カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルの「チャレンジド=挑戦を受けた人(1)」でカイパパさんが触れておられたAtopic Informationのお言葉に対して、私なりの意見を、ピアノを例にとってお話しようかと思います。
私は4歳からピアノを習っていて、途中2度の受験と大学進学のブランクはあったものの、社会人になっても結婚してもずっと続けています。今は、サイドビジネスでピアノを教えてもいます。仕事が忙しいので練習時間は限られますが、電子ピアノという便利な道具があるので、ヘッドホン使用で真夜中でもピアノを弾いたりします。
今どのくらい弾けるかというと、ショパンのエチュードが3分の1程度、です。プロになるとかそういう気持ちは最初からないので、技術的には???ですが、レベルでいうと上級の真ん中あたり、多分、芸大を出ていればそこそこに音楽で食べていけるくらいだというと分かりやすいかも。
4歳の時は、まだ手が小さくてピアノの鍵盤をうまくたたけないので、最初はオルガンで、しかも右手でドレミを弾くところから始めました。バイエルという初級の教則本の途中まできて、引っ越しのために2年間中断し、小2でもう一度再開したときは、またはじめからやり直し。毎日やらないと、どうしても忘れてしまうからです。
始めて何かを身につける上で、スランプは付き物です。私の場合、以外に早くやってきました。
バイエルは途中で急に難しくなる箇所がいくつかあります。そこに来ると何度練習しても同じ所でミスをする、それが何度も繰り返されると、苦手意識が出てきて、弾くのがだんだんおっくうに。何十回弾いてもやっぱり思うように弾けないと、小学4年生の私はさすがにピアノに八つ当たり。「もう弾かん!」
それでもやっぱりできないとくやしいので、しぶしぶ練習する、そんなことがしばらく続いたあと、思いがけずすらすらと弾けるようになりました。そうするとうれしいので、また次の曲を練習したくなるもの。その時は、辛かったことはどこかに吹き飛んでいました。
その後も何度か大きなスランプや練習のブランクによる後戻りを経験したのですが、多少いらつく事はあっても何故かやめようと思ったことが一度もないのです。
この半年以上、ショパンの「革命」というエチュードを練習しています。これは私にとっては少々ハードルの高い、つまり難易度の高い曲です。半年やってますが、いまだに弾いていてちょろりと引っかかる部分が3カ所ほどあります。練習はどうかすると5時間を超えることもあります。なら、半年もやってて何で弾けないの?と思う人もいるかもしれません。
ピアノは練習が命です。だけど最初からいきなり難易度の高い曲にチャレンジするわけではありません。最初は易しいところから、出来たら次、というように少しずつレベルを上げていきます。一つの曲を練習するときでも、はじめから終わりまでをいくつかのブロックに分けて、苦手な所は右左別々に練習するところから、あるいは速度をかなり落としてから始め、出来るようになると徐々にスピードを上げるのです。
この曲に関しては、1年くらいで弾けるようになればいいや、という気持ちで練習しているから、弾けないことについての焦りは全然ないのです。数えたことはないですが、多分、苦手な部分はこれまでに万がつく回数を繰り返し練習していると思います。
しかし、繰り返しの練習に飽きたことも、自分を追いつめたことも全然ありません。
ピアノを弾いている間は、ただ弾く以外、何も考えていないからです。間違うかもしれない、と言うことも考えていません。体が覚えてしまうまで、淡々と同じ事を繰り返しているだけ、です。
ピアノを、誰かのためにやっているという気持ちは、今まで全然ありませんでした。人前で演奏して喜んでもらえたときに、よかったと思うことはありましたが、基本的に練習は自分のためにやっている、と思っています。だから、ピアノを弾くことそのものが、楽しくて仕方ないんです。
また、上手い下手の基準を、他人との比較に置いたこともありません。誰かと競争して弾くピアノは、決していいものにはなりません。ピアノは、自分の内面がはっきり出るから、聞く人が聞くと「違うでしょ」と言われる。
ピアノの世界でも、全部の曲が同じように弾ける、ということはまずありません。得意なもの、苦手なもの、といろいろです。今までに、技術的な理由で断念した曲もいくつかあります。また、今の私の技術では、「超テクニック」と言われるリストの曲などは、引きこなすのは無理だと思います。
ピアノをずっとやってきて、実感したことは、課題曲が弾けるようになるとか、目標を達成するというのは、一つのステップに過ぎないということです。弾けなかった時でも、練習した分だけ私個人が得たものが大きく、この点では努力は人を決して裏切らないと思います。
そしてもう一つ。調子が悪いとき、うまくいかないときは必ずあるけれど、その時にどのような態度を取るかは自由であるということ。練習をやめるもよし、続けるもよし、どれをとっても正しいとか間違いというのはないです。「目標達成に至らなかった」ときに、自分に限界を設けたり自己破壊的な行動に走るのは、できた他人と比較している時か、あるいは「この状況は一生変わらない」と考えている時か、あるいは正しい・間違いの基準で結果を判断しようとしている時がほとんどのような気がします。
スランプがないとピアノは上達しません。それと同じように、弱さがあるからこそ、人は成長できるのでは。
「今できることに集中し」「結果ではなくプロセスを楽しみ」「ありのままを受け入れる」ことで、疲れず腐らずにチャレンジに向かっていけると思います。
人ごとのようですが、これは私が私に言い聞かせていることです。
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