ジレンマ

 ぴょろが寝てしまい、静かな夜。
 私はこれからどう人生を生きていけばいいのだろうか、私はどこへ行こうとしているのか…今は全く分からないのです。先の見えない不安と、誰ともつながっていないような深い孤独感に、時々圧倒されそうになります。

 誰かの役に立ちたい気持ちは以前と変わりませんが、何がしたいのか、どうなりたいのかも、今はno idea(全く浮かばない)です。

 仕事でも私生活でも、道標を見失ってしまったような気もします。
 ふわふわとただ毎日を惰性で生きているようで、それではいけない、何とかしなくてはと思っても、ではどうすればいいのかが分からず、イライラとジレンマに陥っています。

  
 

| | Comments (80) | TrackBack (3)

愛情を態度で示す

 中学校のスクールカウンセラーの仕事を始めて3年になります。
 その間、公立・私立を合わせ、4つの学校にお世話になりました。

 学校により若干の違いはありますが、私の場合、不登校傾向で適応指導教室に通う子どもたちや、保健室など別室登校の子どもたちの相談やサポートをすることが、業務の半分以上を占めています。

 中には中学校卒業後もメールのやりとりをしている子が何人かいます。
 友達の事や学校のことなど、いろいろな相談にも応じています。

 別室登校の子どもたちは、誰にも気づかれないようにたいてい朝少し遅れて登校し、5,6時間目の終わり頃か、あるいは放課後校内に人がいなくなる時間にそっと帰っていきます。会議室など空き部屋で自習をしている時も、人の足音が聞こえただけでそわそわする子もいるし、外から部屋の中が見えないようにカーテンを閉めたがる子もいます。

 別室とはいえ、彼らは常に周囲を伺いながらひっそりと過ごしています。普段はおしゃべりでにぎやかな子でも、学校という場所では常にどこか張りつめていて、苦手な子や知らない人が部屋に入ると表情がさっと硬くなり黙ってしまうのです。

 別室登校の子どもたちの多くは、学校に行かないと親に怒られるので何とか学校へは来るけれど、どうしても教室にいられないので、最善策として別室で過ごしていると言います。中には無理矢理に連れてこられる子もいるし、体調が悪くても休ませてもらえない子、休むと父親に殴られる子もいました。家庭に居場所がなく、教室にもいられない、そんな彼らにとっては、保健室や空き教室の狭い空間は緊急避難場所のような役割を果たしているのです。

 私はこれまで彼らと個人的に、あるいはグループで接してきました。悩みや相談事があれば個別に話を聞くこともありましたが、半分以上は日常のできごとや趣味など普通なら友達や親に話すような内容のことを、毎週毎週聞いていました。音楽、本、アニメ、そして最近のドラマなど、好きな事を話している時の子どもたちは楽しそうで、話したりなさそうにしていることもありました。別室登校の子どもたち同士が、学年を越えて仲良くなることもありました。

 そのような子どもたちの状態を理解している教師もいるし、そうでない人もいます。教室に行けないことを単なるわがままと考えている大人も決して少なくありません。実際無理に行こうとすると、息苦しくなったり気分が悪くなることもありますが、彼らはなぜそうなるのか理由は分からないのです。

 最近ある中学校の総合学習の時間に、海外で人道支援をしている活動家を招いての講演会が行われました。全校生徒が体育館に集まり、2時間近く貧しい国の人々の現状や社会情勢についての話を聞きました。

 その中学校には別室登校の子どもたちが5人ほどいて、彼らもしぶしぶ一番後ろの列に座ってじっとしていました。そのうちの4人は、1時間ほど経った頃に気分が悪くなったりしんどくなって、自習室に戻ってきました。その時私は自習室に待機していたのですが、戻ってきた彼らは疲れ切った顔をしていて、私が「よくがんばったね」というと、「ああ、しんどかった〜」としばらく机にうつぶせたまま動こうとしませんでした。

 そのすぐ後、一人の先生が「いい話だから最後まで聞いてほしいのだけど」と子どもたちを呼びもどしに、自習室にやってきました。私は「気分が悪いと言っていましたし、朝から体調が悪い子もいるので」と、遠回しに言うと残念そうにその場を去っていきました。静かになった部屋で、ぐったりしている子どもたちに大丈夫?と声をかけていたら、隣に座っていた子が突然私の手をぎゅっと握りしめ、目にうっすらと涙を浮かべていました。本当は人が大勢いるところにいたくないのを、ぎりぎりまでがまんしたんだな…と感じました。

 その時ふと思いました。
 確かに、世の中には本当に貧しい国で、厳しい環境の中で生きている人たちがいるという事実を知ることも大切だし、そのような人たちに支援をすることも尊いことなのですが、その話を黙って聞いていた子どもたちの中には、物質面では恵まれていても、孤独や絶望に悩み、愛情面では決して満たされていない子が確かにいるのです。
そのことに、どれくらいの大人が気づいているのだろうか…と。

 自分は生きる価値がない、いなくてもいい存在だと考えている子どもたちも少なくありません。自分を傷つける子、殻に閉じこもる子もたくさんいます。

 彼らにもまた、援助の手が必要です。
 彼らを理解しそのままを受け入れることのできる大人の存在が必要です。

 ほんの少しの時間でも、彼らに寄り添い話を聞き、「そうなんだ」「よかったね」「よくがんばったね」などと声をかけてあげられるなら、そしてそんな日常の何気ないやりとりを、愛情を込めて続けるなら、子どもたちはもっと自分を好きになれるかもしれません。

 子どもたちが不安なとき、少しの間そばにいてあげるだけでいいのです。手を差し出されたら握ってあげればいいし、「大丈夫よ」とひとこと言ってもいい。そんなちょっとした関わりからでも愛情は十分に伝わり、その積み重ねがいつか大きな違いを生むのです。

 そのような小さくても大切な経験をあまりしたことのない子どもたちが多いのは、とても悲しいことのように感じます。

 大人の立場からすると、確かに生活を維持するのに精一杯で、他にも考えることがたくさんあって子どもたちの事にまで気持ちが向かない時もあるとは思います。しかしどんな小さなことでもいいから、子どもたちを心から愛し、その気持ちを素直に態度で示すことのできる大人たちがもっと増えてくれないだろうかと願う次第です。 

  

| | Comments (37) | TrackBack (2)

何のための告知なのか

 今、非常に困っていることがあります。

 アスペルガー症候群が疑われる大人の患者さんは、基本的に主治医が検査を勧め、了解が得られたら予約制で検査を受けてもらい、主治医と相談した上で検査結果は主に私が伝えるという手順になっています。

 私は医者ではないので、最終的な診断は主治医に任せ、本人の性格的な特徴や認知・感情・社会性からみた問題点などを話し、手短にアドバイスをするか場合によっては短期のカウンセリングを勧めることもあります。

 高校生以上であれば、本人と家族には別々に説明することがほとんどです。アスペルガー症候群であることが明らかな場合、家族が発達障害について知ることは非常に有益であるため、資料や本などを紹介しながら時間をかけて話をします。家族の受容も大変とは時々聞くのですが、私がお会いするご家族は理解の早い方が多く、そうでない方でも実際に本人について困っておられることがあって、それがなぜ起きているのかを話すと大抵は受け容れて下さるので、家族への説明で問題が起きることがほとんどありませんでした。

 ところが、本人への説明は、時々予想外の事が起きたりするので、何をどう話せばいいか毎回非常に頭を悩ませています。

 発達障害についてはっきり告げるかどうかはケースバイケースで、本人の精神状態や性格傾向次第では行わないこともあります。中には自分でネットなどで調べてきて、発達障害なのかどうかはっきりしてほしいと言われる方もあるのですが、そういう場合でもすぐには相手の要望に応えないこともあるのです。

 今まで非常に多くの大人の方の検査をやってきて、改めて振り返ってみると検査結果をすんなりと受け入れられた人とそうでない人が50/50くらいだったように思います。受け入れられた人の中には、何度かに分けてじっくりと説明してやっと分かってもらえた人もいますが、およそ受容に至る人は自分をある程度冷静に見つめることができ、多少考え方が変わっているなと思うところがあっても、心根は素直で周りの状況もある程度理解できているのだろうと思います。

 検査の時の本人の態度や検査結果の分析を見た時点で、多少はその人が受容ができそうな人かそうでないか予測はできるのですが、私も完璧ではないためごくたまに大きな問題が起こることがあります。とりわけ本人が自分自身について思いこんでいることと私が説明した内容が合わない場合に、感情的な問題が発生しやすくなります。

 例えば、心理検査(ロールシャッハ・テスト)について結果を説明した時に、このような結論はどこから出るのか根拠をはっきり教えてくれと言われたこともありましたし、テストの点にこだわりの強い患者さんで、知能検査(WAIS-III)が納得いく結果が出なかったからもう一度やらせてくれとしつこく言われたこともありました。またクレームが私を通り越して主治医に向かう人もいて、予測のできない相手の反応に、こちらが神経をすり減らしたことも何度もありました。
 
 中には、コミュニケーションの難しさや人付き合いの不器用さなどの特徴を話すと、確かにそういうところはあります、と言うものの、「私は絶対にアスペルガーではない」と真っ向から否定されたこともありました。それでも自分自身の問題に多少は気づいていて、実際困ってもいるので話す意義は十分にあったと思います。

 一番困るのは、検査前は自分の特徴を知りたい、と言いながらも結果を伝えるとそれは私が(自分自身について)考えていたことと違う、と詰め寄られるときです。過去5年間で2,3人、そういう方にお会いしています。割合としては少ないかもしれませんが、1人そういう方を受け持つと、精神的にはぼろぼろになります。

 私はできるだけ相手が分かる範囲内のことを伝えようと、それなりに言葉は選んで説明をするのですが…こちらが伝えたいことが相手にほとんど伝わっていないのが、話している最中でもよく分かります。そして多少時間が過ぎてから、「きちんとした説明がなかった」「先生の言葉で傷つけられた」と私だけでなく主治医にもクレームが行き、自分の思うような答えが出るまで何度でも同じ事を言い続けるのです。

 最もひどかったケースでは、電話やメール責めにあったこともありました。別のケースで面接中に直接乗り込んで来られたこともありました。

 彼らは自分自身についての問題意識の低い、それでいて他人のちょっとした矛盾も見逃せず約束事や筋を通すことに強迫的な、「待てない」タイプの方々で、主治医も家族も私も皆が巻き込まれ、小さな誤解や思い違いがなぜかまるで一大事のようになってしまうのでした。

 さらに困ったことに、彼らは家族への説明を非常に嫌がるので、家族とも十分な話し合いができないやりづらさもありました。家族のことにちょっと触れただけで、突然表情が険しくなり怒りをあらわにした人、家族と同席でないと嫌だと駄々をこねた人、無言でにらみつける人…と反応はまちまちですが、非常に張りつめた瞬間であったことに変わりはありません。

 最近のケースでは、運悪く離婚や母親の入院などプライベートでも相当なストレスを抱えていた時期と重なったのですが…むろんそういう事情が考慮されるはずもなく、今もまだ度々相手からの苦情を受け付けている状態で、それが非常に今重荷になっているような気がします。結局は本人が思う通りのことを私が言うまで、この状態は続くのだろうと思います。

 こういうケースを何度か体験すると、何のための(発達障害の)告知なのだろうかと考えてしまいます。知ることが役に立つのであれば、本人のためになることを知らせてあげたいと思う気持ちは今もあるのですが、相手によっては検査でわざわざ波風を立てるくらいなら、そのままでいた方がいいのかとも思います。自分の特徴や問題を知ることが、何らかの面でプラスに働くのでなければ、本当はあまり検査を勧めたくないというのが私の本心です。

 そういうできごとが何度かあって、主治医も気を遣ってくれるようになり、最近では発達障害の可能性があるからとはっきり伝えてから検査を勧めてくださっています。

 周囲に多少の理解者もおり、環境としてはそれなりに恵まれてはいるのですが、正直なところ、この領域の仕事(発達障害の精査のための検査)からしばらく降りようかと真剣に考えてしまうほど、疲れ切っているのも事実です。

 
 
 

| | Comments (160) | TrackBack (3)

人生は気づいたときからやり直せる

 配偶者との離婚は、私にとってはかなりのストレスでしたが、中でも調停は最もエネルギーを消費したように思います。

 離婚後、それなりに穏やかな生活はできているものの、今でも相手の事を思い出して怒りがこみあげてくることがたまにあり、鏡に映る自分の疲れた顔を見ていると、まだ十分に立ち直れてはいないのだなと思い知らされます。

 元配偶者のことではいろいろな人が巻き込まれ、皆の中に多少なりとも嫌な思いが残っただろうと思います。失ったものの中には、多分取り戻せないであろう、元配偶者以外との人間関係も含まれています。

 私ははじめから、弁護士を通して話し合いでの離婚を望んでいました。しかし元配偶者はそれをせずにいきなり調停に申し立てて、私が離婚に応じないなら審判も辞さないという強硬姿勢を崩しませんでした。「私(Sana)が勝手に子どもを連れて出て行って、妻としての義務を果たさなかった」というのが離婚の主な理由に挙げられていました。

 事実とは違うことなので、反論しようと思えばできたのですが、私はそれはしませんでした。また自分の正しさを主張するのも賢明でないと思ったし、感情的になれば相手の思うつぼだと思ったので、必要以外のことは何も言いませんでした。ただ毅然と言うべき事をいい、引くべき時に身を引く、それだけでした。

 私は調停で自分がいかに善良な夫、よい父親であるかを必死でアピールする元配偶者の姿を見て…確かに彼にも良い面はあるし、父親としてよくやってくれた事は認めるけれど…自分をよく見せようとすることがばかばかしくなりました。他人に理解され受け入れられるために、そこまでやらなければならないのだろうか、とも感じました。

 果たされなかった多くの約束より、相手を傷つける言動より何より、もう嘘は嫌だ、と本気で思いました。自分にも他人にも正直でいることが一番大切なことだと、このときにはっきりと悟りました。誰かを悪者にして自分の善良さを証明することなんて、何の利益にもならないと思いました。

 それまでの私は、相手に気に入られようと自分を偽り、無理にいい人を演じていたところが大いにありました。そうすれば、他人は私を受け入れてくれるだろうと思っていたからです。元配偶者を見て、それは逆に自分を苦しめ、相手を傷つける行為だと始めて理解しました。過去、私には人間関係において、多くの過ちも失敗もおかし、決してよい人間ではありませんでした。しかしそのことに随分長く気づかず、現実のそのありのままを見てはいませんでした。

 そのとき元配偶者もまた、自分自身が何をやっているのか本当には分かっていないのだろうと感じました。それならば相手をただそのままにしておくことが、私にできる最善のことだと思いました。

 私はこの経験のあと、しばらくの間、深く自らを反省しました。
 私はできる限り、誰に対しても正直で誠実でいようと思いました。
 人に優しくすれば自分も優しくされる、という考えは捨てました。自分にも人にも優しい人間でいようと思いました。

 この一連のできごとから、「人生は今日、気づいたときからやり直せる」ことも学びました。もう絶対に後戻りはしたくないので、小さなことに喜び、感謝する心を持ち、ありのままを生きていく…そう自分に繰り返し問いかける毎日です。

 

 

 

 

 

| | Comments (148) | TrackBack (3)

発達障害の成人用問診票

 2ヶ月ほど前から発達障害の鑑別のための心理検査を頼まれることが増え、今では小学生から50代まで幅広い年齢の方が検査を受けに来られるようになりました。

 高校生以下の子どもたちについては、検査以外に保護者から育ちの経過や普段の様子について別に時間を設けてお尋ねするようにしています。それは単に生育歴について尋ねるだけでなく、いろいろ悩んでいる事を話してもらい精神的なサポートをしたいと思っているからです。

 大人の方については、分かる範囲で子供時代の事をご本人からお聞きするか、あるいは家族(親きょうだいかパートナーのどちらか)に電話などで、子供の頃の事や第三者から見た普段の様子などを尋ねることにしています。しかし子供時代の事になると、随分昔の記憶をたどることになり、本人も家族も細かいことを尋ねられても忘れていることも多く、聞かれてすぐ答えられるとも限りません。また家族に連絡を取ろうにも、相手の都合がなかなか合わず聞きたいと思っていることが十分に聞けないことも時にあります。

 先日ぴょろが京大病院で初めて診察を受けたとき、事前に5枚セットの問診票が送られてきてそれを記入し当日に持参するという流れになっていました。以前勤めていた大学病院でも同じような問診票を事前に郵送していたので、どこも大体同じだなと思っていたのですが、いざ書き込みを始めると質問項目が予想以上に多く、すでに中学生となったぴょろには必ずしも当てはまらず、どう書いてよいか問診票を前にしばらく悩んだところもありました。

 だけど問診票自体はあれば確かに便利だなと思ったし、書き込みながらふと、「大人用の問診票を自分で作ったらどうか」とひらめいたのでした。

 発達障害かどうかを調べる場合、検査を受けて結果を伝えるまでに最低でも3,4回はクリニックに足を運んでいただいているのが現状です。最近は広島や岡山など遠方から来られる方もいて、問診票を使えば面接時間を短縮でき、その分を検査のための時間に当てることで、1回分でも来る回数が少なくなればそれだけ時間や経済的負担も軽くなると考えたのです。

 そこで、まずは試しにと大人用の問診票を作ってみました。まだ試作段階で、使いながら多少変更を加えることがあるかもしれません。およそ今まで繰り返し尋ねてきたことの中で重要度の高いものを選んだので、いわゆる診断基準にそった標準的な質問でないものも含まれています。また、問診票はそれを手がかりに面接をスムーズに進めるためのもので、発達障害の可能性があるかないかをかなり大まかに知ることはできますが、それだけでASなのかADHDなのか、LDなのかという詳細な予測を立てることはできません。

 つまり、あくまでも検査診断に関わる人用に作ったもので、他のサイトにあるようないわゆる自己診断ができるような類のものではありませんが、こういうことを聞かれることもあるんだな、という意味で参考にしていただけるなら幸いに思います。

 発達障害を専門に診る病院ならもっとよい問診票を作っておられるかもしれません。何せ小さなクリニックで細々とやっていて、「こんなものがあったらいいなあ」と思うものを作ったに過ぎません。大学生以降、大人の方が多いのでまず大人用を作りましたが、次に中学生・高校生用の問診票も作る予定です。そして少しずつ改良を加えながら、もっと日常業務に役立つものにしようと思っています。

 問診票はwindows用とMac用の2種類作りました。違うのは文字種とレイアウトだけです。

問診票_win.doc

問診票_mac.doc

 

 もし、問診票について、こういう質問もあった方がいいとか、こういう言い方の方が分かりやすいとか、何かご意見やご感想がありましたら、コメントかメールでお知らせ下さい。

| | Comments (153) | TrackBack (0)

«「友だち」の定義