日分たまった家事を、少しずつ再開しています。

この1週間近くは本当に具合が悪かったのですが、いつも通り、カウンセリングのお仕事は続けました。本当にしんどいときは、来て下さった患者さんに「今日は私も具合悪いけど、やれる限りはやりますから」と正直にうちあけながら。

結局、仕事も予定通りに終わり、論文も(期限を3週間も過ぎていたが)とりあえず一段落しました。

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繰り返される光景~PTSD再発のbackground

 PTSDの症状を最初に自覚したのは、10年以上前です。
しかしその頃は今のようにPTSDが知られる前で、私も何が起こっているのかさっぱり分からなかったです。

 さらにさかのぼると、多分高校生くらいから、部分的にでも症状が続いていたのではないかと思います。

 今から約2年前に、EMDRによる治療を受けたことで、その症状の大半はなくなっていました。今までの状況から完全になくなることはないだろうと思っていました。実際に、パニック発作は時々起きていました。私としては、眠れるようになり、悪夢を見なくなり、過覚醒症状がなくなったことで、あとは不自由ながらどうにかやっていければいいや、という気持ちで過ごしていました。

 去年の夏ぐらいまでは、それで特に大きな問題も起こらずに過ごせていました。
 

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心的外傷後ストレス反応(PTSD) (3)

 前回までは、医学的なPTSDの症状などについて紹介しました。
これが前提にないと、これから書くことを理解していただくのは難しいと思ったので、あえて載せました。

 すでにお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、ここ2,3日、私の書き込みのスピードがはやいです。

 1日に2~3個の記事を新しく載せるのは、これまでにほとんどなかったことです。しかし、今回は何でこんなに速いのかというと、それだけ今の私の精神状態があんまり良くないということなんです。

 今はうつモードに入っている上にPTSDの過覚醒症状がきついので、とてもイライラしてじっとしているのが辛いんです。じっとしていると、いろんな事を思い出してしまい、しかも無力感や疲労感が出てくるので、とにかくいらない事を考えないようにするので精一杯です。

 書いていると少しは落ち着きます。また気持ちや考えの整理がつくので、私としては今はblogがあることが助けになっているように思います。

 ぴょろも私がいつもより元気がないことに気付いているのかもしれませんが、私の方は多少無理をしてでも子供に悟られないように振る舞うように意識しています。一緒に遊んだり、家事を手伝ってもらったり、映画や買い物に行ったりしています。

 だけど、慢性的な脱力感と、何だか分からない不安と、2日前から断続的に続く頭痛のために、一緒にいても全然楽しいと思えず、何もかも機械的に動いているような感じもします。

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心的外傷後ストレス反応(PTSD) (2)

 前回は、PTSDの医学的な診断基準について紹介しました。できるだけ、分かりやすくと思いながら書いたのですが、ちょっと難しい話になってしまいました。しかし大切な事なので、今回ももう少し医学的な話を続けます。

 PTSDについては、これに関連して

「複雑性PTSD」
または、
"Disorders of Extreme Stress Not Otherwise Specified (DESNOS)"
と呼ばれる別の診断名があります。

 複雑性PTSDは、「心的外傷と回復」"Trauma And Recovery"の著者である、Hermanらが提唱したのが始まりで、DSM-IV-TRにはDESNOSの名で載せられています。PTSDはあくまでも、外傷体験(Traumatic events:トラウマ)を受けた人の主症状(Core Symptoms)のみを基準としていて、外傷体験が長期に与える影響については触れられていません。そこでHermanらは、膨大な調査を元に、幼少期(少なくとも13歳未満)の外傷体験が長期的に人にどのような影響を与えるのかを分析し、共通の問題点や症状をリストアップしこれを「複雑性PTSD」と名付けました。

 さて、Hermanらの説にはいろいろと賛否両論はあるのですが、少なくとも子供時代のトラウマが(適切な援助や介入がなければ)心身の発達や成人後も様々な分野に影響を及ぼすという点では、大方の同意は得られるのではないかと思います。

 私が病院で、あるいは研究所でお会いする方の半分以上が、子供時代に長期にわたる身体的・性的虐待(ここには当然心理的虐待も含まれます)を受け、しかもほとんど何の介入も受けずに今に至っており、この「複雑性PTSD」のカテゴリーに入る方々です。そして、私自身も、このカテゴリーにすっぽり入っていると思います。

 

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心的外傷後ストレス反応(PTSD) (1)

 心的外傷後ストレス反応とは、英語の"Post Traumatic Stress Disorder"の直訳で、若干覚えにくく言いづらいので専門家の間では頭文字をとって"PTSD"とよんでいます。

 歴史的には、第一次、第二次大戦後の帰還兵にみられた神経症状として、そして一番メジャーなのはベトナム戦争の帰還兵の多くが、ひどいうつやパニック発作、不安定な気分や焦燥感、不眠などの様々な精神症状を起こし、正常な社会生活を送れなくなったことから、"War Neurosis(戦争神経症)"や"Shell Shock"などの病名で呼ばれていました。

 その後、1960年代の始めに"Battered Child Syndrome" (暴力を受けた子供たちに見られる一連の症状)がKempeらによって提唱されるようになり始めてから、どうも戦争だけでなく、様々な状況に置かれた人に同じような症状が出るのではないかと考えられるようになりました。その前後からPTSDの研究や診断技術が急激に発達することになりました。

 PTSDの研究は実は1890年代から始まっていて、戦争、子供の虐待、DV、自然災害などその時代に社会問題として取り上げられた出来事を通して、認知度が高まっていった経緯があります。(これが現在もPTSDの精神疾患としての概念に対する批判の対象になっています)

 そして、1980年代に、はじめてPTSDという病名がアメリカ精神医学会(APA)のDSM-IIIに載せられ、その後何度かの改訂を経て現在のような診断基準として知られるようになりました。日本でPTSDの名前が社会的に認知されるようになったのは、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件の2つの事件の直後からでした。
 

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それがお仕事の本質

 カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルから、おもしろい記事を見つけてきました。

 暗闇は、人にとって非常に恐怖感を抱かせますが、その中に小さな豆電球がぴかっと光っているのを見つけたときの安堵感とは、丁度困難な状況で先が見えないような不安な時に、ささやかな希望を見出すのとすごく似ているような気がします。

 

この迷路の象徴するものは、闇の中で、たった一つでいいから、小さくても弱くてもいいから、光があれば人は生きていけるということ。

最近、子供の時に長期に虐待(特に性的虐待)を受けた人のカウンセリングをする機会がとても増えています。生きるためのスキルもサポート資源も乏しい状況で生き延びてきた人たちのそれぞれの人生が語られる時、私はその傍らで静かにかれらの声に耳を傾けながら、私の仕事の本質は、暗闇を共に、一筋の光が見つかるまで歩き続けるようなものではないか、と感じています。

 

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私は私のままでいい

 おととい久しぶりにJALに乗り、機内誌"Skyward"を読みました。(ひまだったので)

 ひときわ目についたのは、美輪明宏さんのインタビュー記事でした。黄色の髪に水色のドレスのご本人の写真もさることながら、やはり印象に残ったのは彼のお言葉。

 この世の中で自分で大人になろうとするのは、はっきり言って難しいことです。よほどの知力、気力、努力がないと無理ですよ。頭は冷たく、心はあたたかく燃えているバランスの取れた人じゃないと難しい。でもね、生きていくうちにいろんな経験を重ねて、そこから学んで、磨いて、獲得していけばいいの。外見の美しさはある程度お金があればつくれるけど、内面の美しさを獲得するには時間がかかるんですよ。

 うん、まあそうだよね…経験が自分の内面の成長につながるような生き方を選ぶことが大事だよね、と考えながらさらにおしまいまで読むと、

長い間(差別と偏見と)闘い続けてこられたのは、私がいつも自分を肯定できていたから。自分を肯定できれば、自然と敵と闘うエネルギーもわいてくるものよ。

 そういえば、先月矢沢永吉氏も同じようなことを言ってた気がします。

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配偶者は宇宙人:大人のADHD(おまけ)

 今朝、出張先から自宅に戻ってきました。
私と入れ替わりに、配偶者は今日から5日間の海外出張へ。

 自宅に戻って、その荒れようにびっくり。ドロボーが入ったとは思えませんでしたが、玄関の鍵はあいたまま、テーブルの上には朝ご飯の皿がそのまま、シャツとズボンが(子供の分も)床に散らばっていました。

 相当あわてて出かけたな、とすぐに察知できる状況でした。
一つ一つこれを片付けながら、やっぱりこいつはただもんではないなあ、と考えていました。

 時間管理が相当に苦手なので、出発ぎりぎりまで仕事を入れたりして、出発時間の10分前に空港に着いたのに「余裕で間に合った(飛行機に乗れた)よ」という言葉が出てきたり(注:これはローカルな地域ならではのことで、羽田のような大きな空港なら搭乗は拒否されてます)、顧客名簿を取引先の会社に忘れてきたり(戻ってきたからよかったものの、なくなったら始末書ではすまない)、端から見るとはらはらどきどきの配偶者の行動ですが、本人は全然気にしている様子もなく、結果良ければそれでよし、という感じです。

 ADHDと一言で言っても、抱えている問題は人それぞれです。ぴょろはどちらかというと繊細さもあり内省型というか、自分の事をちゃんと振り返ることができるのですが、配偶者はかなり鈍感というか、何にも考えていない(ワンピースのルフィーに近いものがある)気がします。

 同じ失敗を何度でも繰り返すのはもちろんのこと、怒っても怒っても何で怒られているのかもすぐに忘れてしまう。

 考えている事がすぐに言葉として出てしまうので、問題発言が多く、いわゆる「怒らせ上手」な人とも言えます。その代わり、嘘をついてもすぐにばれるし、わかりやすい人かもしれませんが…。

 周囲の人間は、彼は誰よりも長生きするだろう、と口をそろえて言います。

 私から言わせると、配偶者という立場ではあっても結局は子供を2人育てているようなもんだと思います。

 このlogを読まれた皆さんは、「なぜSanaさんはこの人と結婚したのだろう?」と疑問に思われるかもしれません。

 実は私にも何で結婚したのかは分かりません。(そんな無責任な~!)

 見かけは若くてまじめそうで、そういう印象は確かにありましたが、よくよく考えると結婚前から落ち着きのない人でした。半分お見合いのような出会いでしたから、断ることはいつでもできたはず。

 結婚してさすがに「しまった…」と思ったことは何度かありました。

 しかし、後悔はしないことにしています。できるだけ前向きに考えて、受け入れるところはこれからも受け入れていこうと思っています。最近は、反発をしながらムカつきながら、それでも毎日を楽しめるようになったと思います。

 「そういう風にしか振る舞えないこと」が分かるからです。そして、対応次第で関係が変化することも。

 少なくとも、今の私を育ててくれているのは、この配偶者と子供ですから。

 

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配偶者は宇宙人:大人のADHD(4)

 ADHDがなぜ起こるのかという原因は、いろいろと言われていますがまだはっきり分かっている訳ではありません。Birth Trauma、遺伝的素因、などなど、おそらくいろいろな要因が重なっての、"Problems of executive function" (高次脳機能の問題)だと考えるのが妥当ではないかと思います。

 私が子供の頃に、いわゆるやんちゃな子の中には今ならADHDの症状にあてはまる人がいたと思います。しかし今ほど認知されていませんでしたから、気づかれないまま大きくなって、配偶者と同じように、周囲も本人も何となく困っていて、生きにくさを感じながら今に至っているかもしれません。そういう意味では、配偶者が特別困った人というわけではないし、全く理解不可能というわけではない、ただ、私がこの人のおかれた状況を想像する力が劣っていたということなんだと思います。

 ADHDと分かる前は配偶者のできないことばかりに目が向いていて、それを何とか分かってもらおうと躍起になっていたけれど、それは大きな間違いであることに気づかされました。ADHDの事を一生懸命に勉強したのは最初は子供のためだったけど、それは配偶者のためでもあったと今は思います。

 身近な人間であればあるほど、本当に理解するというのは難しいです。ついつい自分の物差しで測り、自分のめがねで見てしまうから。私が見たものすべてが正しいというわけではなく、バイアスがかかっていたと思います。

 私が配偶者について理解すべきだったことは、本人が持つ問題行動(衝動性や他動など)故に、いろいろ誤解も多く、辛い思いをしたんだろうな、ということ。アタマではこうしたい、こうしよう、と思っていてもそれがうまくいかないジレンマや悔しさもあっただろうし、集中できない苦痛があったかもしれません。他人との関係でもそれ以外のことでも、ホントに不器用な人…。

 今はそれが想像できるし、受け入れられるから、私に何ができるかを冷静に考えることもできるんだと思います。

 必要最低限のルール設定は試行錯誤を繰り返している最中ですが、ぴょろと共に配偶者も成長する機会を与えてくれていると思っています。少なくとも、電話連絡はするようになったし、配偶者に対して怒る頻度も減りました。

 コーチングは、ADHD特有の不自由さとうまくつきあっていくには、必要な方法だったかなと思います。

 以前は、配偶者の行動が変わればうまくいくのに、という考えでした。しかし今は、行動を必ずしも変えようとしなくてもうまくやれる方法が必ずある、と思えます。

 そして、配偶者のADHDに関連して起こる問題についても、私にできる援助というのが次第に見えてきています。要は、環境を整える手助けをすればいい、ということ。刺激は多すぎないように、話は具体的で短めに…など、相手の能力の範囲で対応できるような環境があれば、配偶者に振り回されていると感じずに、つきあえるだろうと思います。コーチングの技術を使い始めて、以前のような堂々巡りのケンカはかなり少なくなったと思います。

 配偶者は相変わらず毎日忘れ物や聞き間違い、言い間違いなどを繰り返しています。でも、困ったと思いながらも、確かにどこかで援助者としての役割を楽しんでいる私がいるのではないかと思います。

 注:のろけではないので、あしからず(^o-;)


 

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配偶者は宇宙人:大人のADHD(3)

 ADHD(注意欠陥多動症候群)は、少し前までは主に子供に特有の発達障害として考えられていて、大人のADHDについては、専門書の中でも非常に限られた情報しか載せられていませんでした。しかし、その後、ADHDの症状自体が、発達と共に多少の変化はあるものの大人まで持ち越されるということが次第に分かってきたのと、それに時期を同じくして、ADHDを抱える大人たちが、自らの体験を本などで公表するようになり、その実態が段々と明らかになっています。

 私は、ADHDについては、あまりたくさんの本は読まないことにしていますが、大人の症状を理解する上でいくつか参考になった本というのがあります。

 「Interventions for ADHD: Treatment in Developmental Context」 は、発達別のガイダンスがある専門書で、大人のADHDで何が問題になるのか、というのがよく理解できる本です。(残念ながら日本語訳はないです)

 「へんてこな贈り物―誤解されやすいあなたに--注意欠陥・多動性障害とのつきあい方」(E.M.ハロウェル・J.J. レイティー著、司馬理英子訳:インターメディカル \2,000) は、医学的な情報などと共に、実生活における具体的な対応の仕方などについての助言があり、また具体例をあげてわかりやすく書いてあるので、ADHDの子供やパートナーを持つ人には役立ちそうな本です。

 この2冊に加えて、SOAAという、大人のADHDの会サイトには大人のADHDに関して基本的な情報が載せられています。

 そうやって、できる限りでまず情報を集めながら、さて私のところの宇宙人…じゃなくて配偶者への対応の仕方を探る試みが始まりました。

 ぴょろはどちらかというと素直に聞く子だし、若いから柔軟性もあって、やったことに対してはそれなりの成果というものがあったのですが、配偶者は柔軟性という点でも、素直さという点でも、子供と同じようなやり方を用いても反応がすごく悪いです。

 ある意味、「自分なりのスタイル」というのができあがっているんです。ですから、配偶者の行動をいまさら変えるのは多分無理だろう、という結論に達しました。

 そこで、「どうすれば無理せず、配偶者に振り回されず、うまくつきあっていけばいいのか」を考えました。

 配偶者の性格(これは次回のテーマかな?)を考慮した上で、今までやってみて比較的よかったと思えるのは、

 1)基本ルールの設定
 2)コーチング

の2つでした。

 基本ルールといっても、子供のように細かく決めませんが、「家族で共同生活する上で最低限のルール」だけは絶対に譲らないようにしようと思いました。

 例えば、前もって「○時に帰る」といって30分以上遅れた(しかも連絡なし)場合には、配偶者が帰るのを待たずにぴょろと2人で夕食をとるようにしました。以前はいらいらしながらも、配偶者の都合に合わせようとしていた時期があったのですが、今は「これだけは絶対にゆずれない」というルールについてはできる限り妥協をしないことにしました。

 ルール自体は、数も少ないです。本当に困ることだけ、です。

 できなかったときに「何で?」と相手を責めても無駄です。それよりは、「配偶者の行動のどこらへんで困っている」と伝えた方が建設的です。そこで取り入れたのがコーチング。

 もともとはビジネスで最近注目されている、コミュニケーションや仕事上の人間関係などをより改善する方法なのですが、この方法の一部を利用して、配偶者本人がどう考えて何をしたいのかを尊重することにしました。

 それまでは、この人のできない部分(忘れ物が多いとか、片づけが苦手とか)については、私が手を出しすぎていて、本人には注意はするけど具体的な改善策を提示するということがほとんどありませんでした。しかしよく考えてみると相手も「どうしたらいいか分からない」わけで、ただ「自分でどうにかしなさい」と注意して自分で考えて行動することはかなり難しいのです。何らかの方向性や具体的なヒントが必要なわけです。

 さて、この2つを取り入れてどうだったかというのは次回に。

 (まだ続く)


 

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配偶者は宇宙人:大人のADHD(2)

 注意欠陥多動症候群(ADHD)は、簡単に言うと、前頭葉部分の機能がうまく働いていないこと、また右脳より左脳の働きが悪いという状態から起こっていると考えられています。

 つまり、行動などにブレーキがかけにくいというか、統制がとれないというか、バランスが悪いというか、そんなところです。

 どの部分の働きが悪いかによって若干問題が違ってくるのですが、配偶者の場合、運動能力に関しても、瞬時に判断を求められるような動きに関しては鋭いのですが、バランス感覚はあまりよくありません。

 つまり、ボールなどをよけるのはうまいけど、何でもない所でぶつかったりこけたりすることが多々あります。

 それ故に車やバイクの運転に関しては、かなり心配です。しかし、事故は何度か起こしたものの、ひどい怪我をしたことが一度もなく、一度はバイクが廃車になるほど車と衝突したにもかかわらず、本人は打撲だけで済んでしまいました。

 そのあたりが不死身というか、宇宙人と呼ばれるゆえんです。

 前回、聴覚認知が低いという話の続きで、もう一つあげておきたいことがあります。会話していて段々話があらゆる方向に飛んでしまうことはよくあることで、時には会話自体が全然成り立たないことさえあるのです。もちろんその何割かは、配偶者に不利な状況で話をごまかしているというのもあると思います。しかし、明らかにそんな緊張した場面でなくても、当たり前のように会話が通じないことがあります。

 相手が言ったことに対する答えがとんちんかんなのです。

 例えば、私がご飯を作りながら「ポーク(豚肉)がない」というと、「え?たくさんあったのになくしたの?」という答えが返ってきます。私が意味が分からずにいると、戸棚からフォークを取り出して、「ほら、あるじゃん」

 前回の目玉親父のエピソードはもっと強烈です。

 配:「お母さんがまねしたの、何だっけ?」
 S:「目玉親父だよ」
 配:「めがね親父?」
 S:「はぁ?!違うよ、ゲゲゲの鬼太郎の目玉親父。」
 配:「ああ、ドラえもんね。」
 S:「……」

 と、こんな感じです。

 本人はすっかり開き直り、「日本語が苦手だから」、といいますが、たまにその場にそぐわない問題発言が飛び出すので、特に人の家を訪問する時などは、はらはらします。地域柄、あまり気にしない人が多いので助かっているのですが、たまに相手を怒らせることもあります。要するに、話を聞いて状況を判断するというのが特に不得手なんです。

 大切なのは、「わざとやっているわけではなく、そういう風にしかできない」ということを、私を始め周囲が理解できるかどうか、なんですが、頭で分かっていてもたまに感情的になると、こいつは煮ても焼いても揚げても食えないヤツだと思うことも。

 しかし、私も一応プロの心理士としての立場もあり、ただ振り回されっぱなしというわけにはいきません。

 そこで、自分なりの対応策を考えました。


 (まだ続く)

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配偶者は宇宙人:大人のADHD(1)

 前からいつか書きたいと思いつつ、他の記事に押しやられていたテーマ、それが私の配偶者の問題です。

私の配偶者も、ADHD(注意欠陥多動症候群)を持っています。実は私の心配は大半が子供に向けられていたので、配偶者の問題に気がついたのは一昨年の秋ぐらいのことです。

 現在、私の配偶者の事を知る人からは、「よくこんな大変な人とつきあえるもんだ」、というコメントをもらいます。私のことを、猛獣使いか何かのように思っているのかもしれませんが、そんなにうまくつきあえているとは言えません。実は私も大人のADHDに関してはこんなに大変なものだとは思っていませんでした。しかし見方を変えると、毎日がバラエティーに富んで刺激的とも言えますか。

 配偶者は、注意欠陥優勢のぴょろとは違い、かなり多動の目立つ人です。

 幸いな事に、営業という仕事で毎日あちこちに飛び回っていて、電話がかかるとすぐぴゅーんと飛んでいくのでフットワークが軽い、と周囲には思われているようです。

 しかし、デスクワークは苦手。本を読んでも集中できるのは5分が限度です。書類の記入ミスは1、2度では終わらず、毎日必ず何か忘れ物をする人です。さっきおいたはずのめがねがどこにあるのか思い出せないなんて、しょっちゅうです。家でも新聞を読むときと、好きなTV番組を見るとき以外はほとんどじっとしていません。寝ていても、気がつくといなくなっている、ということが週に何回かあります。GPSを使おうかと本気で考えるくらいです。

 片づけは苦手ですが、それよりも困るのは、次々に頭にアイデアが浮かんでもそれをとどめておけないことです。それで意見や考えがしょっちゅう変わるので、例えば突然家族で旅行に行こう、と言いだした時も、行き先やスケジュールをころころ変えます。また計画を立てて何かをするタイプでなく、いきあたりばったりで、「目の前のことだけ」しか見ない人でもあります。ですから、この配偶者と子供とデパートに買い物に行くと、必ず配偶者がどこかにちょろっといなくなるので、私はあちこち探し歩くことになり、帰るとぐったりします。

 配偶者は私と同級生なので、子供の頃にADHDと知るよしもなく、ただ「忙しい子」としてそのまま育ってきています。言い換えるとこれが当たり前のように育っているので、今更ADHDなんだよ、と言ってもそうですかと聞くはずもありません。

 今の生活で多動や注意力・集中力の欠如以外でもう一つ困っていることは、聴覚認知が低いこと、です。聞き間違いではすまされないことが時々起こるからです。大事な契約の際には、メモを取るようにしているのですが、それでも大事な所を聞き漏らすとか聞き間違えるため、後で問題が起こったりするからです。そして面倒なのは、一度頭にインプットされると、それをなかなか変えられないのです。

 例えば、私がよく物まねをするゲゲゲの鬼太郎の目玉親父を彼は何度教えても「めがね親父」と言います。

 以前インターン時代に、私が知能検査の練習相手として、配偶者にお願いしてやってもらったときも、聴覚認知が他に比べて極端に低く、そのためにGeneral IQががた落ちし、(まあ、それでも正常範囲だけど)「もう一度やらせろ」と言われた程です。

 こういう状況で10年以上も共同生活していると、大分この人に振り回されてきた感があります。

 何せ、時間に遅れる(しかも最大で5時間とか)し約束はすぐ忘れられるし、結婚記念日も間違えられたし、毎日いろんな予測不可能なことが起こっています。

 もし、この配偶者がADHDだと知らなかったら、多分ここまで一緒にはいられなかったと思います。

 今、ぴょろと私は配偶者の事を、宇宙人だと言っていますが、本人に話すと私も冥王星かどこかから来た宇宙人だ、と反論します。つまり彼にとっては、私も理解が難しいということなんだと思います。

 その時に改めて、ADHDの人のもつ世界観の違いというものを、実感した気がします。

 (続く)

 

 

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ゴジラの夢

 昨日某番組で、ゴジラが空を飛ぶシーンを見て、ぴょろと2人で大受けしました。
後ろ向きというのがありえないし、なんだかおかしくて。

 あまり印象的だったので、「もしかしたら夢に出てくるかもよ」と話していたら、
今朝になってぴょろが、

「昨日やっぱりゴジラの夢見たよ」

しかし、夢の中のゴジラは空を飛んでいなくて、モスラをむしゃむしゃ食べたらしいです。

 幼稚園の時はウルトラマンに夢中だった息子も、今はゴジラの方が好きらしいです。

 この調子で、算数もむしゃむしゃ食べて理解してくれるといいんだけどなあ。(注:彼は算数が大嫌いです)

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TVのせい?親のせい?

 6日間滞在した東京からやっと戻ってきて、今朝見つけたニュースがこれ

中身の一部を紹介します。

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2歳児までテレビ我慢を 母親7割「授乳中にも視聴」--日本小児科医会が提言

提言では、(1)授乳・食事中はテレビ・ビデオは止める(2)小学校入学前の乳幼児はメディアと接触する総時間は1日2時間、テレビゲームは同30分までが目安(3)子ども部屋にテレビ、ビデオ、パソコンは置かない――などの注意事項を挙げている。米国の小児科医らも99年、2歳児まではテレビを見せるべきではないとの警告を出しているという。

 同会によると、言葉が遅れていたり、視線を合わせない、友人と遊べないといった乳幼児が最近、臨床現場から数多く報告されるようになり、そうした家庭ではビデオやテレビを長時間見せている例が目立つ。小児科医が視聴をやめるよう助言したところ改善したケースも少なくないという。

 提言をまとめた同会「子どもとメディア」対策委員会の内海裕美さんは「親子が顔を合わせて遊んだり、外で遊ぶ時間がなくなったことが、子どもの健全な発達を妨げている可能性がある」と指摘している。

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 小さい(2歳以下の)子供にTVを見せることが、脳の発達にネガティブな影響を与えるのではないか、という言い分はわかりますし、裏付けもありますが、ようは程度の問題ではないか、と個人的には思うのです。

1日10時間も子供がTVを見ている状態というのは、TV以上に別の問題があると思います。
そういう場合にTVを見る時間を減らして、もっと子供との関わりを持ちなさいという助言は妥当かもしれません。

しかし、親が食事の支度や家事で手が離せない間、アンパンマンや教育ビデオに子守をしてもらった経験は、かなりの人が持っておられるのではないかと思います。現に私もそうでしたし。

私の場合、一緒にTVを見ながらアンパンマン体操をやったり、キャラのものまねをして遊んだ経験もあります。
ぴょろ1歳半~3歳くらいまでの話です。

ただでさえ、密室で親子2人だけ(あるいは子供が複数だったら3人とか4人とか)の昼間に、TVもビデオも見ないでどうやって子供にかかわればいいのか分からないという疑問は当然出てくるでしょう。

しかし、それに対する提言やヒントは何もありません。ただ見せないほうがいい、というだけでは何の解決にもなりません。

それから、この研究にはもう一つの問題があります。それはinterrater reliabilityと呼ばれるものです。
簡単に言うと、子供の行動や状況を誰が評価したか、ということです。
親の評価なのか、小児科医や保健士、あるいはそれ以外の評価者が子供の様子を観察してのことなのか?
実は、同じ子供でも、評価する人(これは仮に専門職に限ったとしても)によって評価が違うということはよくあることです。言葉の出る前の子供についての研究では、度々問題になることです。

2歳以下に限って言うと、子供にTVを見せないということはつまり(子供が起きている時間に)親も見ないということとも受け取れます。つまり、言葉やコミュニケーションの発達の遅れは、子育ての問題でも起きるんだ、と暗に親にプレッシャーをかけているとも(意地悪ですが)受け止められかねません。

この、度々出る小児科医の提言には、底辺に共通した考え方があります。

それは、「愛着(attachment)」と呼ばれるものですが、これについては別枠で述べます。

とにかく、私には2歳以下のお母さんにTVを見ないほうがいいです、なんて言えません。TVをどう利用しているかが気になることはあっても、これ以上子供の発達の遅れで真剣に悩んでいる親を追いつめるようなことはしたくないですから…。それに親の立場としてはちょっと現実的でない気もしますしね。


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なぜみんなと同じようにできないの?

 今日はあまり天気がよくなくて、学校へ行こうとするぴょろに傘を持っていくようにいいました。

 ぴょろはいままでに数本の傘を学校に置いたままで、それらは行方不明になってます。我が家には今傘が2本しかないので、雨が降らなくても必ず持って変えるように念を押しました。

 多分、忘れてくるだろうなあ、と思ったけど、それならそれで仕方ないや、という気持ちで。

 11,2歳になると、「思うようにできない」ことへのジレンマが高まるようです。忘れ物は毎日の事で、以前はけろっとしていたのに、最近は「またやってしまった~!」とぼやくようになりました。

 この前、突然彼は私に「ぼくはどうしてみんなと同じようにできないのかなあ」と聞いてきました。ADHDの注意欠陥優先の混合型であるぴょろは、忘れ物だけでなく、不注意によるテストのイージーミスや、注意すれば十分にさけられるであろうケガがとても多いです。

 学校にはもう一人、ぴょろと同じような問題を抱える子がいますが、この2人への対応は、毎年担任が代わるごとに全然違います。今年度の担任は、彼らの目立った問題行動が少なくなっているので、「このくらいなら大丈夫」という考えみたいです。他の子供たちと自分はどこか違う、ということに気づき始めたぴょろの「なぜ?」という質問を、先生がどう受け止めているかは未知数です。

 とにかく、ぴょろの問いに対して、私は親として答えてあげたいのですが、今回は「どうしてかなあ?」とおあずけにしました。ADHDの症状や、これからどう対応していけばいいのかについて、彼が本当に理解できるようになるにはもう少し時間が必要だと思ったからです。でも、

「できない時は誰かに助けてもらってもいいんだよ」

とだけ、言っておきました。心の中で、ごめんね、もう少し時間をちょうだい、といいながら。

3日ほど前に、高機能自閉症の子供さんを持つお母さんから、突然電話をもらいました。私が以前に、沖縄タイムスに連載された「学校好きなんだ」という記事を送った人です。

彼女は、どうしても話したいことがあって、と切り出しました。

彼女の子供さんは、すでに大人になっていますが、自閉症であることを知らされていませんでした。しかし、ある出来事が起こったときに、彼女は思いきって新聞記事を子供に見せて、一緒に読みながら自閉症について話したそうです。

子供は思っていたよりもすんなりと受け入れました、と彼女はうれしそうに言いました。

自分の状況がやっと分かって、「私はほかの人と同じようにならなくてもいいんだ」と思ったそうです。そして、今までなぜ日常生活のいろんな場面で不便さを感じていたかが理解でき、本人は以前より少し明るくなったんです、と話してくれました。

ぴょろにも、そう遠くない将来、同じような場面が訪れてほしいと思います。


☆「学校好きなんだ」の記事は、著作権等のため、リンクが出来ませんが、沖縄タイムスのHPから、記事検索で見ることができます。(ただし写真はカットされてますのであしからず)


 

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日本トラウマティックストレス学会

 明日4日から日本トラウマティックストレス学会が2日間東京で開かれます。

 私もこの学会に参加するため、今日から東京へ行ってきます。

 今年は、ポスター発表をするので、今朝3時までかかって準備していました。

 何の学会かというと、PTSDの研究者と治療援助に関わる専門家の学会です。

 その後、3日間の心理関係の講習会に参加します。

 …というわけで、8日までしばらくblogはお休みです。

 今週は忙しいなあ。学会については帰ってきてからご紹介しますね。

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